表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ナーガハイム伝承記

作者: 四月一日八月一日

   序章


 ナーガハイムは、世界最古の国。世界のあらゆる神話・伝説が残されて、歴史と伝統の深い国。人間と魔族の戦いの物語など、多くの英雄伝承が語り継がれています。

 ナーガハイム王国には、現在、双子の王子と王女がいます。王家において、双子は、良くない兆しとされますが、男と女の双子でしたので、大いに祝福されました。


 静かで平穏な国。双子は成長し、物語が始まります。


 古城の一室。書物に埋め尽くされた部屋で、その物語を語りましょう。


第一章 双子


「今日もまた、ルシュア様は、騎士達と剣の稽古(けいこ)ですか?」

うんざりした顔で、女が言った。

「はい。姫様は、日に日に男らしくなられています。魔法に剣術にと、毎日取り組んでおられますよ」

深い紫色のローブを(まと)った老婆は、答え笑う。

「魔道士長ノーシス殿、笑い事ではありませんよ! 姫様の乳母である、私のお育て方が間違っていたのか、悩んでおりますのに」

女は、シワを深くして言い、溜息を吐いた。

「そなたは、悪くはないさ、ナディナ。姫様にも、それなりの理由があるのかもしれん」

と、ノーシスは答え、窓の外を見た。

 その部屋からは、城の裏手にある、騎士達の訓練場が見渡せる。二人は、騎士相手に、元気に剣を振り回している、ルシュア王女を見て、溜息を繰り返し吐いていた。

「きっと、神々がお二人の魂を入れ間違えたのかもしれんな。でも、姫様も十六歳になられたから、そろそろ落ち着かれるであろう」

と、ノーシスは言った。 ナディナは、そうだといいけどと、呟いた。

「本当にその様だな。知らぬ者から見れば、ルシュアの方が王子に見えるだろうな」

二人の背後で声がする。その声に驚いて、振り返り、二人は恭しく礼を取った。

「よい、ワシは隠居(いんきょ)したのだから」

と、笑って、二人を気遣う。笑うと、深く刻まれた幾つものシワが深くなる。ノーシスと同い年位なのに、随分と老けて見える。前国王のカールディオだ。

カールディオも窓から、訓練場で剣を振るうルシュアを見る。

「ルシュアは、亡くなったワシの(きさき)に似ておるのだな。后も、武芸を好んでおったからな」

と、目を細め

「ルシュアが、お転婆娘で武芸魔道を好むのは、きっと、それなりの理由があっての事だろう」

と、呟いた。

「その理由が解れば、少しは姫君らしくなられるかしら」

乳母ナディナは、大きな溜息を吐いた。

カールディオの呟きに、ノーシスは顔をしかめた。その言葉の意味が、気になったから。


 その頃、城のまた一室。部厚い本を手にした、細身の中年女性は、苛立(いらだ)った口調で、扉の前に立っている、気弱そうな若い男に向って、

「今日も、ルシュア様は私の授業より、剣術の稽古ですか?」

その声に、男はビックとして身を縮め、

「はい。此方へ来られるようにと、申し上げたのですが。 “私には、大人しく座っての勉学などは、肌に合わない。それよりか、剣や魔法を極める方が良い!” と、剣先を突き付けられて言われました」

と、オドオドと答えた。すると、女教師は男を睨んで、

「そなたが、しっかりしないからだ」

と、キツイ口調で言った。

「ヒューア先生。僕だけでいいから、始めてください」

窓辺に並べられている二つの机、その一つに座っている少年が、か細い声で言う。肌は白くウェーブの金髪を後ろで(くく)っている。少年というよりも、(はかな)げな少女に見えてしまう。

「リュカエル王子。そう申されても、陛下からは、お二人揃って御指導するようにと」

と、眉間にシワを寄せる。

「ルシュアは、剣術の稽古の方が好きなのだから。構いませんから、始めてください」

と、王子は言った。その言葉に、ヒューアは溜息を吐き、これで何十回目でしょうと、呟き本を開くと、黒板に色々と書き始めた。

 

 城の裏手にある、騎士団の訓練場では、双子の妹ルシュアが、自分の三倍はあろうか体格の良い初老の騎士と、剣を合わせていた。力は少女の細腕。正面から剣を合わせると、弾かれる様によろめいてしまう。だけど、小柄な分、小回りが利きスピードがある。力の無さをスピードで、カバーしてか、相手に引けを取ってはいなかった。ルシュアと初老の騎士との手合わせを、見る者達は増えていき、自分の仕事を放ってまで、見に来る者までいた。

「騎士団長が、一本取るのに時間が掛かっているとは。やっぱり、ルシュア王女は凄いな」

見守っている中年の騎士達が話す。

「そうですか? 王女に一本取らせる為に、手加減しているのでは、ないでしょうか」

と、新米騎士の一人が言う。すると、年配騎士達は、首を振る。

「ルグツァ殿に、それは在り得ない。絶対にな」

と言い

「ルシュア様が、剣術を極めると言われて剣を手にした頃は、それはもう、ルグツァ殿は、手加減する事なく、教えられていた。それ故に、ルシュア様は、毎日、生傷が絶えませんでした。お付の者が何度、お止めに入った事やら」

年配騎士達は、互いに頷き合う。

「始めは、陛下も口を挟んでおられましたが、今となっては口を挟む事は、殆どありません。もとは陛下から、兄のリュカエル様に剣術を教えるようにと、言われていましたが、これが、まったく不向きでした。リュカエル様も、剣術の稽古に顔を出すこともなく。陛下は、諦めてしまわれました」

また、頷き合う。

「そうそう。それにな、ルグツァ殿は剣の相手をする以上、誰であろうと、手加減する事はない。相手に華を持たせる事もな」

老騎士がそう言った時だった。

訓練場に、乾いた音が響き渡った。それと同時に、ざわめいていた見物人達は、静まり返った。

「参りました」

ルグツァは深々と礼をとる。

「お強くなられましたな、ルシュア様」

肩で息をしながら、言った。

「いえ、これも、ルグツァのお蔭だよ」

と、ルシュアも、騎士の礼をとった。

見物人達は、一斉に歓声を挙げて、訓練場は何時に無く盛り上がっていた。

 その様子を見ていた、ナディナやノーシス、カールディオは、お互いに顔を見合わせて、苦笑いを浮かべた。

「はぁ。日に日に男らしくなられて、姫様は、どうされるのでしょうか。私は、おしとやかな姫様にお育てした筈なのに」

乳母ナディナは、涙を浮かべた。

「まあ。男勝りであっても、健やかであれば良いではないか。それに、この城の誰もが認める腕前になった。それは、それで良い」

と、カールディオは言って、一人で頷いていた。

「これも、神々の意思なのか」

騎士達に囲まれて、剣をかざしている、ルシュアを見て、ノーシスは内心呟いた。 


 細い月が、東の空に浮かんでいる。吹く風は冷たく、ナーガハイムに冬の到来を告げていた。吐く息は白い。だけど、冷たい夜風が気持ち良かった。

「はぁーあー」

ルシュアは何度目かの、溜息を吐く。

「―まったく、どちらが王子か、分からぬは」

このところ、父王の小言が増えていて、先ほどまで、父王に呼び出されて、こってりと絞られていたのだった。

気分転換に自室のバルコニーに出て、遠くの山々を見つめる。

山々は(かす)かに白く(かす)んで、朧気(おぼろけ)に見えている。

「神様は、兄上と私の魂を入違えたのよ。きっと……」

バルコニーのふちに座り、彼方を見つめて呟く。

「ルシュア」

隣のバルコニーから、兄リュカエルが声を掛けた。

「兄上」

ふちに座ったまま、隣を見る。

「そんなところに座っていたら、危ないよ」

その言葉に、ルシュアはクスと笑い、内側に戻る。

「ルシュアも、父上にお小言を言われたのかい?」

隣り合うバルコニーで話す。双子であるのに、その外見は髪の色も瞳の色も違う。だけど、取り巻くオーラは、何処となく似ている。

「ええ。最近になって、また小言が増えたよ。私が、帝王学よりも、剣術や魔術に盛を出している事、男勝りであることに対して、かなり言われてしまったよ。兄上も、その様な事?」

「はは。僕が女々しいって」

と、力なく笑う。

「もう少し男らしく、剣術などの鍛錬(たんれん)をするようにと、ね」

覇気(はき)の無い声色で答えた。

「それは、言えているよ。兄上は本当に、女々しすぎます。時期王としての、自覚をして頂かないと。で、私の方は、王女らしくするべきだと……」

ルシュアは、はっきりと強い口調で言い笑った。

「やっぱり、僕達の魂は逆なのかもしれないね」

リュカエルは小さな声で呟いた。

―入っている魂が逆かもしれない。

それが、双子の口癖であり、周囲の者達の口癖でもあった。

 

王城の庭園。初冬といっても、昼間は穏やかな陽射しがあって、暖かい。古代から受け継げられている、ナーガハイム特有の花々が手入れの行き届いた花壇に咲いている。年間通して、花を咲かせ続ける事から、不死花と呼ばれていた。

庭園にある東屋(あずまや)で双子は、午後のお茶を楽しんでいた。

「ルシュア、凄いね。ルグツァに勝ったんだってね」

リュカエルは、クスクスと笑い、お茶を啜る。

「まぁね。でも、まだまだよ。もっと、腕を磨かないと」

と、意気込む。

「でも、魔法だって使いこなせるのでしょう?」

リュカエルは、おっとりとした口調で言い、不死花の砂糖漬けを摘んだ。お茶を啜っていたルシュアは、頷く。

「私、強くなりたいの。なんていうのかなぁ、例えるなら、血が騒いで胸が高鳴るって感じ。もっと、強くなれって」

カップを置き、何処か遠くを見つめて答える。

「ははは。まるで、伝説の勇者物語みたいだね。ルシュアは、勇者になるの?」

その問いに、ルシュアは悪戯(いたずら)っぽく微笑み、それでもいいかなと、答えた。

 東屋のある辺りは、ちょうど陽だまりになっていて、漂う不死花の香りとで、気持ちのいい空間になっていた。時々、双子はこの場所で、午後のお茶をしながら、他愛のない会話を楽しんでいた。

「ところで兄上。近々、見合い話があると、聞いたのですが」

ルシュアに問われ、菓子を摘む手が止まった。

「あ、ああ。サール国の末姫らしいよ。だけど、僕にはそのつもりは無い。きっと、この先もね」

と、ウェーブの掛かった金髪をかき上げる。リュカエルの金髪に陽射しが当たり、キラッと輝く。その答えと仕草を見た、ルシュアは腹を抱えて大笑いしてしまった。

近くに控えていた者達は、何事かと、双子の方を見た。

「そんなに笑わないでよ、何か変?」

と、リュカエルが言った時だった。

 今まで晴れていた空が急に暗くなり、それと同時に、湿った強い風が吹いた。静かだった庭園がざわめく。。

「どうしたのだろう」

笑っていた双子も、周囲の異変に気付いた。血相を変えて駆けてくる騎士達の姿が見えた。

「ま、魔物です。魔物が現れました」

駆けつけてきた騎士の一人が、叫んだ。

「え、如何して」

ルシュアも驚いた。ここ数年、魔物が街中などに現れることは、なかったから。

「解りません。とにかく、城内へお戻りください」

駆けつけた騎士達は、息を切らし言う。

「ルシュア、魔物だって、どうしよう?」

怯え涙を浮かべたリュカエルは、震えながら言った。

「兄上。そんなに、オドオドする事もないでしょう。魔物など、私が蹴散(けち)らしましょう」

と、勇ましくルシュアは言ったが、騎士達に激しく止められ、仕方なく守られながら、城へと向った。

 暗雲が城と城下を覆っていて、あちらこちらで、魔物を撃退している騎士や魔道士の姿があった。双子が騎士に守られながら、東屋から庭園を横切って城へ向っていた時だった。黒い影がその行く手を遮る。

「見つけたぞ」

漆黒のマントを纏った、闇色の長髪をなびかせた長身の男が、一行の前に現れた。その男は、

双子を見て、ニヤリと笑った。

「何奴」

騎士の一人が、剣を突きつけた。

「魔族?」

長身の男の容貌を見て、ルシュアが息を呑み、身構えた。

「ご名答」

鼻先で笑うように答える。

「魔族がなんだ。成敗してくれる」

騎士の一人は言って、剣をかざして斬りかかる。だが魔族は、鼻先でフンと笑い、片手でそれを振り払った。何気の無い動作だったけれど、斬りかかった騎士と構えていた騎士もろとも、吹っ飛ばされてしまった。双子を守っていた騎士は、なんとか立ち上がろうとしていたが、(うめ)くしか出来ないでいた。

「ど、どうしよう」

泣きべそをかいたリュカエルは、ルシュアにすがる。

「泣かないでよ、兄上」

と、言うと、ルシュアは、落ちていた騎士の剣を手に取り、剣先を魔族に向けた。

「俺とて、無駄な争いや血を流すのは趣味じゃない。目的は一つ。それさえ手にすれば、立ち去るさ……」

魔族が言い終わらないうちに、ルシュアは剣をかざして斬りかかった。だけど、それは、あっさりとかわされ、ルシュアの剣は、虚しく空を斬っただけだった。

「うあわあわ」

リュカエルの悲鳴が響き渡った。

「兄上」

ルシュアは体勢を立て直しながら、振り返った。そこには、羽交い絞めにされているリュカエルがいた。

「さてと、目的の者も手に入れたから、引き上げるとするか」

剣を構えている、ルシュアに勝ち誇った笑みを見せる。

「渦巻く、幾千の刃。風の精霊よ、その力を我に!」

ルシュアは剣を地面に刺し、呪文を放った。風が渦巻き、魔族を取り囲んだ。

「無駄だ」

風の渦を、マントを翻すだけで打ち消した。それを見て、ルシュアは愕然とする。今の魔法は、上級魔法なのにと。それを、マントを翻すだけで打ち消すなんて。

「所詮は人間の使う魔法。魔法は、こう、使うものだよ」

魔族はリュカエルを抱えたまま、何かを呟いた。

すると、ルシュアの使った魔法より、何倍も大きな黒い渦が生じ、雷の様に弾け散った。

「うわぁ」

反射的に受身を取りながらも、対抗しようと詠唱(えいしょう)を始めたが、それが出来ないまま、ルシュアは吹っ飛ばされて、不死花の花壇に落ちた。その様子を、怯えながら見ていた侍女達は、悲鳴を上げて卒倒してしまった。騎士の一人は、何とか立ち上がったものの、彼はそれが精一杯だった。

「ああ。ルシュア。ルシュアが」

涙を零しながら、か細い声でリュカエルは何度も、双子の妹の名を呼んだ。

「これで、俺にも大いなる力が」

そう呟き、高らかに笑った。その笑い声だけを残して、リュカエルもろとも、魔族は庭園から、姿を消した。それに続くかのように、魔物達も消えていった。

 魔物出没の後処理とかに追われて、城内や城下町が落ち着きを取り戻したのは、それから数日後だった。


 ルシュアは、まだ(うず)く身体で、騎士団の訓練場へと来た。先日の魔族襲来(しゅうらい)の事もあってか、訓練場には何時に無く、気合を入れて取り組む騎士達がいた。平穏だった、ナーガハイムでは、実践を伴うような事はめったに起きなかった。その為に、痛手を被ったのだと、自分の剣を持ったまま、ルシュアは思いならが、その様子を見ていた。

 自分自身、剣術にも魔法にも自信はあった。なのに、あの魔族には、まったく通用しなかった。それが、悔しかった。

「ルシュア様、起きられて大丈夫ですか?」

立ち尽くして見つめていると、ルグツァが声を掛けてきた。

「ああ、大丈夫よ。あんな事があったし、連れ去られた兄上の事もあるのに、寝てなんていられないよ」

と、気丈に振舞う。それに対して、ルグツァは溜息を吐いて、

「リュカエル様は、騎士団がその行方を捜しております。―ルシュア様、確かに貴女様は、お強い。剣術においては、お教えする事はありません。だけど、剣術にしても魔術にしても、この世界には、上には上がいるのです。その事をふまえた上で、また、鍛錬を重ねられ下さい」

ルシュアの視線に合わせ、ルグツァは言い頭を下げた。ルシュアは、ただそれを黙って聞き、歯を食いしばって、頷いた。

 

 国王は頭を抱えていた。魔族の襲来以来、街道に魔物が姿を見せるようになってしまったから。今までは、街道から外れた所では、目撃とか襲来はあったが、街道にまでとは、異例の事だった。それでなくても、王子であるリュカエルを、魔族に連れ去られてしまうという、失態。その事を、如何するべきか悩んでいた。居合わせた者や、事情を知る者達には、硬く口止めしてはいるが、何時までも、隠しておける事では無い。ましてや、時期国王になる王子。公表するべきかと、日々悩んでいた。

 あれから半月近く、リュカエルに関係する情報はまったく無かった。一応、病で伏せっていると、ごまかしながら、何食わぬ顔で過す事は、辛かった。国王は、溜息ばかり吐いていた。

 そんなある日。

「大変でございます。陛下」

血相を変え、声を裏返しながら、乳母ナディナが廊下を駆け抜けて行く。

かなり慌てていて、王の間を守っている者を押し退ける様にして、中へと入った。普段は、まず、扉の所にいる者に用件を言ってから、中へ入るという手順なのだが、ナディナはそれどころではなかった。

「何の騒ぎだ、ナディナ。一体、何をそんなに慌てふためいているのだ」

眉をひそめ、不機嫌そうに国王は言った。

「も、申し訳ありません。こ、これを」

よろめきながら、一枚の紙を国王に渡した。

『兄上を助けに行ってきます。―ルシュア』

そう一文、書かれているだけの、置手紙だった。

「なんだ、どういう事だ?」

「はい。姫様の姿が見えなくて、探しておりましたら、お部屋に置手紙が」

答える、ナディナ。

「うぅ。ルシュアの奴め。まさか、自らリュカエルを探しに行くとは。さ、探せ、まだ近くにいるはずだ、探して連れ戻せ」

事態が飲み込めると、叫んだ。それを聞いた側近達は、慌てて騎士達に招集を掛けて、ルシュアの行方を捜させた。

「一体、何を考えているのだ? 自分の立場も考えずに。今が、どれだけ大変なのかを理解しておるのだろうか?」

荒い息を吐きながら、国王は涙を零した。

 最愛の妃を数年前に亡くし、魔族に王子は連れ去られ、王女はその後を追い城を飛び出した。国の行先などを考えると、如何するべきか悩んでしまう。

直ぐに捜したのにも関わらず、城内や城下町、街道にも、ルシュアの姿を見つける事が出来なかった。王子も王女もいなくなってしまうとは。その上、魔族魔物に国が襲撃されたという話は、大陸中に知れ渡っていた。でも、幸いに王子が連れ去られ、王女が城を出たという話は、密やかに守られていた。それでも、何時かはバレてしまう。

考えた末、国王は一つの、お触書を国だけでなく大陸中にだした。

『魔族に連れ去られた、ルシュア王女を探し助け出した者に、望みの褒美(ほうび)を取らせる』と

本当は、リュカエル王子と書くべきだが、王子不在を知れ渡らせるわけにはいかなかった。むしろ、連れ去られたのが王女であるほうが、英雄伝承みたいで、ある意味都合が良いかもしれないと、考えた末のものだった。城を飛び出した、ルシュアが、お触書を見て、城へ戻ってくれる事も期待して。

 そのお触書に、国民はおろか、大陸中の勇猛な者達は沸き立ったが、魔族という事に、また、姿を見せ始めた魔物の前に、思ってはみても、行動に出る者は少なかった。

それよりか、国民は、姿を見せ始めた魔物を如何にかして欲しいと、言うのであった。

「父上は、如何してこの様な、お触書を出したのだろう? 連れ去られたのは、私でなくて、兄上なのに」

フードを深く被り、ベールで顔を覆ったルシュアは、街道の至る所に立ててある、ナーガハイムの紋章入りのお触書を見ては溜息を吐いた。

「それよりも、何故、兄上が連れ去られたのかが知りたい。それに、あの魔族に取られた一本、何としてでも取り返さないと」

ナーガハイムとサール国との国境に立つお触書を見て、ルシュアは決意する。

「兄上を助け出し、兄上を連れ去った理由が解るまで、私は帰らない」

と。

 厚い雲に覆われた空からは、冷たい雨粒が落ちてくる。雨粒は、吹き付ける強い北風に、何時しか雪に変わっていった。

ルシュアは、隣国サールへと続く街道へと入った。その街道を東へ、更に東へと一人歩き始めた。行く充ては無い。手掛かりもない。だけど、古の伝承が頼りだ。

ジャハング大陸の南地方の何処かに、魔族と通じる土地があるというものだった。その伝承を信じて、ジャハング大陸へ渡るべく、アニミズー大陸の東の端にある、ジャハング大陸へと渡る唯一の港がある、シャラン国を目指した。




   第二章 旅の仲間


  世界最大の湖がある、サール国。湖の水は、巨大な滝となり、海へと注いでいる。ジャハング大陸へ渡るためには、東のシャラン国からしか出ておらず、ナーガハイムからでは、大陸を東西に横断しないといけない。サール国の東には、シャンバラ山脈があり、その東側には、砂漠が広がり、その先にシャラン国がある。大きな街道が整備されているので、比較的、旅がしやすいルートだった。砂漠といっても、古に特殊な技術で砂避けが施された街道が、オアシス都市カラマカラを経由し、砂漠を抜けるまで続いている。


 オアシス都市カラマカラは、世界でも名の知れた都市だった。シャラン国領でありながらも、カラマカラは独立した自治を持っていた。商用の旅をする者にとっては、重要な宿場都市でもある。カラマカラは、何時も賑わっている。

 夜ともなると、色とりどりの灯りが昼とは違った、また別の賑わいを見せていた。

そんな街で、一番の老舗・リュミージャ。小さな劇場と酒場などがある。この都市に来る者の中には、この劇場で毎夜演じられる、舞を見に来る者も多かった。小さいながらも、舞を見に来る客で何時も席は一杯だった。

 異国の楽器で奏でられる曲。そのリズムに合わせて、(きら)びやかな衣が(ひるがえ)る。振りかざす装飾剣に、灯りが反射している。その剣を振る度に、光が(きらめ)く。シャラランと、身に着けているアクセサリーが、涼やかな音を奏でている。長く引き摺るような衣装をもろともせずに、軽やかに舞う。踊り手が舞う度に、黒く長い髪がなびき、緑色の瞳に灯が浮かぶ。手足も長くしなやかで、スタイル抜群だった。まだ、二十歳そこそこなのに、ぞっとするような美女のオーラを(まと)っているかのようで、見る客は男も女も、その美しさと、レベルの高い舞に溜息を吐くのだった。

