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さらにウォラ・デイモンは、顔を背けたまま石みたいに動かなくなってしまったハロウに、ハロウの母親の女優のなんとかかんとか(とても長くて発音しにくい名前だったのでストライクにはさっぱり覚えられなかった)にも電話してみたが、あなたなんて知らないの一点張りだったわよ、と言い捨ててアルフをドアの陰から引きずり出し、かかとの音も高らかに帰って行った。
ハロウは彼女が帰ってしまったあともぴくりとも動かず、頭を抱えたままベンチに固定されていたので、ストライクはそのまま教会のあちこちをひとりで見て回った。
教会はかつてかなり大規模なものだったというのがうそみたいに、ほこりまみれで蜘蛛の巣だらけで半分廃墟みたいになっていたが、そのほこりをちょっとはたいてみると、見事な細工ものの燭台やらお祈りに使うらしい杯やらどうやって作ったんだかわからないような複雑な色味のガラスの器やらがごろごろ転がっていた。
チップはジョーとかなり仲良くなって、二人で教会の裏にある畑で、冬でも取れる葉っぱの大きな野菜を取りに行ってきゃあきゃあやっている。結局ジョーはなんの獣人なのかまだわからない。
一周してもとの礼拝堂に戻ると、ハロウはまだ固まっていて、イグナシオが正面に腰掛けてハロウを見守っていた。
どんな気持ちなんだろうな。
ストライクはハロウの後姿を見て少し同情した。
勘当されたってどういう事なんだろうか。
親に知らないって言われるのはどんな気持ちなんだろうか。
ストライクは親のことなんか覚えてなかったけど、それでもずっと一緒にいる兄弟がいた。
こいつ次男て言うけど兄貴の話はぜんぜん出てこない。お金持ちで。家柄とやらもよろしくて、世間知らずでオシアワセに見えたとしても、こいつはきっつい美人に追い掛け回されて、帰る場所もなくここでこうして頭を抱えている。
俺は帰る場所なんかなくたって困らない。
俺は自分が根無し草みたいに、野良犬みたいにどこでどうなったって仕方ねえと思って生きていて、たまに食えないことも眠れないこともあったってどうにかしていけるけど、こいつはどうするのかな。
どっちが不幸せなんだろう。よくわからない。
イグナシオは静かに立ち上がってストライクを手招きし、奥の部屋に入った。
「そっとしておきましょう」
暖炉の部屋にも陽光がたっぷりと降り注いで、そこにだけ春が来たみたいに暖かかった。ストライクはロッキングチェアに座って、ハロウがまだいるであろう壁の向こうに目を向けた。
「あいつもなんだか難しいことになってるみたいだね」
ストライクが言うと、イグナシオはソファに腰を下ろして頷いた。
「ハロウさんは善き人だと思います。でも何かからお逃げになっているようですね。向き合われた方がよろしいでしょう」
「でもさ、それはハロウのせいなのかな。俺ならあんな風にどこまでも赤の他人がケツを追いかけてきたら逃げるぜ、あんなのとも向き合わなくちゃいけないのか」
イグナシオは暫くのあいだ目をつぶって何か考えていたが、やがて蝶が羽の具合を確かめるみたいにゆっくりとその目を開いて、ストライクを真正面から見つめた。
「ハロウさんが逃げているのはもっとほかのものからだと思います。そしてそれはたぶん」
次の言葉を待ったが、イグナシオはふっとストライクから視線を外し、思いついたように話を変えた。
「お昼になりますから、お昼ご飯の支度をしましょう。手伝っていただけますか」
でもストライクの耳にはイグナシオの声が聞こえたような気がした。
あなたもね。