【模倣掌編】とある教育実習生の苦悩
それは、一つの理不尽から始まったのだと思う。
教育実習という名目で、母校にやって来て二週間がたった。
期間は三週間。残り数日ということで、二回授業を持つこととなっている。
そんなわけで、教員の課題に沿って問題を生徒に渡しにいった。いきなり重い課題を増やされたからなのか、不満がふつふつと伝わって来る。
課題「『桃太郎』において不思議に思ったことを述べ、具体的に考察しなさい。尚、上限は一枚とし文字数の下限はないものとする。余程の場合を除き再提出はないので気楽に書いてください」
自分で書いた筈なのに理解が追い付かない。疑問点がいくつも湧き出てくる。これもあの課題が原因なのだが、これでこちらの意図を理解してくれるのだろうか。少し心配になってきた。
数日後、俺の机に百枚近くのプリントが束になって置かれていた。受け持っているクラスは一つなのだが、どうしてこうなっているのだろうか。
「村瀬、お前もしかして忘れていたのか?」
隣の机を借りている吉井が声をかけてくる。数学科担当ということで、机の上には何十冊もの赤本が積まれていた。
一応、高校時代からの同級生なのだが、特に接点のない間柄である。
「教えるクラスの数、三クラスだってこと」
「はあ?」
そんなこと初耳である。全ての議事録に『担当クラスのみ』と書いてあったはずだ。
「お前の場合、僕の方と違って大教室での授業だからだろうな」
高校生の時、大教室は時々使う程度であった。そこでは、大体倫理とかの頭が疲れる授業が多く、頭が下がっている生徒が頻出している。
「……まあ、それはいい。吉井は何をしているんだよ」
吉井の担当は一年の特進クラスであった。二番目に頭のいいクラスとはいえ、赤本片手に講義するほどの学力はない。それが可能なのは、俺が担当している一組の内、更に上位の
一握りだろう。
「村瀬が想像しているのであろう過去問には興味がないけど。出来れば受験勉強の心境とか教えておきたくて。僕の経験談だと反面教師にしかならないから」
言いたいことだけ残して、去っていった。教科別の職員会議なのだろうか、数学の教員だけが一方向に向かっている。
さて、そろそろ山積みになった課題を解決しようか。仮にも高校一年生、流石に奇天烈な回答をする奴はいないだろう。それが、例え変人集いの一組が含まれていようとも。回想してみた限り問題児は二十四人中、十人程度。多く見積もっても、たったの一割と考えれば気が軽くなった。
主食は後回しにして、最初に吉井が担当している二組から見てみることにする。吉井曰く素直な奴が多いらしいので前菜にもってこいである。
一年二組 安藤
不思議に思ったことは、川に洗濯をしにいったおばあさんである。そもそも大きな桃を担いで自宅にあったのも問題である。しかし、そもそも川に流れている桃を拾うこと自体がおかしいと思いませんか?