 やがて楽曲が終わり、踊り手は一礼して、舞台袖へと去っていくと、客達は残念そうな顔をしていた。

「今日も、あんた目当てのお客ばっかりね」

厚化粧でキツイ香りの中年女が、言った。原色の派手な服が、さらにきつさを増している。

「そう? でも、私の正体知ると、お客さん、どう思うのかなぁ」

うふふと、笑いながら汗を拭く。それを聞いた他の踊り手達は、頬を膨らませる。

「でも、さぁ。確かにクーランって私達より色っぽいよね」

と、肌が透けるような衣装を纏っている若い女達は言い、頷き合った。

「悔しいよ。アタイ達からすると」

と、一人の女。

「ふふふ。私がこうなのは、母さんや姉さん達のせいよ」

クーランは笑い言う。

「あらぁ、それにしては、何時も楽しそうにしてるじゃない。舞台の上だけでは、なくて日常もそうなのでしょう」

と、クーランより年上の女が言い、クスクス笑ってクーランに抱きついた。

「やめてよ。もう、リザーナ姉さん」

照れ臭そうにクーランは、その手を振りほどく。

「あら、可愛い」

女達はクスクス笑って、クーランを見た。

「もー、イザムール姉さんも、ジャミー姉さんも、からかわないでよ」

クーランは、わざとらしく頬を、ぷーっと膨らせた。

「格好は趣味なのよ、振る舞いも趣味なの。ただの趣味でしているの」

と、言う。

「あ~ら、本当に、そうなの?」

クーランに、よく似た女が絡んできた。

「もー、やめてよ。アルジャン姉さんも」

振りほどこうとしたけれど、アルジャンはクーランを放そうとしなかった。

「ねぇ。クーラン、ここを出るって、本当なの?」

顔を覗き込んで、アルジャンは言った。その問いに、クーランを始め皆黙り込む。そして、他の女達も口々に同じ事を問いかけた。

「ええ。もう決めた事だから」

誰もが思ったより、クーランは静かな口調で答えた。その素振りに、アルジャンも絡むのをやめて、クーランを開放した。皆黙り込み、店の方の賑わいだけが聞えてきていた。

「それって、やっぱり、お婆様の予言の事?」

中年の女・クーランの母親が言った。

「それもあるけれど。私が旅に出ようと決意したのは、ナーガハイムのお姫様の件だよ」

「ああ。お触書の事か。なんでも、お姫様、魔族に連れ去られたとか?」

踊り手の一人が言う。

「ああ。最近、お客の間でも話題になっていたね。それが、なんで? 褒美目当てかい?」

と、母。

「お客さんも、腕に自信あるって人は、目指してはいるみたいね。望みの褒美って、なんでもいいのかなぁ」

と、女達は互いにキャッキャと話だす。

「で、クーラン本気なんだね」

心配そうに母が問う。

「お婆様の予言を調べないと。ナーガハイムのお触書に、妙な噂も付いているし、腕試しって処かな。実践で何処まで出来るかを試してみたいから」

答えて、クーランは、力瘤を出して見せた。細くしなやかな腕には、見た目以上にがっしりしている。

「ふん。反対したり止めたりはしないけれど、アンタがいないと、店の売り上げが落ちてしまうんだよね。それが、気掛かりなんだよ。だから、さっさと行ってきて、早く帰ってくるんだよ」

母親は言って、力任せにクーランの背中を叩いた。

「はい」

にっこりと笑い、クーランは皆に頭を下げて、楽屋を出て行った。出て行く、クーランの背中を見て、母親は大きな溜息を吐いた。

「アトラお婆様。私の母様も無責任な予言だけ残して、さっさと死んでしまってさぁ」

と、言った。

「でも、お婆様は、高名な占い師でもあったのでしょう? クーランは、色んな意味で、お婆様に似ているって、爺様が言っていたけど」

アルジャンは言う。

「まあね。私には、判らないさ。母様の力などは、受け継がなかったし、私自身、その様なものには、興味がなかったからね」

何処か、(さび)しそうに呟くと、パンパンと手を叩き、

「さぁ、次の舞台が始まるよ。さぁ、出た出た。クーランの分も、しっかりおやり」

と、声を高らかに言った。

「はーあーい」

女達は、威勢の良い返事をして、舞台へと出て行った。


 店の賑わいは、大通りまで聞えてきていた。冷たく乾いた風が、通りを吹き抜けていく。シャランの港までの間、ここが唯一の都市となる。街道沿いには、小さな集落や、街道を外れた所にも町はあるけれど、カラマカラが旅人の拠点となっているのは、皆ここで、備えたり休んだり息抜きをする。

 街道を行き来する馬車を利用すれば、ナーガハイムからシャランまで、五日もあれば行ける。だけど歩くと、ペースにもよるけれど二十日前後は掛かる。大陸全土に御触れが出てから、一ケ月近くになり、御触れの話を知らない者は、いないほどだった。

「ふぅ」

息を吐き、足を伸ばす。足は浮腫(むく)んで、足の裏は赤く()れていた。そこに、薬草をペースト状にしたものを塗り、包帯を巻き、また息を吐く。

「ヤワだなぁ」

呟いて横になる。ベッドは硬かったが、それでも横になると、身体は楽になる。

 夜も更けているのに、街の賑わいは続いていた。

「父上も、嘘の御触れを出して、どういうつもりなのだろう。連れ去られたのは、兄上なのに」

何度も呟いている事だった。天井を見つめ、その事を考える。だけど、本音が見えてこない。

 ここまで来る間、何度か魔物の姿を見かけた。以前からこの辺りに生息している、自生の魔物。実際に遭遇して、戦ったのは一度だけ。なんとか、倒す事が出来たもの、城で認められた、剣の腕も魔法も、思うようには出来なかった。あの魔族に負けて以来、剣も魔法も、自信が無くなってしまっていた。

それでも、城を飛び出してしまった以上、自分から城へ戻る事なんて、プライドが許さなかった。

「兄上。今如何しているのかな」

生まれてから、ずっと一緒だったから、何ともいえない、寂しさとか孤独感があった。

 時折り強い風が、窓を叩いていた。本格的な冬が訪れるのも、もう直ぐ。城の追っ手を気にしてか、馬車を使わない分、時間をロスしている。後先を考えずに出て来たのは、正しかったのだろうかと、つい考えてしまう。だけど、あのまま、あの魔族に負けっぱなしなのも、納得出来なかった。

「あいつは、如何して、兄上を連れ去ったのだろう。ノーシスなら、何か知っているかもしれない」

目を閉じる。幼い頃、ノーシスは、様々な神話や伝説を話してくれた。

 様々な神話や伝説。神々の物語から、英雄伝承まで。その中でも、極めて神話に近い伝説の物語に、登場する英雄に憧れていた。

 ―かつて、世界が滅びた時、神々に導かれ、世界を再生させて世界を護る事となった、女勇者。彼女は、剣も魔法も自由に操り、たった独りで、世界に滅びをもたらした存在を、打ち倒した。という英雄伝承。その勇者の様に、強くなりたくて、ルシュアは剣術や魔術に打ち込んでいた。別に、世界を救うとか、そんな大げさな事ではなかった。だけど、今となっては、剣も魔法も実践で使いこなさないと、いけない。

もっと、強くならなければ。何度も、自分を(はげ)ます様に呟いた。


 砂に混じって小雪が舞っていた。冬になると、ジャハング大陸とを結ぶ航路は、毎日のように荒れるので、船を出せる日が殆ど無いので、この時期になると、夏などに比べて多くの人が往来し、この街道には人が増える。その中でも、商隊の一行には傭兵(ようへい)などの武装している者がいた。

 かつて、城に出入りしていた旅の商人の話を思い出す。

(ぞく)とかを警戒して、武装している者もいますが、大勢で旅をする商隊の場合は、護身用程度で皆、気楽な旅ですよ。魔物も、辺境(へんきょう)に行かない限り、遭遇(そうぐう)する事も、まずありませんしね』

と、馴染(なじ)みの商人は、よく旅の話を聞かせてくれた。

 シャランへ向う街道を、一人歩きながら、その話を思い出していた。ちらほら、一人旅風の者と、すれ違う。武装している者もいれば、そうでない者もいた。街道沿いの休憩所には必ず、お触書が立てられていた。それを見る度に、ルシュアは溜息を吐き、フードを深く被り直した。

 オアシス都市カラマカラを発って、三日目の朝、(すな)(かすみ)の向こうに草原が見えてきた。砂漠を抜けたのだ。シャランは、まだ晩秋で、草原の草は立ち枯れ、風に揺れていた。吹き付けてくる風の中に、微かに潮の香りが混じっていた。草原は緩やかに下っている。途中何度も、馬車に追い越されたり、すれ違ったりした。一番ドッキリした時は、ナーガハイム王家の紋章を掲げた騎士団と、すれ違った時だった。

見つかってしまえば、城へ連れ戻されてしまう。ルシュアは、魔物よりもむしろ、ナーガハイムの騎士達を警戒していた。

「ジャハング大陸に渡れば、今の様に、気を使う事もないよね」

見えてきた海と城壁を、見つめて呟いた。


 シャラン国の門を抜けると、強い南からの風に変わった。フードを被り直して、港を目指す。お触書は、シャラン国にも立てられていて、ルシュアの顔絵まで添付していた。シャランは、ナーガハイムの友好国でも同盟国でもない、なのにあちらこちらに、お触書が立てられていることに、ルシュアは困惑し、何故か腹立たしかった。 

 様々な国の人々が行き交い、賑わう目抜き通り。古きものを重んじる、ナーガハイムとは対象的な国だった。これだけ、人が行き交えば、人混みに紛れて行けそうだなと、思いつつも、用心はしないと、ルシュアは溜息を吐いた。

 ここで宿を取れば、見つかってしまいそう。港まで行き、船に乗ればなんとかなる、人のごったがえす通りを港へと、向かい早足で歩く。城を出て一ケ月。旅にも慣れたけれど、野宿はしたくなかった。

 日が沈むにつれて、風は一段と冷たく吹きつける。街には灯りが灯り始めて、宿屋や酒場の呼び込みが始まる。それを横目に、港へと急ぐ。

日が沈んで、星が輝く頃になると、波の音が聞えてき始めた。大通りの十字路には、港はこの先と、示していた。ルシュアが、港に着いたのは、宿屋や酒場から客達の賑わう声や、食べ物などの匂いが漂う頃だった。

 港には、大きな船が何隻も停泊していた。ここが、この大陸唯一の港だと改めて感じる。

波と風に揺られて、停泊している船は独特の音をたてていた。幼い頃一度だけ、ジャハング大陸に行った事があるけれど、よく憶えていない。ルシュアは、ジャハングに渡る客船を探し、暫く港を歩いていた。港では、荷物の積み下ろしをしている、水夫達がちらほらいた。人と接する事を避けてきたが、こればかりは聞かないと分からない。仕方なく、作業をしていた水夫に尋ねた。出来るだけ声を低くして。すると水夫は、向こうに船を手配したりする事務所があるから、そこに行けと、言われた。ルシュアは礼を述べて、そこへ向う。

 宵の港は、ひっそりとしていて、水夫以外人影は無かった。停泊している船の窓から、小さな明りが零れていた。ルシュアが、その事務所に入ると先客がいた。

「船が出るのは、明日の朝。個室の船室が良ければ、今のうちに乗るのが良いさ。朝になれば、相部屋になるからな」

長い黒髪の人に、係の者が告げていた。そう言われた黒髪の人は

「それじゃあ、乗っとくよ」

と答え、船の方へ歩いて言った。その後ろ姿を見て、ルシュアは、背の高い女の人だなと、思った。同じ事を、ルシュアも聞かれたので、もちろん個室を取った。それに、宿に泊まるよりも、少しは人目を避ける事が出来る、と思ったから。

船に乗り、自分の部屋へと入り鍵を掛けると、フードとベールを外して、大きく息をした。

 波の音が微かに、部屋の中まで聞えてきていた。揺れているせいか、なんだか不安定な感じがする。ルシュアは今までの疲れもあってか、なんだか、気分が悪くなってしまい、そのままベッドに、横になった。

「こんなんじゃあ、先が思いやられるよ」

なんとか身体を起こし、買っていた、酔い止を飲んだ。そして、そのまま休む事にした。


 どれくらい眠っていたのか、目を覚ましたルシュアは、何気なく窓の外を見た。船室の小さな窓の外には、夕日に照らされ紅く輝く海が広がっていた。驚いて時計を見ると、翌日の夕方だった。ああと、息を吐いて頭を振った。 

まだまだ、旅には慣れていないのかと、思う。

 このとこと、まともな食事を採っていなかったので、船内の食堂に行くしかなかった。旅用の保存食ばかりでは、身体に良くないし、飽きる。

 ルシュアは、髪を束ねて結うと、その髪を全てバンダナで覆った。さすがに、船内でフードにベールとはいかない。返って、怪しまれてしまうだろうと、そうする。他の乗客に、自分の事が、バレない様に気を使いながら、約四日の船旅が続いた。なんだか、手配中の犯人の気持ちだった。結局、バレない様に気を回したりしないといけないのに、変わりなかった。


 船は、バーイアト帝国の港に到着する。ルシュアは、再び、フードとベールで顔を覆い、他の乗客達が降りてから、最後に船を降りた。船から降りて、地面の上に立っていても、なんだかまだ揺れている感じがしていた。

この地方は秋なのか、吹いている風に、(かす)かに果物や花の香りが乗っていた。暫く、港を歩きながら、揺れている感覚が治まるのを待った。この大陸の南地方の何処かに、魔族と通じる土地がある。伝承を頼りに、ここまで来た。あとは、南地方を目指すだけ。

落ち着いてきたので、街の方へ歩き始める。シャランの港も大きかったけれど、バーイアトの港は更に大きかった。ここからは、西にある大陸や周囲の島々などにも、船が出ている。世界最大の国だけあって、人通りは、更に多く、様々な店が軒を連ねていた。港と街の境にある公園で、ルシュアは足を止めた。バーイアト地方の情報や、大陸の情報などが書かれている掲示板があったから。その掲示板を見て、また溜息を吐いて頭を抱えたくなった。

「如何して、ジャハング大陸まで」

大きな溜息が出てしまう。暫く、動けなかった。父上、そこまでするのと。

「君も、その御触れに、興味があるのかい?」

不意に背後から声を掛けられ、思わずドキリとしてしまった。恐る恐る振り返ると、そこには、シャランの港事務所で見かけた、長身の女が立っていた。腰には、長剣を差していて、旅の剣士風に見える。ルシュアは、フードとベールの間から、上目で相手を見据えて、そんなところかな。と、答えた。

「そういえば、君。カラマカラやシャランでも、お触書を見入っていたよね? 褒美(ほうび)を狙っているのかい?」

興味深そうに、ルシュアを見つめて言う。ルシュアは、警戒しながら、上目使いで相手を探る。目鼻立ちの整った若い女。敵意は無いけれど、何処か侮れないものが漂っている。

「ふ~ん。まぁ、流れの者にとっては、ある意味、美味しい話かもしれないね。でも、魔族絡みになると、そう人も情報も集まらないから、簡単な事ではないね」

と、腕組みし、ルシュアと掲示板を交互に見て、言った。

「それは、そうかも」

ボソッと、呟き、何か言いかけた、相手を無視して、ルシュアはその場を足早に立ち去る。

「ちょっと、待ってよ」

彼女は、後を追って来る。素性の判らない者とは、関わりを避けたかった。足を速めると、

「なんで、お触書に、そんなにまで、(こだわ)っているのさー」

と、呼びかける声をも無視し、人混みに紛れる。

 街はシャラン以上に、人で溢れていた。ルシュアは、追ってくる女剣士を、気にして足を速める。行き交う人達と、ぶつかりそうなのをかわしながら。

「す、すみません」

すれ違いに、相手の腕にぶつかってしまった。

「すみません、だけかぁ」

突如、相手は声を荒げ、ルシュアの前に立ちはだかった。ルシュアより数倍大きく、人相の悪い二人組みの男だった。往来していた他の人達は、一瞬チラッと見ると、そのまま我関せずと、通り過ぎて行く。そして、ルシュアと、二人組の男を避けるように、その場だけ人波が途切れていた。

「おい、ガキ。ぶつかっておいて、すみませんだけか?」

元から悪い人相を更に悪くして、絡んでくる。ルシュアは、その男を睨みつける。こんな街なかで、剣を抜いたり魔法を放ったりは、したくない。だけど。と、考えていた時だった、一人の男が、ルシュアの胸座(むなぐら)(つか)もうとした。

「くっ、風の(ざん)

ルシュアは、とっさに、その手を振り払う様にし、呟いた。

一陣の風が、その男を吹っ飛ばした。本来は、敵を切り裂いてしまう魔法だけど、かなり力を抑えていたので、吹っ飛ばしただけだった。その魔法を合図になのか、大通りは騒然とし、人垣が出来始めた。

「この、ガキがぁ」

もう一人の大男が、大剣を抜いて、ルシュアに斬りかかってきた。ルシュアは、その振りを身軽にかわしながら、次の魔法を使おうと、詠唱をしていた。すると、吹っ飛んだ男の方が起き上がって、怒り狂って、ルシュアに飛び掛って来た。

―手加減していたら、負ける。

そう考えたルシュアは、かわしながら、より強い魔法の詠唱に切り替える。

「止めろ!」

先ほどの女剣士が、三人の間に割って入る。そして、飛び掛って来た二人の男を、足払いで転ばし、そのスキに、

「こっちよ」

と、困惑している、ルシュアの腕を(つか)んで、その場から走り去る。


 幾つかの通りを何度か横切り、幾つかの角を曲がった先の裏路地まで来ると、女剣士は、ルシュアの腕を放して

「あのねぇ、君。あんなに大勢人がいる大通りで、大きな魔法を放つと、あの馬鹿男以外の人達も巻き込まれるのよ」

と、(あき)れた口調で言う。ルシュアは、(にら)む様に女剣士を見て

「私は、負けたくない。それに、どんなに大きな魔法でも、他の人達を巻き込まないように、使いこなす事ができる」

と、言い。一息吐き、小さな声で、ありがとうと言うと、ルシュアはフードを直した。

「君は、何か訳ありなんだね。 私は、クーラン。腕試しの旅とかしているの。君は?」

名を問われ、ルシュアは暫く考えた。

「ルシュアよ、私も腕試しの旅をしている」

と、仕方なく言った。

 自分が、お触書にある、ナーガハイムの王女だとは、きっと誰も思わないだろうと考えたし、同じ名前は沢山あると。

「なるほどね。気が合うね」

と、女剣士クーランは笑って、ルシュアに握手を求めた。ルシュアは仕方なく、応じた。

 遠くから、先ほどの男達の怒鳴り声が聞えて来ていた。見つかると、厄介なので通りを避けて、二人は歩く。

「何処へ向うつもり?」

警戒しつつ、ルシュアは問う。

「この近くに、イシス婆様が住んでいるの。まぁ、私のお婆様の妹になるのだけど」

と、クーランは答える。太陽の光が入らない路地裏、幾つもの狭い角を曲がって行く。

クーランの長い髪が揺れる度に、良い香がする。女らしさとは、この様な感じなのかなと、思いながらも、相変わらず警戒は続けていた。

「ここよ」

暗い路地を抜けた先で、クーランは足を止めた。そこには、狭いながらも、手入れの行き届いた庭と白石で造られた家があった。暗い路地の終点で、そこには穏やかな陽射しが差し込んでいる陽だまりの中だった。庭には、様々なハーブが植えられていた。

「私達が()()ったのも、きっと何かの縁だから、ゆっくりしていくと良いよ。それに、イシス婆様は、物知りだからね」

と、クーランはニッコリと笑った。ルシュアは、はぁとしか言えず取り合えず、様子を見ることにした。クーランは、扉をノックして

「イシス婆様。クーランよ、居ますか?」

と言う。すると、扉が開いき中から、小柄な老婆が出て来た。

「よく来たね、クーラン。数年ぶりだね」

と、軽く抱擁(ほうよう)を交わした。

「おや、そちらの娘さんは?」

ちらっと、ルシュアを見る。ルシュアは、何故、娘だと判ったのか、驚いた。全身すっぽりと、フードマントで包み、ベールで顔も隠しているのに。

「さっき、知り合ったんだよ。ルシュアって、言うの。なんでも、腕試しの旅をしているのだって」

と、クーラン。

「―そうかい、なるほどね。とりあえず、中にお入り。ちょうどお茶にしようと、思っていたんだよ。貴女もおいで」

イシスは言って、ルシュアに手招きした。そう言われてしまった以上、断ることは失礼に当たるので、ルシュアは一礼して、家の中へと入った。

 家の中には、様々なハーブ等が置かれていて、独特の香で満たされていた。ルシュアは、フードベールを取るべきか迷ったが、失礼かと思い、外した。

「そんなに、警戒しなくてもいいよ。別にどうこうするつもりは、無いよ。それに、私には、貴女が何者かも、判るからね」

穏やかな口調で言い、席を勧めた。ルシュアは、言葉の意味を詮索しながら、席に着いた。

「へー、女の子より、どちらかというと、男の子っぽいね」

と、クーラン。ムッするのを、ルシュアは苦笑いで誤魔化(ごまか)した。

「クーラン、そう言うで無いよ。あんただって、そんな格好しているけれど、男の子だろう」

イシスの言葉に、ルシュアは、飲みかけていたお茶を噴出しそうになった。

「えっぇ、男の人だったの? 私、てっきり、女の人だと……」

ルシュアは、ハンカチで口元を押さえ、驚き言った。

すると、クーランは、髪の毛をかきあげて、

「そうだよ。カラマカラ、いや世界一の剣舞の達人とは、この私だよ」

と、いい女言葉と仕草でウインクした。ルシュアは唖然(あぜん)としたまま、暫く固まっていた。

「ルシュア様。クーランは、いわゆる、芸の世界でいう女形でしてね。芸でそう、振舞っているのか、天性のものなのかは、判りませんが、悪い子ではありませんよ。こんなのでも、頼りになりますよ」

ケタケタ笑って言う。それに対して、ルシュアは、ただ相槌(あいづち)を打つしかなかった。

 それよりも、先程のイシスの言葉が気になっていた。

「イシス殿。先程の言葉は、一体どういう意味ですか?」

「私の一族はね、占いや予言などを生業としていたの。だから、多少の事は見える。それに、薬師(くすし)などの真似事をしていてね、この様に、色々と薬草が溢れているのさ。ああ、ノーシスとも古い知り合いなんだよ」

クーランに対する口調に比べ、柔らかな口調で答えた。

「え、ノーシスと知り合いですか?」

驚きと戸惑い。見透かされているだけでなく、ノーシスの知り合いだったとは。

「大丈夫。これは、宿命だから。貴女は、このまま、目的を果たせばいいのよ」

と、イシスは言う。

「でも、ノーシスの知り合いならば、もう」

ルシュアは、顔を(くも)らせる。

「きっと、怒っているし、心配している」

確かに、城を飛び出したのは自分。だけど、時折り、父や周囲の者達に心配を掛けている事が、辛くなる。

「きっと、お父上も、ノーシスも解っている筈でしょう」

穏やかに言う。

「貴女様は、もう少し、お強くなられるべきです。自分の力を過信する事なく、ね」

ルシュアの手をとって、イシスは言う。

「それは、自分でも解っています」

俯いて答えた。旅を始めて、一番、解った事はその事だった。

「ねぇ。イシス婆様。ルシュアも、アトラ婆様の予言に在った者なのかな? 私には、よく解らないのだけど。なんとなく、そうなのかなと、思って、声を掛けてみたのだけど」

クーランは、ルシュアを見つめる。

「さ~ねぇ。私の口からは、なんとも言えないよ。でも、この娘の行く先に、予言が絡んでいる筈だろうから、クーラン、一緒に行っておあげ」

と、新しいお茶を、注ぎながら言った。ルシュアは、何故? という顔で、クーランとイシスの顔を見た。

「私は構わないよ。予言を確かめる為だし。それに、弟みたいな妹が出来たみたいだし」

言って、ニッコリと満面の笑みを浮かべる。ルシュアは、弟妹という言葉に、ムッとしながら、

「どうせ、断っても、貴方は強引に付いて来るのでしょう」

ふぅと、溜息を吐いて言と、クーランは、ニッコリ笑って頷いた。

「はぁ。まあ、いいけれど。私は、魔族に連れ去られた兄上を助け、あの魔族に一発返すまで、城には帰らないから。誰がなんと言おうとも。それに、断っても付きまとわれるくらいなら、一緒に行っても構わないわよ。―貴方、オモシロそうだし」

棘の付いた言い方で、ルシュアは答えた。

「じゃあ、決まりね。改めて宜しく」

クーランは再び握手を求めてきたので、渋々握手をした。

「それじゃあ、旅立つ前に、ルシュア様、一度、ノーシスと話しておくといいでしょう。それに、お父上とも。少しの時間であれば、魔法による交信が出来ますから」

イシスは言って、ルシュアを奥の部屋に案内した。

 

