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アマネセル紀行録  作者: 氷室零
第二章 霧の海
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進み惑う


「……ここか」


 館を出発してから歩き続けらること数時間。

 四人の前には、細い谷の入り口が現れていた。


 途中で軽装の騎士に出くわし、追い返されかけるも領主から許可を得て谷の調査をしに行くと答え、通り過ぎた。

 そして、そのまま進むと確かにあたりの霧が濃くなってきたのだが、迷うほどではなく、拍子抜けするほどあっさりと谷の入り口を見つけることができたのである。

 ちなみに、今来た方向を振り返って後ろを見ると、白い煙のような霧がひどく立ち込めていて、来た道どころか後ろの風景すらさっぱり見えなかった。帰り道のほうが心配だな、これは。


「……ほかの人は、谷に入るための道も全然見つからないって言ってたよね」


 エリザが目を細めてつぶやいた。

 レオンがうなずく。


「ああ。なのに、俺たちは何の問題もなくたどり着けた。これ、ありえるだろ」

「ありえますわ」


 ヘレナも否定しない。

 フィルだって、肯定するしか選択肢を持っていない。


 自分たちだけがすんなりと入れた。これは、魔法で選別されたということが十分に考えられる。

 フィルたち四人は、一応魔法が使えるだけでなく、均衡の魔法の契約者に選ばれている。もしここが本当に目的地の一つなら、契約者だけを通して他を排除する、というような魔法機構が働いていてもおかしくない。

 ギルバートやレイン、アイザックたちは、魔法が使えるといった気配はなかったから、その時点でシャットアウトされたのだろう。


「それじゃ、いっちょ乗り込むとするか」

「おお!」


 四人は意気揚々と、流れる細い川に沿って、谷に入っていった。



 

 谷の中はひんやりとした冷気が足元にたゆたっていて、妙に肌寒かった。


「さむ……っ」


 思わず腕をさすりながらつぶやくと、口からこぼれた吐息が白く染まる。

 谷の中、かなり気温が低いな。これ、秋とか冬くらいのレベルで考えてもいいんじゃないか。

 移動中暑くて汗をかいたせいで、今急激に体温をもっていかれているのがつらい。


「早く抜けてしまおう」


 フィルの言葉に、誰からも返事が返ってこない。


「え?」


 気が付くと、フィルはたった一人で、霧の中に立っていた。


「はぁ? ……嘘だろ」


 狂ったようにあたりを見回して、思わず、フィルの口から情けない声が飛び出した。

 ついさっきまで、全員一緒にいたのに。自分のすぐ横に、手の届くくらいの距離で移動していたんだから、いなくなったらすぐにわかったはずだった。

 それなのに。

 いついなくなったのか、さっぱりわからなかった。

 ためしに、腕を軽く振ってみる。接触反応なし。

 次に、大きくブンブンと振り回してみた。やはり、手に温かい生物がさわる感触はない。

 最後に。これはできれば試したくなかったんだけど……。

 思いっきり、頬を叩いてみた。

 ぺシッ


「あたっ!?」


 ……間違いない。現実だ。

 フィル以外の三人が、どこかに消えている。いや、どこかに転送されたというのが確実な言い方だろう。

 谷に入って、霧の中を進みだすまでは特に異常はなかった。だとしたら、多分転送先は谷の中、霧が流れている範囲全体のどこかだ。

 さすがに、すんなり奥の湖まで通してくれる、とかいう虫のいい話じゃなかったか。


 ほかの三人を探した方がいいか、それとも先に進む方がいいか。

 突然のことで、少しだけパニックになりかけたが、フィルは結局先に進むことに決めた。

 四人の目的地は、谷に入った時からはっきりしている。湖が、今のところの最終目的地だ。なら、そこを目指してすすめば、きっと目的地でおちあえる。

 フィルはそう信じて、とりあえず前だけみて進むことにした。


 そして、いざ進もうとしたところで、はたと立ち止まる。


「これ、どっちを向いて行ったら奥に進めるんだ……?」


 周りを見渡しても、見えるのは、霧、霧、霧、霧ばかり。

 四人で並んで歩けば必ず端の人間の肘がすれそうなほどに細い谷だった。フィルを圧し潰そうと迫ってくる、そこにあるはずのそそり立つ壁も、つまずいて転びそうな石ころだらけの足元も、何も見えない。

 視界が、吹雪に巻かれたように真っ白だった。


「……落ち着け」


 こういうときは、下手に焦ると必ず失敗する。焦って矢を射たって、それでいい結果が出たためしなんて一度もない。

 フィルは、大きく深呼吸して、一度目を閉じた。

 ……霧が視界一面を覆っているせいで、判断が鈍っているかもしれない。やってみる価値はある。時間はたっぷりあるんだから……。


 視覚以外の感覚に全身を委ねてから少しして、一つのことに気が付いた。


 魔力の流れができている。


 谷底に沿って水が流れているように、足元を低く流れているものがあるのだ。どこかで冷やされて今もフィルの足を凍らせかけている空気に、わずかだけど魔力(マナ)が感じられた。

 空気の流れに、魔力が混じっているらしい。なら、その先を手繰れば……。


(……どこから……?)


