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アマネセル紀行録  作者: 氷室零
第二章 霧の海
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晩餐と物語

 その日の夜、四人は平野ではなく、領主の館にとどまっていた。


「今日はもう遅い。客間を用意させるから、今晩はここに泊まっていくといい」


 交渉が終わったところで、ギルバートにそう言われ、そのとき初めて、四人は窓の外がもう夕暮れの色に染まっているのに気づいた。


「ありゃ、本当だ」


 いきなり騎士団副団長と真剣勝負をしたりその後交渉したりしていたので、時間がたつのに気づかなかったらしい。これじゃ、野宿の場所を見つけるのも無理だ。

 ということで、四人とも厚意に甘えることにしたのだった。


 ギルバートは、あのリリアンヌというメイドの少女に部屋の用意を言づけた後、軽く礼をして部屋を出ていった。どうやら、今後の方針について館の人に指示しに行ったらしい。


 しばらくして、リリアンヌがやってきて、お部屋の用意ができました、と二階の部屋に案内された。

 ちなみに、男女別だった。もちろん、これまでもこれからも変なことなぞないだろうが、念のため。

 部屋の扉を開けて中を見て、驚いた。広い部屋にベッドが二つも置かれている。


「え、このベッド、デカくね……?」

「なんだこれ。すごい」


 部屋の大きさだけでも住んでいた家とは比べ物にならない。前は、立ち上がって十歩くらい歩いただけですぐ部屋の中を一周できたから、歩き回れるだけの広さがある部屋で寝るなんて初めてだ。


「……ほんとにすごいなあ」


 フィルは、案内された室内を見回しながら、今日この館に来てから何度目か分からないつぶやきをもらした。


 今四人は食事をするらしい部屋に案内されていた。その一部屋とっただけでも、相当に広い。彼らの住んでいた家の部屋の床面積を合わせても、これに届くかどうか……。まず間違いなく届かないだろう。

 一般的に食堂と呼ばれている部屋だということも、四人は知らなかった。


「こちらにどうぞ!」


 リリアンヌが、はきはきとした仕草で四人に椅子をすすめる。

 セッティングされた細長いテーブルについている椅子に、おそるおそる腰かけて待つ。椅子の足もガタガタではなく、ちゃんとしている。そのことにほっとしている自分がいて、思わず苦笑した。

 日がとっぷりと暮れて、窓の外が完全に暗くなった頃、ギルバートが食堂のドアを開けて姿を現した。


「遅くなり申し訳ない」


 四人とも、メイドに声をかけられる前に、さっと立ち上がっていた。

 ギルバートが、わずかに目を開いたが、すぐにそれを消して室内に入ってくる。


(ああ、よかった)


 フィルは内心で、大きな安堵のため息をついた。

 今日一日、目上の人との付き合い方やら気をつけるべきことやら、村の大人に感謝しっぱなしだ。この後だって、テーブルマナーとやらが役に立つだろう。

 人生、習っておいて無駄になることなんてないのかもしれない。習ったときには、こんなもんいつ役に立つのか、なんて思っていたものだが。


 そう思いながら、ギルバートが着席したのを見届けて四人も席についた。ちなみに、女性陣の椅子はリリアンヌが引いてくれていた。

 ギルバートが簡単な挨拶をしてから、リリアンヌが一度退室し、すぐに皿が並べられた大きなワゴンを押して戻ってきた。礼をして、丁寧に皿を並べていく。


「……それでは、いただこうか」


 その言葉で、いっせいに全員の食具が持ち上げられた。

 フィルは、目の前に置かれた皿をゆっくりと眺めた。


 小さなスープの器、黒いパンが盛られたバスケットに、肉と野菜が綺麗に盛り付けられた大きな皿。

 普段がパンとスープだったので、これはちょっとしたごちそうだ。

 スープの器に手を添え、スプーンですくうと、小さく刻み込まれた野菜がトロトロに煮込まれていた。これひとつとっても、手間がかけられているのがわかる。

 一口運ぶと、野菜の甘みがやさしく喉をすべり落ちていった。味は少し塩が薄いとも言えたけれど、その分純粋に食材の味がわかる。

 メインの肉も柔らかく煮込まれ、添えられている野菜も彩りよく、切り口がそろえられていて見た目にも美味しそうだった。味は、言うまでもない。ただ煮ただけでは出せないまろやかな味がして、一体何が使ってあるのだろうと首をひねる。しかも、フォークだけで切れるほど柔らかくなるなんて、初めて見た。