 床一面に魔法陣が描かれている。その要所には、水晶などを中心とした魔力石が置かれていた。その様な魔法があると知っていたが、実際に使うのは初めてだった。

 中央に置かれてある水晶に向かい、イシスは呪文を唱える。暫くすると、水晶珠が光始めた。その水晶珠に、映し出されたのは、ナーガハイム城の一室。

「応えた。さぁ」

イシスに言われて、ルシュアは水晶珠に歩み寄る。

『ルシュア様』

水晶珠越しに、ノーシスの姿と声が届く。ノーシスの隣には、父王の姿が映っていた。

『ルシュア、この馬鹿娘が。皆、どれだけ心配していると、思っているのだ。仮にも、一ヶ国の王女であろう』

目を赤くし、少しやつれた父王は、ノーシスと代わるなり、そう怒鳴りつけた。ルシュアは、とりあえず、水晶珠越しに謝り

「兄上は、必ず助けます。私は、その日まで帰りません」

と、強くハッキリと言う。父王は、しばしの沈黙後

「そうか、もう何も言うまい。それが、ルシュアの宿命で運命なのだろうから。よいか、だから、必ず、リュカエルを伴い戻って来るのだぞ」

言うと、父王は水晶珠から消えた。

「はい」

ルシュアが返事をすると、間もなく、水晶珠は光を失い、イシスは大きく息を吐いた。

「大丈夫ですか。イシス殿」

肩で息を吐いている、イシスを気遣う。

「大丈夫、さ。さぁ、挨拶も終わった事だし、お茶の続きをしながら、魔族の事と、その土地の事を話してあげよう」

と言って笑い、キッチンへと向った。

それを見て、ルシュアは、元気なお婆さんだなと思った。


 再び、お茶を飲みながら話をする。

「それでは、私が城を飛び出した時点で、ノーシスはイシス殿に連絡していたのですか?」

「はい。きっと、この大陸へ渡って来るだろうと。もし、見かけたら声を掛けて欲しいとね」

答えながら、焼きたてのパンとクッキーを、テーブルの上に並べた。どれも、美味しそうな香がしている。

「でも、如何して解ったのかなぁ。私が、魔族と通じる土地の事を知っているから、そこを目指すだろうと、考えたのかな」

「別に深く考える事でも、無いよ。伝承に詳しい者なら、その土地を目指すと考えると思うよ」

ふふんと、鼻で笑うかのように、クーランは言った。

「推測はついていた。お触書は、ルシュアに城に帰れと云うメッセージ的なものと、魔族に関する詳しい情報集めだったのよ」

クーランは、お茶を啜る。ルシュアは、クーランの言い方にムッとして、クーランを睨んだ。

「ルシュア様、先走っても何もありませんよ。兄上様が、連れ去られた事にも、なんらかの意味があり、最近目立ってきた、魔物達の事とも関係しているのかもしれません」

穏やかな口調とは反対に、イシスの表情は深刻そうだった。

「それでは、一連の事は、その裏に何か在るって事ですか?」

あの時の事を、思い出す度に、悔しさが滲み出てくる。ルシュアは、ギュッと唇を噛んだ。

「おそらく、異界(いかい)に通じる者というか、人間界と他の世界、例えば魔界などと、繋ぐ力を持った者が、絡んでいるのかもしれないよ」

イシスは丁寧に答える。

「それって、アトラ婆様の予言にもあったよ」

へー、という感じで、ルシュアを見る。イシスは、ゆっくりと頷いて

「そうだよ。―世界の(かなめ)に、(ひず)みが生じる。世界の要を救うため、要の下へ。その為の、鍵を探せ― アトラ姉様は、私なんかよりもずっと、力が強かったからね。世界でも屈指の、予言者だったし。だけど、世界の要についての予言は、身内しか知らない事」

「世界の要。今の世界を築くとき、神々に導かれた、女勇者が要となったという物語ですか」

ルシュアが問う。クーランとイシスは頷く。

「架空の神話伝説ではなくて、実話なんだよ。かぎりなく、神話的な伝説だけどね」

と、イシス。

「私は、その予言と世界の要を確かめようと、旅に出たの。まぁ、お触書の事も、関係してそうだったから、ルシュアに声を掛けてみたの。正解だったね」

と、ウインクする。見かけは、どう見ても、長身の女にしか見えないのに、実は男。芸の世界で育ったから、その様な振る舞いをするのかと思いながら、実は天性なんだろうな、と思うと、ルシュアは苦笑いを浮かべるしか出来なかった。

「鍵の者は、異界と繋がる扉の、封印を解き開き、また扉を閉じて封印する事が出来る。何百年かに一度、生まれるか生まれないかの存在なんだ。本人も、その力に気付かない者が多い。人間にとっても、魔族にとっても、大いなる力を求めている者にとっては、ある意味、必要不可欠な存在なのさ。ただ、鍵の者は、この世界が生み出した存在だという説もある」

イシスは、ゆっくりと、お茶を啜りながら話す。

「その様な伝承は、私、知らなかったな。で、兄上が、鍵の者だというのですか?」

「さぁ。それは判らないよ。扉とされる場所に、立ってみないとね。まぁ、判る者が見れば、鍵の者だと判るらしいけれどね」

イシスは何処か、言葉を濁していた。それに、ルシュアは不安を覚えて

「兄上、殺されたりしないよね」

と、問う。

「大丈夫であろう。鍵の者は生きていないと意味がない。だから、きっと助け出せれるよ」

励ますように言う。

「で、イシス婆様、本題に入って、その土地の事を教えてよ」

クーランが言う。

「私の知っている範囲でね。ルシュア様も、お聞き。どっちみち、二人して行った方が、きっと心強いからね」

イシスは言って、ふふふと笑った。クーランは乗り気だったけれど、ルシュアは、渋々といった感じだった。

 イシスは立ち上がり、ちょっと待っておくれよと、別の部屋へと入っていき、暫くして戻ってくると、テーブルの上を片付けて、一枚の古い羊紙を広げた。それは、相当古い地図だった。

「ジャハング大陸の古地図だよ。現代のとは、かなり違うよ」

と、現代地図も広げた。

 地形そのものは、殆ど同じに描かれているが、街道や街などが、大きく異なっていた。二枚を見比べてみると、古地図に有って、現代地図に無いものが多かった。古地図には、細かく色々描かれていた。ルシュアは、古地図を興味深そうに見つめていた。

「私の、知っている伝承では、この大陸の西南地方とされるのですが」

と、ルシュア。

「ああ、そうだよ。私も母様から聞いた話だから、確証は無いけれど。古地図にある、この大陸の最南端部分に、古代文字で“イムヨ”と、有る。だけど、現代地図にはそんな事は書かれていない。そこが、魔族に通じる土地らしいんだよ」

イシスは、指差した。

「そこへ行けば、兄上を連れ去った魔族の事が、何か判るかな」

古地図を見つめたまま、ルシュアは呟いた。

「なんとも言えませんね。ただ、行ってみて確かめてみるしか。伝承が真であるかさえ、今では判らないのですから」

イシスは首を振った。

「かなりの時間が、掛かるかもね。アニミズー大陸と違って、こっちの大陸は地形が複雑だから、整えられた街道であっても、辛いかもね」

クーランが溜息交じりに言った。

「でも、私は行くよ」

ルシュアは言い、一人頷く。

「お気の強い、お姫様だこと。お姫様というより、男勝りのお転婆さんだね」

クーランは、茶化す。

「貴方には、言われたく無いよ」

ルシュアは、とっさに、クーランに喰い付いた。それに対抗し、またクーランも、アレコレ言う。

「これこれ、二人とも。先は長いのだから、喧嘩なんかしてはいけないよ」

呆れた顔で、イシスは二人をなだめて、溜息を吐いた。

―オカマに、男勝りのお転婆娘かと。

   



第三章 古の旅路


 イシスに貰った古地図と、現代地図を見比べながら、イムヨまでの経路を考えていた。

ほぼ大陸を横断するように、大陸の中央に山脈がそびえている。その山脈を越えた南側に、その土地があるとされる。

「ビーク山脈は、東側にしか、街道が通っていないし、シャンバラ山脈の様にトンネルも無い。山越えの街道、樹海、大河を越えた、その先になる。まぁ、焦っても仕方ないね。地道に気楽に行こうよ」

イシスと別れて、バーイアトの港街から街道沿いに東に行った所にある、小さな町の宿屋で、ルシュアとクーランは、これから先の事を話していた。何かにつけて、クーランが意見をいい、手を焼いてくれていた。それに、反発反論したいのを我慢して、ルシュアは、ただ聞いていた。目的地が同じであれば、それはそれで良いのかもしれないと。

「ねぇ、如何して、女言葉で喋るの?」

出逢って一週間近く、ずっと気になって仕方が無かった。

「何故って、別に良いじゃないの」

ニッコリと笑って答えたので、それ以上、問うのはやめた。

兄上は女々しかったけれど、女言葉で喋る事はなかったな。と、思う。


 翌朝、綺麗に晴れ渡った空が広がっていた。秋の収穫時期。ビーク山脈から、吹いて来る風が、爽やかだった。

「さあ、行こう」

クーランは、張り切って先頭を歩き出した。ルシュアは、その少し離れた後ろを、不満そうな顔をして歩いていた。

「ねぇー、ルシュア、機嫌直してよ。別にいいじゃないの。ルシュアは、それで、充分可愛いよ」

振り返り、クーランは言う。ルシュアは、上目使いでクーランを睨み、スタスタ歩いて追い越して

「如何して、本当は男の貴方の方が、色っぽい姉ちゃんで、本当は女の私が、坊やなの?」

頬を膨らませる。

「男勝りなのは、自覚しているけれど、何も、坊やってないよ。あの商人、許せない」

一人でプンプン怒っている、ルシュア。

 町を出る前に立ち寄った店で、そのこの店主に

「坊やの、姉さん、色っぽいね」と、言われたのが原因だった。よく、兄王子リュカエルと、間違えられる事は、有ったけれど、坊やと言われたのは始めてだった。

ふて腐れている、ルシュアの顔を覗き込むようにして

「あら、男勝りのお嬢チャンにも、オトメゴコロはあるのだね」

と、クーランが言ったので、ルシュアは、平手打ちをする。それを、ヒラリとかわして、

「お転婆ちゃんだからよ。でも、ルシュアが強いのなら、兄上はもっと強いのでしょう? でも如何して、連れ去られたりしたの?」

その問いに、ルシュアは顔を曇らせ

「兄上と私は、正反対のタイプなの。城の皆も、私達も、魂が逆に入っているんだと、何時も言っていたし、そう思っていたの」

答えて、先を歩く。

「それじゃあ、兄さんは、女々しいんだね。もしかして、ルシュアよりも、女らしいって感じなの?」

と、興味深そうに問う。ルシュアは、小さく頷き

「確かに、剣も持った事殆どないよ。でも、兄上は、女々しいというのとは、また違った感じがするんだよね。あれは」

溜息交じりに答え、語尾を濁した。クーランは、ああ、そーなのか、と、一人で納得していた。

「クーランは、如何してオカマなの? 芸人だからなの?」

ルシュアは、悪戯っぽい笑みを浮かべ問う。

「うふふぅ。知りたい? 前にも言ったけれど、私、踊り子なの。剣舞は誰にも負けないわよ」

と、多くの人が往来している街道の真中で、軽やかに舞ってみせる。行き交う人々は、不思議そうに見つめ通り過ぎたり、立ち止まって見物している人がいた。それを知ってなのか、クーランは、舞を続けながら

「私がオカマちゃんなのは、母さんや姉さん達の影響なの。父は早くに亡くなって、私は女ばかりの中で、育ったの。だから、男だけど女みたいに、育ってしまったの」

話しながら、軽やかにステップを踏み、踊る。見た目よりも実際は、ハードなものなのに、クーランは息を乱すことも無く、続けていた。

 立ち止まっていた人達は、おひねりをクーランに渡していた。その度に、クーランは、にこやかに笑ってお辞儀をしていた。旅人達は、面白いものが見れたと、互いに話しながら、また歩き始めた。ルシュアは、周りの目が気になったけれど、クーランの舞には、関心していた。

 また、街道を歩き始める。風は(さわ)やかでも、歩いていると汗が滲んでくる。時折り吹く、強い風が気持ち良かった。

「でも、腕試しって、舞の腕試しなの?」

「見えないと思うけれど、私これでも、剣術の使い手よ。魔法もある程度使いこなせるし。剣術魔術も、基本的なことは、舞踏と変わらないもの。形式さえマスターすれば、後はなんとかなるからね」

クーランは、自信たっぷりに答えた。なんとなく、その口ぶりが気に入らない、ルシュアは、何か言い返そうかと一瞬考えたけれど、魔族に太刀打ち出来なかった事を思い出すと、自信喪失の悔しさが浮かんで来てしまった。

 よく見ると、街道のあちらこちらに、魔物避けの(まじな)いがしてあるのに気が付いた。行き交っている人々は、どこか警戒している様に感じる。

「魔物は、やっぱり増えてきているのかな」

「世界的に、その傾向にあるみたいよ。今は、これだけの事なのかもしれないけれど、その内、もっと大きな何かが起こるかもしれない、その前触れなのかもしれないね」

クーランは、魔物避けの呪いを見ながら、相変わらず女言葉で答えた。

「兄上が連れ去られた事すら、前触れに過ぎないって事かぁ」

ルシュアは、真直ぐに伸びた街道の先、地平線を見つめる。平地なのは、この先の宿場まで。そこから先は、山越えの街道となる。

「イムヨで、手掛かりが見つかると良いのだけど」

呟いてまた、歩き始めた。

 ナーガハイム城で過しているのとは、まるで違う。城での不自由の無い生活、だけど、旅をしている今は、大変だった。でも、何もかもが新鮮で珍しい。だけど、その様な気分に浸るゆとりは、無かった。


 魔物避けの呪いのお蔭か、街道で魔物の姿を見ること無く、山越え街道へと入った。

途中何度か、クーランに、馬車に乗って行く? と聞かれたが、それを跳ね除けて、ルシュアは歩き続けた。何だかんだで、ビーク山脈の東の端にある山越え街道を行く。ここから先は、世界の街道の中で一番の難所になる。

 ルシュアは、クーランの気遣いを無視する様に、強気に進んでいた。アレコレと、気を遣っているのか、世話を焼いてくれるのだけど、それが嫌というよりも、何だか照れ臭い感じがして、戸惑っていた。

 夕暮れも近づき、山越え街道は暗くなっていた。すでに、街道を行く人影も他に無い。皆、早めに宿場で休むのだった。息を切らしながら、ルシュアはひたすら歩き続けていた。

「そんなに、無理しないの。先はまだまだ長いのだから」

クーランが言うのも聞かず、ルシュアは前を歩いていた。山道特有の冷たい風が吹いてくる。

街道の両側の森の奥から、虫や獣の鳴声が聞こえていた。街道は、石畳が引かれ整えられている。だけど、登り道には変わりなかった。

 月は雲に覆われていて見えない。街道は闇に沈む。

「ねぇ、ルシュア」

クーランが何度か呼びかけて、ようやくルシュアは、足を止めた。

大きく身体で息をしながら、呼吸を整え、ルシュアは水を飲んで、息を吐いた。

「ほら、バテて、息が上がっているでしょう」

クーランは、息を切らすことも乱すこともなく、言う。ルシュアは、荒い息をしながら、魔法の灯りを宙に浮かべた。闇に沈んでいた道が、照らされる。

「ここは、日が沈むのが早いのね」

と言い、また歩き始めた。

「山脈の東側だからね。でもまだ、夕食前の時間だよ」

時計を見る。

「このままだと、ここで野宿になるのかなぁ」

先を行きながら、ルシュアが言った。

「そんなことないさ。もう少し行ったら、小さな村があるよ」

ルシュアに追いついて、地図を指して言う。

「ふーん。それじゃあ、今日の宿は、そこね」

頷いて、また歩きだす。

 ルシュアは、クーランに主導権を握られているようで、なんだか気に入らなかったけれど、兄リュカエルと比べると、随分と頼りになると判ってからは、それほど反発を感じる事は無かった。

 自分が先に歩いていたのに、何時の間にか、クーランが先を歩いている。一歩前にいて、ペースを合わせ歩いている。それが、少し嬉しく思う。

山越え街道といっても、一直線に登っているわけではなく、上り下りを繰り返しながら、曲がりくねっている。所々に、石で出来たベンチとか、小さな小屋があり、休憩所となっている場所もあった。

 それから暫く歩き、木々の向こう、その先に立ち昇る煙と微かな明かりが揺らめいているのが、見えてきた。

「あれが、村かな。もう少しだね」

振り返り、ルシュアに言う。ルシュアは息を切らしながらも頷く。そして、二人並んで、歩く。

 木々の間で、明かりが揺らめき、煙が木々の間にも広がっていた。風が木々を揺らす音に混じり、何かの声が聞こえてくる。

「クーラン、何だか変だよ」

ルシュアが、木々の間を指す。

「火事なのかなぁ」

と、呟いた時だった。茂みの中から、血相を変え血塗れになった男が、飛び出してきた。

「なに」

とっさに、ルシュアは身を引いた。

「ま、魔物がぁ」

男は言って、その場に倒れた。クーランは、その男と村の方を交互に見る。揺らめいていたのは、村の明かりではなくて、炎だった。

「如何して、人里に魔物が?」

ルシュアは問いただしながら、治癒(ちゆ)の魔法を施す。

「わからない」

言って、男は息絶えた。

「ど、どうしよう」

手当の甲斐なく死んでしまった男を前に、ルシュアはうろたえる。人の死に接するのは初めてだった。

「行かないと。魔物を、追い払うなり倒すなりしないと、もっと、被害が出るよ」

クーランは言って、村のへと駆けていく。ルシュアは、息絶えた男に頭を下げると、後を追うように、村へ向った。


 そこは、火の海だった。炎と煙で、目を開けているのも、息をするのも苦しかった。

村の建物の残骸(ざんがい)の上に、見たこともない異形(いぎょう)の魔物が、(うごめ)いていた。村の男達は、剣や槍、鎌などを手にして、異形の魔物に向っていた。だけど、腰が引いているのか、立っているのがやっとだった。見ると、異形の魔物の足元には、村人達が倒れていて動く事は無かった。向かい合っていた村人の一人が、滅茶苦茶に剣を振り回しながら、異形の魔物に斬りかかったが、異形の魔物が触手を振っただけで、その村人は吹っ飛ばされてしまった。

「皆、下がって」

そう叫びながら、クーランは長剣を抜き放ち、立ち尽くしていた村人達の上を、ヒラリと飛び越えて、異形の魔物との間に立った。構えていた村人達は腰を抜かし、その場へとヘタリ込んだ。クーランは、異形の魔物の気を自分に引きつけ、攻撃をかわしながら、間合いを取り、剣を振るう。

クーランが、異形の魔物の相手をしている。自分は、何をすべきか、考え、ルシュアは、渦巻く炎を消す事だと、思い、水の精霊を召喚(しょうかん)する呪文の詠唱を始めた。

 炎の熱風と、村人の悲鳴が、瞳を閉じていても、その惨劇(さんげき)が伝わってくる。クーランの剣が、何かとぶつかり合う音も聞えて来ていた。

 やがて、ルシュアは詠唱を終えて、印を切り、両手を高く掲げた。ルシュアの身体から、光の柱が空へと伸びていくと、ルシュアを中心に光が四方に散って弾ける。その光は、魔法陣を地面に描いて、その魔法陣のラインに沿うようにして、水が湧いて来たかと思うと、それらは、水柱となり立ち昇って行く。そして、水柱は、美しいベールを(まと)った竜となって、村を包み込んだ。

 一瞬、水中にいる感じがした。村人達は、それに、(おどろ)き怯えた。しかし、水のベールが消えると同時に村の炎も消えた事に、驚いて唖然としていた。

 ルシュアは、その場へ座り込んで、全身で呼吸する。激しく呼吸が乱れて苦しかった。召喚法を本気で使ったのは、今回が初めてだった。ルシュアは、呼吸を整えながら、クーランと異形の魔物の戦いを気にしていた。突然、大地を揺らすかの様な声と音がする。それは、村中、山々まで響き渡る程のものだった。

「ふぅ」

剣を鞘に収めて、クーランは息を吐きながら、乱れた髪の毛を手櫛で整えた。それを見た、ルシュアは何だか、どっと疲れを感じた。

「大丈夫? 凄いね、ルシュア。今のって、召喚魔法でしょう。使いこなせるなんて、珍しいね」

座り込んでいる、ルシュアに手を差し伸べる。ルシュアは、クーランの手を借りて、立ち上がり、凄いでしょう。といわんばかりに、笑ってみせたが、未だに息は上がったままだった。

 すると、村人達から一斉に歓声が上がった。灰と瓦礫(がれき)の中から、村人達が出てきて二人を囲んで、口々に礼を言った。

「クーランって、強いのね。あの、異形の魔物を一人で、倒してしまうなんて」

泥の様になった、異形の魔物の(むくろ)を見て、ルシュアは言った。村人達は、その躯に、忌々しく石を投げ、火を放った。悪臭が漂いやがて、灰となった躯は風に吹かれて消えた。


 村人達の手当や、村の片付けを手伝っているうちに、夜はすっかり更けていた。

「本当にありがとうございます。なんと、お礼を言ったらいいのか。あなた方が、通りが刈らなければ、この村は滅びていたかもしれません」

村の代表者だろうか、深々と頭を下げた。

「いえ、たまたま、通りがかっただけですよ」

クーランは、気を遣わないでと、付け加える。

「魔物を倒していただいただけでなく、村人の手当や弔いまでも、手伝っていただき、本当にありがとうございます」

何度も、礼を言いっては、頭を下げる。

「私達は、修行の旅をしていますから。どうってことは、無いですよ。ところで、最近、あのような魔物が、よく出没するのですか? ここへと来る途中、街道沿いには、魔物避けの呪いがしてあるのを、見かけたのですが」

と、ルシュアが問うと、村人達は、疲れきった顔で頷く。

「この辺りには、他の地域に比べて、自生魔物は多く生息しているのですが。人里や街道に姿を見せる事は、殆どありませんでした。しかし、ここ数年、自生魔物は増え、人里にも姿を見せるようになりました。だけど、あの様な、異様(いよう)な姿の魔物は初めて見ました」

疲れた声で、説明してくれる。

 兄上が連れ去られた事と何か、関係があるのだろうか。ルシュアは考えながら、話を聴き、クーランの様子を伺った。クーランは、ただ黙って聴いている。何時もの、お気楽顔ではなく、深刻そうに頷いている。

予言の事とも、関係していると、考えているのかな。と、ルシュアは思った。話し込んでいるうちに、窓から朝日が差し込んできた。外からは、木を切る音や釘を打ち付ける音が、聞こえてきた。動ける者は、気を取り直して、村の再建を始めたのだった。その様な音は、村中から聞こえてくる。

「そうですか」

クーランは頷く。それも、調べないといけないな。と、小さく呟いた。

「お急ぎになられるのですか?」

その呟きが聞こえたのか、集まっていた村人の一人が問う。

クーランは頷いて

「申し訳無いですが。先を急いでいるんです」

と答え、ルシュアの方に向き

「そろそろ、発とうか」

言って、立ち上がった。ルシュアは小さく頷いて、立ち上がる。魔力の消耗(しょうもう)は、まだ回復してはいないので、倦怠感(けんたいかん)が残っていた。

 

 外へ出ると、荒れ果てた村を朝日が照らしていた。崩壊した家や、焼けてしまった家。夜の惨状がどれほどのものだったかを、示していた。手当のかい無く死んでしまった者に対して、申し訳なさが残っていた。だけど、どうすることも出来なかった。村の事が気になりながらも、クーランは先を急ぐと、村を後にする。見送りに出てきた、村人達は、二人が見えなくなるまで、頭を下げていた。

