大晦日に精神病棟で酒飲んだが、なにか?
閉鎖病棟だが、エタノールはあった!
リステリンを一気飲みして、酔っぱらったぞ。
それが2018/12/31ね。(#^^#)
簡単に他人を「バカ」とののしるヤツ。そして「頭いい~!」と媚びるヤツ。
そいつらこそ、本当に最低の卑屈な低能。頭悪い。
頭が良いの反対は バカ ではない。この二つはまったく別次元の別ベクトルなのだ。
頭が良くてもバカなヤツはいるし、仮に知能的に劣っても決してバカをしない人もいる。
もちろん、頭が良い上にバカもしない、超真面目なひともいるが……その反対もいる。
さて一口に頭の良さといっても、能力にはバラつきがある。一面的に、一つの数値で表せるものではない。
数学の才、というが。単に数を扱えるのと数学を思考するのとは違うし。
それらは必ずしも論理的な判断力とは直結しない。
論理的にものごとを考えられる人は、仮に数学が苦手でも、数学の本来の使いどころというものをわきまえているはずだし。文学にも法学にも哲学にも強いはず。
これは記憶力、暗記力とは別だから、知識問題に詳しい人が、論理的に物事を考えられるかどうかは調べないとわからない。
できる人もできない人も、片方の人もいれば両方の人もいるはず。
孔子は論語で
『学』 と 『考』 の双方必要、だが、考より学が大事と説いたが。私は少し異を唱える。
学と考、たしかに双方要る。しかしこの二つが対立するとき、自分が頼るべきは考の方ではないといけない。自由意思の人間は。
学の方が重要とは、単に物事を効率的に知識とできるからだ。
先人の発見の功績を短時間で身につけられるからだ。
だがそれだけでは新たな発見はなにも無い。
この論旨はベストセラー『思考の整理学』の冒頭にもある。グライダーと飛行機だ。
さて。私はこの思考の整理学にも異を唱える。グライダーを地面から離陸させてみよ! そして原動力無しに空を飛べ!
これを不可能とは言い切れない。適度な向かい風で舞い上がり、あとは上昇気流に乗ればよいのだ。凧を飛ばすのと同じ原理だ。(墜死の危険性の方が大きいだろうが)
ゆえにこういうのをバカの発想という←しかし新しい発見もあるだろう。
私はバカだが、それがどうした?<(`^´)>
どうだ? Take that! (^^♪






