18.貴族のお坊ちゃんの相手をしよう
クラノさんの声が飛ぶ。
「その炎、それは自然に出ているものではありません。
アッシュさまの魔力を源として、現出している魔力の炎です。
すなわちその支配権はあなた自身にあるのです。
まずはそれを認識するのです」
そう言われても……。
「炎の向きや熱量を変化させられませんか?
なにかひとつのきっかけがあれば、それは容易にコントロールできるようになります」
「や、やってみるよ」
俺は意識を集中する。
既に腕の炎は肩口まで燃え上がり、足の炎は股間付近まで上がってきている。
火傷するような熱さではないのは、俺自身が術者だからということか。
だが、まったく熱さを感じないわけではない。仄かな温かみは感じる程度だが。
「例えば、その炎の勢いを減少させるように!
あるいは、勢いを増すように!」
勢い増すったって。全身が炎に包まれたら危ないんでしょうが。
精神を集中して炎の勢いを殺すべく消えかかる炎をイメージする。
が、効果はない。
「勢いがダメなら、その熱量です。
魔力を抑えるのは経験が必要です。
どちらかというと、熱量を上げるほうが易しいかと」
クラノさんはまだ冷静だ。
ってことは、そんなにピンチってわけでもない?
それに、チート持ちであるこの俺が、魔力のコントロールの術を身に着けるだけの初期イベントで失敗してしまうってのもありえないか。
若干の落ち着きを取り戻した俺は自分の体を覆いつつある炎の状況に意識を配る。
四肢へと燃え広がるまではかなりのハイペースだったが、それ以降は炎の拡大はじわじわといった感じでまだまだ全身に燃え広がるまでは時間的な余裕がありそうである。
ならば……。
暖かさと熱さの混じった不思議なこの炎の熱量を。
下げるのではなく、上げる。
気合? 根性? 踏ん張り? とにかくそんなので、炎の勢いと、その熱量をアップさせるべく思考を組み立てる。
「あっ……」
炎の質が変わった気配を感じた。
じわりとした熱さからひりひりとするような熱さへと。
「クラノさん? これって……」
「ええ、徐々にですが、魔力の流れを制御できているようです。
もうひと踏ん張りです。
炎を一か所に集中できますか?」
「やってみる!」
なんとなく、魔力の流れが感じられるようになった。
下半身を循環する魔力を上半身へと誘導する。
左手の魔力も右手へと。
気が付くと、両足と左腕からは炎が消え、右腕の拳にだけが燃え盛る炎で覆われている状態となった。
「素晴らしい。魔力の量も相当ですが、この短期間でひとまとめにできるとは!
アッシュさま、あなたは魔術の才能がありますよ」
「それはいいんだけど……。
この右手のやつは……」
「単純に消えろと願っても、消すのは難しいでしょう。
徐々に体の内側へと吸収していくイメージです。
できますか? いや、できるはずです。やってみてください」
……と。
なるほど。急に消そうとしても、まだ未熟な俺にはコントロールしかねるということか。
徐々に体内に戻すイメージ……っと。
さっきまで、慌てふためいていたのが嘘であるかのように、炎は勢いを失い、やがて消えてしまった。
「上出来です!!
