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アマネセル紀行録  作者: 氷室零
第二章 霧の海
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領主館にて

「ここが、領主様の館だ」


 四人が案内された、というか連れてこられた領主の館はそれほど豪邸というわけではなく、あたりの民家が二階建てになって、それが一回り大きくなった、といった感じのどっしりとした建物だった。


「入りたまえ」


 騎士にうながされて、四人も続けて中に入る。


 外観と違わず内装も至ってシンプルなものばかりだったが、ただの民家ではないという証拠に、室内のあちこちに装飾が施してある。やたらと古そうな皿やカップもひっそりと飾られていた。

 初めて見る室内装飾というやつにフィルたちは興味津々で、とがめられないうちにきょろきょろと室内を見回す。


「失礼いたします。例の者たちを連れてまいりました」

「はい、少々お待ちください!」


 騎士が取次を願うと、奥から出てきた少女がチョコンとお辞儀をして、また奥の方へ消えていく。その格好は、黒いスカートに白いエプロン。スカートは足首近くまですとんとおりた作りで折り目は全くなく、エプロンにもレースやフリルといった類のものは一切ついていない。まさに仕事一択の姿。無駄がない。


「……あれって、メイド、っていうんだっけ……」

「メイドさんだ……メイドさんがいるよ……」

「ほんとに領主様のお屋敷にいるんだねえ……」


 初めてメイドという職業、その実物を見た四人。

 感嘆の声を上げつつ、そんなことをひそひそ話していると。


「お待たせいたしました!」


 あの少女メイドが、急ぎ足で戻ってきた。そのくせ、足元から全く音がたっていない。

 もしかしてこの子、家事スキルすごいかもしれない。それだけじゃなくて、ひょっとすると盗み聞きとか気づかれずにできたりして。

 ……知らないことを勝手に想像するのは、これくらいにしておこう。なんか失礼だ。


「領主様から、皆さまを書斎にお通しするように言われましたので、ご案内します!」


 少女がぴょこんとお辞儀をして顔を上げる。栗色の髪と目に、愛嬌のある少し丸っこい顔をしている。改めて見ると、彼女の頭はフィルの肩くらいまでしかなかった。これは、歳が同じくらいだとするとかなり小さい方なのでは。それとも、まだそこまで大きくなっていないのか。

 いや、見た目から言えば多分同い年くらいなんじゃないかと思うのだが……。


 彼女が四人と騎士の先頭に立つ形で歩き出したので、フィルは考えるのをやめて少女メイドの後についていく。

 エリザが同じように歩き出すついでに、ぼーっと少女の後ろ姿を眺めていたレオンの頭を後ろからぺしっとはたいた。

 我に返ったレオンが急いで歩き出す。やれやれ。




「こちらになります!」


 少女が小さな手で指し示したのは、一階の奥の突き当たりにあるやや小さな扉だった。

 彼女はためらうことなく扉をノックし、室内に「失礼いたします」と声をかける。すぐに室内から「どうぞ」と応えがあった。


「どうぞ、お入りください!」


 ゆっくりと押し開けた扉を片手で抑えて、少女が室内を開いた手で示し、にっこりと笑う。


「そ、それじゃ、失礼します」


 四人はおっかなびっくり、言われるままに室内に入った。四人の後ろで扉が音もなく閉まる。


 室内は思っていたよりもこぢんまりとしていた。

 手前には椅子がいくつかと小さなテーブルが置かれ、壁際の本棚にはなにやら本がぎっしり詰まっている。室内の雰囲気は落ち着いていて、書斎という硬質な響きのわりに余計な緊張は感じない。むしろ、初めて入ったのに今までにも来たことがあるような、懐かしさを感じさせた。

 扉の正面には向かい合う形で少し大きな机が置かれている。片側には紙の束らしきものが積まれていて、それであの大きな机が書き物用の机なのだとわかった。

 そこから一人の人影が静かに立ち上がった。


 その人物の顔を見て、フィルは思わず自分の目を疑った。

 え? 領主様っていうから、てっきりいい年をした大人だと思い込んでいたんだけど……。


「こんな形で強引に招いてしまってすまない。カシェン村の者たちに代わって、改めて礼を言わせてくれ」


 こげ茶色の髪に、柔和そうな顔つき。ゆったりとしたチュニックに革のベルトをしめ、落ち着いた雰囲気の若者が、そこに立っていた。

 すらりとした青年は四人の前まで来ると、気負った様子もなく口を開く。


「私は、ギルバート・オルシュタイン。このオルシュタイン領を預かっている領主だ」


 フィルだけでなく、四人全員が驚いた顔つきで青年を見つめていた。

 この人、見た感じだけだと、多分まだ二十歳にもなっていない。それが、領主だなんて。

 一体何をやったら、この若さでこんな大変な要職を得ることになるのか。


「驚いたか?」


 四人の表情を見て、年若い領主が苦笑してみせた。


「おそらく君たちと私は、たいして年は離れていないんじゃないかな。何分若輩者でね、そこは勘弁してくれ」

「あ、いえそんな! すみません!」


 一番にはっと我に返ったヘレナが平謝りし、三人も慌てて頭を下げる。

 どんなに若くても相手は貴族さまなのだ。機嫌をそこねるようなことはできるだけしないようにしないと。


「……えーと、ひとまず顔を上げてくれないか。別に怒ったりしやしないから」


 そんな少し困ったような声が聞こえて、フィルはちょっぴり顔を上げて、こっそり領主の顔をうかがった。

 うかがわれている当の本人は苦笑しっぱなしだった。話がしにくい、そう思っているようではあったけど、その表情に不快感はないように見える。

 もしかすると、本当に気にしていないのかもしれない。


「そういうわけには……」


 だが、四人も譲らない。


 こんなとき、すぐ顔を上げたら何があったかわかったものじゃない。

 貴族と付き合うとき、その言葉をその通り馬鹿正直に受け取るのは危ない。そういう話はいやというほど聞いているし、わかってもいるつもりだ。半分、いや大半を疑ってかかるくらいでないと。


