注意事項とむかっ腹
とりあえず目的地が決まり、ほっとしたところで奥の部屋の戸が開いた。
「……終わったのかい?」
ノルンが首をひょっこりとのぞかせて、部屋の中をのぞいてきた。
四人がうなずくのを見ると、ノルンは満足そうにうなずいた。
「そうかい。それは上々。これを作ってたんだよ、持っていきな」
言うなり、彼女は何やら巻紙を投げてよこしてきた。レオンが慌てて受け取り、広げると、そこには簡単な地図の写しが書かれていた。
何をしていたのかと思ったら、こんなものを作ってくれていたらしい。
「これはありがたいや。遠慮なくもらってくよ」
「それと、あんたたちに言ってなかったことがあってね」
(え、まだあったの!? さっき、言うべきことは全部言った的なこと言ってたじゃない!?)
というか、正直もうこれ以上、あんなトンデモ話は勘弁してほしい。
駄目というか、おなかいっぱいだ。そろそろ、頭の中が容量オーバーでパンクする。
あれ、パンクって言葉この世界にあったっけ……? なら言い換えて、頭の中がめちゃくちゃになる、とだけ。
もっとも、すでに頭の中はいっぱいいっぱいだけど。
「で……その話って、何なの?」
エリザが、心底嫌そうに顔をしかめながらたずねた。
ノルンが杖をついてゆっくりと四人の方へやってくる。
その顔を見て、不意にフィルは思った。
あ、これ絶対よくない話だ。ノルンの顔がさっきよりもどことなく怖い。
テーブルをぐるりと回り込み、四人の前までやってきた老婆は、四人の子供たちの顔を端から順番に見回した。その眼が鋭く光る。
「旅の目的地に着くのに、特に時間の期限はないが、早いに越したことはない。なにせ、契約者が定まったのに、契約がまだ結ばれていない状態じゃ、魔法が不安定になっちまうんだそうだ」
「へえ、不安定に……って、オイオイまさか」
「できることなら、すぐにでも行ってほしいくらいなんだよ」
その言葉に、四人とも一斉に目をむいた。
「うぇっ!?」
「す、すぐにでも……!?」
固まっている四人の子供たちは、目を白黒させるばかりだ。
「え、でもぼくたちやることとか……」
「村の中のお仕事は、どうしたら……」
「そんなもん、どうにでもなるさ」
いやいや、どうにでもならないでしょう!?
とフィルは内心で首を激しく振った。
人ひとりならともかく、四人もいっぺんにいなくなるのだ。四人とも一応成人しているので、村の中で仕事というか、役割を分担して任せられている。現状でも村の生活にはぎりぎりなのだから、これまで四人がやっていたことを誰かがやらなければ、村の生活が回らなくなる。特に、フィルがかかわっていた食糧関係は、穴を埋めるのが大変な気がする。一朝一夕で埋まるものじゃない。
だが、村長はそんな四人の中に、さらに衝撃的な言葉を投げ込んできたのだった。
「それともう一つ。これが一番大切なことなんだけどね……」
続けて静かに放たれた言葉は。
後々から思いおこしても記憶に焼き付いて消えないほどに、強烈に突き刺さった。
「契約者ってのは、けっして歴史の表舞台には立っちゃならない。立場上、王族や貴族と関わってくることもあるだろうけれど、あんたたちはあくまでも裏方だってことを忘れないように。表には出ない、出自も明かさない。それを徹底しなさい」
「……?」
四人は、はじめは首をかしげていたが、やがて一つのことに気づいた。
これまで大人に習ったこといわく。
契約者とは、すなわち世界の監視者。何にもとらわれず、縛られない。バランスを保つために各国へ出入りすることもあり、そうでないときは世界を旅する者である。
完全に中立に徹すること。どの国にも関わりすぎず、傍観者たること。そして、ただの影であること。
名前はない。誰でもない。ただ世界の抑止力たれ。
極端に言ってしまえば、それが、選ばれた彼らに求められる役目。
そして、そのためには。完全に裏方に徹するためには。
四人は今後、彼らに関する情報の一切を伏せなければならない。おそらくは、彼らが契約者に選ばれた、という情報から、彼らの出自まで、全て。
これまでおどろきはしてもまだ受け止め切れていた四人だったが、これはさすがに無理だった。
「……冗談が、すぎますわ……」
顔面蒼白になったヘレナが、泣きそうな声でそれだけ吐き出す。
「……家族、へは、何と……」
ようやっと、フィルの口からかすれた声で出てきたのは、そんな言葉だった。
「……何も。何も伝えないこと。それが、決まりだ」
四人ともしばらく言葉もなく、ただ立ち尽くした。
「……後から、村長が家族に説明する。悪いが、あんたたちの口から伝えるのは法度だよ。感情をはかってやることは、できない」
(……嘘、だよね)
フィルは、呆然とする一方で、冷え冷えとした胸の内でつぶやく別の自分がいることを自覚し、こわばった顔に小さく笑みを浮かべた。
(ぼくたちがいなくなったことを、家族だけに話す? 村にその話ができないんだから、そんなわけない。きっと、ぼくたちは理由もなく姿を消したっていうことになる)
彼らが選ばれたことなんて、誰も知らない。ただ突然消えた、それだけだ。
そうなると、考えられるのは、勝手に森に入り、帰り道がわからなくなった、あるいは獣に襲われるか、野垂れ死んだか。
(いずれにしろ、ぼくたちは死んだことになる。そういうことでしょう?)
これから契約者として外に出たら、この村との関係も隠して生きていかなければならない。ノルンの言葉は、そこまで含んでいる。
つまり、もうここへは二度と戻ってこられないのだ。
それをわかっている村長が、わざわざもう戻ってこないとわかっている子供の安否を、その家族に伝えるはずもあるまい。
「……はっ」
不意に、大きなため息が出てきた。
それとも投げやりな笑い声だったんだろうか。
正直、どちらでもいい。
選ばれたことを、どうこう言う気持ちは、とうの昔にすっ飛んでいた。
ただ、何というか。ものすごくムカついた。
こうなったらもう、やれるだけやって全力で体当たりしていくしかない。
「言うまでもないが、出発は誰にも見られないようにすること。山を安全に下りるための地点は教える。そのあとは、あんたたち次第だ」
ノルンの声を遠くにぼんやりと聞きながら、フィルは、唐突に、ああ、昔急にいなくなった人も、もしかしたらこんな風に突然選ばれたのかなあ、なんてことを考えていた。
「……あたしにこんなことを言われたかないかもしれないが、旅の無事を、祈ってるよ」
ノルンが、急に顔をゆがめて、孫を見る老人のような顔になった。その顔は、今まで見てきた中で一番、年老いてしわくちゃに見えた。
「……たしかに、今は何も言われたくない」
誰からともなく、ふいにそんな声がこぼれた。だが、誰からでもよかっただろう。
それは、この場全員の気持ちだったから。
このときばかりは、四人とも以心伝心で互いの気持ちがはっきりとわかった。
「……こんちくしょうめ。運命ってやつ、もし出会うようなことがあったらボコ殴りにしてやる」
レオンが不敵な笑みを浮かべて吐き捨てるように笑った。
その額に、青筋が見えたのはきっと見間違いじゃあるまい。