 村を発ち、街道を歩く。二人に会話は無かった。ただ、ひたすら、歩き続けていた。

太陽が真上を過ぎた頃、清水の湧き出る場所を見つけて、二人はそこで休む事にした。ルシュアは、その場に座り込んでしまった。身体が重くて、仕方がなかったのだった。

「ルシュア、大丈夫?」

タオルを清水で濡らし、座り込んでいる、ルシュアに渡した。小さく頷いて、タオルを受け取り、顔を拭く。そして、大きく息を吐いた。大きな魔法を使い、その後も、村人達の手当の為に、治癒魔法を使い続けたため、魔力体力の消耗が激しかった。横になって休むゆとりさえ無く、その上、街道を登り続けた為、フラフラになってしまった。だけど、その事を、村人やクーランに悟られたくは、無かった。

「村の事は、仕方が無いよ。婆様の予言によれば、もっと多くの人が、魔物に怯え、襲われるようになってしまうかもしれない。でも、それ一つ一つに感傷的になっていたら、何も出来なくなるし、前にも進めなくなってしまうよ」

クーランは、何処か冷めた口調で言った。

「わかって、いるよ」

そうは言っても、目の前で、人が傷ついて死んでいく事は、初めての事だったし、城が襲われた時でさえ、幸いにも死者はでなかったのに、と考えていると、悲しくなった。それを振り切り、ルシュアは立ち上がった。

「もういいの?」

心配そうに、クーランが言う。

「大丈夫、行こう」

身体を引き摺る様にして、歩いていくルシュアを見て、溜息を吐いて、後に続く。


 強情に歩いていた、ルシュアだったけれど、山越え街道の宿場がある、ビーク山脈東の山頂近くで、その場に倒れるように座り込んでしまった。

「だから、言ったのに。大丈夫?」

立とうとする、ルシュアだったけれど、立ち上がる事が出来ず、そのまま座り込んでしまった。クーランは、ふぅ、と息を吐き

「もう、仕方のない子だね。おぶさりな」

言う。一瞬、ムッとしたルシュアだったけれど、素直に、クーランに負ぶさった。

その背中は、クーランの女みたいな外見とは違って、ガッチリとしていて広く暖かかった。結構、良い人だなあ。ルシュアは、何だか、ちょっと嬉しかった。


 ルシュアが、気が付いたのは、宿屋のベッドだった。

「ルシュア、起きたの?」

カーテンの向こうから、クーランの声がした。まだ、だるい身体を起こす。

「うん。ごめんなさい」

ぼっそっと、小さく言うのが精一杯だった。それと、同時に、ふと、クーランはと、考えると、そう考えると、固まってしまう。別に何ともないし、それに、クーランはオカマなんだからと。だけど、胸がドキドキするのは、何故だろうかと、考えてしまう。

「そこに、薬草があるから、飲んどきなさい。薬師のお婆さんが、診てくれて、調合してくれた物だからね」

やたら元気のいい声で、言う。

 安心したけれど、何だか複雑な感情があった。言われた通りに、その薬草を飲むと、少しだけど、力が戻って来るようだった。薬草などの知識も、多少はあるけれど、実際にはよくわからない。自分の知識以外にも、色々な事があるのだと感じる度に、自分の持っている世界が、実は小さく狭いものだったなと、思う。

「起きれそうだったら、何か食べにいかない?」

チラッと、カーテンを開けて言う。そういえば、全然食事を摂っていない事に気が付いた。

「う、うん」

ルシュアは、照れて臭そうに答えた。


 外に出ると、陽射しが眩しく感じる。冷たく澄んだ風が吹いていた。ルシュアは、思いっきり伸びをする。

「丸二日、爆睡(ばくすい)していたのよ。よほど、疲れていたんだね」

ふふと、笑いクーランは言う。

「そっかぁ。まだまだ、かぁ」

言い返す事もなく、そう言い、また伸びをした。寝すぎなのか、筋肉痛なのか、身体がきしんでいた。

 話しながら、山頂の宿場を歩く。この辺りにも魔物が出るのか、それとも、先日の一件があるのか、旅人の殆どが武器を携えていた。街を歩いていて耳にするのは、あの村の話。

余り気にしない方が、いいよ。クーランは、そう言ってくれたけれど、自分の不甲斐なさを感じてしまう。

 時間がずれているせいもあってか、食堂は空いていた。

「食べれる時に、しっかり食べておくんだよ」

と、クーランは、次から次へと注文していた。

「そんなに、沢山注文して、大丈夫なの?」

テーブル一杯に並べられた料理の量をみて、ルシュアは驚いて言う。

「ええ。酒場で、剣舞を披露したら、沢山のご祝儀を貰ったからね。それに、何度かお店に来てくれたお客さんと、会ってさ、弾んでくれたの。だから、気にしなくて良いよ」

と、お金の心配はしなくていいと、クーランは言った。そうじゃなくて、そんなに沢山の料理を食べられるのかと、聞いたのだけど。と、ルシュアは思った。ルシュアの心配を、他所に、クーランはそれらを、綺麗に平らげたて、食後のデザートとお茶を追加していた。

 開いた窓からは、彼方に海原が霞んで見えていた。城を飛び出してからは、ゆっくりとした気分で、お茶を飲む事も無かった。兄を助けるため、魔族に一発お返ししてやろうと思ったのも、何か別の理由に推された様な気がしていた。本当に、自分が何をしたいのかが、時々判らなくなっていたりもする。それが、如何してなのかも、解らない。

「大丈夫? 辛かったら、まだ寝ていたほうが良いよ」

ぼーっと、彼方を見つめてる、ルシュアを気遣う。

「え、そうでもないよ。ただ、兄上とよく、庭園でお茶を(たしな)んでいたなぁ、と思ってね。今、兄上どうしているのかとか、苦しい思いしていないかなと、考えていたの」

「ルシュアって、お兄さん思いなのね」

瞳を潤まして、クーランはルシュアを見つめる。

「うちの姉さん達は、皆、(やかま)しく元気一杯だから、離れているほうが、静かでいいな。そんな風に思っている、私とは正反対だね」

と言う。

「きっと、双子だからよ」

ポツリと答える。

「そういうのは、私には解らないな。でも、素敵ね」

クーランは、お茶を飲み干して言った。

「明日には、発ちましょうよ。この先も、長いから」

「ルシュアが大丈夫なら、私は構わないよ」


 夕方になると、宿場は昼間より賑わう。だけど、聞えて来る話は、あの村の話ばかり。魔物に襲われていた所を、通りがかりの剣士と魔道士に助けられたという話で、酒場も食堂も持ちきりだった。宿の部屋に戻り、ルシュアは溜息を吐いた。クーランと同じ部屋だったのかと。別にいいけれど、クーランが気にしていないのなら。間にカーテンもあるし。それよりも、また、人目を気にして旅をしないといけない。このところは、人目を気にすることなく旅をしていたのだけど、村を襲った魔物を倒した。その噂が、ナーガハイムまで届かないように、ルシュアは祈った。


 翌朝、少し早めに宿場を発つ。早朝の街道を二人は、樹海の国シートゥを目指し歩き始めた。大陸の一番東の端。山頂付近とあってか、海の彼方から昇ってくる太陽が見える。街道は緩やかに下っている。雲海が流れていく。雲海の下には、黒く(かす)んで樹海が見えていた。

街道を下って行くにつれて、乾いた風から湿った風に変る。黒ずんで見えていた樹海が、緑の(かすみ)に変わる。

「あれが、樹海だね。私も、初めて見るよ」

クーランもルシュアも、目の前に広がる、緑色の霞を見つめる。

「エルフ族は、今も樹海の何処かで、暮らしているのかしら」

ルシュアが言う。

「さぁ、シートゥも昔に比べると、随分と発展してきていると聞くからね。もう、いないかも。エルフ族は、他の種族との関わりを避けるからね」

クーランは、少し寂しげに言った。


 街道沿いにある、低木の林は、青々とした森となり、街道は森の中へと入る。大きな枝ぶりの木々で、空が殆ど見えなくなった。街道から、細い脇道が幾つも、森の中へと延びている。ここが、森の民の土地だと感じさせる光景だった。

 土と水、木の香に包まれている。あまり風が吹く事はなく、蒸し暑さがまとわりついてきて、汗が滲んでは落ちていった。途中、何人かの旅人とすれ違ったが、やはり武器を携えていた。同じ休憩場所で、休んでいた旅人の一人は、昔は、武器など持たずに旅が出来たのに、と、話してくれた。

 大きな樹木の生い茂る街道。あちらこちらから、森の生き物の気配がしている、豊かな森。森の所々に、小さな集落が点在していて、その中心に、建つのが、樹海の国、シートゥ城だった。城と城下町を頑丈な石の城壁が囲んでいる。ここまでの間、クーランは、ルシュアを気遣っていたけれど、ルシュアは、相変わらずの強気で、進み続けていた。

「イムヨは、ここから更に、南に行った土地。それには、まず大河を渡らないと」

シートゥ城下町の食堂で、二枚の地図を見比べて話しをする。

「イムヨへ向う方面には、橋も無ければ、渡し舟も無い。あるのは、アリエス国へ通じる街道の橋だけ。でも、アリエス国とは方向が逆だし、そのまま行き止まりになっているよ。アリエス国は、山々に囲まれた国だからね」

現代地図を見つめ、街道を何度も指でなぞる。クーランの指先には、何時も、綺麗にネイルが施されていた。

 現代地図では、イムヨとされる辺りは、半島として描かれているだけで、何も記されていない。古地図にも、大河を渡る方法は描かれていなかった。橋の記号も、渡し舟の記号も記されていない。古地図を見つめていた、ルシュアは、現代地図には描かれていない、大河沿いに描かれている記号らしきものに気が付く。

「ねぇ、クーラン、これ何の記号だと思う?」

古地図には、シートゥから大河の辺に向う街道が描かれていて、大河を挟む様に、その記号は両岸に描かれていた。それは、ちょうど、向かいあうようなイメージがあった。

「渡し舟が、昔あったのかな。でも、違うみたい」

クーランも考える。

「行ってみる?」

ちらっと、クーランの顔を見る。クーランも、ルシュアを見て

「そうだね。イシス婆様も、何かの意味があるから、古地図をくれたのかもしれないし、それに、イムヨという場所が、伝承の土地で、今の地図に記されて無いという事も、何か関係しているのかもしれないね。例え滅びてしまった国でも、その名前は土地の名前として、地図には載るからね」

言って、クーランは、もう一度、地図を見比べていた。


 街を歩いているだけでも、汗が滴り落ちてくる。何ともいえない気だるい感じがする。

「この国は、気分が悪くなるほど、蒸し暑いね」

ルシュアは、何度も汗を拭う。

「ここは、万年蒸し暑い土地なんだって。だから、よく旅人は、この特有の暑さにやられてしまうのだって。あ、あった、あった」

そう言って、一軒の店の前で立ち止まった。

「何、どうかしたの?」

ルシュアも立ち止まり、息を吐き、また汗を拭う。

「ここ、暑気払いの薬草があるって」

と、店の中へと入って行く。ルシュアは、へーと言って、後に続いた。店の中は、以外な程、冷んやりとしていた。それと、何とも例えがたいツーンとした匂いが、店の中に充満していた。店の中には、魔力石に氷魔法が掛けた物が、幾つも置かれていた。天井からは、束にした薬草類が幾つも、吊るされていた。

「おや、いらっしゃい。旅人さん、暑気払いかい?」

やたらと元気の良い爺さんが、薬瓶が並べられているカウンター越しに、声を掛けてきた。

「はい、一番良く効く物をください」

クーランと店主がやり取りをしている間、ルシュアは店の中に置かれている物を見ていた。

薬草類や、ハーブの加工品に混じって、古ぼけた物が幾つか置かれていた。何かの道具か、置物にも見える。何だろうと、見つめていたルシュアに、店主は言った。

「この辺りには、古代遺跡が多くあってね、その出土品を、土産物として、昔、売っていたんだ。だけど、数年前から、遺跡の周辺を魔物が徘徊するようになってからは、遺跡に宝探しに行く者も、少なくなったんだ。それは、ワシの趣味だから、売り物ではないけどな」

「遺跡……。この辺りにも、やっぱり魔物が出るの?」

「ああ、まあ、少なからず。昔から、この辺りには魔物が生息していたけれど、そう滅多に出合う事もなかったんだ。増えてきたのは、ここ数年。自生の魔物だけでなく、時折り、異形の魔物も、姿を見せるようになった。お蔭で、樹海深くまで、薬草採取に行けなくなってしまって、この店の薬草も殆どが、農場から仕入れているんだ」

店主は言い、薬草の包みと、ボトルに入った薬を、クーランに渡した。

「まぁ、仕方ないさ。この土地は、魔物が他の土地より、多いから」

と、苦笑い。

「ボトルに入っている薬は、虫除けだ。肌に付けると、清涼感があるから、暑い時に使ってもいい。樹海を旅するのなら、虫よけは必要だからな。包みの方は、そのまま、口に含んでも、茶にしてもいい。ここの暑さを払うには、一番の薬草さ」

と、説明してくれる。

「でも、如何して、この土地は魔物が多いのですか?」

店主の口ぶりに疑問があったのか、ルシュアは問う。

「旅の方に、余り話したくはないんだが。古の時代、大河の向こう西南の土地には、魔族が住んでいたとか云う話があって、それが関係しているのが、一般的な見解だけど、どうかな」

「へー、そうなんだ。だから、ここの城下町は、大きな壁で囲んでいるのね」

クーランが言うと、店主は、はははと、笑って

「まあね。現王は、かなりの臆病者(おくびょうもの)だから」

と、小声で付け加えた。

 店を出ると、途端に汗が滲み出てくる。買ったばかりの、暑気払いの薬草を口に含む。数種類の薬草を粉にして丸めた物だった。スーッとする味と同時に、息を吸うと身体の芯まで、スーッとして冷んやりとする感じがして、暑さでボーっとする頭が、ハッキリとしてきた。

「なんだか、濃いミントみたいね」

ルシュアは、ふぅと息を吐き言う。

「効きそう?」

「なんとなく、ね。清涼感はあるから」

「でも、情報が手に入ったよ。古地図にある、大河の両岸にあるものは、もしかしたら、遺跡なのかもしれない、今で言う」

歩きながら地図を取り出し、クーランは言った。

「なるほど。それじゃあ、決まり、ね」


 シートゥ城下町を後にして、一路、街道をアリエス国方面に向う。古地図にある、分岐点は殆ど変わっておらず、アリエス国方面とは違う道へと向う。

アリエス国への街道は、手入れが行き届いているが、イムヨへ向う街道は荒れていた。かつて、街道があったとは思えないほどに、荒れていて、立ち入る人は、薬草採集か狩り人だけのようだった。足元は悪く、木々の枝も伸び放題伸びていて、草も生えて茂みとなっている。古地図にある街道かどうかは、わからないけれど、古地図の分岐点と思われる場所から、向っているので、そうであろうと、二人は、草や木の枝を掻き分けながら進んだ。棄てられた街道なのか、ただの林道の名残なのかは分からなかった。掻き分けながら進んでいるうちに、今までの場所と比べて、木々の間が広く草も余り生えていない場所に、出た。

この辺りには、人が出入りしている気配が無かった。足元を見ると、苔むした石畳の残骸が見えた。

「ここが、古地図にある街道なのかな」

新たに丸薬を含んで、ルシュアは言った。

「多分ね。石畳が続いているよ」

クーランは、辺りの草を掻き分ける。石畳は、苔や泥に埋もれながらも続いてた。

「それじゃあ、この石畳を辿れば、大河の辺に出るのかな」

寄って来る虫を、手で払いながら言い、ボトルを取り出して、肌に塗る。

「大丈夫だと思う。行くしかないでしょう、ここまで来たら」

言って、クーランは草を薙ぎながら先を進む。


 落ち着いて休める場所も無く、立ち止まって休む程度しか出来なかった。樹海の中は、昼間でも薄暗かったが、夜になると闇に閉ざされてしまう。魔法の灯火を掲げて、進む。ふと時計を見ると、夜も遅い時間だった。木々の間から、微かに月の光が見えた。うっそうと茂った木々の向こうに、光が差していた。時折り吹く風が、木々を揺らす音に混じって、水の流れる音が聞こえ始めた。進むにつれて、その音は大きくなり、光が差していく辺りから、木々が開けていた。

「どうやら、樹海を抜けたようだよ」

振り返って、ルシュアに言った。ルシュアは、またクーランに遅れを取ってしまったと思いながらも、頷いて、急いで追いつく。

 樹海を抜けた場所は、ルシュアの腰位まで伸びた草が広がる、草原だった。その先からは、大きな音を立てて流れる水音が聞えて来ていた。暗闇に目が慣れていたせいか、満月の明かりが、とても眩しく感じ、吹いてくる風が新鮮だった。

「ふぅう。もー最悪だよ」

ルシュアは、泣きそうな声で言う。

「いいじゃない。樹海を抜けて、大河の辺に出たのだから。古地図の街道も、そのまま残っていたのだし」

言って、クーランは指差した。その先には、月明かりに照らし出された、白い何かがあった。

草を掻き分けながら、そのものが在る場所まで行く。

 それは、大河の辺に建てられている、白い石で造られた砦みたいなものだった。下の方は、苔に覆われ、伸びた草に埋もれていた。上の方は、風化している。

「これが、多分、古地図にあった、あの記号みたいなものだよ。向こう岸にも、きっと同じものがある筈よ。ここからは、見えないけれど」

と、クーラン。ルシュアは、魔法の灯明をかざして、その砦の中を照らし覗く。中は、外観より広く感じた。入り口辺りは広めの空間となっていて、さらに奥に続く通路が見えた。ルシュアは、中へと入り、通路の奥を照らしてみた。その通路は、下っていて、ずっと奥へと続いていた。

「ひょっとして、これ、トンネルなのかもしれない」

通路の奥を、目を凝らして見つめる。

「ああ、なるほど。それだったら、この古地図の記号の意味が判るよ。描かれているものは、トンネル、山を貫くトンネルとは、記号が違うのだね。河の下を通るトンネルでは」

なんだ、そういう事だったのか。と、二人は顔を見合わせて言う。二人とも、汗と泥に塗れていて、その顔を、お互い見て、大笑いしてしまった。その笑い声は、トンネルの奥まで響き渡っていた。


 その場所で二人は仮眠をとる。休む事なく歩き続けたので、かなり疲れていて、結局、丸一日、ゆっくりしてしまった。

 奥へと続く通路は、幅も広く天井も高かった。かつては、馬車なども通っていたみたいだ。

しかし、トンネル内には、膝の辺りまで水が溜まっていて、天井からは水滴が落ちてきていた。松明に照らされて、驚いた様に散っていく、何かの生き物がいる他、静かだった。人間が立ち入った形跡は無く、古の時代を感じさせる。空気が流れてきているのか、松明の炎が揺れていた。魔法の灯りではなく、松明にしたのは、空気の流れを確認するため。

トンネル内は、驚くほど冷えていて、樹海の中を歩き続けた二人にとっては、寒い位だった。一本の通路は、ずっと先へと続いていた。

 このトンネルは、大河の底、その地中深くに造られていた。何時の時代のものなのか、判らない、人知れぬ遺跡。現代の技術では、造る事が出来ないだろう。そんな話をしながら、歩いて行く。

 すると前方に、大きく広い空間が見えてきた。ドーム状の空間で、その中央に何かがある。松明をかざして、それが何か確かめる。それは、水晶を彫って創られた、竜だった。水晶の竜は、巨大な翼を広げて、天を仰いでいる。その翼は、ドラゴンの翼というよりも、鳥類の翼のように羽がある。(うろこ)や羽、一枚一枚が丁寧に刻まれていた。

「変わったドラゴンね。翼が鳥みたい」

クーランは、松明をかざして、不思議そうに言った。

「これって、神話上の生き物だとされているモノだと、思う。天界から地界、ありとあらゆる世界を、往来できるという。天上の神々と多種族の神王達によって、(つく)り出された、う~と、確か、ラムーという神獣だよ」

ルシュアは、色々と思い出しながら、像が安置されている台座の周辺を、調べていた。

「きっと、ここは神殿だったのかも。大河を越える為のトンネルに、神殿を造る事に何か深い意味があったのかもしれない」

像を見上げて、言う。

「詳しいね」

「ナーガハイムは、世界各地の神話伝説を、編纂(へんさん)していた事があるからね」

得意げに答える。

「だから、色々と知っているんだね」

「うん。だけど、まだまだ、知らない事があるから、もっと知りたいの」

像を見つめたまま、呟いた。

灯りが、像を照らし出し、像はキラキラと輝きを放っているかのように、見えた。

「古代には、巡礼(じゅんれい)の場所だったのかもしれないね」

名残惜しそうに、ルシュアは像を見つめ、また先へと歩き始めた。

 それから、一本道をひたすら歩く。時間の感覚が、無くなってしまいそうだった。世界最大の大河、川幅も広い上に、地下深くに彫られているトンネルは、長い。水が溜まって、歩きにくさが、さらに距離を長く感じさせていた。

 ラムーの像から、歩き続けていた、二人の前方から、強い風が吹いてきた。その風に、松明の炎が、激しく揺れた。見ると、先の方で、光が揺らめいていた。差し込んでくる光が、通路に溜まっている水に、乱反射しているのだった。乱反射して、壁や天井に、波紋を移しだしていた。

「出口だね」

クーランが言って、松明を消す。

 出口に近づくにつれて、通路は明るくなり、眩しい。溜まっていた水も、いつの間にか無く、苔生した床を滑らないように歩く。風は、絶え間なく吹き込んできていた。


 外へ出る。眩しくて暫く目を閉じた。目が慣れてくると、そこには、入ってきた場所と同じ、白石で造られた砦みたいな建物だった。違うのは、こちら側は、荒れ果てた大地が広がっていて、旋風(せんぷう)に煽られて、砂塵(さじん)が舞っている事だった。吹く風は、強く乾いていた。

「変だね。古地図は、森となっているのに。これも、時間の流れか。それより、もう少し

行った処に、何かあるみたいだよ。古地図のよると」

建物の陰で、地図を見ていた、クーランが言った。

 二人は、風化してしまった石畳に沿い歩く。石畳は、踏むと砕けてしまった。かつての街道は、荒れ果てた大地を南へと、続いていた。

辺りには、生き物の気配はまるで無く、時折り、空を鳥が横切るくらいだった。

「なんだか、寂しいっていうより、死んだ世界みたい」

ルシュアは、立ち枯れた草を見た。

「そうだね、魔族と何か関係しているのかも。数百年前の、人間と魔族の戦争とか」

クーランが言った時だった。

 突如、二人の前に、砂煙(すなけむり)をあげて現れたのは、あの村で見た、異形(いぎょう)の魔物に似た魔物だった。不意を突かれて、二手に分かれるように身をかわした。クーランは、かわしながら、剣を抜いて、異形の魔物に一太刀浴びせていた。ルシュアも、剣を抜いて、間合いを計る。しかし、それすら出来ない程、異形の魔物は、すばやく触手を伸ばした。

今まで何度か、自生の魔物と戦ったけれど、その魔物達とは、まったく異質だった。

 クーランがどうしているか、目で追うが、クーランも攻撃をかわすだけで、精一杯だった。

長い触手を振り回す獣、獣の様であってそうで無い。その身体は、半透明の塊だった。剣はおろか、魔法もあまり通じなかった。

「うわっ」

クーランが、異形の魔物の触手に、薙倒された。

「クーラン!」

慌てて、ルシュアは駆け寄る。

「い、って」

何とか身体を起こそうとしたものの、クーランは身体の自由が利かないようだった。

ルシュアは、治癒の魔法を掛けるが、回復する様子は無い。その間にも、異形の魔物は、二人に迫ってくる。

「ルシュア、逃げろ」

クーランは、苦痛の表情を浮かべながらも、ルシュアを気遣う。

「出来ないよ」

言って、治癒の魔法を続ける。

「だめだ」

異形の魔物の触手が、二人に振り降ろされる。クーランは、とっさに、ルシュアに覆い被さる様にして、庇った。

 その瞬間、激しく大地が震え、空気までもが震えた。

「炎の魔法が使えるのなら、一番大きい魔法を、そのタコ野郎に、ぶつけるんだ。早くしろ!」

舞い上がる砂塵それと同時に、何処からか、甲高い女の声がした。何が起こったのか、理解出来なかったが、砂煙の向こうで、異形の魔物が、もがいているのが見えた。ルシュアは、右手を天に、左手を異形の魔物に向け、

