剣士と弓兵
アイザックが、訓練場のへりに悠々と立ち、こちらの様子を見守っている。それを目に捉えながら、フィルは手にした弓を持ち上げ、矢筒から矢を一本抜き出した。
だいたい百ファズ(約百メートル)ってところか。
指の間に矢筈をはさみ、静かに引いた。離す。
――シュパッ
放たれた矢は、しばらく空を切って飛び、アイザックの手前から少し離れたところへ落ちた。
フィルは、手の中の弓をちらりと見た。
ズレは、爪一つくらい。弓の感触は悪くない。いける。
アイザックが、手前に落ちた矢を開始の合図と受け取ったか、足を踏み出した。ゆっくりと、次第に早足になってゆく。
フィルは少し迷ったが、まっすぐ狙いを定めた。
あの人は、強い。自分なんか足元にも及ばない。だったら、力試しでもなんでも、全力で、それこそ殺す気でかからないと。
そうでもしない限り、きっとあの人にはかすり傷一つつけられない。
「……っ!」
矢筒の中の矢は、残り五本。
一度に二本抜き取り、一本は手に残してもう一本をつがえ、放つ。
アイザックはそれを首一つ振って簡単に避けた。
すかさずつがえ、二本目を放った。今度は、どうだ……?
まっすぐ一直線に飛んできた矢を、騎士団副団長は、今度は大剣を軽く、それこそただの小枝でも振っているかのように楽々と振って弾き返した。
……嘘だろ。あの人、この距離で見えてるのか。
内心愕然としつつも、手は止めない。すかさず次の矢を矢筒から抜き出し、構える。
あと、七十ファズ。
レオンはまだ動いていない。射線上に飛び出すのは危ないと知っているからだ。
アイザックがどんどん距離を詰めてくる。残り五十ファズを切った。
「レオン」
「おう」
声をかけ、軽く息を吸って、止めた。
狙いをつけ、引き絞っていた力を解放。
放たれた矢は一直線に飛んでゆく。
その後を追うようにレオンが飛び出した。
吸い寄せられるように迫った矢を、アイザックが大剣で叩き落とした。
そのタイミングでレオンが追いついた。
「おらああっ!!」
構えていた剣を、大上段に振りかぶる。
渾身の力を込めて振り下ろされた剣を、アイザックが後ろに下がってかわす。だが、それはレオンも予測していたこと。すかさず第二撃、第三撃を繰り出していく。
「おう、お前、なかなかやるな」
「そいつぁどうもッ!!」
短く言葉を交わしながら攻撃し、よける二人。
だけど、フィルがここから見ていてもわかる。
二人の間には、かなりの差がある。
レオンが必死の形相で繰り出している一撃一撃を、アイザックは余裕さえにおわせる笑みを浮かべて軽くかわし、いなし続けている。よく見ると、レオンが繰り出している剣を、刃ではなく腹の部分で受け流し、最小限の動きでかわしていた。そのせいで、レオンは一撃を加えるどころか、大きく体勢を崩されかけ、また立て直すということを繰り返している。
まるで小さい子供相手に遊んでいるような。いや、遊びと同じなのかもしれない。
あの人、きっと全力の半分も出していない。
これが、騎士団副団長か――!
「……なるほど。だいたいのところはわかった。それじゃあ、そろそろこっちからもいくぞ。……へばるなよ、坊主」
アイザックがにやりと笑い、とうとう彼自身の剣をレオンに向けてきた。
ヘレナの身の丈くらいはあるんじゃという大きさの大剣を、軽々とぶん回している。ちょっと、あの人、腕の筋力どうなってんの!?
叩きこまれた初撃を、レオンは受けようとしたところで、突然何を悟ったのか、ギリギリで後ろに跳んでかわした。獲物を逃した剣が地面を深くえぐっている。
(ええ……!?)
顔面から血の気が音を立ててひいていくのが、手に取るようにわかる。
あれは受けたらマズイ。多分、真っ向から受けたら、衝撃で腕がしびれてしばらく使い物にならなくなる。いや、もしかしたらもっとヤバいかも……!?
