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アマネセル紀行録  作者: 氷室零
第二章 霧の海
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未知の世界の洗礼

 フィルたち四人が西へ向かう街道に入ってから、数日がたった。


 この数日、四人は全くと言っていいほど他の旅人と出会わなかった。エストレリアの北でも、かなり北側、田舎の地方にいるので、地元の人間以外は街道をめったに通らないのかもしれない。


 エストレリアの王都は、ここからはるか南西の沿岸地帯にあり、まるっきり正反対にあるこの地方は人が少ない。国境に近く、東の国に攻め込まれたときは真っ先に狙われる地域の一つでもあるから、移住したがる人も少ないのだろう。四人がてくてくと歩いている街道も、元々は他国に侵攻されたとき、王都から砦に増援を送るために整備されたものなんだとか。

 隊商くらい出くわしても良さそうだったが、これまでのところそれすら見ていない。


 例外をあげるなら。


「おい、そっち行ったぞ、気ィつけろ!!」

「きゃ……!」

「ちょ、ヤバいっ!! 待って、待ってったら!!」

「待ってって言ったって、待ってくれるわけないじゃん!?」


 ――今現在のこの状況。


 悲鳴をあげながら、男子二人が前で剣を振り回し、後ろから女子二人が魔法で出した炎を撃ちまくる。  その周りを半周するように、うなり声を上げながら目をギラつかせた山犬の群れが取り囲み、四人めがけて次々と飛びかかっていた。

 人の目につかないようにとか、そんなこと気にしている場合じゃなかった。

 というかそもそも、こんなにのんびり説明している場合でもなかった!


「ちっ、こいつら素早い! フィル、そっち頼めるか!?」

「やってるよ!!」


 レオンが女子に飛びかかってきた一匹を剣を思いきりなぎ払って、舌打ちまじりで怒鳴るように叫ぶ。その足元には、すでに数匹が動かぬ骸と化して転がっている。

 フィルは叫び返しながら剣をふるった。

 男子二人で守っていた空間を飛び越えようとしていた山犬が、かん高い鳴き声を上げてはね飛ばされる。


「浅かったか……!」


 フィルも唇をかまざるをえない。

 相手が素早すぎて、思った通りに剣がうまく入らない。そのせいで、四人が思っていたよりもずっと長い時間、こうして戦い続けている。


 いや、訂正しよう。

 こんなの、戦いのうちにも入らない。

 野生の生物相手にただ遊ばれているようなものだ。


 山犬が地面に着地し、低いうなり声を上げて飛びかかる構えをとった。

 その声の調子からして、怒り心頭といったところ。

 フィルの背中を、冷や汗がつたい落ちた。




「はあ……」

「疲れた……」

「もーダメぇ……」

「……同じく、です」


 それから一時間ほどして、街道に大の字になって横たわり、喘ぐ四人の姿があった。

 周囲には、赤黒い血痕と山犬の死骸が散乱している。その死骸はあちこちが焼け焦げ、泥と血で汚れた黄色い毛皮には無数の傷が刻まれている。


「……情けねェ……。俺が一番剣使えるなんて言っといて、まだまだじゃねえかよ」


 大の字にひっくり返ったまま、レオンがうめいた。

 

 山犬の群れは、四人が街道を進んでいるときに突然現れた。

 探知の魔法は使っていた。だから、山犬がこちらに向かってきていることはすぐにわかった。


 なのに、実際に現れたそいつらを見て、四人とも一瞬足がすくんでしまったのだった。


 予想よりも一回り以上だったその図体の大きさにおどろいたのか。それとも、口からダラリと垂れた赤い舌と長い牙にぞっとしたのか。今となってはわからないし、覚えてもいない。

 その隙を逃さず、山犬の群れは一声吠えるやいなや、飛びかかってきた。

 後のことは、改めて述べるまでもなく。


「……狩りなんて、全然楽っていうか、比べ物になんない……」


 腕で顔を覆ったまま、フィルも喘いだ。


 エリザとヘレナはもちろん、フィルとレオンも初めての実戦デビュー。

 フィルがいつもやっている、山の中で狙った獲物を弓で捕るのと、襲ってきた野生動物を倒すのは、全く違った。

 レオンも、剣の稽古は人一倍していたけれど、人との模擬戦ならいざ知らず、自分を殺そうと殺意むき出しで飛びかかってくる野生動物を相手にしたのは初めてで。


 結果は散々だった。

 襲ってくる端から余裕で斬り捨てるどころか、自分が咬まれないように剣を振り回すだけで精一杯。フィルとレオンでも、山犬どもをそれ以上近づけないようにするのに必死で、とても女子二人を守るとか、そんなかっこつけるどころじゃあなかった。