 そして、パンだったが、どうも、寒冷地でも育つ黒麦を使っているらしい。けっこう強烈な酸味がしたが、混じりけのないパンは初めてだ。そのことがむしょうにうれしい。

 どれも素朴だけど、ストレートなおいしさ。


 フィルは、ナイフとフォークを動かし、しばらくの間ゆっくりと、初めて食べる料理の数々を味わった。


「……気に入っていただけたのならば、良かった」


 ギルバートが、四人の食事の様子を見て、ほっとしたように笑った。

 四人とも、がっつかないように気をつけながらも、手はまったく止まっていなかった。これは、食い意地が張っていると思われても仕方がないかもしれない。


「といっても、肉は随分といいものをいただいたが」

「いいえ、食事をさせてもらえるんですから、それくらいは簡単ですよ。こちらとしても、なんとかして使っておきたかったので」


 レオンの言葉に、ギルバートが苦笑する。

 実は、もっていたイノシシの肉がそろそろ食べごろを過ぎそうだったのだ。なので、食事を共に、と誘われたとき、「それなら使ってください」と、四人から肉を渡しておいた。

 受け取ったリリアンヌは、「ありがとうございます! 今日は張り切っちゃいますね!」と歓声を上げて勢いよく頭を下げ、あっという間に厨房へすっ飛んでいった。

 その結果が、今晩の皿の上にあるというわけだ。


「でも、本当にいいものをいただいたよ。これほどの肉なんて、久しぶりに見たから」


 ギルバートがしみじみといったので、フィルは思わずフォークを口に運ぼうとしていた手を止めてそちらを見た。


「……領主様でも、なかなか食べられないんですか」

「しがない地方貴族だからな。君たちが想像しているほどのごちそうなんて、食べないよ」


 ギルバートが苦笑して、両手を軽く上げてみせる。

 領主とはいっても、このあたりはエストレリアの北東に位置している。つまり王都から離れた片田舎なので、それほどのぜいたくはできないらしい。


 と、それまで黙って給仕に徹していたリリアンヌが割り込んだ。


「ギル様は、節約しすぎです! 領主なんですから、もう少しご自分のことも考えるべきですよ!」

「おい、リリアンヌ……」

「この間だって、うちにあった卵、病気のご家庭に先にって渡しちゃって! 村のみんなを大事にしてくださってるのはわかりますけど、そのせいで私のお食事の作り甲斐がないです!」

「お、おい、それは俺のせいなのか……?」


 訂正しよう。今の発言からして、どうやらぜいたくできないのではなく、していないらしい。

 というか、今の発言で地が出てしまっている。一領主が、メイドの(おそらく年下の)少女にタジタジとなっているこの状況、見ていていいのか、これ。


 まあそれはさておき、ギルバートは病人を気遣っていたのがわかったし、実際話してみてわかったことだが、四人が平民だからと見下すことは一切なく、あくまで恩人に対する態度だった。

 館の使用人の方も、彼の気性をわかっているらしく、敬意を払いつつも、貴人に対するうやうやしい態度というものはまったく見られない。

 物語によく出てくる、横柄な貴族というイメージなど、かけらもない。むしろ、この人はお人好しという言葉がぴったり合う。レインが言っていた通りだ。


「慕われてらっしゃいますね」


 ヘレナがくすりと笑いながら言葉を投げかけると、リリアンヌが急に真っ赤な顔で飛び上がり、ギルバートの方は苦笑をさらに深くした。


「……今日一日だけで、見苦しいところを何度も見せている気がするんだが……」

「そんなことないですよ! とってもいいお人だとわかりました」


 エリザが大真面目な顔で言い返し、フィルは思わず内心でつっこんだ。


(それって言ってよかったの!?)


 案の定、ギルバートはしばらくの間、テーブルについたまま固まっていた。




 晩餐が終わると食後のお茶が出され、一同そろってほっと人心地ついた。


「いや、今日は本当にごちそうになったよ。それにしても、シンだったか、君は食事時に随分と幸せそうな顔だったな」

「は、はい?」

「すみません、こいつ食事になるとやたら顔に出ちまって」


 いきなりのことに固まったフィルの横でレオンが、しょうがない奴、とでもいうように笑いながら、軽く頭を下げる。

 どうやらこの数時間で、ギルバートが物事をあまり気にとめない温厚な人物だとみて、多少のことは無視しようと決めたらしい。もともと敬語が苦手なレオン、態度がややざっくばらんになってきている。その分、今の方がやりやすそうだった。


「いや、かまわないよ」

「いいぇえ! むしろ、私はものすごくうれしいです! お食事の時、一口一口じっくりと味わってくださってましたし、毎回あれだけの反応を返して下さるなんて、メイド冥利に尽きます!」


 リリアンヌが、空になったお盆を抱えて、目を輝かせて力説する。


(ぼくの反応って、ここまでわかりやすかったのか……)


 ……もう、苦笑するしかない。


「ははは、坊主の顔!」


 食事が終わってからリリアンヌと一緒に入ってきていたレインに爆笑されたが、すぐに顔をしかめたギルバートが、レインの横っ腹をどついて静かにさせた。


「ぐぇっ!?」

「……失礼。ところで、君たちは伝承を求めて旅をしているということだったな」


 ……なんだか聞こえちゃいけない音が聞こえた気がしたけど、気にしないでおこう。

 ギルバートが柔らかい口調であらためて切り出し、四人は姿勢を正してうなずいた。


「はい。もともと、それが目的であの村に立ち寄ったので」

「そうだったな。……残念ながら、あまり大したものはないんだ。なにせ、王都から遠く離れた田舎だからな、ちょっとしたお伽噺のようなものしかないが、それでも?」


 ギルバートの言葉に、四人はうなずく。


「かまいません。どんな小さなものでも教えてください」


 レオンが代表して答え、ギルバートはうなずくと、椅子から立ち上がった。

 どうやら、晩餐の前にすでに用意していたらしい。すぐに一冊の本を持ってくると、四人の目の前に本を置き、あるページを広げる。


「この話が、この地方に伝わっている昔ばなしの一つだ。読めるか?」

「……はい、大丈夫そうです」


 えらく読みにくい飾り文字で書かれているが、読めないことはなさそうだ。

 本は相当に古く、わずかにかび臭いにおいがした。それでも、保存状態がよかったのか、たいして傷みはない。

 四人は、顔を寄せ合って開かれたページをのぞき込んだ。


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