疑問形で考察を終わらせるなよ! 心の中で叫ぶ。
もう気が重い。どうやら問題児は二組にも偏在していたらしい。
安藤は一応回答しているので、こんなのでも再提出は免れる。この疑惑の判定は高校生の時から不思議に思っていたが、採点する側にも意味が分からなかった。
秀才、天才の軍団である一組、優等生であるが学力が高い訳ではない二組。そういった学生時代の偏見が、ここ二週間でぼろぼろに崩壊していた。
ならば、高校の意図としては『理系育成クラス』だった筈の四組はどういう傾向になっているのだろうか。当時の俺は理系バカの偏見を抱いていた筈である。欲望に従ってパラパラと捲り、題名を纏めてみる
・河川流量と桃の速度の比較
・桃の密度と桃太郎の大きさの比較
・桃の大きさと果実の厚さの相関性について
・おばあさんは何故桃を食べようと思ったのか
・おばあさんはどうして桃太郎を傷つけることなく桃を切ることが出来たのか
・桃に包丁を一回刺すだけで切ることが本当に可能なのか
君たち、まず桃から離れようか。
どうしてそこまで桃に固執するのか。
・鬼ヶ島に行く過程が何故省略されているのか、環境破壊の側面から考察してみた。
・犬、猿、雉の速度に桃太郎が追い付ける理由
・三種の動物を手なずけるきび団子の成分
そうじゃない。そういうことを言いたい訳ではない。
確かに桃からは離れている。だが、君たちに一つ言いたい。
俺は現代文の教師なんだよ。何故、現代文の課題に成分とか持ち出すのか。
一通り見た結果、どうやら理系バカの偏見は間違っていなかった、ということだけは分かった。
どうしてここまでこちらの意図とすれ違うのだろうか。息抜きも兼ねて梅昆布茶を一服する。
少し濃くしたこれは、天体観測に連れ出された記憶を思い出し、心を落ち着けてくれた。
残り約二十枚。一組を除き終わらせた。他のニクラスの内、授業で使えそうなのは四分の一程度と予定枚数よりかなり少ない。なので、見たくないが確認するしかなかった。
・一年一組 × ○○
頭の中の問題児リストにある生徒の名前である。過剰に真面目な奴と過剰に問題行動を起こす奴を記録している物だが、○○の場合は後者である。
・この課題に何の意味があるのでしょうか。それが唯一の疑問点です。
そんなことだと思ってた。
こいつの名前を見た時には再提出の判を押していたが、あながち間違っていないと思う。
・私には担任の意図がすべて分かったが、この余白はそれを書くには狭すぎる。
プリントの上から二行にこれだけ書かれている。どこから突っ込めばいいのか分からないが、とりあえずこれだけは書かせてもらおう。
『無目的ではないので再提出』
そもそもプリント一枚で足りないということは滅多にない――
・何故、鬼たちが酒盛りをしていたかについて考察してみました。
それを考える前提に考えるべきものがあります。短期間で成長し、鬼ヶ島に三匹を引き連れて侵略した桃太郎、赤ん坊が入る大きさの桃を一刀両断したうえにきび団子という名の麻薬を製造したおばあさんのことです。
(中略)
かろうじて得た資源を分かち合う方法として、瞬時に消費したかのように見せつけることが出来る宴会という行為は合理的なものではないでしょうか。残念ながら、必死で得た資源は強者である桃太郎の手によって略奪され――
そういえばご丁寧に埋めてくる奴もいた。大きさが整った字で書かれている分読みやすいのだが、幾分長すぎる。俺は原稿用紙一枚程度を想像して出したのだが、千文字はありそうな量である。
こういう生徒がいるから、態々最小文字数なんてものを作ったというのに……
俺は目を疑った。何度も瞬きしようが、お茶をすすろうが変わらない。
・鬼と桃太郎の正義感について
桃太郎には、井戸が世界だった。そこには疑う余地もなく、大海があるとは考えもしなかった――
後者の生徒でありながら、内容はいたってまともである。こちらの的を射た回答なのだが……
どうしてA1の紙を使ってるんだ!?
『文字数が足りないのなら、紙を大きくすればいいじゃない』の理論なのか、薄紙に書くことによって見つからないようにしていたらしい。そよ風で破れそうな薄紙を丁寧に扱って記録する。
これで、一通り確認したと思う。溜息を一つ吐いて帰り支度を始める。もうこんな課題は出さない様にしよう。齢二十二、我ながら若すぎる悟りだと思う。
鞄を持ち上げると、一枚のプリントがひらひらと机の上に乗る。無視して帰ろうとするが、背後から禍々しい殺気じみた何かを感じた。
背後に誰かいる訳ではない。
普段なくて、今日ある物。
全身が警戒する中、爆弾をもつ様に慎重に、大胆につかみ取る。
別に問題児リストに載っている生徒でもない。あれは唯の思い込みだろう。今更普通の生徒のものを読むのなんて、大した苦労もなかった。
十分後、俺の問題児リストが更新された。
こういう小説を一度でも書いてみたかった。一人称の練習がしたかった。そんな掌編です。
いつか主人公の結論も書けたらいいな、と授業編を示唆しつつ後書きを終わります。