次々に迫ってくる重量を持った凶器を、レオンは受けずにかわし続けている。
「どうした、受けねえのか?」
アイザックが剣を、ブン、と振って肩に乗せた。最初とは一転して、一向に攻めてくる様子がないレオンを、不思議に思ったらしい。
それを聞いて、レオンが苦笑いした。
「……あんた、わかって言ってんだろ。今の俺があんたの剣受けたら、剣へし折られるだけじゃすまねえわ。あんたの剣をさばけるだけの技術を、俺ぁまだ持ってねえ」
「……ほう」
アイザックが感心したように、軽く目をみはる。
「お前さん、けっこう自己分析してたというわけだな」
「うるせえよ。こちとら、自分の実力不足はこないだ嫌と言うほど知らされたんだ。これであんたと正面からやれると思うほど、バカじゃねえっての」
「なるほど、な」
そう言って、アイザックが再び剣を構える、と思った瞬間、素早く踏み込んだ。
さっきよりも早くなっている!
レオンが後ろに下がろうとするが、アイザックが肉薄するほうが早い。
かわしきれない、と悟ったのだろう。レオンの顔が思い切りひきつるのが見えたが、立ち尽くすのではなく、自分の持っている、アイザックのそれに比べれば棒切れ同然に見える剣を、両手でぎゅっと構えた。
あいつ、受ける気だ。
アイザックの剣が横一文字になぎ払われ、レオンの剣がそれを受け止めようと差し込まれる。フィルは思わず息をのんだ。
ダメだ、それじゃ折れる……!
だけど。
レオンの剣が折れる、と思った瞬間、レオンの手首が急に、くい、と今まで見なかった動きを見せた。
剣は、折れなかった。かわりに、澄んだ甲高い音をたてて剣が宙高く弾き飛ばされる。
「よく、こらえたな!」
素手になった手をもう一方で押さえ顔をゆがめたレオンに、アイザックが声をかけ、剣をなぎ払った勢いのまま、レオンめがけて剣を振りかぶる。
フィルは、とっさに矢筒に手を伸ばした。
レオンの首筋に大剣が触れるか触れないか、というタイミングで、アイザックが目を見張り、強引に剣を引き戻して後ろに跳びすさった。
「……そっちの赤髪の坊主、お前、けっこうな腕だな」
フィルは、いとも簡単に矢をよけられたことに、今の自分が何とも言えない顔になっていることを自覚していた。
レオンがやられる、と恐怖を覚え、反射的に矢をつがえ放っていた。狙ったのは足元、剣を振るうための軸足。そこを狙えば、矢をよけるためにはアイザックはどうしても足を動かす必要が出てくる。
それを狙ったとはいっても、予期していたようにあっさりかわされると少し苦々しい。
レオンがその隙に転がるように脱出し、弾き飛ばされた自分の剣を回収してくれたことだけは、よかったと言える。
「ちょうどいい、お前の弓の腕もじっくり見たい。一本、好きに撃ってこい」
この膠着状態、どうしたものか、と思っていたら、アイザックがまたとんでもないことを言い出した。
ちょっとちょっと、あんた何言ってんですか!?
「え、撃って来いって……」
「そのままの意味だ。俺のことなら、かわすなり弾くなりするから心配するな。さっきまでのように、殺す気で狙ってみろ」
――この人、気づいていたのか。
フィルは、一度大きく息をつき、改めてアイザックを見回した。
それから、小さくうなずき返す。
「……わかりました」
今の段階で、既に実力差が歴然としているのはわかりきったことだ。
だけど、それでも、文字通り一矢報いることがかなわないわけじゃないと思う。
だったら、ただやればいい。
フィルは、矢筒に手を差し込んだ。
残り、あと一本。距離、約二十ファズ。
アイザックは、フィルを誘っているかのように、その場から微動だにしない。ただじっと待っている。
一呼吸おき、ゆっくりと矢をつがえた。弦を引き絞る。
狙う場所を定め、フィルは目標を見据え、手を放した。
矢が一直線に飛んでゆく。
そこへ、下から急に巨大な影が迫り……。
矢が、身をねじったと同時に大剣をはね上げたアイザックによって、叩き切られた。
「……ッ!」
最後の矢をへし折られた。今は剣を持っていない以上、これ以上はどうやっても攻撃しようがない。
息をのみ、とっさに後ろに下がろうと後ずさるが、アイザックはそれを許してくれなかった。
目の前に巨大な影が迫り、フィルは下がろうとして足がもつれ、勢い余ってものの見事にその場にひっくり返った。
あと少しで剣が振り下ろされる……!