「……困ったな……」


 どうにも動きそうにない状況に、領主が悩ましそうな表情でつぶやいた。

 だが、救いの手は意外なところからやってきた。


「おい、何をもたもたやってんだ?」


 乱暴なセリフとともに扉が勢いよく蹴り開けられ、一人の若い男が靴音をたてて姿を現した。それにおどろいて、フィルは思わず顔を上げ、音のした方を振り返ってしまった。

 少しのびてくたびれた髪は青っぽい黒。着くずした服には、しわが寄っている。

 恰好を整えている領主の青年とは、まるきり反対だ。


「! レイン、客人の前だぞ。というか、扉を蹴り開けないでくれと何度も言っているのに……。またアイザックにどやされるぞ」


 ギルバートが派手な音にぱっと振り返り、その正体に気付くと呆れ顔でやれやれと首を振る。


「いいじゃないですか、壊れるわけじゃねえんだし」

「いや、それで既に何度か壊しているだろう!?」


 フィルは目をぱちくりさせていた。

 ていうことは、何度かあのドア修理してるんだ。よく見たら確かに古そう……いや、そうじゃなくて!


 ……このやり取り、なんなの?


 レインと呼ばれた青年は、構わずやってくると、領主の前に並んでしゃっちょこばっている四人を見て、フンと軽く鼻を鳴らした。


「で、こいつらがその若造たちってわけか。かしこまる必要なんざねーぞ。こいつァほんとに気にしてねえから。貴族のくせに馬鹿正直すぎて部下が苦労するタイプだから、この領主サマは」

「……」

「だから、ここは空気読んでざっくばらんにだな、……っておい、おーい、どうした?」


 あまりの言いっぷりに、四人とも思わずぽかんと口を開けてまじまじと青年を見ていた。


 この人、敬意とかそういったものを、どこかにそっくり忘れてきちゃったのか!? ていうか、頭大丈夫なのか!?


 フィルは思わず、青年の正気を疑った。


 平民と貴族の間には、厳然たる差がある。相手は領主、つまりそこに住む平民の権利やら生活やらを握っている。命握られてるのと同じことだ。だから、いろいろと神経を使う。


 例えば、不敬罪。これ、大したことないように見えて、実はけっこう気をつけなきゃならない。失礼をしたとみなされて、斬られでもしたらたまったもんじゃないからだ。

 エストレリアではなくさらに東の国の例になるけれど、随分と昔に、一部の特権階級の人間が無礼を働いた人間を斬ってもとがめられなかった時代があった、と聞いたことがある。「斬り捨て御免」っていうんだそうだ。

 いや確かに、「御免」はおかみの許しって意味になるけど、普段謝るときに使ってる「ごめん」って言葉がこれと同じところから来てるって、ちょっと怖い。

 今はもちろん、特権階級側もむやみやたらに人を斬っていいわけではなく、そんな真似をしようものならそれが正当な理由だったのかどうかとか、いろいろと面倒なお調べが入るらしいけど。


 結局のところ、誤解されるような真似をしないのが一番いいのである。


 貴族の前でこんな物言いができるなんて、この人もよっぽど偉いんだろうか。そう思ったところで、四人をつれてきた騎士が、横から厳しい口調で青年をとがめた。


「レイン、貴様いい加減に口の利きかたを覚えろ! 領主様に対して失礼だと何度言えばわかるんだ、お前は」


 ――どうやら、このレインという青年、お貴族さまというわけではないらしい。

 一体全体、何をどうしたらこうなるんだか。

 この館の人間関係、さっぱりわからない!


「へいへい、わかりましたよー」

「貴様ふざけているのか!? 今日という今日はもう我慢ならん、表に出ろ!!」

「け、けんかはしないでください~! ここ、書斎ですよ!」


 部屋の主を無視して真っ向からにらみ合う二人に、それを止めに入るメイド少女。

 とても一領主の館で繰り広げられている光景には見えなかった。


「……そろそろいいだろうか?」


 すっかり苦笑が板についてしまっている、といったふうに、領主が静かに言う。

 その言葉の底に隠れた響きに、二人はその場で凍りついたように動きを止め、すぐに元の位置に戻った。その表情が硬くなっているように見えるのは、気のせいだろうか。


「見苦しいところを見せたな。申し訳ない」


 苦笑しきりの青年が、すっかり呆気に取られて一部始終を眺めていた四人に静かな口調で謝罪した。

 フィルは、ついぽろりとつぶやいてしまった。


「……何か、いろいろと苦労されてるんですね……」


 その言葉に、彼は小さく笑い声を上げた。


「まったくだ。退屈だけはしないけど。……さて、いつまでも立たせておくのも悪いから、そこにかけてくれないか。リリアンヌ、お茶をお願いするよ」

「はい! かしこまりましたぁ!」


 メイドの少女が(名前はリリアンヌというらしい)ぴょこんとお辞儀をして、書斎から退出していく。

 それを見送った領主の顔に、初めて苦笑ではなく自然に見える微笑みが浮かんだ。


「さて、と。まずは、座ってくれないかな。そして、良ければ君たちのことを少し聞かせてくれ。外から客人が来るのは、本当に久しぶりなんだ」


 その口調と声音は、まるで自分の知らない話にワクワクする子供のそれで。その時になってようやっと、この人がまだ自分たちとそう年が変わらないのだということを、実感できた。


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