 おまけに狙った通りに剣がふるえず、山犬の方は軽傷かほぼ無傷で剣をよけてしまう。

 魔法があったからよかったものの、剣だけだったら、四人とも死んでいた可能性の方がずっと高かった。


 終わってみれば、半数以上になる八匹を倒していたのだけど、四人とも生き残ったことを喜ぶ気分には到底なれなかった。


「……ひとまず、ここを離れましょう。血の臭いがかなり酷いです」


 ヘレナが荒れた息を整えながら、落ち着いてきた様子でつぶやくように言った。


 匂いが服につくのが気になるというのではなく、血の臭いにひかれて他の野生動物が来る前に離れた方がいい、と言っているのは、ほかの三人にもすぐにわかった。

 一応討伐の証として牙を一本ずつ回収し、獣に食い荒らされないように死体を埋めてから、四人は急いでその場を離れた。


(ああ……くそ……っ)


 歩く道すがら、フィルは内心でため息をつかずにはいられない。


 今までやってきたことが思っていたよりも役に立たなかった。

 もちろん、剣を習っていたおかげでこうして怪我もなく済んだ。体運び、剣さばき、そのどれもすぐに身につくものじゃない。今まで訓練してきたからこそ、本当に危ないと感じたときには何とか回避ができたし、最終的には撃退できた。

 だが、もっとできると思っていた。訓練みたいに、もっと簡単にうまくいくと過信していた。


 甘かった。

 

 後ろからついてきている女子をちらりと振り返ってみると、直接剣をふるったわけではなかったものの、二人とも疲れ切った顔をしている。

 そりゃあそうだ。二人とも今日初めて、直接殺気を肌で感じた。殺されるかもしれないと思った。

 これまで十五年生きてきて、縁のなかった感情だ。強烈な殺意を全身に浴びる、それだけで体力はたやすく減る。


「あ……っ」


 視界の端に、わずかによろめく影が見え、反射的にフィルは飛び出した。

 

「危ない!」


 よろめいて倒れたヘレナの体を受け止める。

 と、そこで足がずる、とすべった。


「うあっ!?」


 ヘレナを受け止めた拍子に、なぜか急に足の力が抜け、足がもつれて二人一緒くたに転倒する。

 とりあえず、とっさに体をひねってヘレナをかばうことには成功する。


「ちょっと、大丈夫!? ……って、あんたたち何やってんの」

「……え?」


 ぎょっとしたエリザが駆け寄ってきたところで、何とも言えない気まずそうな顔になる。

 ヘレナが、地面に手をついて体を起こしながら首をかしげ。

 自分の下を見下ろして。

 一気に顔を赤く染めた。


「ご、ごめんなさい! フィル、大丈夫ですか!?」


 ヘレナがパッと飛び起き、立ち上がって必死に何度も頭を下げる。

 そこには、呆然とした顔で全身固まっているフィルが大の字になって倒れていた。

 彼女をかばって地面に自分から倒れたフィルは。

 当然ながら彼女の下敷きになる形で倒れ。

 結果的に、傍から見ればヘレナに押し倒されるような体勢になってしまっていた。


「……すごかったよ……」


 うめきながら起き上がったフィルは、苦笑しながら頭をかく。


(……まさかの着痩せするタイプだったのか……)


 ヘレナをかばって倒れた拍子に、やけに弾力のあるものが顔に押しあてられ、あやうく窒息するかと思ってしまった。

 やけに柔らかい感触だと思ったら……。

 これってもう少し堪能すべきだったんだろうか、などと考えかけて赤くなり、急いで首を激しく横に振ったフィルだった。

 考えたとしてあとが怖い、じゃなくて! 