「そこまで!!」
不意に、場外から鋭い声がかかった。
アイザックがその声を受けて剣を下ろす。
フィルは、その場にへたり込んだまま、大きく息をついた。
今のは本当に死ぬんじゃないかと思った。それくらい、迫力があって怖かった。
「フィ……シン! 大丈夫か!」
レオン、じゃない、今はマークだっけ、がすっ飛んできた。自分だってけっこう怖い思いをしただろうに。
「すまんな坊主。しかし、お前らの腕の程はわかった。確かにそれだけ使えりゃ文句はなしだ。疑ってかかって悪かった」
アイザックが、互いの顔を見て無事を確かめ合っている二人を見て、ニンマリと笑いながら言う。
二人は、というと苦笑するしかなかった。
「アイザックさん、あなた後ろにも目がついてるんですか」
「攻撃しても、全部かわすか受け流すかで、全然まともに入らなかったっすね」
「後ろに目か、それはねえなあ。ただまあ、お前さんたちの考えそうなことならわかる」
アイザックが剣を担ぎなおし、二人を縦から横までくまなく見まわして笑う。いい年になった髭面が好戦的にゆがめられると、なんだか生きた心地がしない。
「まず、髪が突っ立ってるお前な、お前さんの剣の腕は思ってた通り悪くねえ。まだまだ素人に毛が生えた域を出てねえがな。お前さん、やり方次第じゃこれから相当伸びるぞ」
「そいつは嬉しいっすね。ただ、一ついいっすか。髪突っ立ってるって何なんすか、それ!」
「じゃ、次は赤髪のお前だな」
「ちょっと、聞いてます!?」
レオンの抗議をきれいにスル―して、アイザックがフィルを見据えた。
「お前、手加減してる場合じゃねえと考えて、最初からえぐいとこばかり狙ってきたなあ。しかも、狙う場所を変えて撃ってきた。あの距離であそこまで正確に狙えるもんか?」
「あなただって、それをわかってたでしょうに」
最初と二射目は額。三射目は胴。四射目は足。そして、最後は剣を持つ方の肩。
全部、軌道を認識された上で、避けられるか弾かれた。
あの距離で、こっちを認識することなんて、ましてや矢の射角なんて見えるはずもないのに。
人間業じゃないでしょ、なんて突っ込みたくもなる。
「もう、あんたに向けて撃ったところで、当たる気がしないですよ。バケモンですか、あなた」
「ハハハ、そいつは褒め言葉としてもらっておこうか」
アイザックが大笑いする。
うう~、こんにゃろう。
「まあ、いいじゃないか。こちらとしても、いいものを見せてもらった」
その声に振り返ると、場内に入ってきたギルバートが微笑んでいた。
「私からしたら、その年でそこまで使える君たちもすごいと思うんだが、そこは素直に喜べばいいんじゃないかな。アイザックに勝つのは、うちの騎士団の連中でも不可能に近いから」
「それ先に言ってくださいよ!!」
そうしたら、もう少し気持ちの持ちようが違ったかもしれないんだけど!
……と、今言っても仕方がない。それに、気持ち云々でどうこうなる相手でもなかったようだし、第一もし本当の戦いであれば、全部本気で臨むことになる。
(これは、心構えからなんとかしなきゃいけなかったかぁ……)
「さて、アイザックの用事は済んだことだし、こんどはこちらの用事を済ませたいから、一度館に戻ろう」
「用事って何です?」
「お礼の話だ。元はといえば、その話をするために君たちを呼んだのに、こちらの都合で脱線してしまったからな……。早いとこ済ませてしまおう」
あ。このドタバタで完全に忘れていた。
ひとまず手合わせと称した戦いは終わりを告げ、ギルバートに先導されて一同は館へと戻っていった。