「天より降り来たれ、炎の(とばり)。我示す敵を包み、その力にて、全てを焼き尽くせ」

と、唱える。

炎のベールが、異形の魔物を包み込んだ。もがく異形の魔物は、音なのか悲鳴なのかわからないものを発していた。異形の魔物を包み込んだ、炎のベールは燃え上がる。その炎は、天へと昇って火柱となり、その火柱は四散した。後には、どす黒いシミが大地に残されているだけだった。

 ルシュアは、息を吐いて、声の主を探した。

「なんだ、結構出来るじゃないか、人間なのに」

冷やかしているのか、関心しているのかという声で、先ほどの声の主は言った。

「誰よ」

ルシュアは、声のする方を見て言った。

すると、スーッと砂煙が晴れて、声の主が姿を現した。

 波打つような長い金の髪。その肌は、蒼白く、耳は大きく尖っている。髪と同じ色の瞳は、興味深く二人を見据えていた。

「え。魔族?」

ルシュアは驚く。

「そう、人間がそう呼ぶ、種族さ。まあ、私は、地上で暮らしているけどな」

フン、と鼻で言い。わざとらしく、髪の毛をかきあげる。

「で、も。如何して、助けてくれたの?」

恐る恐る問う。

「アイツ等は、嫌い、(ゆる)せない。ウザイし。それより、なんだい? 外の人間が、この土地に来るなんて、何百年振りだろう」

女魔族は二人に、歩み寄る。ルシュアは、警戒を露にする。

「そうするな。少なくても、私は、あんた等に敵対したり、危害を加えるつもりは、ないから」

と言い、豪快(ごうかい)に笑う。

「じゃあ、ここが、イムヨと呼ばれていた処?」

苦痛を浮かべたまま、クーランが問う。ルシュアは、クーランの所に戻り、治癒魔法を掛ける。

「ああ、そうさ。イムヨだよ。アンタ、そんな、魔法じゃあ治らない。……男女の傷の手当をしてやろう。ここへと来た、理由も聞きたいな、物好きさん」

偉そうな口調で言う。ルシュアは、自分の魔法が未熟だと言われたみたいで、ショックだった。それと同時に、クーランに申し訳なかった。

「シャンターグ」

女魔族は、宙に向い叫んだ。すると、大きな馬みたいな鳥が姿を現した。羽毛の下には、鱗が生えている。不思議な生き物だった。

「私は、アタージャナ」

ひょいと、(うずくま)っていたクーランを、片手で担いで、シャンターグに乗せ、ルシュアも乗せて、自分も乗る。

「私は、ルシュア。彼は、クーランよ」

警戒したまま、ルシュアは名乗る。

「そうかい。まぁ、クーランとやら、もう少し辛抱しな。腕のいい、エルフがいるからな。彼女は、あらゆる毒を消し去る事が出来るんだ」

と言うと、シャンターグに何かの言葉で、指示を出した。シャンターグは、(いなな)くと、翼を広げて飛立った。


 見下ろす大地は、荒涼としていた。

「アイツ等が、地上にも出てくるようになって、この様さ」

吐き棄てるように、アタージャナは言った。

暫く荒涼とした大地の上を飛行すると、前方に、岩山に囲まれた、小さな森が見えてきた。その森は、ひっそりと隠されている感じがした。

「あそこさ、今のイムヨは」

そう言うと、シャンターグは、急降下した。一瞬、息が詰まるかと思い、ルシュアは目を閉じる。すると、妙な感覚がした。目を開けると、そこは森の中、木々が開けた広場のような処だった。

「ここが、イムヨと呼ばれている土地の、中心さ」

言って、シャンターグから、二人を降ろした。すると、シャンターグは、何処かへと飛び去って行った。 

 ひっそりとしていて、静かな集落だった。魔族に関係する土地という伝承から、イメージしていたものとは、まるで違っている。ルシュアは、驚いていた。

「ほら。ついて来な」

クーランを担いで、スタスタと歩いていく、アタージャナ。その後ろを、ルシュアは歩く。ルシュアは、遠巻きに幾つもの視線を感じた。興味的な好奇な視線だった。

「ここは、さ、地上・人間界にいる、一部の魔族、はぐれエルフなどが暮らしている、隠れ里みたいな場所さ」

言って、森の一番奥にある、一軒の家の前で止まった。

「ナリス婆、いるのかい」

と、アタージャナは呼びかける。

 暫くして、扉が開き、出てきたのは、真っ白なエルフの老婆だった。

「はいはい。なんでしょうか。アタージャナ様」

擦れた声で、アタージャナを見上げて、愛想良く笑う。

「客だ。ヤツの毒を受けてしまっているから、診てやってくれ」

相変わらずエラそうに言い、担いでいる、クーランを指した。

「ほおぅ。人間か、珍しいね。いいよ、そこに寝かしておき」

細くなってしまった目を、精一杯丸くして、二人を見て言うと、家の中へと入っていく。

 白いシーツのベッドに、クーランを横たえると、アタージャナは、

「クーランの治療は、ナリス婆に任せときな。それより、あんた達がここへ来た理由を、話してくれよ」

ルシュアに向かい、問い詰めるかのように言った。ルシュアは、ふぅと息を吐き経緯を話した。

「魔族に兄上を連れ去られた、兄上を助け出す為に、古の伝承にある、魔族と通じる土地を目指して、ここまで来たのです」

アタージャナの気迫に押され、少し引きながらも、強い口調で答えた。

「へー。それで、如何して、兄上は連れ去られたんだい?」

詰問されている感じがした。

「わからない。だけど、兄上を連れ去った魔族は、覚えている。―長い闇色の髪に、細い銀色の瞳の魔族だった、けど……?」

ルシュアの話を聞いていた、アタージャナの顔色が変わって、まるで怒っているかのような表情になっていく。

「そいつは、きっと、ホーヴォルの奴だ」

と、怒りを滲ませた。

「お知り合いですか? その魔族と」

アタージャナの変貌ぶりに、戸惑いながらも、ルシュアは、引きつった愛想笑いを浮かべて、問う。

「知っているもなにも、アイツは、ホーヴォルは、この私からの――魔界一、美しく、才も力も長けて、身分も申し訳ない、この私からの、求婚を跳ね除けたんだ、この私の」

声を荒げて言う。ルシュアは、どうしていいのか分からず、はあとしか言えず、呆然としてしまった。

「いいだろう。アンタの兄上取り返してやろう。ただ、私も一緒に行かせてもらうからな。

まずは行って、アイツをギャフンと言わせてからだ。その時、その理由を問いただしてやるから」

と、バンと、ルシュアの肩を叩いた。

「……あれ、アンタ、もしかして?」

肩に手を置いたまま、じっと、アタージャナはルシュアの顔を見る。

「なに、か?」

「いや。別に。クーランが治ったら、行くからな。ルシュア、ナリス婆に、魔法でも習っとけよ。婆は、色々な魔法に詳しいからな。お前、才能あるからな」

いかにも命令口調で、言い放つと、家を出て行った。


 ルシュアは、暫く呆然(ぼうぜん)としていた。凄まじい人だなと。

「アタージャナ様は、とてもお気の強い方。だけど、悪い方ではありませんよ。少しばかり、気が強いから、キツイ性格に思われますが、結構、面倒見が良いのですよ」

クーランの治療を終えた、ナリス婆は部屋から出てきて、呆然としている、ルシュアに言った。

「はあ。あの、クーランは?」

我に返り、ルシュアは、心配そうに問う。

「大丈夫。今、眠ったところだよ。あの種の魔物は、厄介な毒を持ってるからね。人間界の毒消(どくけし)の薬草や、魔法では、解毒(げどく)しきれないんだよ。治癒魔法も、効果が殆どないし」

クーランが眠っている部屋に案内され、そう説明される。そう言われると、何だか悔しくなる。

 クーランは、まだ顔色は悪いけれど、先程までの苦痛の表情は消えていて、眠っていた。

「よかった。ありがとうございます」

ルシュアは、涙を浮かべて頭を下げた。

「いえ。あたしゃ、大した事はしていないさ。この方の、生命力が強かったから、大丈夫だったのじゃよ。彼は、ちょっとやそっとの事では、死んだりしないさ」

言って、クーランとルシュアの顔を交互に見て、

「これは、偶然か、それとも、必然なのか」

と、エルフの老婆は呟き、首を傾げた。

「さ、おいで、ルシュア。そなたは、人間にしては、魔力が高いが、やはり、大きな魔法は、そう何度も使えないだろう。人間に使いこなせるかは、わからないけれど、エルフや魔族などの魔法を教えてあげよう」

部屋を出て、手招きする。ルシュアは、振り返って、心配そうに、クーランの寝顔を見つめる。

「心配ない。体力が回復したら、目を覚ますさ」

ナリス婆は、先に行くよと言って、外へと出て行く。ルシュアは、もう一度、クーランの顔を見てから、部屋を出た。


 ナリス婆はが、ルシュアを伴い歩いていると、物珍しそうに、エルフやドワーフ、魔族達が、遠巻きに二人を見ていた。

「久しぶりの人間。だけど、アタージャナ様の、お客だよ」

と言う。見ている者たちは、それでも不思議そうな顔をしていた。ナリス婆は、気にせずに、おいでと囁くけれど、沢山の者に遠巻きに見つめられるのは、あまり気持ちの良い事ではなかった。ルシュアは、軽く一礼して、ナリス婆の後に続いた。

 集落の外れにある、小さな神殿に案内される。中は、神殿というよりも、図書館みたいだった。

「ここにある、魔道書を好きに使っていいよ。だけど、殆どが、古代文字や旧世界の言葉、あるいは神代(しんだい)文字(もじ)で書かれているものが、あるけどね」

ナリス婆は、何冊か取り出して、渡す。どれも、古いものだった。

「古代文字は、解ります。でも、旧世界の言葉って、今も残っているのですか?」

「ある程度はね。でも、エルフや魔族の年寄りでさえ、知る者は少ない。まぁ、教養として、知っておくといいよ。だけど、神代文字は理解している方がいいね」

と、また別に、部厚い本を持ってきた。

「神代文字は、神々の言葉。それを理解出来れば、神々の魔法も使えるかもしれないって、事じゃよ」

ふふふと、笑う。

「人間に何処まで、出来るか見てみるのも一興」

「はい。やってみます」

生来強気で、勝気のルシュアにとっては、意気込み出来る事だった。例えそれが、相手の冷やかしであっても、興味のある事だから、気にはならない。

「神代文字を古代語に、訳す為の本じゃよ。自分で、調べ、理解して、身に付けるがよい」

渡して言う。

「あたしゃあ、家にいるからね、しっかりおやり」

言い残し、さっさと帰って行った。

 ルシュアは、頷くと机に向った。

 神代文字、古文書の中で何度か、目にした事はあったけれど、それは、単語や断片でしかなかった。神代文字書物の原書を、見るのは初めてだった。その文字は、文字というより、曲線の模様にしか見えなかった。これが、文字であるのかさえ、解らない印象。それを、解読しながら、古代語に一度置き換えて、現代の人間語に訳して、その意味を汲み取る。それの繰り返し。ナーガハイム城で、王女としての勉強は嫌いだったけど、魔術や神話伝説についての事は、何よりも好きだった。

 神殿内の書物庫の中で、ルシュアは書物に埋もれていた。

「おい、ルシュア」

呼ぶ声に、気付かない。

「ルシュア!」

肩を掴まれて、初めて気が付く。

「な、なに。アタージャナさん」

びっくとして、振り返る。

「何度も、呼んでいたんだぞ」

ムッとして言う。全然、気が付かなかったよ、と、ルシュアは笑う。

「どうだい? 何か為になったか」

問われて、頷く。

「ふ~ん。まぁ、頑張れよ。それより、食事だと」

アタージャナに言われて、時間の経過に気付く。

「よくもまぁ、丸一日以上も、机に張り付いて打ち込める事が、出来るなぁ~」

アタージャナは、呆れていた。ルシュアは、書物を棚に戻して、机の周りを片付ける。

「皆に、よく言われるの。打ち込むと、気付かないんだって」

ルシュアは笑って言うと、アタージャナは、物好きな奴と、笑った。

 ナリス婆の家に戻り、ルシュアは、お礼を言う。クーランは、まだ眠っているけれど、顔色は良くなっていた。回復している、ルシュアはホッとする。始めは、オカマの変な人だと思っていたけれど、今ではそうでもなかった。よく解らないけれど、自分にとって、大切な人なのかもしれないと、思うと同時に、クーランが自分の事を、どう思っているのかが気になっていた。

 食卓を囲みながら、アタージャナは、ホーヴォルの事を話してくれた。

「アイツは、一種の幼馴染みだ。昔から、ずっと一緒にいたしな。魔界も、人間界と同じ様に国があり、民が暮らしている。私は、魔界の大国の王族で、アイツは、その臣下だった。私の国では、求婚する権利などは女系に限られていて、それを拒む事は、まず(ゆる)されない。王位も女系に限られていて、代々女王が治めている。だけど、アイツは、それを」

淡々と語ってはいるけれど、偉そうな口ぶり。

「だれも、拒む事の出来ないもの、で、あったのに」

思い出すだけでも、腹立たしいのか、怒りが込み上げてきていた。

「何時も、私から逃げる。魔界中の権限をほぼ、握っている私からは、臣下だろうが、なんであろうが、逃げられないのよ。私が、魔界の法でもあるのだから」

怒りを抑えながら、言う。ルシュアは、その様な、魔族の女王が、如何して人間界で暮らしているのか、疑問に思った。その事を、アタージャナに読まれたのか。

「魔界もすっかり、変わってしまった。人間達が、思っているほど、私達魔族は、野蛮で邪悪では無いさ。まともな者もいれば、イカれてヤバイ奴もいる。それは、人間と同じだよ」

どこか、悲しげに呟く。

「魔界って、どの様な所なの?」

「空、太陽が無いだけで、あとは余り変わらない。太陽の変わりに、星の核があるよ」

何時もの偉そうな、口調ではなかった。

「この世界の深淵深くに、あるもので、星の核と呼ばれている。それが、太陽みたいに、昇ったり沈んだりしているんだ。太陽ほど強い光では、ないけれどな」

言って、グラスにワインを注ぎ、それを飲みながら、

「昔は、平穏だった。人間との間に、この世界の覇権(はけん)を巡って、何度か戦いはあったけれど。だけど、アイツ等が姿を見せ始めてから、魔界は荒れ果てていった」

バンと、グラスを置く。

「あの、異形の魔物?」

問うと、ルシュアを睨んで頷く。

「アイツ等は、旧世界を滅ぼしたモノだ。数万年以上の昔、旧世界が栄えていた頃に、何処からか飛来して、旧世界を滅ぼした。そして、今の世界が築かれる時に、世界の深淵深くに封じ込められた。そして、今の世界が出来たんだ。その辺りの話は、人間界に伝わる神話と、変わらないさ」

アタージャナは、込み上げてくる怒りを、押さえながら答えた。

「でも、どうして、その、ホーヴォルは、兄上を連れ去ったの?」

アタージャナは、鼻先で笑うと、

勘違(かんちが)いしているのと、あとは、アイツの変な趣味だろう。その趣味のせいで、私の求婚が跳ね除けられたと思うと、ブッ飛ばしてやらないと、気が済まない」

怒りを露にして、その怒りを抑えているのか、アタージャナは震えていた。ルシュアは、何にも言えず、引きつった笑みで、食後のお茶を啜っていた。


 ルシュアは休む前に、もう一度、クーランの顔を見た。

「明日の朝には、目を覚ますじゃろう」

と、ナリス婆は笑って言う。

「色々と、ありがとうございます」

ルシュアは、頭を下げた。

「いいよ。まぁ、頑張(がんば)るんじゃよ」

言って、ナリス婆は自分の部屋へと入って行った。


 翌朝、早くに目が覚めた、ルシュアは、クーランの部屋へと向う。ナリス婆が言ってたなら、クーランは、目覚めてくれるかと思いながら、部屋に入った。

「あ、ルシュア、おはよう」

ベッドの上に半身を起こして、クーランは扉に立つ、ルシュアを見て笑った。

それに、少し驚きながらも、クーランに歩みより、

「良かった。もう、大丈夫なの?」

と、涙を浮かべた。

「何も、泣くことないよ。大丈夫だって。―ごめん、心配していた?」

クーランは、明るく振舞(ふるま)い言う。ルシュアは、うんと頷いて、涙を拭った。

「おや、さすがだね」

背後から、ナリス婆の声がした。ルシュアは、思わす赤くなってしまった。ナリス婆が、(やく)(とう)を持って、部屋に入って来た。

「思っていたより、回復が早かったね。ほら、お飲み」

と、キツイ臭いで、ドロッとしている薬湯を、クーランに渡した。

「どうも、ありがとう。色々と、手を煩わせてしまったようで」

礼を述べて、薬湯を受け取り、臭いに顔をしかめている、ルシュアを横目に、何食わぬ顔で、薬湯を飲み干した。

「いいって、ことよ。それじゃあ、朝食にしようか」

 

 クーランを交えた、三人で朝食を囲む。

「こうして、人間とテーブルを囲むのは、数百年ぶりになるかもしれないね。昔は、この辺りには、人間・魔族、エルフが共に暮らしていて、中にはお互いに、愛し合った者も居ったのじゃよ。だけど、数百年前の、人間と魔族の戦争以降、ここは、何時しか人間世界から切り離されてしまったのじゃよ」

ナリス婆は、何処か寂しげに悲しげに語った。

「かつては、ラムー神殿へと来た巡礼者が、ここまで足を運んでいた事もあり、昔は、もっと賑やかだった。しかし、その神殿すらも、忘れ去られてしまった」

ルシュアは、大河の地下深くにあった、ラムーの水晶像を思い出す。

「それは、あのトンネルにあった、鳥の羽を持っている竜の事ですか?」

「そうだよ。(しん)(じゅう)ラムー。私達に伝わる神話では、神々が使わせたモノで、異界の扉へと、唯一行く事の出来るモノだという。この世界が出来る、遥以前より、存在して、この世界を築くとき、要となった者を導いたとされる」

 その様なタイプの話は、知らなかった。ルシュアが言うと、この神話は、エルフ族でも、知るものは少ないんだよと、ナリス婆は言った。


 朝食を終えた、クーランは、ナリス婆にもう一度、礼を言って、家の裏庭で、素振りをしていた。

「動き回って、大丈夫なの?」

ルシュアは、心配そうに問う。

「平気さ。ずっと寝ていたから、鈍ってしまっているよ。私、今まで、舞台稽古は、何があっても、毎日休まずに続けていたからね。―そうだ、ルシュア、ちょっと、手合わせしない?」

何処からか、持ってきた棒を、ルシュアに差し出した。だけど、ルシュアは、首を振った。

「クーランには、敵わないから、いいよ」

ルシュアは、俯いて、ボソリと言った。

「だったら、私としないか?」

二人の間に、何処からか現れた、アタージャナが言い、ルシュアの代わりに、棒を手にした。

「ああ、いいよ。アタージャナにも、お世話になったよ、ありがとう」

と、言い、クーランは構えた。

「手合わせする以上、病み上がりだろうが、手加減はしないし、手加減するなよ」

と、言い、アタージャナは笑った。

 アタージャナと手合わせしている、クーランは、何だか楽しそうだった。何か、二人で話しながら、向き合っているが、その会話が聞こえない、ルシュアは、そわそわし、意味も解らない不安を感じていた。その感情は、今までに感じた事の無いものだった。二人を見ていると、何故か胸が痛んだ。二人の手合わせを見ていると、とても、自分の剣の腕では、敵わないと分かり、それがやっぱり、悔しかった。

 乾いた音を響かせて、アタージャナの手から、棒が落ちた。それは、一瞬の事だった。

「フン! 強いな、しゃくだけど」

アタージャナは、鼻先で笑った。

「なかなか、こっちも苦戦したよ」

クーランも笑う。

「じゃあな。そこまで、回復してるなら、明日だ。明日にでも、ホーヴォルの処へ行くから、そのつもりでいろよ」

言いながら、ルシュアの前に来る。

「そう、心配するなよ。私は、人間の男に興味は無い。特に、オカマにはな」

耳打ちするかのように、言って、ルシュアの背中を、ポンと叩いて、立ち去って行った。ルシュアは、溜息を吐き、チラッとクーランを見た。何? といった感じで視線が合って、ルシュアは俯いてしまった。

「大丈夫だって。身体も体力も、全快よ」

クーランは、バンと胸を張った。ルシュアは、また、溜息を吐く。

「アタージャナって、うちの一番上の姉さん、そっくりだよ。やたら滅多ら気の強いところとか、物凄く偉そうな態度とかがね」

うふふと、笑いながら、クーランは汗を拭いていた。

オカマなクーラン。それは、演出なのかもしれない。女系家族で育ったから、そうなってしまったって言っているけれど。クーランの本音と本性が、気になってしまう。出逢った頃には、ただの変なオカマとしか思えなかったのに。ルシュアは、戸惑いを感じた。

「私の目的は、兄上を助け出し、ナーガハイムへ帰る事。クーランの事なんて、関係ない」

戸惑う自分に、そう言い聞かせた。


 怪鳥シャンターグの背に乗り、イムヨの南海に浮かぶ、オロコノ島へと向う。オロコノ島は、複雑な海流と岩礁に囲まれていて、空からでないと、上陸できない。

「もともとは、地上と魔界を結ぶ場所だったが、数百年前に閉じたんだ。それ以降は、上級魔族位しか、行き来できなくなったんだ」

アタージャナは、前方に、そびえ建つ、塔を指した。

「かつて、地上を侵略しようとしていた、魔族の、ある王が、居城としていたものだ。今では、もう過去の遺物だけどな」

「そこに、兄上が囚われているの」

天まで届きそうな、黒い牙の様な塔を見つめる。

「まぁ、大丈夫だ」

鼻先で笑うように、アタージャナは言う。

 着地出来そうな場所を探して、塔の周りを旋回する。数千年前に建てられたという。人間と魔族との戦いの舞台は、今もその存在感を残していた。

 シャンターグは、塔の中央にある、バルコニーみたいな場所へと、降立った。そこから、塔の内部に入れる。アタージャナを先頭に、塔の中を進む。

「久しぶりだな。ここへ、来るのも。アイツの顔を見るのも」

かなりの早足で歩いている。その足音と声が、暗い通路に何重にも響き渡っていた。ルシュアは、辺りを警戒して、ずっと剣の柄に手をかけていた。ここは、一応、敵の本拠地。

 やがて、上へと続く、螺旋状(らせんじょう)の通路に出る。その通路を登って行くと、大きな扉の前に着いた。

「エラそうに、ホーヴォルの奴め」

苛立ち、舌打ちをする。忌々しく、扉を蹴った。扉は、大きな音を立てて開いた。その先には、回廊(かいろう)が続いていた。

「おい、ホーヴォル。いるのだろう? いるなら、出て来いよ」

と、叫んだ。その声は、こだましていく。 

 ざわ、何かが、ざわめいた音がしたかと思うと、回廊の柱の影から、巨大な魔物が現れた。

「あの、馬鹿が」

そう呟いたかと思うと、アタージャナは、左手をかざして、振り下ろした。目には見えない、衝撃波が、その魔物を、真っ二つに切裂いた。

「まだまだ、来るぞ。ホーヴォルなりの、演出だろうから、ちょいと、遊んでやるといいさ」

偉そうな命令口調で言い、次から次に出てくる魔物を、切裂いていく。ルシュアとクーランは、顔を見合わせて、頷いた。

 クーランは、長い髪をなびかせて、剣を手に華麗に舞うように、襲い来る魔物をかわしながら、剣で薙いでゆく。そんな二人に、負けないように、ルシュアも魔物達に立ち向かう。何匹か剣で斬り倒したものの、剣で戦い続けるのは、クーランみたいにはいかなかった。ルシュアは、剣を納めると、二人から距離を取りながら、魔物達を自分に引きつけながら、呪文の詠唱を始めた。

