水の契約
目の前のそれを、表現するとしたら。
――美しい。
その言葉がしっくりくる。
四人の目の前には、一人の女性が立っていた。
造作は一見、人とほとんど変わらない。長く伸ばした髪をうなじのあたりでくくった、少し背の高い女性だ。その雰囲気はすごく硬質で、ぞっとするほど人間離れした美人。
いや、人間離れもなにも、人間じゃないということはすぐわかった。
その耳が鋭くとがっている。髪は深い水底をのぞきこんだような紺碧。そして何より、目つきが違った。なんと言うか、人間よりも若干目尻がつりあがっている気がするのだ。身にまとっているのも見慣れない服で、あれは前合わせしてあるんだろうか? それを帯で留めているらしい。
全部が全部、異質なものであるという直感。
これが、精霊……。
初めて見る精霊というものに四人ともどう接していいのかわからず、しばらく沈黙がただよう。
こういう時は、なんて始めたらいいのやら。
「……緊張しているのですか」
と思っていたら、向こうから声をかけられた。
「……わかるの?」
「ええ。魔力が少し揺れていたので」
「他人の魔力の流れまでわかるのか?」
「では逆にお尋ねしますが、人間はわからないのですか?」
レオンの言葉に、彼女は真顔で聞き返してきた。そうきたか。
「普通は無理だわな。他人の魔力の大きさまではなんとなくわかっても、その流れまで感知できるなんてそれこそ人間業じゃねえや。俺たちだって、感知能力高い二人でも……」
「できませんわ」
「僕もそれは無理」
レオンが返答しつつちらりとフィル、ヘレナの方に視線を向けてきた。二人とも即座に首を振る。
レオンが言った通り、そこまでできたらもう人間を越えている。
そこまで感じ取れるのは精霊だからこそだろう。
「そうなのですね。勉強になりました」
彼女はつぶやき、ふわりと微笑んだ。
きれいな笑顔だ。まるで、薄氷に張り付けたような。
「……申し遅れました。わたくし、ルイスと申します。『水』の代表を仰せつかりました。あなた方は?」
急にたずねられて、四人とも慌てた。
「お、俺はレオン」
「エリザですっ!」
「ヘレナですわ」
「……フィル、です」
エリザ、声がひっくり返ってるよ。レオンもレオンで、上がってるらしい。ヘレナは声のトーンがちっとも変わらず、緊張しているのかわからなかった。かく言う僕は……どうなんだろう。
少しばかり間が開いたフィルの方へ、ルイスと名乗った精霊は視線をしばらく向けてきたが、しばらくしてふっと視線を戻した。
「なるほど。それで、わたくしと契約なさる方は、どなたなのですか?」
「……あんた、水の精霊なんだよな。なら、俺だ」
レオンが確認するように言って、一歩前に踏み出した。
こうして少し離れた所からみると、レオンとルイスはほとんど背丈が変わらない。
真っ向からレオンと向かい合ったルイスが、口元をゆるめた。
「……いい面構えをしている。わたくしとしても、契約のし甲斐がありそうです」
「そいつぁどうも」
「では、さっそく参りましょうか」
そう言って、ルイスがレオンを見てから……首をかしげた。
レオンの方は、褒められてまんざらでもない顔をしていたが、いきなりルイスが目の前で右手をさし伸ばしてきたのを見てきょとんとしている。
ルイスの目が、わずかに丸くなった。
「まさか、何をするのか知らないと?」
「……あー、そのまさかなんだよな。俺たち、具体的に何をしろって言われてなくってさ」
「そうですか。では、わたくしの方からお伝えします。こちらに」
「あ、ああ……」
ルイスがほとんど表情を変えずにレオンを手招きし、レオンが少し目を瞬かせながらうなずいた。
あいつ、相手は目もくらみそうな美人なのに、見ほれるどころか雰囲気に気圧されてる。いや若干引いてるな。レオンにしては珍しい。
はいそこ、「まだ十五歳のガキンチョだろ!」とか言わない。男子だって面食いの節はある。特にレオンときたら……いや、やめておこう。説明する方が疲れそうだ。ていうか絶対疲れる。
でもまあ、なんとなくだがフィルにもわかる気がした。
ルイスのまとった雰囲気は何と言うか、手を出すと火傷じゃ済まなそうな感じがする。どことなく近寄りがたいというか、気難しそうだ。
もっとも、水の精霊なら火傷じゃなく水難の可能性が高そうだけど。
「キュ、キュウ」
「あれ? 君……」
ズボンの裾を引っぱられる感触がして、下を見るとカーバンクルがまたまた裾をくわえていた。
「……どうしたの?」
「キュー、キュー」
「……かまってくれって? わかったよ」
とは言ったものの、見た目キツネっぽいとはいえ正確にはどんな動物に当てはまるのかわからないので、フィルは迷ったあげく、とりあえず耳の後ろをかいてやった。幸いちょうどいいところだったようで、すぐに「キュゥ~……」と甘え声を出してコテンとひっくり返った。
「しょうがない奴だなあ。背中汚れちゃうから、っと」
苦笑しながら地面に腰を下ろし、膝に抱え上げてやるとペロ、と手をなめられた。完全に脱力しきっている。なんで自分なんぞのところに来たんだろうか。さっきも、四人そろった時迷わず自分のところに来たし。女子の方がたくさん構ってくれそうなものなのに。謎だ。
