(3)
ハロウが1階に下りると、すでにスゥが準備を整えて店を開けるところだった。
「ハロウさん。今日は何してもらおうかな」
皿洗いは……チップがやるか。料理は私とルーがやるし、配膳は……これも私がやるかなあ……。
健康的に色白でかわいらしいその女性はハロウの顔を見て暫く考え込んでいた。
昨日の夜もハロウは、昼間はカフェ、夜になるとそれにちょっとお酒も出す、このルーとスゥの店を手伝おうと、いろいろやらせてもらったのだが、皿を洗えばすぐに手をすべらせるし(泡がこんなにすべるものだなんて)、野菜を切ってと言われればどれくらいの大きさに切るか考え込んでしまうし、これをあの何番のテーブルに運んでと言われても、テーブルに辿り着くまでにどういうわけかコップからは中身が零れてしまうし、無愛想だと客に絡まれるしで正直何もできなかったのだ。
「じゃあね、お客さんが帰ったテーブルを綺麗にしてくれます?お皿をそのお盆でここまで運んで、そっちのふきんでテーブルを拭いて、そしてふきんを洗ってね。いい?」
でもそれも今ひとつうまくいかなかった。ハロウがきちんと片付けるよりも客の回転が速かったのだ。
目をこすりながら降りてきたチップは慌ててテーブルを片付けて、席があくのを待っていた客を座らせた。
「お前、筋金入りの役立たずだな?」
チップが残りものの載った皿を芸術的に両手に積み上げながら言った。
「でも、お皿も割らなかったしちゃんとテーブルも拭けてたわよ。ちょっと慣れてないだけよ」
スゥがまるで積み木遊びでもしてるみたいに皿を洗い、ステンレスの檻のようなものに泡の付いた皿を綺麗にしまい、檻にざっとお湯をかけて食器を真っ白に洗い上げながら言った。
「ま、ちょうどいいや。ストライクにゴハンもってってやってくれよ」
ルーが魔法みたいに、目玉焼きをフライパンからレタスとトマトとハンバーグの載ったバンズの上にひょいと載せながら言った。きゅっと上からバンズを押さえて出来上がり。
「これはあんたが食って。ストライクにはポタージュが作ってある」
この人たちは天才だと思いながらハロウが屋根裏部屋に行こうとしたら、ストライクが階段の手すりにしがみついていた。
「…………トイレ」
肩を貸してトイレに連れて行くとやっと一つ仕事をした気になった。
ストライクは部屋に戻るとポタージュを一瞬で飲み干し、付け合せのライ麦パンで皿までピカピカにし、「ひとくち!」と言ってハロウのハンバーガーを取って一口で半分食べた。一口には違いない。
ストライクが箱を開けて見せてほしいと言うので、ハロウは暫くパスワードを考えてみた。考え付く限り唱えてみる。
ひまわり。ユリの花。クリスマス。天使のランプ。
おひさま。チューリップ……はダメなんだった。こうして考えてみると僕は彼女のことを何も知らない。オルゴール。あとは何が好きだっただろう。キャンディ。チョコレート。えーと、ベンジャミンの木が綺麗で好きだと言っていた。オリオン座。星の中で一番好き。でも冬しか見られないから、パパもママもあんまり見せてくれないの…………鳥の声が好き。空の青い色が好き。お姉ちゃんからもらった指輪が宝物なの。なんだったかな、白いスイトピーを持っていったとき、いいにおいだと喜んでいた。
「開かねえな」
「開きませんね」
「なんでお前開けられねえの?」
「それは」
「ハロウ・ストームがここにいるってほんと?」
突然名前を呼ばれて顔を上げると、オレンジ色の髪の大人っぽい女性と、サングラスを微妙に下にずらした、短い髪が鮮やかな緑色をした黒人の男が部屋を覗き込んでいた。男は髪が緑で肌が見事にこげ茶色なので、ハロウは「木だ」ととっさに思った。