「宙に舞う精霊、闇に灯火(ともしび)もたらす精霊。幾千万もの刃となり、我が敵を打ち払え、薙ぎ払え」

大きく両手をかざし、何度も印を切った。ルシュアを中心に、渦巻く気流と、暗い回廊に、無数の灯が浮かぶ。それは、襲い来る魔物達に降り注いだ。眩く灯が弾け、気流が(うな)っていた。魔物達の断末魔と魔法による余波で、塔が振動していた。

「ふぅ」

ルシュアは、額の汗を拭って息を吐いた。

「すごいじゃない。だけど、もう少し考えて、魔法使ってよ」

クーランは、ボサボサになった髪の毛を直していた。

「さ、行くか」

二人のやりとりを、鼻先で笑い、アタージャナは回廊の奥にあった扉を開き、

「いい加減に、出て来ないか、ホーヴォル!」

大きな声で怒鳴りつけた。

 扉を開いた先は、広間になっていて、その中央には、驚いた顔で固まっている、闇色の魔族の男が立っていた。

「あの時、兄上を連れ去った魔族」

ルシュアは言うと同時に、剣を抜き放ち、アタージャナを押し退けるようにし、その魔族の前に飛び出した。

「私は、ナーガハイム国・第一王女、ルシュア。お前が連れ去った、兄王子リュカエルを助けに来た。覚悟」

剣先を突き付け、睨みつける。

「返さぬ、と言ったら?」

我に返ったのか、その魔族は、馬鹿にした口調で言った。ルシュアは、ムッとし、斬りかかるが、それを呆気なくかわされた。

「ナーガハイムの時のようには、いかないさ」

剣をかざしながら、左手で魔法の印を切る。

「雷炎」

ルシュアが呟くと、かざした剣に、雷を伴う炎が生じた。

「たぁっ」

気合を込めて、剣を振り降ろした。

雷と炎が弾け、一瞬、部屋の中は真っ白になり、何も見えなくなる。

 光が消えると、魔族は腕から、血を滴り落としていた。

「魔法剣が、使えるなんて、な」

さすがに、驚いたのか、そう呟いた。

「さあ、兄上を返せ」

ルシュアが再び剣を掲げ、立ち向かおうとした時だった。

「やめろ、ルシュア。後は、私がやる」

大きく足音を響かせて、剣をかざしている、ルシュアの前へと遮るように、アタージャナは立った。

「あ、ああ、あたーじゃな」

明らかに、困惑し、激しく怯えている。

「ホーヴォル、久しいなぁ。百年振りになるのかな」

にこやかに笑ってはいるけれど、目は笑っていない。ホーヴォルは、うろたえていた。


バッシ。

 凄まじい音が、広間に響き(とどろ)いた。

「ぐはあっ」

ホーヴォルは、後ろへと吹っ飛んだ。

「よくも、私の事を蔑ろにしてくれたねぇ。私ほどの女より、お前の不可解理解不能の、趣味を選ぶなんてねぇ」

アタージャナは、ホーヴォルの首根っこを掴んで、締め上げて、怒鳴りつけた。ホーヴォルは、うろたえ怯えて、ビビリまくっていた。

「さあ、王子を返すんだ」

更に、締め上げる。ホーヴォルは、苦しそうにもがく。

「そして、私の求婚を受け入れるんだ」

と、言い、力一杯締め上げたまま、笑う。

「随分と、熱烈なプロポーズだね。ここに、うちの姉さん達がいなくて、良かったよ。きっと、見ていたら、真似されそうで怖いよ」

クーランは、呆然としている、ルシュアに耳打ちした。ルシュアは、何も言えず立ち尽くしていた。

「い、いたい。アタージャナ、やめてくれ。返す、王子を返すから、離してくれ。結局、鍵の者では、なかったし……痛い、いだただ」

アタージャナに締め上げられ、必死の形相で言う。

「そこの奥にある扉の、向こうにある、階段を最上階まで行った処にある、部屋に王子はいるから、ああいいたたい」

言って、振り解こうと、もがいていたけれど、アタージャナは力を緩める事は無かった。

 ルシュアは、それを横目に駆け出した。クーランは、気の毒そうに、もがいている、ホーヴォルを見て、ルシュアの後を追った。


 階段を駆け上がっている時も、下の広間から、怒鳴り声と呻き声が聞こえてきていた。その度に、クーランは、気の毒に思いながらも、笑いが込み上げて来て堪らなかった。

螺旋階段の終点に、扉があった。ルシュアは、その扉を開き中へと入る。狭い通路があり、その先にもう一つ、扉がある。

「兄上」

叫んで、その扉を開いた。

 中から、穏やかな光と、何ともいえない、花の良い香が溢れてきて、暗かった通路に、明るい光が差し込んできた。

 その部屋の中は、とても暗い塔の中とは思えない部屋だった。明るく穏やかな光の部屋には、部屋を埋め尽くす程の花が飾られていた。その部屋の窓辺に、リュカエルが座っていた。

「兄上、助けに参りました」

その部屋に驚きながらも、ルシュアは兄に呼びかけた。クーランも、その部屋には驚いて見回していた。

「やあ、ルシュア。なんだか、久しぶりだね。元気だった?」

穏やかに笑い、おっとりとした口調で、ルシュアに手を振った。

「兄上、大丈夫? 何もされなかった?」

ルシュアは心配そうに、リュカエルに歩み寄る。

「何もされないよ。ホーヴォルは、ただ、ここにいてくれたら良いと、言っただけで」

息を切らせて、心配そうに自分を見つめている、ルシュアを不思議そうに見つめる。

「皆、心配しているのですよ。―まあ、私に言えた事では、無いのですが」

と、ルシュア。

「ああ、そうだね。だけど、僕はここにいるほうが、気楽でいいなぁ」 

窓に映っている自分の姿を見て、髪の毛のハネを直しながら言う。

「そちらの、女の人? 誰、新しい、側近の騎士?」

クーランの事を見て、首を傾げた。

「クーランよ。ずっと一緒に、旅をして来たの」

「双子って聞いたけれど、余り似ていないね」

クーランは、双子を交互に見る。

「兄上は、お母様に。私は、父上に似ているらしいの」

ルシュアは答えた。

 部屋の外で、声がする。アタージャナに、引き摺られるようにして、ホーヴォルがやって来た。

「あ、ホーヴォル」

ニッコリと笑い、リュカエルは、半べそをかき、顔を腫らしている、ホーヴォルを見た。

「リュカエル、帰ってしまうのかぁ」

そう言って、リュカエルを見る。すると、アタージャナに、また殴りつけられた。

「う~ん。そうしないと、いけないみたい。でも、ここは、城に居る時より、ずっと気楽だったよ。父上や乳母、爺の小言を聞かなくてもいいし、一日、ボーっとしていても、何も言われないからね。ただ、ニコニコ笑っていたら、それでいいもの」

その答えに、ルシュアは深い溜息を吐き、ホーヴォルはニッと笑う。

「僕が、鍵の者だと思っていたんだけど、そうじゃなかったんだって。ところで、ルシュア、鍵の者って、なあに?」

おっとりとした口調で、問う。

「兄上……、神話伝説の一つですよ。色々な世界の扉を開くと、いう」

呆れた様に、ルシュアは答えて、また溜息。

「ふ~ん。そうなんだぁ」

と、上の空で、窓に映る自分の姿を見ては、毛先のハネを気にしていた。

「帰りたくないのなら、ここにいてくれ」

ホーヴォルは嬉しそうに言うが、アタージャナは、手加減なしで殴り倒した。

「ど、どうしてなんだよ、アタージャナ。俺、アタージャナの事、嫌いじゃないけれど、俺は、俺は、美少年が、美少年が大好きなんだよ~ぅ。最初は、王家に双子が生まれた場合、そのどちらかに、鍵の者が生まれるという伝承を元に、ナーガハイムに行って、王子の方が、鍵の者だと思って、連れて来たんだ。美少年だったし。だけど、鍵の者では、無かったんだ。でも、返したくないから、ここに幽閉(ゆうへい)したんだよう」

そう言い、弁解したけれど、アタージャナに、肘鉄を食らわされて、ひっくり返った。

「はぁー、情け無いね」

ポツリと、ルシュアは呟いて、ホーヴォルを見た。床に蹲ったまま、ルシュアを見上げる。顔は腫れて、涙と鼻血でグチャグチャだった。

「せっかくの熱烈な言葉なんだけど、兄上の心は、あんたには向かないよ。他の誰にもね。だって、兄上は、物凄いナルシストなのだから」

これまで以上の、大きな溜息を吐き、リュカエルを見た。リュカエルは、ただニコニコと笑っていた。

「うう、そ、それでも、い、い」

言いかけて、また、殴られる。

「如何して、鍵の者が必要だったんだ?」

姿を暗ましていた、クーランが戻ってきて、涙目で問う。部屋の外で、しこたま笑い続けていたのだった。

「俺だって、高位魔族だ。魔界を滅茶苦茶にした、アイツ等・旧世界を食い尽くしたモノどもを、何時までも好きにさせたくないんだ。アイツ等を倒すには、それなり以上の力が必要だから、俺は強くなりたかった。鍵の者で、神々との盟約(めいやく)で、封じてある力を解放して、自分の力にして、直接、アイツ等が封じられている世界に行って、直接対決しようと思っていたんだよぅ……少しは、な」

喰って掛かる様に、半ばヤケクソ状態で、言い放った。

すると、

「へー、一応は、考えていたんだねぇ」

アタージャナは、嫌味な言い方をして、ホーヴォルの顔を覗き込んだ。

「でも、駄目だな。本物を見抜く力も眼も無いのだから」

と、キツイ口調で言った。

「本物?」

ちらっと、ルシュアを見る。

「そうさ、王子ではなくて、王女の方が鍵の者さ」

アタージャナも、ルシュアを見た。

「どうして、私が、鍵の者なの?」

戸惑い、クーランに意見を求める。

「さぁ。だけど、アトラ婆様の予言には、男勝りの者が鍵の者と、あったからね。それに、世界の要に、歪みが生じるときに、現れるだろうとも。私は、予言に基づき、旅に出てた。鍵の者と出逢えた時、世界の要を護る為に闘わなければいけないと」

何故か、申し訳無さそうに、クーランは言い、

「アタージャナ、世界の要が何処に、あるのか知らない?」

と、問う。

「さぁ。話に聴くけれどな。場所の事までは、判らない」

顔を腫らして、蹲っている、ホーヴォルを見る。

「知らん。でも、この塔の地下深くに、地上と魔界を繋いでいた扉と、それともう一つ、別の扉がある。その扉が、何であるのかは分からんが。どちらとも、封印されている。神々との盟約でな。その一つの扉が、関係しているかもしれないが」

アタージャナの顔色を、伺いながら答える。

「その扉が、世界の要に繋がっているの?」

「開けてみなければ、判らない、って処ね」

と、クーラン。

「もしかすると、世界の要へでは、なくて、旧世界を滅ぼしたモノどもを封じた処へ、繋がっているのかもしれない。今の力では、どっちみち勝てない。大体、如何して、旧世界を滅ぼしたモノどもが、魔界だけでなく、地上人間界まで、出て来る様になったんだ?」

腹立たしく、アタージャナは言った。

「世界の要に、歪みが生じているから? あの神話伝説に登場する、女勇者が、旧世界を滅ぼしたモノどもを封じ、世界再生の為に、自ら新しい世界の基盤・世界の要になった物語は、実話って事? でも、世界の要に、歪みが生じた理由が、ある筈。その歪みのせいで、旧世界の封印が解けようとしているんだね」

ルシュアは、読み漁ってきた、神話・伝説を思い出す。だけど、関連し手掛かりになるものは、無かった。

「ねぇ、試しに開けてみたら? ルシュアが鍵の者だったら、開けるのでしょう?」

オットリと、リュカエルは言った。その一言に、皆、リュカエルの方を向く。

「ちょっと、兄上。それで、もし、異形の魔物達が大量に出てきたら、如何するのよ」

ルシュアの言葉に、クーランもアタージャナも頷く。

「世界崩壊よ。それは、まっぴら」

と、アタージャナ。ルシュアは、ふぅと息を吐いて、

「とにかく、兄上を連れて、ナーガハイムに一度、戻らないと。ノーシスなら、何か知っているのかもしれない」

と、言って、リュカエルを見た。

「そう、帰らないといけないんだね。仕方ないかぁ」

相変わらず、オットリとマイペースな言い方だった。

「私も、ノーシス殿には会っておきたいから、一緒に行っていいかな?」

と、クーラン。

「構わないよ。はぁ、でも、また来た道を戻ると思うと、ちょっと時間が掛かるね」

「なら、送り届けてやろう」

アタージャナが言った。

「良いのか?」

「まあな。ホーヴォルを、ブッ飛ばせたしな」


  アタージャナの操る、怪鳥シャンターグの背に乗せてもらい、ルシュア達は、ナーガハイムへと向った。

  



 第三章 世界の要 


 雲の海を、シャンターグは勢いよく渡り、ナーガハイムの外れ、街道脇に降立った。

「頑張れよ。世界崩壊なんか、させるなよ。じゃあ、また」

言って、アタージャナは、シャンターグを駆けて空へ消えていった。

「わりと、いい人だったね」

と、クーラン。ルシュアは、頷き、街道の先を見た。

この先の、川を渡れば、ナーガハイム城下町が見えてくる。遠くに、霞んで城が見えている。大地も山も、一面の雪化粧。双子と、クーランは、雪の積もった街道を、城へと歩いて行く。

「もうすっかり、冬だね」

リュカエルは、足元を気にする。歩くのは嫌だなと、いった感じ。

「だけど、如何して、皆、剣とか持って歩いているのかな? 兵士達も、大勢いるね」

街道を兵士達が、巡回していた。川に掛かる橋を越えて、ナーガハイム城下町が近づくにつれて、なんだか、緊張感が漂ってくる。

「ナーガハイムにも、魔物が出るようになったのか」

呟いて、ルシュアは唇を噛んだ。

「やっぱり、関係しているのかもしれない、世界の要と」

「そうだね。その事を、ノーシスに聞かないといけないね。あー、父上を始めとして皆、うるさいだろうなぁ。ねぇ、クーラン。兄上と私が、王子王女であったと、知らなかったって、フリをしてね」

「ふ~ん。構わないよ」

「ナーガハイムに知り合いがいて、たまたま話が合い、旅をすることとなったって、事で」

ルシュアが言った時だった、街の方から、騎士が馬を飛ばして駆けて来るのが、見えた。

「あ、誰か来たよ。お迎えかな?」

呑気に、リュカエルが言う。

「リュカエル様、ルシュア様?」

息を切らせ、馬から降りて、恭しく礼をとった。

「ご無事でしたか。先程、物見の塔より、お二人によく似た姿が、見えまして、もしかしてと、駆けつけたのでございます」

膝を付き、礼をとったままの姿勢で、言った。

「ええ。色々と、助けてもらったから。兄上も、無事に助け出す事が出来た」

と、騎士に言った。

「ともかく、お城へ。皆、どれほど心配していたか」

若い騎士は、言う。ルシュアと、何度か手合わせをした事のある者だった。

話していると、また、騎士達が駆けつけて来た。その騎士達と共に、クーランも一緒に、王城へと向った。


 双子が戻って来た、その事は、あっという間に、城中に伝わった。街から、城へと向う間も、多くの警備兵の姿を見かけた。

「ルフ。どうしたの? まさか、この辺りでも、魔物が出るようになってしまったの?」

騎士の一人に問う。彼は、頷き、

「はい。ルシュア様が、城を出られて暫く経った頃から、魔物の姿を、街道沿いで見かけるようになり、時折り、街の中まで、入って来るようになってしまったのです。学者の話では、魔物の数が増してきていると」

ルフの話を聞きながら、ルシュアは考えていた。何かが起こっているのは、確か。だと。

 城を出て、三ヶ月近く。迎えてくれる者は、皆、安堵(あんど)の笑顔だった。心配を掛けた事は、申し訳なく思うけれど、まだ、終わっていない。とりあえず、兄上を連れ帰っただけ。

 クーランは、遠慮してしまったのか、城門の処で、後から、本人を訪ねるからと、言ったが、客人として、城へ上がる事を、国王からも望まれた。

「一体、何を考えておるのだ」

城へ入るなり、待っていた父王に、いきなり怒鳴りつけられた。

「城の者や、私が、どれだけ、心配して、行方を捜して、各地を探し回ったと思っておるのだ」

普段、お小言を言われるが、ここまで声を荒げる事は無かった。その父王に、ルシュアは驚くと、同時に、それ程までに、心配していてくれたのかと、感じた。

「父上、皆、御免なさい」

取り囲み、見守っていた、城の者達にも、頭を下げた。

「この、じゃじゃ馬娘が」

言って、ルシュアをギュッと抱きしめ、涙した。

「リュカエルも、無事でなにより。魔族に連れ去られた時は、もう駄目かと思っていた」

父王は、リュカエルも抱きしめた。

「はい、大丈夫です。ルシュアが助けに来てくれたから」

ニッコリと笑い言った。ホーヴォルの事は、言うなと、ルシュアとアタージャナに釘を、刺されていた。

「そなたらは、私の宝だ。もう、心配掛けないでくれ」

涙を流した。父王の気持ちは、理解出来る。だけど、まだ……。ルシュアは、チラッと、クーランを見た。

「そなたが、ルシュアを助け支え、リュカエルを助け出すのを、手伝ってくれたのか?」

一歩下がって、礼をとっていたクーランに、問う。

「いえ、私は。成り行きで、その様になっただけです。私には、」

畏まって答える。

「何か?」

「はい。私と、同じ目的地でしたので。話も合って、旅は道連れと申しますし。ナーガハイムの、王女とは知らずに、とんだ、無礼を」

さらに畏まって、答えている、クーラン。その様に言ってくれと頼んだけれど、気を遣わせてしまって、申し訳なかった。

「でも、二人が無事戻ったのは、きっと、そなたが、いてくれたお蔭だ。何か、礼がしたい。暫く、ゆっくりしていってはくれないか」

王は、そう言ったけれど、クーランは、首を振り、

「お言葉は、ありがたいのですが。私には、まだ、やるべき事があります」

と、答えた。

「何にか、力になれそうな事か?」

王は、少し困惑した。

「私は、今、世界で起こりつつある異変、魔物の増殖などの件について、調べて、然るべき

処置をしなければ、ならないのです」

頭を下げたまま、答える。

「父上、クーランは、世界の要に出来たとされる、歪みを確認しに行くと、言っていました」

ルシュアが、口を挟んだ。

「世界の要」

王と、ノーシスの声が重なった。

「そなた、アトラの孫じゃな」

ノーシスが、歩み寄った。クーランは、頷く。

「すると、そなたが、神託(しんたく)にあった、鍵の者を護り共に在る者か」

ほおぅ。と、ノーシスはクーランを見つめる。

「ノーシス、神託とは、あの事か?」

王は、驚いて問う。

「はい。鍵の者が、現れる。それと同時に、護りの者も現れる。鍵の者は、世界と世界を結ぶ。また、断ち切る。世界の要に、歪みが生じる時、神々は、世界を再生させる為に、二人を寄こすだろうと。ナーガハイムに古くから伝わる、神託。伝承でもある。神託には、こうあった。双子が生まれし時、その片割れに、鍵の者。護りの者に、(あで)やかなる舞の子。と、あったのじゃよ」

ノーシスは、ルシュアとクーランを交互に見て言った。

「祖母アトラも、同じ事を申していました」

と、クーラン。

「ああ、やはり」

王は、頭を抱える様にして、呟いた。

「リュカエルと、ルシュアが生まれた時、正直言って、神託と重ねてしまった。だけど、男と女の双子だったし、考え無いようにしていた。だけど、魔族が現れて以来、神託と伝承が、頭から離れなかった」

王は、深い溜息を吐いた。今まで、溜め込んでいたかのような。

「ルシュアが、武芸や魔術に励むのは、それが天命で宿命だから、そういう事だったのかと、うすうすは、思っていたが」

絶望的な言い方をした。

「父上、大丈夫ですかぁ?」

リュカエルは、激しく落胆している、父王に、相変わらずオットリと言う。

「ああ。すまぬ」

気を取り直して、

「クーランよ、そなたは、宿命に従うのか?」

「はい、それが、私の定めですから」

と、答えた。父王は、落胆の色を滲ませたまま、

「ルシュアは、どうしたいのだ?」

力の無い声で、問う。

「父上や皆に、心配を掛けるでしょうが、私は行きます。宿命ならば。それに、世界崩壊なんて、まっぴらよ」

真直ぐ、父王を見つめて、答えた。父王も、ルシュアを見つめる。

「もう、何も言うまい。でも、今しばらくは、城にいてくれ。せめて、今しばらくは」

王は、言うと、側近の者に、何か伝えて、自分の部屋に、篭ってしまった。

 ルシュアは、ノーシスに、世界の要について、話を聞きたいと言い、帰還の晩餐会を取り止めた。それでも、城は、双子が還って来た事で、ちょっとしたお祭り騒ぎだった。

 世界崩壊の危機は、あの場に居合わせた者達に、口止めをした。民衆に伝わると、よからぬ事態を招いてしまうかも、しれないから。

双子と、クーランは、ノーシスから、世界の要についての話を聞いていた。

「認められている歴史としての、記録は在りません。旧世界の伝説は、むしろ神話に分類されます。世界の要も、神話の扱い。だけど、世界の要の伝説を、(さかのぼ)った、旧世界に関する神話伝説は、口伝でしか残っていません。口伝を元に、編纂(へんさん)されたものは、存在してはいるけど、それは真では無い」

城の図書館。世界中の様々な、神話伝説などの書物が膨大な冊数集められている。国や地域により、原点は同じ神話伝説でも、解釈が違う。各地の書物の他、ナーガハイムで編纂(へんさん)された書物を含め、永い時を掛けて、集められた。

 ノーシスは、口伝で残されている、伝説を語り始めた。

「今ある世界。それ以前にも、世界は在ったが、その世界、今で言う、旧世界は、ある時、滅びてしまった。旧世界を滅ぼしたのは、原初の時に、旧世界に降立ったモノ。そのモノどもは、ありとあらゆるものを、食い尽くし滅ぼしてしまうモノだった。旧世界の生命達は、そのモノどもと、戦った。人間・魔族・エルフなど、この世界に生を受けた者として。そして、神々もまた、この世界を護るために。その戦いで、皆の先頭に立って、皆を導き、戦っていた者がいた」

ノーシスは、そこで、ルシュアを見た。

「邪神に独りで、立ち向かった、女勇者。新しき世界を、神々と共に築いたとされる。世界の要」

ルシュアが言うと、ノーシスは頷く。

「彼女は、邪神・そのモノどもを、神々と共に、この世界と別の世界を繋ぐ、時空の狭間に、封印した。その封印を、護るように、今の世界が創られた。そして、封印を護り、世界を護り続ける、世界の要となり、今の世界を支えているという」

