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アマネセル紀行録  作者: 氷室零
第一章 事の起こり
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村長宅への呼び出し

「ただいま」


 フィルは、声をかけて粗末な戸をくぐった。すると、中から「お帰りなさい」という柔らかな声がして、一人の女性が座っていた椅子から立ち上がった。

 この女性が、フィルの母親のアリーシャだった。栗色の髪をうなじでひとつにまとめ束ねている。

 彼女のほかには、狭い室内には誰もいない。


 フィルは、全部で二間だけの小さな家で、母と二人暮らしをしていた。

 父親の顔は、覚えていない。

 なんでも、一時期母は村を飛び出していたらしい。そのとき、旅人だったフィルの父親と出会って、恋をしたとか。彼が生まれるまでは一緒にいたが、生まれてからは母のみが村に戻り、父はまたどこかへ旅立っていったらしい。


 生まれたてほやほやの赤ん坊を抱えて、母が村に戻ったときには、村中けっこうな騒ぎになったらしい。

……まあ、それが当然の反応だろうとはフィル自身も聞かされたときに思ったことだったが。


「はい、これ」

「まあ、ありがとう! 今日のお夕飯、張り切っちゃおうかしら」


 背嚢ごと今日の獲物をわたすと、アリーシャの顔がぱあっと明るくなった。その中身を見て、さらににっこり笑った彼女はさっそく腕まくりをはじめ、フィルはくすりと笑ってその後ろ姿を見送る。


 息子の彼から見ても、何だかんだいって十五の子供がいる母親には見えない若さ(というより幼さ)が残っている母親であった。ちょっとした仕草やら言葉やら、いかにも『永遠の少女です!』とでも言いそうな雰囲気なのだ。

 実際のところ、見た目もかなり若くてそんな言動をしていてもまったく違和感がないので、ほかの村の女性から軽く嫉妬されたりしているらしい。が、当のご本人はまったく気づいていない様子なので、よしとしておこう。


 外の井戸へ向かおうとしていたアリーシャが、急に振り返った。


「そうだ、フィル。あなたが留守の間に、レオンが来てくれたのよ」


 マントを脱いで、壁にひっかけていたフィルは、その言葉におどろいて顔を向けた。


「レオンが? なんで?」


 レオンは、フィルの幼なじみで、歳も同じ。小さい頃から泥だらけになって一緒に遊んだ仲だが、レオンの方がフィルより先に成人、つまり十五歳になって、村の手伝いに駆り出されてしまった。最近はほとんど顔も見ていない。


「どうしてかは聞いていないけれど、帰ってきたらノルンの家へ行くように伝えてくれ、って頼まれたわ」

「村長の? わかった、じゃ今から行ってくる」


 ジーク村の村長、ノルンの家は、フィルの家からすぐ近くにある。

 フィルは、マントに続いて背嚢と弓矢を片付け、短剣だけを持って外に出た。


「お夕飯までには帰ってくるのよ~」

 

 アリーシャの言葉にうなずき、村長の家へ向かって歩き始める。

 歩きながら、理由はなにかしらと考えた。


「呼び出されるって、僕何かやらかしたかな? 昔はよくいたずらして叱られたけど、今はそんなわけないし。でも心当たりはないし」

 

 昔ならば、山ほど心当たりがあったフィルである。


「あ、もしかして」


 ひとつ、思いついたことがあった。

 この村、十五になるのを待って大人から子供にあることを話す、という風習があるらしいのだ。あることが何なのか、というのは彼自身もよく知らない。たくさんの話を聞いたけれど、その最後の締めくくりという感じだろう、とだけ知っている。

 フィルも十五になったのに、まだそれらしい話は一向になかった。もしかすると、いや、きっとそれだ。


 そこまで考えたタイミングで、もう目指している家に着いていた。

 村長の家といっても、村にある他の家とどこも変わらない。ただその家の住人が村の中で年長で、村のまとめ役をやっているというだけ。

 他の村がどうしているのかなんて知らないし、興味もない。


 フィルは戸の前に立ち、服の乱れがないか一応体をだいたい見回してから、ノックした。


「村長、いますか?」


 声をかけたが、返事がない。もう少し声を大きくして再び呼ぶが、やっぱり返事がない。


「まさか、倒れちゃいないでしょうね……。入るよ!」


 ないとは思ったが、現在の村長は、すでにけっこうな高齢である。万が一があったら目も当てられない。


 急いで戸を開けて、フィルは家に入った。

 まだ日が高い時間帯で、普通なら室内には窓から光が差し込んでいるはずだ。なのに、窓は布きれでおおわれ、家の中はかなり薄暗かった。粗末なテーブルと椅子がいくつか置かれている他には、誰もいない。


