袖振り合うも
袖振り合うも他生の縁……躓く石も縁の端……コンビニ帰りの男と、とある少年。そこには一体どんな縁があるのか……。
少し重めの内容ですが、読んで下さった方の中に少しでも何かが残れば幸いです。┏〇ぺこり
①
強い日差しが降り注ぐ、夏の昼下がり。男は公園の脇道を歩いていた。
「どうにかならんかねぇ……この暑さ……」
手の甲で額の汗を拭い、空を見上げる。雲一つ無い青空に、夏の日差しが筋を引き踊る。
そんな晴天の下、公園では、夏休み中であろう子供達が楽しげに駆け回っている。
「若いのぉ…」
なんて、我ながら年寄り臭い言葉をこぼしつつ、男は公園の脇を通り過ぎ、横断歩道の前で立ち止まった。
目的地のコンビニは、横断歩道を渡りきったすぐ傍。そこまで辿り着けば、涼しい世界が待っている。男にとっては――というよりも、この炎天下に外に出ている者にとっては――それは天国か楽園かのようにも思えるものだった。
なかなか変わらない歩行者用の信号に、少し焦れながら男は待つ。やがて、信号が赤から青に変わり、男は、それまでより少し歩みを速めて、楽園への扉を目指した。
透明な扉の向こうに見える楽園。その扉が、音も静かにスーッと開く。中からこぼれ出てくる冷気にホッとしながら、男はその扉をくぐった。
数分後…いや、十数分以上、楽園を堪能した後――雑誌をゆっくりと立ち読みしていたのだ――男は灼熱の世界へと戻ってきた。
「あ……あちぃ……」
つい先程までいた快適な楽園との落差も相まって、さらに暑さが増して感じられる。
男は、どんよりとした気分になりつつも、夏の日差しに焼かれたアスファルトに足を踏み出していく。
横断歩道を渡り、公園の脇道。先刻と変わらず、駆け回る子供達。違うのは、男の片手に提げられたコンビニの袋くらいだろうか。
男は、その袋の中身をちらっと見やった。袋の中身は、缶ビールとつまみのさきイカ。
汗を掻いている銀色の缶を見て、飲んだ時のことを想像したのか、少しにやっと顔が綻び、また男は前を向く。
するとその眼前に、もう一つ、先刻と違うものが飛び込んできた。
――それは小さな子供の肩。
「おっとっ!」
缶ビールに心躍らせすぎていた男は、その子供と危うくぶつかりかけてよろめいた。
「とっと……ごめんよ」
何とか子供とぶつかる事は回避し、振り返りながら男は謝った。
「…………」
そこにいたのは、汚れた半袖の服を着た小さな男の子。
公園のフェンスに手をかけて、顔だけをこちらに向けてきた。
小学生の低学年くらいだろうか。その男の子は、感情の無い目で男を一瞥した後、くるりと身を返し、背中をフェンスにもたれかけさせた。そして、そのまま、視線を下へと落とす。
(無愛想な子だな…)
男は片手で頭をぽりぽりと掻きつつ、帰路へと足を戻した。
②
(無愛想な子だな)
男は背後にいるであろう子に対して、そう心の中でこぼした。
しかし、何かが引っかかった。
男には、その違和感の正体を掴むことが出来なかった。
「まぁ、いいか」
冬の日暮れ時。まだ本格的な冬将軍は到来していないものの、外は十分に寒い。男は着物の襟を寄せ、カラカラと下駄を鳴らし、小走りに家へと戻った。
「お、今日は湯豆腐かい」
長屋の玄関をくぐると、暖かい熱気が体を包んできた。
「あ、あんた。おかえりなさい」
着物の袖をたくし上げ、女が鍋の蓋を取る。
「準備、出来てますよ」
鍋からこぼれる湯気は、冬の寒気に冷やされた男の頬をくすぐった。
「うまそうだねぇ。さっそく頂こうか」