語り終え、ノーシスは、お茶を啜る。

「でも、如何して、今になって、そのモノどもが、表に出て来るの? 世界の要って、何処にあるの? 世界の要に、生じているという、歪みって何?」

続けて、ルシュアは問う。

「そう、急かさないでおくれ。余りにも、大きくて、そして、人智を超えた事なのじゃよ」

言って、今度は、クーランを見る。

「アトラとイシスの姉妹と、私は、イムヨの末裔(まつえい)なのじゃよ。エルフと魔族、そして、人間の血が混じっている。アトラ姉妹と私は、イムヨから出て暮らしていた者の孫にあたる。シートゥの樹海奥深くで、一時、暮らしていたのじゃよ。クーラン、そなたにも、イムヨの血が流れているのだよ。その事は、聞いておるのか?」

「いえ。初耳です。ただ、イムヨで、会った、エルフの老婆が、かつては、異種族婚もあったと、話していました。それと、私が、守護の者というのは、関係があるのですか」

「あるとも、ないとも言えん。イムヨは、もともと、世界の要、旧世界、万物を食らうモノ、それらの事を、後世へと伝え継ぎ、魔界の奥底に封印されている、万物を食らうモノへの扉を護り、そして、もしもの時、モノどもを地上へと出さない為に、神々の命を受けて、一種の結界として、存在している。しかし、時の流れとともに、本来の宿命を忘れて、また、イムヨ自体も、時の流れから忘れ去られてしまった。数百年前の、魔族との戦い以降」

同じ様な話を、ナリス婆と、アタージャナからも、聞いたな、と、ルシュアは思い出す。

「ねぇ、ノーシス。どうして、私は、鍵の者なの?」

じっと、ルシュアを見つめて、

「世界が、望んだからでしょう。クーランも同じく。それがたまたま、ルシュア王女とクーラン、だっただけですじゃ」

と、答えた。

「これは、秘められた伝承ですが、世界の要となった、女勇者には、子供がいたのじゃ。独り立ち向かう、彼女の支えとなる事を望んだ者との間に。しかし、彼女は、神々に導かれて、世界を再生し、新しき世界を創らなければならなかった。世界の要として。そして、新しき世界にて、世界の要と、旧世界の事を伝え継ぐ為に、彼女を支えていた者は、子供と共に国を築いた。それが、ナーガハイムなのです」

ノーシスは語った。記録にさえない、建国の秘話を。ルシュアは、驚きを露にした。

「そんな話、知らなかった。それに、建国に関する歴史書には、書かれていなかった。ノーシス、如何して、もっと以前に、話してくれなかったの?」

「これは、ある意味、タブーな伝承なのです。別に知らなくても、いい。もし、表ざたになってしまえば、良からぬ野心や不安となってしまう。イムヨの末裔として、ナーガハイムにて、極秘に後世に伝えるだけの話、なのですよ」

何時もより、冷淡な口ぶりだった。

「いらぬ、火種になるかもしれないって、事」

クーランが、代弁した。

「そうかぁ。きっと、そうなってしまうんだろうな」

ルシュアは、様々な歴史書を、思い出した。それは、戦乱の記録でもあったから。

「それより、如何して、世界の要に歪みが生じて、封印が弱まってきているのかを、突き止めないと」

と、クーラン。

「考えられる事は、幾つかある。一つは、封印されていた、モノどもが、自ら、封印を内側から破ろうとしている。一つは、野心に取り付かれた、愚かな者が、邪神を呼び起こしたのか。そして、もう一つは、世界の要自体に、何かが起こってしまっている。要の支えにも、何か起こっているのかもしれん。女勇者を支えていた者は、その死後、世界の要を支える為に。また、要と共に在るために。そして、この先も、要の支えとなる為に。その想いを、魂と力と共に、神々によって創られた宝玉に、封じた。その宝玉に、何かあったのかもしれません」

ノーシスは答えて、何かを考えているみたいだった。

「三つ目の、宝玉って、何?」

ぼーっと、聞いていた、リュカエルが問う。

「イムヨの伝承によると、ナーガハイム建国当時より、代々伝わっている、宝玉の事です。伝承によると、一見、美しい銀色に輝いている宝玉にしか、見えないそうです。ただ、ナーガハイムの伝承には、その宝玉についての記述が、見られないので、ナーガハイムに実際に、その宝玉が、あるかどうかは、不明ですが」

リュカエルが、その様な事を問うなんて、珍しいなと、ルシュアは思っていた。

 そういえば、昔、城の地下で遊んでいて、更に地下深くに続く通路を見つけて、兄上と探検していて、古い宝物庫を発見したな、と思い出した。

 

幼かった双子は、城の中を探検するのが、日課だった。ある日、城の地下、普段から人が立ち入らない辺りを、探検していた。通路には、埃が積もりっていた。その先に、もう一つの宝物庫を見つけた。双子はさっそく、その部屋に入って、中にあるものを見ていた。どれも、古い物だった。その一つ一つに、名が刻まれていた。

「王家歴代の、品々」

ルシュアが、そう書かれているプレートを見つけた。

「上にある宝物庫は、綺麗なのに、ここは埃だらけだし、置いている物も、古いね」

遠巻きに、納められている物を見ている、リュカエル。

「遺品だって。墓所に納めなかった物を、ここに保管しているみたいだよ」

プレートに書かれている文字は、殆どが擦れていて、読み取れなかった。

「ふ~ん」

リュカエルは、興味なさそうに、部屋の中を歩き回っていた。ルシュアが、覚えたての、灯の魔法で、灯を作っていたので、暗くはなく、色々と見て回れる。

「ねぇ。ルシュア、奥にも部屋が、あるみたいだよ」

タペストリーの後ろに、隠される様にして、扉があるのを、見つけた。

「でも、壁に描かれた、扉の絵みたい」

リュカエルは、取っ手の無い扉を、不思議そうに見た。ルシュアも、その扉の前に来る。

 扉には、様々な文様が刻まれていた。扉というよりも、壁に描かれた、扉の絵に近い。取っ手も閂も無かった。

「ね、変だよね。押しても引いても開かないから、やっぱり絵か、張りぼてなんだよ」

リュカエルは、探検に飽きてきたのか、つまらなそうに言った。

「あ、鍵穴もないよ」

「絵にしては、不自然じゃないの? きっと、カラクリで隠し部屋よ」

言って、ルシュアが扉に触れた。すると、扉は、音を立てることなく、開いた。

「ほらね、兄上の開け方が違っていたのよ」

ルシュアは、得意げに言った。

 扉の向こうには、真っ暗な通路が続いていた。永い間、閉ざされていた空気の臭いがする。ルシュアは、(ともしび)の魔法を、また浮かべた。覚えたての魔法を実際に使える事が、嬉しかった。攻撃魔法などは、実際に使えないけれど、このような、身近な魔法は使う機会があれば、使う事にしていた。

 細い通路は、緩やかに下っている。ルシュアは、好奇心をくすぐられて、先に先に進んでいたけれど、リュカエルは、オドオドしながら、ルシュアの後ろをぴったり付いていた。どれくらい、歩いたのか、目の前に、大きな扉が現れた。それは、とても大きな扉だった。その扉にも、幾つもの、曲線を散りばめたような、同じ文様が刻まれていた。

 ルシュアは、扉に触れてみる。触れた瞬間、文様に光が浮かんだ。それに驚き、手を離す。すると、扉はゆっくりと、開き、内側から、光が溢れてきた。

 そこは、小さな部屋だった。上から、光が差し込んでいる。見上げると、空が見える天井だった。白く透明な感じが、する部屋。ルシュアは、そう感じていた。部屋の中央には、小さな台座があり、その上には、双子の頭より、少し小さい位の宝玉が、安置されていた。

「城に、この様な部屋があったなんて」

呟いて、ルシュアは、部屋を見回した。神殿の奥院みたいだった。静寂と清浄に満たされた、場所。

「ねぇ。ルシュア、見てよ、とっても綺麗だよ」

宝玉が安置されている台座の前に立ち、呼んだ。ルシュアは、答えるように、駆けて行く。

差し込む光が、宝玉に反射して、部屋の中に、光を散らしていた。

「本当。綺麗だね」

と、ルシュア。台座は、双子の胸の高さ。そこに、宝玉が安置されているので、覗き込むには、ちょうど良い位の高さだった。

 宝玉は、銀色にも透明にも見え、幽かに空色を帯びていた。宝玉は、見つめている双子の顔を映していた。リュカエルは、ウットリと、それを見つめ続けている。ルシュアが、宝玉から離れて、部屋の中を見て回っている間も、ずっと。

「綺麗だよ。欲しいな。これ、僕が、貰ってもいいかな」

リュカエルは、よいしょっと、台座から宝玉を持ち上げた。思ったより、重く、抱え込むのが大変だった。ルシュアは、リュカエルに歩み寄って、

「駄目だよ。勝手に取ったりしたら。お爺様に聞いてからにしないと……」

と、言いかけた時だった。

「ああっ」

リュカエルの腕の中から、宝玉が転がり落ちた。とても澄んだ音を響かせて、宝玉は砕け散ってしまった。その欠片は、小さな光の粒となって、双子に降注いだ。驚いた双子は、目を閉じて身を縮めた。そして、恐る恐る目を開くと、別に身体は大丈夫だった。ただ、割れてしまった宝玉は、その欠片すら無く、消えてしまっていた。

「ど、どうしよう」

ベソをかき、うろたえながら、リュカエルは立ち尽くし、ルシュアに助けを求めた。ルシュアも、如何していいのか分からず、同じ様に立ち尽くしていた。

「し、知らないフリをしよう。これは、二人だけの秘密。この部屋なんて、誰も知らないんだから」

噛みながら言い、リュカエルの腕を掴むと、ルシュアは部屋を出て、扉を閉めると、暗い通路に灯を灯す事も無く、走り抜けた。見かけは重たそうな不思議な扉、なのに、音を立てる事なく、開き閉じた。遺品庫まで戻り、ルシュアは、扉を見つめて、考えていた。

ここって、何? ノーシスなら、知っていたのかな、と。だけど、二人だけの秘密に、してしまった以上、聞くことが出来ず。やがて、その事も、忘れてしまっていた。


 ―あの時の、宝玉が、関係しているのかな。あの、扉も。

ちらっと、リュカエルを見る。すると、リュカエルも、何か言いたそうに、ルシュアを見た。

「宝玉って、どの様な宝玉か、知っているの?」

変な汗が、背中を伝う。

「そこまでは、知りませぬ。ただ、宝玉として存在していると、伝承にあるのみで。実際に、見たわけでは、ありません」

「昔、城の地下にある、遺品庫の奥にあった、隠し部屋で、宝玉を見たのだけど」

おずおずと、ルシュアは言った。

「なんと」

ノーシスは、信じられんという顔をした。


 ルシュア達は、父王と、祖父カールディオと共に、その部屋へ向った。

「遺品庫。話には、聞いていたが、その様な場所にあったとは」

人が立ち入った形跡のない、地下通路の一番奥に、遺品庫はある。カールディオは、驚いて、何度も呟いていた。

「確かに、歴代の王家の者の、遺品だ」

剣や、装飾品が、個人個人で保管されていた。古い物だったが、どれも綺麗だった。

「あれが、扉か?」

王は、タペストリーの後ろに見える、扉を見た。

「ええ。あの先に、通路があって、その先に」

王と、カールディオは、顔を見合わせて、

「遺品庫の事も、その扉の事も、城の伝承には、無かったぞ」

と話す。

同行していた、側近の者達が、扉を開けようと、引いたり押したりしていた。が、やはり開かなかった。

「私が、触っただけで、開いたのに」

ルシュアは、言って、扉に触れた。すると、扉は、音を立てることなく、スーッと開いた。

「やはり、鍵の者か」

父王と祖父は、落胆なのか、深い溜息を吐いた。

 そして、あの時の長い通路を通って、あの部屋の大きな扉の前へと来た。

「あ、これ、何の文様かと思っていたら、神代(しんだい)文字だよ」

灯をかざし、ルシュアは言った。

「神代文字。神々の言葉の事か? ノーシス、解読出来るか?」

カールディオが問うが、ノーシスは、首を振った。

「扉の祭壇? 現界と異界。星の要と、支えし魂 神々と人間との、接点? よく解らないけれど、その様な意味の言葉だけど。世界の要を、支えている魂が安置されている、部屋。で、神々との接点って、どういう事だろう」

ルシュアは、呟きながら、扉に触れた。扉は、光を放ち、静かに開いた。

 部屋の中は、あの時と変わっていなかった。

「中央の台座には、宝玉が、あったのだけど」

申し訳なさそうに、リュカエルは小さな声で言った。

「割れて、しまったの」

と、消えそうな声で言った。

「この様な場所が、あるとは。城の記録にも記されていない。ただ、爺様から、聞いた覚えはあるような」

カールディオは、部屋の中を見回した。

「その宝玉が、世界の要を支えていた者だとしたら、割れてしまった今、如何すればいいの。割れた事によって、(ひず)みが生じてしまったとしたら」

ルシュアは、顔を曇らせる。

「なんとかして、世界の要の下に、行くしかないな」

クーランは、空が透けて見えている天井を見つめた。

「でも、そこは、何処にあるのかも、どうやって行くのかも、誰も知らない」

と、ノーシス。


 その時だった、一筋の光が、台座へと差し込んだのは。その光は、部屋を包み込む様に、眩く輝いた。ルシュア達は、その眩しさに目を閉じた。目を開けた時、一同は驚いた。

 部屋の中央、台座があった場所に、白く輝く鱗に空色の翼を持った竜が、現れていた。

「私は、神使(しんし)・ラムー」

その声は、直接、心へと語りかけてきた。ルシュアは、大河のトンネル内にあった、水晶像を思い出した。

「世界の(かなめ)の者と、共に在った者は、その死後、その魂を永遠に封じた。要の支えとなるために。その魂を凝縮し依代としていたのが、割れてしまった宝玉だった。宝玉が、割れてしまった事も、世界の要に歪みが生じた、一因だ」

その言葉に、リュカエルは泣きそうになった。

「割れてしまった宝玉に、封じられていた、魂と力は、双子それぞれに、宿ってしまった。兄の方には、魂が。そして、妹、鍵の者には、力が」

澄んだ声だった。ただ、淡々と語っていた。

「宝玉が、割れなければ、歪みは生じなかったの?」

ルシュアが、問う。ラムーは、ルシュアとクーランを、じっと見つめ、

「割れる事は、必然であった。今、世界の要は、その欲望と野心から、邪神の力を手にしようとした、愚か者の為に、その歪みを更に大きくしている。その為に、旧世界において、封じられたモノどもが、表へと出て来ようとしているのだ。そして、その余波が、自生の魔物にも、及んでいるのだ。宝玉が割れる事により、邪神を倒す、チャンスが出来たのもまた、事実」

その声は、皆に届いていた。

「我と共に、世界の要へ」

と、一歩前に出た。

「それは、何処にあるの?」

「三大陸の中央。そこより、異空間に渡った次元。物質的でありながらも、実体の無いようなモノ。それが、世界の要、この惑星の核を護るモノでもある」

ラムーは答えた。

「ルシュアよ。鍵の者である、そなたに、扉を開いて貰わねば、我とて行けぬ。そして、リュカエルよ、そなたは、その空間にて、支えの者として、共に在らなければならぬ」

リュカエルを見つめて、言った。その言葉に、カールディオが反発した。

「神使ラムーよ。それでは、リュカエルに人柱となれと、申されるのでしょうか? 宝玉を割ってしまったとは、いえ。それでは」

「リュカエル自信には、自覚はないが、支えの者の魂の欠片が、宿っている。支えの者の魂を、一つにしなければ、支えとしての力を、取り戻せない。ルシュアに宿った、支えの者の力は、すでに、鍵の者としての力と同化している。それは、きっと、支えの者が望んだからだろう」

「では、私の身に、その魂の欠片を、移す訳にはいかないのか?」

カールディオは、懇願(こんがん)していた。

「無理だ。これは、リュカエルの運命」

ラムーは、淡々と言った。

「ぼ、僕、行くよ。恐いけれど、世界が壊れてしまうのは、もっと嫌だから」

弱々しく震える。

「リュカエル」

父と祖父は、悲痛そうに名を呼ぶ。

「世界の要を、喰おうとしている、邪神を封じるなり、倒すなりし、要を護りきれたなら、支えの者の魂と、欠片となっている魂を融合させれば、その必要は無い筈だ」

諭すように言い、

「―時間が、無いようだ。ルシュア、クーラン、リュカエル、我が背へ」

ラムーは、その翼を広げた。

「はい」

クーランは頷き、その背に乗る。

「父上、お爺様、行って参ります」

と、ルシュアも乗った。リュカエルは、今にも泣きそうな顔をして、

「ご、ごめんなさい、皆、元気で。僕、頑張るから」

震える声で言うと、クーランの手を借りて、ラムーの背に乗った。

 誰も、何もいえないまま、三人を見送る。ラムーが()ばたくと、部屋の中に幾つもの、光の気流が生じる。それらは、眩く輝き、部屋は光に包まれた。

「リュカエル、ルシュア」

父王の声が、部屋中にこだましていた。

 光が消えると、ラムーの姿は消えていた。

「陛下」

ノーシスが、何か言いたそうに、俯いている王を見た。

「古き伝承が、真であった今、何かするべき事がある筈です」

「あ、ああ」

王は、俯いたまま座り込んだ。帰って来たと思ったら、大きな宿命を背負っていた事に、愕然としてしまった。本当は、薄々そうかもしれないと、思っていたけれど、それを認めたくなかった。

「祈るしかない。神々と、歴代の王家の魂に。遺品を納めていた部屋、そこに何か、力となってくれる物が、遺されているかもしれん」

カールディオは、言い、蹲っている、息子の手をとり、行くぞと、言った。


 空気を切って、進んでいるのは、分かるけれど、どの方向へ進んでいるのかは、感覚的に分からなかった。白い光のベールが、虹色に変わりながら、たゆたうものに、包まれている。その空間を、()ばたくラムーの羽音だけが、聞こえていた。

「あれが、世界の扉だ」

前方に、例え様の無い色の渦が、のたうちまわっていた。

「ルシュアよ、鍵の者として、その扉を開くがよい。そして、守護の者にして、要が使わした勇者よ、邪神を討ち封じるのだ、鍵の者と共に」

言うと、ラムーは、その渦を目指して、スピードを上げた。

「はい」

ルシュアが頷く。すると、その渦は、中心から渦を消滅させていき、先へと繋がる空間となった。

「世界の要だ。邪神は、召喚した者を取り込み、内側から、世界の要の下へ浸蝕(しんしょく)している。そして、要を食らおうとしている。邪神を討て、世界に望まれし者達よ」

ラムーは、力強く言い、その空間へと突入した。

 そこは、色の無い空間だった。その中央に、光の柱が、空間を貫く様に立っていた。

その柱に、寄り添う様に、小さな一つの光があった。そして、柱の正面には、触手を伸ばしている邪神がいた。

 ラムーは、その間を割るように、降立った。ルシュアもクーランも、ラムーの背から、飛び降りる。フワフワと、宙に浮いている感じがする。

「リュカエル、そなたは、要の傍にいろ」

ラムーに言われて、リュカエルは、恐る恐る、光の柱―世界の要の下に歩み寄った。すると、小さな光は、リュカエルの身体に吸収された。

「二人が、邪神を倒すまで、しっかり、護り支えるのだ」

怯えている、リュカエルに言った。リュカエルは、精一杯、力を込めて、頷いた。

「あれが、旧世界を滅ぼしたというモノ?」

「そうだ。その眷属(けんぞく)だ。アヤツ等は、万物を食い尽くすだけに、存在しているようなモノ。その力を利用しようとする者達によって、邪神となったのだ。封じられているアヤツ等を、旧世界の呪法により、召喚して力を手にしようとする。その様な者達は、後を絶たない。呪法を試みる者は、多いが、過去に成功例は無かった。が、アイツは成功してしまった」

ラムーは、無数の触手を伸ばして、のたうち回っている、異様な人間を指した。ヒトの形は留めていない、だけど、ヒトであった形跡が見受けられる。異様な触手に混じって、人間の手が見えた。頭も残っている。その表情は、崩れ、絶望と苦痛を露にしていた。それを核として、邪神は触手を伸ばしていた。ルシュアは、その姿に、吐き気を感じた。

「召喚に成功し、力も手には出来たのだろう。だけど、その力に喰われてしまった。アヤツ等や力を、人間にしろ魔族にしろ、手に出来るモノでは、ないのだ。む、来るぞ!」

ラムーは、邪神を睨んだ。

 醜悪(しゅうあく)な触手を、伸ばしてくる。何もかも、食い尽くすといった感じに。ルシュアとクーランは、剣を抜き、襲い来る触手を、かわしながら、斬り落とすが、触手は一瞬にして、再生していく。

ラムーは、リュカエルと共に、世界の要を護っていた。

「どうしよう、あんなのに、勝てっこないよ」

泣きながら見ていた、リュカエルの足は震えて、立っているのがやっとだった。

「あの二人は、邪神に侵されていく、世界の要と世界が、望んだ者達だ。世界の望み、神々の望み、要の願いを、その背に担っている。そう簡単に、やられはしない」

と、ラムー。

「でも……」

リュカエルは、苦戦している二人を見ていると、ラムーの言葉は信じられなかった。


 一方、ナーガハイム城。

先王のカールディオは、ノーシスと共に、遺品庫で、手掛かりとなる物を捜していた。

「そもそも、伝承が事実である以上、何か、ある筈じゃ。ここにも意味がある筈じゃ。何代にも渡って、遺された物にも」

カールディオは、色々な箱を開けては、同じ事を繰り返し呟いていた。

「世界を護る為と、言っても、リュカエルやルシュアを、人柱にはしたくない。何か、術があるのではないのか?」

父王は、すがる様に、ノーシスに言った。

「分かりません。ただ、代々の王族達の魂が、伝承を重視し護り続けて来ているなら、遺品自体に意味があるのかもしれません。それに、封印の扉の事も、あの部屋の事も」

ノーシスは、遺品庫の中にあった、古い石版を解読していた。

「始祖、宝玉に魂を宿し、常しえに、要を支えん。支えの者である始祖と共に、同じく、我等末裔、そのまた末裔、魂宿し、後に遺さん。支えを失わない為、母なる要を支える為に」

指先で、なぞる様にして、ノーシスは、解読してゆく。

 その時だった。

一つの古ぼけた箱の中から、光が零れたのは。積み上げられた箱の、一番下の箱。ノーシスの読み上げた言葉に反応したのか、箱からは、光が零れていた。それに、皆驚き、顔を見合わせた。カールディオは、側近達と共に、その箱を取り出した。

 現王も、ノーシスも、箱を開こうとしている、カールディオの下へと行き、息を呑みながら、箱を開いた。

 箱の中は、光が溢れていた。見ると、箱の中には、掌に包み込める程の小さな宝玉が、幾つもあり、それらは、丁寧に一つ一つ、並べられていた。その宝玉、一つ一つに代々の王族の名前が、刻み込まれていた。宝玉は、全部で百二十個あった。

「こ、これは」

カールディオは、血相を変える。

「爺様から、聞かされていた、伝承のもの。ナーガハイム王族は、支えとなった始祖の意思を継いで、魂の一部を封印して、後の世に残していたという」

小さな光を宿す、宝玉を見つめる。

「その様な事が、出来るものなのか? 魂は、巡るものではないのか?」

現王が問う。

「魂ではなく、その想いを魂の域まで高めて、凝縮し封じたものなのでしょう」

そっと、宝玉に触れて、ノーシスは言う。側近の者も、互いに顔を見合わせて、驚いていた。

カールディオは、箱の前に跪き

「頼みます、祖霊の方々。どうか、この国を世界を、そして、双子の孫と、勇者を護り、力となって下さい。どうか」

そう祈り始めた。現王も共に祈り、側近達も祈りを捧げた。ノーシスも祈りながら、その想いが、世界の要の下で、戦っている、ルシュア達の下へ届くように願った。

「どうか、我等の想いを」

すると、小さな宝玉の光は、眩いまでに輝き始めた。そして、宝玉は光と共に一つの宝玉となって、封印の扉の、ずっと奥へと飛んで行った。

「神々よ、どうか。皆を、お護りください」

扉の奥を見つめて、ノーシスは深く頭を下げた。

 