 目を閉じたまま、地面に手を当て、全身を感覚にして、温度の変化と足にぶつかる魔力の粒を手探りで追いかけた。

 どうも、その空気の流れは、フィルの九時方向からやってきているようだった。


「……行ってみよう」


 フィルは目を開け、恐る恐る左側に体を向けた。目の前も、相変わらず真っ白だ。

 足を踏み出そうとして、ふと思いつき、自分の髪の毛を一本引っこ抜いた。それを、手探りで拾った小石に巻き付け、地面に落としておく。

 とりあえず、これで自分が一度ここにいたということはわかる。

 そうしてから、フィルは改めて足を進行方向にむけて踏み出した。


 幸いなことに、最悪の想像――進みだして十歩も行かないうちに切り立った崖と頭から正面衝突する、という、普通ならバカバカしすぎる事態にはならなかった。

 目の前が見えない状況で、右手に鞘ごと握った剣を体の前に突き出し杖替わりにして、進んでいく。今のところ何の問題もなく進めているから、さっきの判断に間違いはなかったのだろう。

 だが、困ったことが一つできた。

 周りの景色がわからない状況では、時間の感覚が狂う。どれだけの間歩いたのか、体の感覚で計ることはできそうもなかった。


「……歩き出して、何分たったかな……」


 ゆっくりと歩きながら、フィルはついつぶやいてしまう。

 自分の声が、壁に当たって反響することもなく、そのまま霧にとけるように消えてしまうのは、正直に言って心細かった。かわりに耳にぶつかってきた自分の声がひどく細かったのが、余計に内心のもやもやをあおってくれる。

 普通ならこの程度で怖がることもないのだけど、あいにくと今はいろいろと普通じゃなさすぎる。はっきり言って異常事態なこの状況で、平常心を保つことの方が難しい。というか、無理だった。


 そろそろ何か見えてきてくれてもいい頃なのに、と愚痴りそうになったときだった。


 前方に、ぽつりと、何かが見えた。


「よかった……!」


 思わず叫んでしまってから、自分がひどく不安を抱えていたのだと気付き、はは、と敢えて大きな声でそれらを吹っ飛ばすように笑った。


 まあいい。

 とにかく駆け寄ろうとして、フィルはそこで固まった。

 ……みんなじゃない。

 なんか明らかに数が多いし、それになんだかいろいろ変形しているような……? というか、あの輪郭、人間じゃないと思うんだけど……?


 それらをさけるように、白い霧のベールがパックリと割れた。

 そこから現れたものを見て、フィルは、自分の顔がひどく引きつったのを自覚する。


「……え、ええ……」


 詳しく説明しよう。

 見た目、軟体の動物、いや、動物のような何か。

 なめらかな表面が、やけにぷるぷると震えている。例えるなら、ゼリーみたいなもの。

 中身は半透明。そこには、管のようなものがとぐろを巻いているのがはっきりと見える。 

 

 俗に言う、スライムという魔物である。


 フィルは、スライムに遭遇するのはもちろん初めてだった。ぶっちゃけ魔物自体初めてだ。

 そのせいか。


「……なんか、これちょっとかわいいかも?」


 常識人からしたらびっくり発言が、このときフィルの口から飛び出した。

 そのスライムは、掌に乗りそうなほどに小さかった。

 見た目少し、というかけっこうアレだけど、ぷにぷにしてそうだし、意外と人になついたりするのかな。そう思ったのである。


 剣を腰に戻し、そろそろと近づいていったフィルの足元が、不意に掻き消えた。


「え?」


 慌てて目を凝らし、よくよく観察すると、まさに足を下ろそうとした地面が、そこだけ小石がごっそりとなくなっていた。というか、石ころが半分途中から消えてなくなっているものもあるから、多分溶けている。色が灰色から黒っぽい色に変わっていたので、それはすぐにわかった。


(溶けてるって……こいつ、こんなに小さいのに……?)


 いかに小さなスライムとはいっても、魔物には違いない。

 あと数瞬早かったら、足が溶けてなくなっていた。


 そのことに背筋がぞっとしたフィルの足元に、ビュッという音がして、何かの粘液が飛んでくる。とっさに足を後ろに下げると、つい今まで足をつけていた地面が、ごっそりと下の黒土をあらわにしていた。


「ちょっ……!」


 とっさに、剣を抜き放って斬っていた。

 見た目に惑わされるのはよくないっていうことが、よくわかったよ……。

 一匹だけでよかったかも。


 はあ、とため息をついたフィルだったが、さて先に進もうとして、視線を上げたところで、ぴきり、と固まった。

 目の前の視界一面に、先ほどと同じような塊がどんどん湧いて出てきている。しかも、なにやら奥の方では塊同士がぶつかって、互いを呑み込みあっているように見える。それはどんどん大きくなっていた。

 そして。その間に、残りの呑み込まれなかった群れが、大挙してフィルめがけて飛んで、もう一度言おう、多すぎるせいで地面を進めず、空中から一斉に飛びかかってきたのだった。


「そりゃないだろおぉぉ!?」


 フィルの悲鳴が霧で閉じられた壁の中一帯にわんわんと鳴り響いた。



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