夕餉も食べ終わり、男は囲炉裏でくつろいでいた。
ふと家路の途中ですれ違った子供のことを思い出し、女に話しかけた。
「そういや、さっき帰る途中でよ、変なガキがいたんだよ」
「へぇー。どうしたんだい?」
女は、椀を洗いつつ、背中越しに返事を返した。
「いやなぁ……ちょいとぶつかりかけてよ。謝ったんだが、返事もしやがらねえんだ」
「そりゃまた礼儀を知らない子だね」
「だけどなぁ……なーんか引っかかったんだよなぁ」
男は胡坐をかいたまま、後ろ手に両手をついて、顔を上げた。
そのままの姿勢で、男はしばし屋根板の木目に目を凝らした。囲炉裏の炎に淡く照らされ、闇の中、木目が生き物のようにゆらゆらと揺れているように見えた。
「引っかかったって、何がだい?」
後片付けを終え、女は、濡れた手を拭いつつ男の向かいに腰を降ろした。
「上手くは言えねぇんだけどよ……なんていうか、こう……くらーい目をしてたんだ」
眉根を寄せて男は続ける。
「なんかなぁ……妙な感じがしたんだよなぁ」
結局それ以上、男にも上手い言葉は見つからず、男は、囲炉裏で燻る火へと視線を移した。
「ふーん。何かいじめられてでもいるのかね」
女は、特に気も無くそう言葉を返した。
「ふむ……」
男は頬杖を付きつつ、短く嘆息を漏らした。
事件が起きたのは、七日後のことだった。
夜中に、女の悲鳴が響き渡った。
急いで駆けつけた隣人が、玄関を開けて見たものは……包丁を片手に、顔を真っ赤に染めた少年の姿だった。
その少年の脇には、さらに小さな女の子がしゃがみこんで震えていた。
何事かと駆けつけた男の目に飛び込んできたのは、役人に連行される少年と、その少年に泣きじゃくりながら駆け寄ろうとしている女の子の姿であった。
男が胸を衝かれたのは、その少年の顔に見覚えがあることに気付いた時だった。
七日前の日暮れ時、男がぶつかりかけた少年。その時の男の子が、顔を血に染め、手に縄を打たれ連行されている。
近所の人なのだろうか、四十絡みの女性が、必死に少年に駆け寄ろうとしている女の子を抱きとめていた。
男は、まだ夢の続きなんじゃないかと錯覚しそうになりながら、目の前に広がる異様な光景を見つめていた。
少年の母親は、夫を早くに亡くしたらしい。それからは、女手一つでなんとか生活を切り盛りしていたらしいが、あるとき、知り合った男の子を身篭った。
……しかし、男は幾ばくかの金を渡し、逃げていったという。
それからは酒びたりの日々で、子供達にもよく手を上げていたらしい。
少年は、父親の違う妹を、いつも庇い守っていた。
そしてあの夜、酒に酔い、狂乱した母親から妹を守ろうとして、刃物を握り締めた。
後日、その話しを聞いた男は、悔やんだ。
(思えば、あの時の違和感はこれだったんだ……)
なぜ何もしてやれなかった。そう思うと不甲斐なさに悔しくなる。
そんな夫の腕を、妻はそっと包み込んだ。
③
「とっと……ごめんよ」
灼熱の日差しの下、男は小さな子供とぶつかりそうになった。
その少年が着ていた汚れたシャツの袖と、男のシャツの袖が一瞬触れ合った。
謝罪の言葉にも無言の、その少年に対して男は思った。
(無愛想な子だな……)
そしてもう一度振り返る。
(だけどなんか……変だよな……)
袖口から見える男の子の腕に、何かあざのようなものが見えた気がした。
重めの内容ですが、育児放棄の事件を報道で見た時に、こみ上げたものをそのまま書き殴った作品です。
粗い部分も多々あったかと思いますが、読んで下さった方に感謝をっ。