 世界の要は、柱が歪むかのように、その歪みを大きくしていた。ルシュアとクーランは、必死に戦っていた。ダメージを与えても、直ぐに再生を繰り返す邪神に、二人は、疲労を滲ませていた。

「やっぱり、無理だよ」

座り込んで、リュカエルは泣く。

「泣くな。お前が、信じなくてどうするのだ。二人が、勝てるように、祈るのだ。世界の為にも」

ラムーは、泣きじゃくるリュカエルを、叱咤する。リュカエルは、幼い頃から、臆病で泣き虫で気弱だった。ラムーに言われ、それでは駄目だと思ったのか、震えながらも顔を上げた時だった。

 鈍い金属音が、響き渡った。ルシュアの剣が、折れ、その反動で、ルシュアは、要の所まで、吹っ飛ばされた。

「ルシュア―」

クーランが、叫んだ。

「ルシュア?」

震えながら、ルシュアに寄り添い、(うずくま)る妹を気遣う。

「大丈夫」

身体を起こす。衝撃のわりには、ダメージが、それ程でもなかった。もしかして、世界の要が護ってくれたのかもしれないと、思った。

「再生するのと、あの異様な動きを、どうにか出来れば、何とかなるのに」

ルシュアは言うと、折れた剣を棄て、連続して、魔法を撃ち続けた。

「――ああ、駄目。効いていない。最上級魔法ですら、殆ど意味が無い」

全身で呼吸をする。息を吸う度、身体がきしんだ。

「ルシュアは、強いから、負けたりしないよね」

涙目で、問う。

「うん。負けるなんて、嫌」

と、頷く。だけど、正直、そのように、言い切るだけの確証は無かった。自分達が挑んでいるモノの凄まじさを、自身に受けると。

 か弱い兄の為にも、それを振り払うように、頷いたのだった。

「大丈夫。私達は、必ず勝てる」

兄に、ラムーに。そして、自分に言い聞かせる様に呟いた。

 その瞬間、幾つもの光が、邪神に降り注いだ。一瞬、何が、起きたのか、分からなかったが、ルシュアは、自分の想いに何かが応えてくれたのだと、感じた。

降り注いだ光は、邪神の動きを封じ、その再生力までも封じたのだった。何が起きたか、理解出来ないまま、クーランは、チャンスだと、無数に伸ばしていた、触手を切り落としていった。切り落とされた触手は、溶ける様に消えて、その傷口は再生することなく、汚らしい体液を滴り落としていた。

「ほおぅ」

ラムーが、目を丸くする。

「ルシュア、今だ。神代(しんだい)魔法(まほう)を」

ラムーは言った。

「イムヨで、そなたが()った、神々の呪文を。鍵の者である、そなたになら、使いこなせる筈だ」

「でも、神代語は、発音が分からない。現代語に置き換えて、使えるかしら」

少し不安になり、問う。

「ああ。大丈夫。必要なのは、言葉の意味だ」

ラムーは頷く。リュカエルは、やり取りを不安そうに見つめていた。

「――()(れい)の方々よ、どうか、私に、その力を貸して下さい」

邪神を取り囲んでいた、小さな光に向かい、そっと祈り、瞳を閉じた。

 そして、胸の前で、印を結んだ。

「あまねく、(そら)の源よ。たゆたう、生命の(はじ)まりの宙へ。万物なる果ての狭間(はざま) 巡りなき宙の深淵(しんえん)に、閉ざされしモノども、永久に眠らん――」

幾つもの印を結んでは、解き放ちを、繰り返す。その詠唱に、呼応するように、ナーガハイムの祖霊達が、集まって、一つの光となってゆく。リュカエルは、不思議そうに、それを見つめていた。

「―星の古、祈りの詩」

静かに丁寧に、呟いて、ルシュアは瞳を開いた。

「汝に、永久(とわ)なる眠りを、約束せん。星の祈り、眠り詩。紡ぐ夢は、死せる夢―」

力ある言葉、ルシュアは、醜悪な塊となっても、まだ、世界の要を喰おうとしている、邪神を指差した。

「眠りの宙の扉 その向こうへ」

眩い光が、邪神を包み込んだ。残っていた触手が、それから、逃れようと、もがいていた。

 クーランは、剣を掲げて、鮮やかに舞いながら、邪神に剣を振るい、身を翻して、ルシュアの下へ、舞い降りた。

 その瞬間、世界の要の空間が、激しく揺れた。邪神の断末魔なのか、空間のきしみなのか、何ともいえない音が、響きわたり、邪神は、光の中へと消えていった。空間の揺れは、続いていたけれど、光が消えるにしたがって、その揺れは治まった。

「ふぅ」

クーランは、汗を拭うと、剣を納めた。ルシュアは、倒れ込むかのように、座り込んだ。激しく、全身で呼吸する。自分の全魔法力はおろか、生命力まで、消耗してしまった、そんな虚脱感(きょだつかん)だった。リュカエルは、涙を浮かべ、心配そうに見つめるしか、出来なかった。

「―(かえ)ったか」

その光を見つめていた、ラムーは、静かに呟いた。そして、

「よくやってくれた。勇者よ、鍵の者よ」

クーランとルシュアを見つめ言い、世界の要を見上げた。それにつられ、二人も見上げる。

 世界の要に生じていた、歪みが綺麗に消え、今は静かな光を放っていた。

「ありがとう、もう大丈夫」

何処からか、懐かしい声がした。

「私も、支えてくれた、大切なヒトも、そして、その子供達も、ここに共に在り続けてくれる。これからも、ずっと」

その声に、導かれるように、ナーガハイムの祖霊達は、世界の要の下へ、その光の柱の中へと、消えてゆく。

「ああっ」

リュカエルは、自分の中から、光が出てゆくのを感じた。それは、支えの者の魂。光り輝きながら、世界の要と同化していった。

 世界の要は、よりその輝きを増し、不安定だった空間は、静寂と清浄を取り戻した。


「世界の要は、支えの者と、その意思を継いだ魂達により、より強くなったな」

ラムーは、彼方を見つめて呟いた。

「それじゃあ、僕はここに、残らなくていいの?」

不安そうに問う。

「ああ。共に、戻るがよい」

ラムーが答えると、リュカエルは、ホッとした顔になった。

「では、ナーガハイムへ、戻るとするか」

ラムーは、白く輝く翼を広げた。

「アトラ婆様の予言。こんなに深刻な事を指していたなんて、どうせなら、もっと詳しい予言を遺していてくれれば、よかったのに。―、でも、何とかなって、良かった」

ラムーの背に乗り、クーランは、溜息交じりに呟いた。

「あはは。それも、宿命だったのよ。きっと」

と、ルシュア。

「そう、だね。宿命より、運命かも」

と、内心呟いた。

 三人を乗せた、ラムーは、世界の要の空間を飛び立った。

ルシュアは、何度も振り返り、世界の要を見つめた。

――ありがとう、始祖様。

そう呟き、祈りを捧げた。


 それから、幾つもの空間を渡り、その空間を閉じながら、時間の感覚が麻痺するような、空間を越えて、ナーガハイムの支えの祭壇へと、戻って来た。

 遺品庫から、祭壇へと移り、ずっと祈っていた、カールディオと現王は、いきなり現れた、ラムーと三人に、驚き、安堵感からか、気が抜けたように座り込んでしまった。

「ただいま」

リュカエルは、照れ臭そうに言った。

「ああ、よ、良かった、良かった」

我に返り、父王は、涙ながらに、リュカエルを抱きしめた。

「ここの祭壇は、再び閉じるがよい」

ラムーは、ルシュアに、言った。

「ラムー、もう行ってしまうの?」

「ああ。邪神召喚の余波で、眷属が徘徊し、自生の魔物にも異変が起こっている。我は、それを処理しなければ、ならない。そして、空間を整えなければならない」

答えて、翼を広げる。

「何か、あるのなら、何時でも、我の名を呼べ」

言うと、ラムーは、再び光となって、消えていった。

「余波か」

ルシュアとクーランは、顔を見合わせて、呟いた。

「ルシュアも無事で、何より。それに、クーランも」

カールディオは言い、クーランと握手を交わした。

「終わったのだな」

父王が言う。

ルシュアは、頷いた。


 支えの祭壇は、その扉と、遺品庫の扉もろとも、ルシュアによって、再び封印された。遺品庫は、整理されて、王家の祖霊を称える祭壇とした。

邪神召喚で、世界崩壊の危機という話は、封印されて、詳細を知るのは、当事者だけだった。

世界の人々は、それを知る由も無かった。




   第五章 そして、また 


「カラマカラに、戻るの?」

城門の所で、ルシュアは、クーランに問う。

「ああ。アトラ婆様の予言を、見届けたから。私の旅は、終わった。だから、また、剣舞を披露し続けるよ。機会があるなら、一度、来てくれると、嬉しいよ」

答え、クーランは、共に見送りに来ていた、ノーシスと、ルシュアの側近達に、一礼すると、街道へと踏み出した。

 街道を歩いて行く、クーランの後姿は、降り始めた雪に霞んで、消えた。

「はぁ―」

ルシュアは、溜息を吐き、暫く彼方を見つめていた。

 世界の危機が迫っていた事を、知る由もなく、ナーガハイムの民達は、魔族に連れ去られた『ルシュア王女』を救出した、勇者の事だけが、伝えられた。しかし、民達は、本当に連れ去られたのは、リュカエル王子だと知っていた。それを、助けたのが、ルシュア王女だと、皆、話している。


 今年の冬は、雪の多い冬だった。窓の外には、全てが白で包まれた世界が広がっている。ルシュアは、自室の窓辺に座り、日長一日、外を見つめていた。

「旅から、戻られて以来、ルシュア様に、お元気が無いな。それこそ、何かの前触れでは?」

城内で、皆、噂する。

「きっと、お疲れなのじゃよ」

と、ノーシスは答えたものの、胸の内では、複雑であった。

―王家に生まれてしまった以上、仕方の無いこと。と、思うと、自分の事で無いにしろ、溜息が出てしまった。

 城に戻ったリュカエルは、以前に比べ更に、ナルシストになってしまった。そして、自室に、篭っては、鏡に映る自分の姿に語りかけていた。

城は、何事も無かったかのような日常が、戻っていた。平穏な日々というより、静かな日々。ルシュアも、王女らしく静かに過していた。

所詮(しょせん)は、叶わない事。大人しくしていれば、アレコレと詮索されたり、小言を言われたりはしない。王女らしく、振舞(ふるま)ってみようと、ルシュアは自分を、納得させていた。

 時折り、街や街道に、魔物が出たと、いう話を聞くと、自分で討伐に行きたいと思うが、側近達に囲まれて、王女らしく過していると、無理があった。

 側近達、警護騎士や侍女が多く付けられたのは、父王と祖父が、ルシュアの恋心に勘付き、ルシュアを、城に閉じ込めておく為だ。ふと、そんな話を耳にした、ルシュアは、大人しくしていた自分自身にも、父王達にも、腹が立った。

何時も、父上達に心配ばかり掛けていたから、少しは、父上達の望む、王女の形振りをしていたのに……と。ルシュアは、その日を境に、再び、剣を手にし、騎士相手に鍛錬の日々が始まった。剣や槍を振り回し、魔法の鍛錬と、日々励んでいた。

「はぁ。ルシュアに、王女としての、振る舞いを求める事自体が、間違っているのか?」

父王は、深く落ち込んでしまった。


 雪が止んで、厚い雲の間からは、穏やかな陽射しが差し始めた。そんな、ある日。

ルシュアは、父王とカールディオに、呼ばれた。また、何時もの説教かなと、思いながら、渋々出向く。

「――え、婚礼―ですかっ」

説教かと思い、聞いているフリをしていたが、父王からの話で、一瞬、真っ白になってしまい、何だか、気持ちの悪い感情が沸き立っていた。

「先方が、乗り気なんだ」

今までに、見た事のない程の笑顔で、父王は言った。

「シートゥ国の、皇太子だ。なんでも、勇ましい姫が良いとの、こと。風の噂で、お前の事を知り、是非、自分の妃にと、使者を立てて来たのだ。」

父王も祖父も、乳母も皆、笑顔だった。

「お転婆な姫様にも、求婚者がおられるなんて」

乳母は、喜びの余りに、涙を浮かべていた。皆は、満面の笑顔だったが、ルシュアは、邪神と向き合っていた時以上に、最悪な思いだった。

「春になったら、迎えに来られるそうだ。良かったな、ルシュア。剣を振り回していても、構わないと、申してくれるのだからな」

反論しようと思ったけれど、余りにも唐突の事で、ただ呆然とし、放心して固まってしまい、出来なかった。

 ジャハング大陸南の、樹海の国シートゥの皇太子と、ルシュアの婚礼話は、城内だけでなく国中へと広まってしまった。

「良かったね、ルシュア」

ニッコリと笑って、リュカエルは言った。ルシュアは、膨れっ面で、それを無視して、剣と槍を手にして、騎士相手に、憂さ晴らしの様に、打ち込んでいた。旅から帰った、ルシュアの相手が務まる騎士は、殆ど居らず、ルシュアは、不満そうに、ヘッピリ腰で剣を持っているだけの、リュカエルに、矛先をぶつける事も、あった。

―城に閉じ込めておく為だけでなく、その話があったから、側近達を増やし、常に付かせていたのか―

そう思うと、腹立たしくて堪らなかった。

 実践を重ねている、ルシュアに叶う者は居らず、ルシュアは、ナーガハイム城内で、並ぶ者が無い程、強くなってしまっていた。

「シートゥ皇太子殿が、強く勇ましい妃が、良いと言っておられる以上、今以上に、腕に磨きを掛ける事が、道理」

と、女性としての振る舞いを教えようとする、女教師達を振り払い、騎士達相手に、剣を振り回していた。最近では、リュカエルまでも、その件に触れようとせず、ルシュアの機嫌を伺ってから、話をしていた。父王達は、それでも、婚礼が決まった事を嬉しく思い、剣を振り回す事に、何も言わなくなっていた。


 やがて、雪が溶け始め土が見えると、小さな芽が春を告げた。

ルシュアは、不死花が香る庭園に立ち、煌々と輝いている満月を見上げていた。ホーヴォルが、魔物を率いて来たときに、庭園は荒れてしまっていたが、綺麗に直されていた。

アタージャナは、ホーヴォルは、派手な演出がしたかったから、魔物を連れていたのだろうと、言っていた。

今頃は、アタージャナの尻に敷かれているのかな、と思ったりもする。

 クーランと別れてから、二ヶ月近く。城を抜け出そうかと、何度も考え試みようとも思ったけれど、父王や側近達のもと、なかなかチャンスに、巡り会えなかった。そして、その裏に、婚礼話が。でも、力ずくで破って、城を出るわけにも、いかなかったし。

 溜息が零れてしまう。クーランは、自分の事をどの様に思っていたのだろうか、その事を考えると、溜息ばかり出てしまった。

 今も、魔物達は横行している。ラムーが言っていたように、邪神の余波は、残っている。そして、鍵の者としての使命が、まだあるのではと、感じる。

 婚礼の事は、王家の者としての定めだとしても。だけど、鍵の者としての、定めは、まだ終わってはいないんだ、邪神の余波が残っている以上。ルシュアは、密かに旅の準備をしていた。必要な荷物をまとめ、何時でも、城を抜け出せれるようにと。

 婚礼の事で、独り考えたいと、側近の者を、遠ざけさせるように、月夜の庭園に出てきた。婚礼前の王女のナイーブな気持ちを、察し、気を使ったのか、誰も、庭園にはいない。


 ルシュアは、煌々(こうこう)と輝いている満月を見上げて、大きく頷いた。

「ラムー」

満月に向かい、ルシュアは呼びかけた。

 満月の中心、蒼い月明かりが揺らめいたかと、思うと、光が舞い降りるかのように、白き翼の神使ラムーが、現れた。

「呼んだか?」

と、ラムーは、ルシュアの前に降立った。

「ええ。あのね、私、城から出たいの。協力してくれる?」

「ほぅ。そなたも、色々あるようだな。それは、ちょうど良かった。我一人では、邪神の残党どもを、片付け廻るのは、少しばかり難儀(なんぎ)していたのだ。どの道、そなたも、そのつもりであろう?」

テレパシーで語りかけ、ラムーは、クスッと笑った。

「そうよ。このまま、王家の者として、過すよりも、鍵の者として生きていくほうが、いい。相変わらず、魔物の話は後を絶たないしね」

色々あるの、と苦笑いで言った。

「確かにな。そなたは、その道を往くのが良かろう。―では、決まりだな」

答え、ラムーは翼を広げ、ルシュアは、その背に乗った。

「それでは、参ろう」

月明かりに、ラムーの白き翼が輝いていた。ラムーは、静かに庭園から、飛び立った。

「ルシュア様――」

ラムーの姿に気付いた、ノーシスは、城の外回廊から、驚きの声を上げた。

「御免なさい。私、また、旅に出るから。部屋に、父上宛の手紙を置いてあるから、また、渡しておいて」

バレちゃったという笑みを浮かべて、ルシュアは、ノーシスに叫んで、ラムーの背から、手を振った。ノーシスは、大きな溜息を吐くと、首を振ると、少しだけ笑っていた。

「やはり、ルシュア様はこうでないと。それに、まだ、使命は続いているのであろう」

と、小さく呟いたのだった。

ラムーは、そのまま、ナーガハイム城の上空を旋回して、夜空へと消えていった。

「よかったのか?」

ふふふと、笑い、ラムーが言った。

「ええ。いいの。そうだ、ラムー、一つ頼みたい事があるのだけど」

「なんだ?」

「この書簡を、シートゥ皇太子に、届けて欲しいの」

ルシュアは、荷物の中から、自分の印を付けた書簡を取り出した。

「わかった。それでは、クーランの下に送ればよいな。では、そなたを降ろし、シートゥに向おう」

ラムーは答えると、降下した。

 降立ったのは、オアシス都市カラマカラの外れ。

「また、何かあれば呼ぶとよい」

そう言い残して、ラムーは光の中に消えた。


 オアシス都市は、賑わっていた。ルシュアは、以前、クーランに聞いていた、店へと向った。クーランの店は、どこの店よりも、賑わっていた。ルシュアは、少し緊張しながら、店へと入った。もちろん、顔はフードとベールで隠している。

 異国の曲と共に、舞台の上では、クーランが華麗(かれい)な衣装を(まと)い、軽やかに繊細に剣舞を舞っていた。何度か、クーランの舞を見たけれど、舞台と音楽が整った舞を見るのは、初めてだった。

―やっぱり、私よりも、色っぽいや。

ルシュアは、そう思いながらも、幽かな愛しさを感じていた。

―クーランは、如何するのだろう。また、一緒に旅が出来るのかな。

ルシュアは考えながら、客席の一番後ろで、じっと見つめていた。

 やがて、舞台は終わる。最後だったらしく、客達は名残惜しそうにし、互いに談笑しながら、店を出ていった。


 クーランに逢いたい。声を掛けるタイミングを考えていると、胸が高鳴っていた。こんな事は、初めてだった。

「あら、ルシュア」

立ち尽くしていた、ルシュアに、クーランの方から、声を掛けてきた。ドッキとして、ルシュアは顔を上げた。舞台の上に立っている、クーランが手を振っていた。

「見に来てくれたんだ」

クーランは、ヒラリと舞台を降りると、ルシュアに駆け寄った。

「一人出来たの? お忍び?」

と、問う。汗で、濃いメイクが少し崩れているけれど、メイクをしているクーランは、その辺りの女性より、綺麗だった。

「違うよ。出奔してきたの」

と、答える。

「また、如何して?」

テーブル席へと、ルシュアを連れながら問う。

「会った事も無い、本名も知らない、シートゥ皇太子が、求婚してきた。シートゥっていったら、あの蒸し暑くて堪らない土地だし」

ボソッと答える。

「いい話じゃない。と、言ったら、怒る?」

悪戯っぽく笑って言う。

「うん。だから、出奔してきたの。それにまだ、やるべき事が残っているし」

「邪神の余波?」

真顔になり、問う。

「ええ。邪神の余波によって、眷属(けんぞく)がまだ(うごめ)き、自生の魔物も凶悪化しているのならば、その余波を沈め、眷属を倒し、魔物を沈めないといけない。それも、使命かもしれないと。それに、今も各地で、魔物の話が出ているしね」

と、ルシュア。すると、クーランは、ルシュアの手をとって

「気が合うね。私も、同じ事を考えていたんだ。まだ、終わっていないと」

クーランは、頷いていた。


「はぁーあ。クーランが、いないと、商売上がったりなんだけど、なぁ」

店の奥から、ド派手な衣装とメイクの中年女性が、わざとらしい溜息を吐きながら、出て来て言った。

「仕方ないよ、母さん。これは、私の宿命なのだから。また、行くからね」

クーランの答えに、大きく息を吐いて、

「もぅ。好きにおし。はーあ、貴女も物好きねぇ。オカマちゃんが、相手だと、大変でしょう?」

と、ルシュアに言って、あはははと、笑うと、

「それじゃあね。くれぐれも、無謀な事をするんじゃないよ」

と、言って、また奥へと戻って行った。

「気にしないでね」

苦笑いで、クーランが言ったので、ルシュアは頷いた。

「うん。それじゃあ、夜が明けたら、旅立つとしますか?」

「準備はいいの?」

「バッチリよ」

と、ウインク。

「それじゃあ、明日の朝ね」

ルシュアは、言って、クーランと同時に頷いた。


 ――父上・お爺様。私は旅に出ます。世界の要を護ったとはいえ、打ち倒した邪神の余波は、今尚、残っています。その影響で、自生の魔物達は、凶悪化しています。それに、邪神の眷属が地上にまだ、残っている。それらを打ち倒し、余波を浄化し、全てを清浄に戻すまで、私・鍵の者としての使命は、終わらないのだと思います。それは、天命であり、宿命なのです。私は、王家の使命より、そちらを選びます。 どうか、シートゥ皇太子にお伝え下さい。私を妃としたいのであれば、私より強くなくてはならない事を。そして、私が魔物退治の旅に出ている事を。それでは、行って参ります――

ルシュアの置手紙を呼んだ、父王は、大きく深い溜息を何度も吐き、頭を振って抱え込んだ。

「やはり、神々が与えた宿命には、逆らえぬのか。はあ。―誰ぞ、シートゥに使いを―ルシュアの事を伝えてくれ」

と、側近の者に言い、また溜息を吐いた。


 オアシス都市に、春を告げる風が吹いていた。舞い上がる砂は、遥かな空へと消えてゆく。

「何か、当てはあるのか?」

ラムーは、自分の背に乗った、二人に問う。

「クーランは、何か知っているの?」

「いや、ただ、旧世界の遺跡を中心に、出没しているという、噂は耳にしたけれど」

「成る程、ラムーは?」

と、ルシュア。

「クーランの言うとおりだ。我の知るだけでは、な。他にも、起こっているかもしれんし」

「ふーん。それじゃあ、あの時の村に行ってみない? 如何なっているか心配だし」

ルシュアは、あの時の事を思い出すと、今でも悲しくなってしまっていた。

「そうだね」

「そういえば、ビーク山脈には、旧世界の遺跡があったな。きっと、関係しているのかもしれん。では、そこへ向えばよいのだな」

ラムーは言い、翼を広げた。

「はい」

二人は、力強く答えた。その答えに頷くと、ラムーは天空へと飛び立った。

   

終章 


 こうして、また一つ、伝説となる物語が誕生いたしました。ナーガハイムにて、その物語を書き綴り、新しい伝説として残しましょう。

 でも、ルシュアとクーランの旅は、新たに始まったばかり。邪神の余波を浄化していく旅が伝説となり、吟遊詩人達が語る、英雄伝承となるのは、まだ先の時代の事でしょう。




                                     終


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