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ハロウ・ストームの冒険 色烏飛行  作者: 白遠
こわれものではありません
10/81

(1)

 温かい手が前髪をかきあげ、額を覆ったのを感じて目を開けると、

「目を覚ましたのね」

 と柔らかくささやくような声が聞こえた。


 額に置かれた手には白く細い腕が続き、半そでの白い服がさらにその先に見える。淡い金色の髪がポニーテールに結い上げられている。白い肌にピンク色の唇が瑞々しい。大きくて優しげな緑の目が見えた。かわいい。なんでこんな美女がいきなりいるんだろう。


 慌てて起き上がろうとして、そっと肩を抑えられ、何か液体の入った吸い口を差し出された。


「まだ動かないで。ゆっくり飲んでくださいね。おいしいから」


 口に運ばれるままに飲み込む。甘酸っぱい。本当においしい。

 ストライクが思わず喰らいつくみたいに全部飲んでしまうと、女性はくすくすと笑って、

「お代わりを持ってきますね」

 と言って、甘いいいにおいを残して手すりの向こうに消えた。そこに階段があるらしい。


 白衣の天使というヤツか。


 とは言うものの病院という雰囲気ではない。部屋の隅には木箱がいくつか積み上げられていて、天井には梁が見えた。屋根裏部屋らしい。でも大きな窓からはこれでもかと光が入り、部屋は明るくて清潔で暖かかった。


 どうなったんだこれ?


 ストーブにはやかんが乗せられ、こんこんと湯気を吐き続け、自分は白いシャツを着せられて、手編みらしい毛糸のブランケットに包まれていた。呆然としていると階下から話し声が近づいてきた。


「犬のおまわりさんに追い掛け回されたってワケだな」

「まあそういうことだな」


 やがて黒猫と一緒に、ワイン色に近いくらい赤い髪をモップみたいに伸ばした、目が空みたいに青い若い男が顔を出した。ちょっとキツネっぽいが男前だ。液体の入った吸い口を持っている。


「さっきの美人じゃなくて残念でした」


 赤毛の男はにこにこと吸い口を差し出しながら言った。猫は木箱を足で蹴って運んでくるとそれに腰を下ろした。今度の液体はまだ温かくて、からだに一気にしみこんで来る。

「俺の知り合いの家だよ」と黒猫が言い、

「チップの雇い主のルーってんだ」と男が続けた。


「チップ?」

「言ってなかったな。俺はチップ。この人間がルー。そんでさっきここにいた女の子がスゥ」


 そしてさらに階下から人が上ってきた。黒服の男(でも今はシルク・ハットもかぶっていないし、白地に灰色のストライプが薄く入ったシャツを着ている)とさっきの美女だった。美女はお茶のカップを5客とティ・ポットとクッキーをお盆に載せていた。


「せっかくだからお茶にしましょう。ルー、テーブルを出してくれる?」


 部屋の隅に折りたたまれていた木製のテーブルを、黒猫のチップと赤毛のルーが行儀よく出す。


「椅子は適当にその辺の箱に座ってくれよ」


 チップが木箱を蹴りだして黒服の男が受け取り、テーブルに添えると美女に先に座らせてやった。


「あらどうもありがとう」


 午後のいっぱいの日差しの中で行われるそれはまるでしあわせな寸劇のようだった。


 どうなってんだこれ。


「クッキー食べられる? あなた、足の怪我は大丈夫だけど、栄養失調と寝不足と貧血ですってお医者様が」


 スゥというらしい美女は、ベッドのサイドボードに、紅茶の入ったカップとクッキーを少し取り分けて置いてくれた。


「砂糖入れる?」


 そういえば足は、とブランケットをめくってみたら、トランクス一枚しか下につけていなくて顔から火が出そうになった。足には包帯が巻かれ、少しだけ血が滲んでいた。


「迷惑を掛けたみたいで……」


 やっとそれだけ言うと、ルーが「いつものことだから」と言った。


「こいつはいっつも人間拾って来るんだよ。昨日も朝っぱらから、裏口ガンガン叩いてな。しかも全員ドブ水でどろどろ」

「ルーだっていっつも面白がってるじゃねえか。トントンだろ」

「チップちゃん、マタタビパウダー入れる?」

「入れる」


 黒猫はスゥから小瓶を受け取ると、茶色っぽい粉を紅茶とクッキーにぱらぱらと振りかけた。一口紅茶を飲んだ赤毛の男が少し笑って言った。


「んであんたらは一体誰なんだ?」


 黒服の男が話し出す様子が全くないので(全然聞こえなかったみたいに彼は紅茶を飲んでいた)ストライクはしょうがなく話した。


「俺はストライクって言うんだ。今はスリ師。昔は泥棒もやってた」

「…………」

「…………」

「それで終わり?」

「終わり」


 いかにも不満だという風にチップがしっぽを大きく左右に振る。


「あの弓野郎は?」

「知り合い」

「知り合いが殺しに来るのかよおめーは」

「いろいろあるんだよ」


 紅茶を一口飲んでやっとひげが伸びかけていることに気が付いた。担ぎ込まれたのが昨日の朝なら丸一日以上寝ていたことになる。


「ま、いいじゃねえかチップ。しゃべりたくないんならさ。そっちのお兄ちゃんは?」


 黒服の男は水を向けられてやっと少し顔を上げた。


「僕はハロウ・ストームという者です」

「…………」


 ハロウという男は、これで話は終ったと言わんばかりに、またティ・カップを口に運んだ。


「あら? そのお名前聞いたことがあるわ……お仕事は?」


 スゥが遠慮がちに尋ねると、ハロウは難しい顔をしてもう一口紅茶を飲んだ。でもルーはそれを聞いてまたにこにこ笑い出した。


「詩人のハロウ・ストーム。あんた今日の新聞に載ってるぜ。『新進気鋭の詩人ハロウ・ストーム、自宅より忽然と姿を消す』って。こんなところで何してるんだ?」

「どうしても手に入れたいものがあったので」


 新聞記事によると失踪中のハロウ・ストームはもごもごと答えた。チップが助け舟を出した。


「あの箱か?」

「箱?」

「そう。この兄ちゃんがそっちの元泥棒に頼んで人んちに盗みに入って持ってきた箱があるんだよ」


 ハロウは無表情のまま本当にかすかに頷いた。

 

 ストライクはとりあえずクッキーを全部食べた。





 

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