「まったく、そろそろ行くわよ」

「あ、ああ」


 エリザがほとほと呆れたという顔でため息をついて、フィルに声をかける。

 とりあえず、仕切り直しだ。


 尻についた土をはらい、立ち上がって歩き出してから、あれ、とひっかかった。

 しばらく歩いてから、ようやっとその違和感の正体に気づく。

 いつもなら、必ずといっていいほど何か反応を返してくるレオンが、さっきのやりとりでは何も言ってこなかった。それどころか、首を突っ込むことさえしてこなかった。

 今も、一番先頭の、少し離れたところを一人で歩いている。

 それが、少し気になった。




「……本当にレオン、どうしたんだろう?」


 夕飯時になっても、薪集めに行くと言って野営地を離れたレオンは、一向に戻ってこなかった。

 女子たちにレオンをつれてくるように頼まれ、近くの木立の中へ入ったフィルはつぶやく。


(探知)


 魔法を使って探せば、レオンがどこにいるかはすぐにわかる。昔から知っている仲だから、探すことも簡単だ。

 どうやら、林のだいぶ奥にいるらしい。

 落ちている葉を踏み越え、サクサクという足音を林の中に響かせながら、フィルは一人林の奥へ突き進む。

 もうそうとう奥に来たかな、というところで、フィルは目にした光景に立ちすくんだ。


 そこは、一面に木の枝やら皮やら、木の残骸が転がっていた。


 視界いっぱいの破壊の中心に立っている人影は、立ち尽くしたままピクリとも動こうとしない。その手には、抜き身の剣が一振り。

 フィルはしばらく固まっていたが、自分を励ますように大きく息をはきだしてから、声をかけた。


「レオン!」


 声をかけられた人影が、びくっと大きく体を震わせた。


「……何だよ」

「何してるの、こんなところで。二人も心配してるよ」

「……」


 レオンは、振り返らない。無言で立ったままの彼に、フィルは続けて声をかけた。


「こんなに荒らしちゃって、君らしくもない。あれ、もしかしてけっこうへこんでた?」

「……うるせぇ」

「やっぱりへこんでたんだ。そっかー、そりゃこたえるか。君、僕より剣使えるっていってたもんね」

「…………うるせぇ」

「あれだけ言っといて、今日いざってときに散々だったし? 余裕ぶってたわりにたいしたことできなかったしねえ。やっぱりまだまだ……」

「…………うるせぇ!!」


 レオンが顔を真っ赤に染め上げて、振り向きざまに怒鳴った。こめかみには青筋が立っている。

 フィルの方も、かなりえぐいことを言っている自覚はあった。心臓なんてバクバクいっている。だけどここまで言ったらもうヤケクソだ。


「フィル、テメエがそれ言うか!!」

「たしかに、君より弱い僕が言えた口じゃない。だけどさ、いつまでもうじうじしてんなよ、みっともない」

「……っ!」


 フィルの言葉に、レオンがぐっとつまる。


「僕らが弱いなんてわかりきってたことじゃないか。君が剣の稽古で誰よりも強いっていったって、しょせん村の中での話だよ。外に出れば、強いやつなんてそれこそはいて捨てるくらいいる。それが早いうちにはっきりしただけマシだと思う。あんまりいじけてると、それもうただのガキンチョだよ」

「……っ」


 一方的に言われている間中、唇をかみプルプル体を震わせていたレオンが、ぷいっとそっぽを向いて林の奥へとずんずん歩き出した。


「あんまり遅くならないうちに戻って来なよ」


 その後ろ姿に声をかけたが、返事は返ってこなかった。


 自分なんぞより、レオンはずっと強い。多分今日のが、彼にとって剣で初めての挫折だ。

 だが、個人的には、強いからこそ早く立ち直ってほしい。


(でもこれは、僕の役どころじゃないっての……)


 こういうことをするなら、普通は教官の出番だ。

 友人の怒ってる顔なんて見たくない。

 ついでに、内心の荒れ狂った感情で真っ赤になって、少しいじったら今にも涙目になりそうな顔も。


(さて、戻ろうかな)


 フィルは林の出口へと足を向けた。多分、ごはんが終わる頃にはあいつも戻ってくるだろう。




 結局、レオンは三人が食事をしている間にふらりと帰ってきた。その顔はまだ少し悔しそうだったけど、荒れた雰囲気はすっかりなりをひそめ、いつものレオンに戻っていた。

 その日は互いにほとんど話すこともなく、四人とも食事と後片付けを終えると、すぐに眠った。

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