あ、さてはこいつ、さっきいじられまくったので懲りたな。それならそれで、こっちでゆっくりと堪能させていただこう。
――ああ、女子の視線が痛い。
と、言っている間に始まりそうだ。
レオンとルイスは、一番大きな池のふちに立っていた。
「さあ」
ルイスが手をさしだし、レオンは一度手を引っ込めかけたが、結局がっしりとその手を握る。
そのまま、二人は池へ向かって歩き出した。
「え……!?」
女子の方から、抑えた声が上がる。
だが、二人の姿は水の底に沈むことはなかった。
二人は、水の上を歩いていたのだ。
「えええ……?」
魔法って、何でもありか。
契約の魔法がはたらきだしているのか、それともルイスがいるからか、はたまたこの場所の力なのかはわからないけど、何とも大層な魔法だ。
二人はそのまま歩いていき、池のちょうど真ん中あたりで立ち止まった。
そして、つないでいる手は離さずに、向かい合うともう一方の手を正面にかざす。
不意に、風が、揺れた。
『我はここに呼びかける。我、水に選ばれしもの、霊脈にて精霊を呼ぶ』
『その呼びかけに応えん。我、水をつかさどるもの。汝と契約を結ぶものなり』
その言葉につられたのか。
急に、尻の下がぐらぐら揺れだし、フィルはぎょっとして腰を浮かせた。
「え……!? な、何!?」
「ちょ、ちょっと……!」
エリザが叫んだ。
「水が……!!」
引っぱられた水が水面を飛び出した。そのまま、まるでいきものみたいにはねまわりだす。
大波があちらこちらに打ちつけられ、しぶきが池から遠く離れたこっちにまで雨みたく降りそそぐ。
「やばっ!」
フィルは、カーバンクルを抱えて全力で陸の奥へ向かって走った。すぐに後を追いかけるように大量の水が落ちてきた。
あと少し遅かったら全身ずぶ濡れだった。
その間にも、二人の契約は進んでいく。二人のいるところは、まったく水が落ちてくる気配はない。
『誓いをここに』
「あー……えっと…………なんだっけ?」
「『古の魔法のもとに』ですよ!」
「ああそっか! 悪い!」
レオンが文句を忘れたらしく、真顔でルイスにたずねて呆れた顔で訂正されている。
そりゃ間違うわ。あんな小難しい文句。
『古の魔法のもとに、我ら二人、四天を仰ぐ』
『世界の守護者たる先人よ、過去から現在へ時をうつし、抑止の力を我らに』
その言葉が空気を震わせた直後。
本当に、一瞬だけだったけど。
時が、止まった。
あんなに、桶をひっくり返したみたいな勢いで降りそそいでいた水が、見えない口に呑み込まれたみたいに勢いを殺してじっと時が過ぎるのを待っている。
この場合、いきつく胃袋はどこなんだろう。
その答えは。
二人の元へ、水が逆流していく。今度こそ間違いなくびしょぬれだった。
なのに。
結局目をぎゅっと閉じてそれが過ぎ去るのを待ち、目を開けてそちらを見ると、二人ともびしょぬれで息を荒くしているどころか、普通にぴんぴんしていた。
「……なんかもうわけがわからない……」
超常? 魔法?
なんかもうどうでもよくなってきた。
とりあえず、目の前のことは確かにおかしい。うん。
――完全に、思考マヒ状態だった。
「おーい! 終わったぞー!」
「あ、待ちなさい!」
レオンが満面の笑みでぶんぶんと両手を振っている。ルイスがあわてて止めようとしているが、なんでだろう?
「レオン、バカッ!」
「なにしてますの!?」
「へ?」
エリザとヘレナの叫び声に何を感じたのか、レオンがきょとんとして首をかしげた数秒後。
ずぼっと、何とも間の抜けた音をたてて、レオンの姿が消えた。
あ、そりゃそうか。
「だから言ったではありませんか! 水上にいるのですから、その間はわたくしの手を放さないように、と! 何を考えていたんです!?」
「わ、悪い……なんも考えてなかった」
「考えてください!!」
ゲホゲホとむせこむレオンに、ルイスが呆れ顔で一喝している。
水の上なんだから、そりゃあ手を離したら落ちる。当たり前。どんだけ思考が止まってたんだ、僕。
でも、おぼれかけたくせにレオンの奴はまんざらでもなさそうな顔だ。
やれやれ、ここは変わんないわけか。
「キュウ~!!」
「!?」
突然、抱えたままだったカーバンクルがかん高い鳴き声を上げたので、フィルは驚いて腕の中を見た。すると、カーバンクルはいきなりフィルの腕の中から空中へ踊りだすと、その場で一回転して……。
消えてしまった。
「あれ、どこ行ったの!?」
「それなら、ご心配には及びませんよ」
ルイスが、ずぶ濡れになったレオンを引っ張って岸へ戻ってきた。
「あれは、ここでの契約がなされたことを知っているのです。次の契約場所へ行けば、また会えるでしょう」
「そう、なんですか」
ルイスがそう言うなら、そうなんだろう。
女子たちの顔がすごく残念そうな表情だったけど、こればっかりは仕方ない。次会えるというのだから、それを楽しみにしてもらうしかない。
「わたくしたちも、あちら側へ行きましょう。少々こちら側に長くいすぎました」
「でも、どうやって戻るのですか?」
「わたくしがお送りします」
ヘレナの質問に、ルイスが薄い笑みを浮かべ、両手をかざした。
その手に、青白い光がぼんやりとともった、と思ったら、視界が一気に暗くなった。
あっという間の出来事だった。