「留守だった?」


 首をかしげたとき。


「騒々しいよ、フィル。誰が倒れてるって?」


 部屋につながっている奥の扉が勢いよく開いて、一人の老婆が現れた。


「いたんだ……。まったく、いるならいるって言ってくださいよ、心臓に悪い」

「オムツ取れたばっかりの若造が何言ってんだい。そういうことは、もっと年くってから言うもんだよ」


 苦笑しながら言ったフィルに、老婆、ジーク村の村長ノルンが、鼻息も荒く言い返した。


 腰がだいぶ曲がり、どこへ行くにも杖をついている小さな老婆。しわくちゃの顔に浮かぶのは鋭い眼光。『目が黒いうちは』という言葉を引っ張ってくるなら、この人の場合あと百年くらいありそうだ。

 茶飲み話をしながらまったり世間話でも、というよくあるご老人の雰囲気なんぞひとかけらもない。

 見た目通り怒らせるとかなり怖いが、実は小さい子供には甘いという一面もある。子育てから村のことまで何でもござれ、頼りになる人物として村中から信頼されている人物が、彼女だった。


「あんたは、歳のくせに言うことが年寄りじみてるからねえ、もう少し話すときは……」

「はいはい、それでノルン。僕を呼んだのは、どうしてなんです?」

「はい、は一回!」


 鋭い声に、内心うへぇ、と首をすくめる。

 そんなフィルを軽くにらみながら、ノルンがぶっきらぼうに手前の椅子を示した。


「まあ、ちょいとそこに座りな」

「……それじゃ」


 フィルは、テーブルの手前にあった椅子に、ゆっくりと腰かけた。椅子の足がぐらついて危なっかしかったが、壊れることなく役目を果たしている。

 ほっと安心してそのまま待っていると、流しの方にひっこんでいたノルンが、しばらくしてから戻ってきた。その両手には、ふちが少し欠けたカップが五つ。


「ほれ」

「ありがとう。……ほかにも誰か来るの?」

「まあ、そうさね。それでも飲んで待ってな」


 礼を言ってカップを受け取り、フィルは一口飲んだ。

 とたん、さっぱりとした熱い液体が喉をすべり落ちていった。


 この液体の正体は、村を囲む森の、とある木からとれる葉を使ったお茶で、色は例えるなら若芽。香りはそこまでないが、一息つくにはちょうどいい。

 一度に採れる量は限られるが、森に行けば手軽に手に入るので、この村ではちょっとしたときによく飲まれている。


 しかし、このお茶手軽な分いれるのが難しいようで。人によっては、粉っぽかったり味が濃すぎたりする。それをノルンがいれると、不思議なことに、雑味苦味その他もろもろ余計なものがきれいさっぱりなくなって、甘みがぎゅっと出てくる。


 この人、なんでこんなにお茶をいれるのが上手いんだろう、と思いつつ、もう一口続けて飲んでしまうフィルだった。


「お邪魔しまーす」


 と、そこで勢いよく戸が開き、複数の人影が家に入ってきた。


「待ってたよ、あんたたち。遅かったね」

「悪い、ノルン。ヘレナはすぐ見つかったんだが、エリザの野郎を探すのに手間取っちまった。こいつ、仕事あるってのに裏山近くまで行きやがって」


 こげ茶のツンツンした髪を短く切り、粗末なシャツを身に着けた少年が、真っ先に敷居をまたいで入ってきた。謝るやいなや、後からついて入ってきた、明るい金髪をバッサリ肩で切りそろえた少女を指さして、口をとがらせる。


「あたしがなによ? あたしだって、ちゃんとすることはやってるわ」

「だったらなんで持ち場の正反対にいたんだよ、お前は」

「時間が余っちゃったんだもの、それくらいいいでしょ?」

「それだから周りが迷惑してんじゃねーか!?」

「なんですって!?」

「ケンカするんじゃないよ、四人そろうとほんとに騒々しいね、あんたたちは」


 入ってくるなりにらみ合いを始めた少年と少女に、ノルンがあきれ顔で椅子をすすめた。


「君たちだったの」


 フィルの言葉に、一人下がって見ていた、黒髪を背中までのばした少女が少し微笑んだ。

 レオン、エリザ、ヘレナ。フィルも入れて、今年十五になった子供たちだ。まだほかにも数人いるのだけれど、ここにいる四人の中ではフィルが一番遅生まれだ。

 どうやらノルンは、フィルが十五になるのを待って、現時点で成人した子供を集め、まとめて話をすることにしたらしかった。


「それじゃあ、呼んでいたのは全員そろったし、落ち着いたら始めるとしようかね」


 さてさて、どんな話が聞けるのやら。

 

 フィルは内心でワクワクしながら、お茶の入ったカップをかかえこんで始まりを待った。




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