今度は、もう一度、魔力を炎に転化させて灯すということをやってみましょうか?」
とクラノさんは新たな課題を出してきた。
ふと気になってルーナの方を見るまでもなく。
「ちょっと、クラノ。
そっちが落ち着いたんなら、ルーナちゃんも見てあげて」
とマーキュットさんの横槍が入る。
「これは失礼。
アッシュさまの潜在能力に少しばかり興奮してしまったようです。
して、そちらの状況はいかがでしょうか?」
と、クラノさんはルーナの様子を見に移動する。
ひとりでやって何かあったら怖いので俺もそれを眺めることにした。
「ふむふむ。ルーナさまも筋がよろしいようで。
ただ、魔力量が足りてませんね。
追加いたしましょう」
と、クラノさんはまたルーナの頭に手をかざして「ふんっ」と小さく気合を入れる。
かくして、俺もルーナも魔術習得の第一段階はごくごく短時間でクリアできたのだった。
クラノさん曰く、子供のほうが順応性が高いので、俺達二人とも馬鹿げた才能があるとは言い切れないが、なかなか見込みはあるほうだとのことである。
懸念されていた床のコゲも何故だか僅かですみ、後日カーペットを敷きかえるということで事なきを得た。
もちろん、俺達に弁償させるなんて話は出ない。さすがはお金持ちである。
さて、次は第二段階らしい。
さっきは、クラノさんに注入された魔力をきっかけにして俺達は魔力を活性化させたが、今度はそれを自分の力でやるというのだ。
「既にお二人とも魔力の制御のコツは掴んだと思います。
ならばご自身の意思で炎や、ルーナさんは風ですね。
そういうものに魔力を変化させられるはず」
「こんな簡単に終わるんだったら、わたしもこっちの方法が良かったかもしれないわ」
と、マーキュットさんが愚痴っぽく言う。
「いえ、お嬢さまの練習法は、ことに魔力を丁寧に扱うためにはいずれ必要となるものばかりです。
遠回りにも思えますが、決して無駄にはならないのですよ」
クラノさんが宥める。
さて、さっさと次の段階へと進もうかと皆が思ってたのであったが。
「お嬢様、失礼いたします」
とドアの外からメイドの声がする。
「どうしました? 来客中ですのよ?」
「それが……。
リグズレー様がお見えになられまして」
「まあ、こんな時に。どうしましょう……」
「お嬢様、アッシュ様達の訓練は後程でも……」
「そうね、ここに通していただける?」
「かしこまりました」
とメイドが音も立てずに離れていく気配が伝わってきた。
「誰か来るの?」
ルーナが聞く。自分たちはここに居たままでよいのだろうか?
という意味も込めているような口調だ。
「ええ、お父様のお知り合いのご子息でで。
有名な方だから、皆さんもご存知だと思いますが、ヴァンファーレ候の第二子であらせられますリグズレ―様です」
ヴァンファーレ、ヴァンファーレ。
ああ、俺達の住むグリーブ公国のグリーブ公――ありていにいえば王様的存在――の親戚にあたる一族だ。
領地は与えられていないが、副国王的な身分で首都で暮らしている大貴族。いわばこの国のナンバー2という……って大物じゃん?
そんな大金持ちのお坊ちゃんが来るのに俺達居てもいいの?
「ええ、一緒に居てくださったほうがわたくしとしては助かります。
どうにも、苦手……というわけでもないんですが、二人で会うのは気後れしてしまう方ですので」
じゃあ、まあ。マーキュットさんの望みなら仕方ないけど。
置物と化そう。この場には存在していても、動かず不用意に喋らず、そして気配を消そう。
そんな意味もない決心を固めていると。
ドアがノックされる。
「マーキュット。僕です。リグズレーです」
若い男の子の声がする。声だけ聴いているとお上品なお坊ちゃまそのものである。
「どうぞ、お入りになってくださいまし」
優雅に入室してきたリグズレーとかいう男の子は俺達よりも多少は年上のようで。
だが、お坊ちゃま育ちというのがありありとわかるような。
上品な衣服を身に着けているが、肌は白く、そして極端な華奢であった。
そのリグズレーは、俺とルーナの姿を認めると若干ではあるが顔をひくつかせた。
「今、お友達がいらしてますの」
と、マーキュットさんが俺達を紹介する。
「ルーナ・カヤーテルと申します」
ルーナは上品に――スカートこそ履いていないので頭を下げただけだが――名乗る。
「ルーナの兄でアッシュ・カヤーテルです。はじめましてこんにちは」
「ああ……」
リグズレーの目には明らかに平民の子を見下すような表情が浮かんだのを俺は見逃さない。
が、マーキュットの友人ということで無下にもできないのだろう。
「僕はリグズレー。リグズレー・ヴァンファーレだ」
家名を言う時に力が入る。わかるだろ? 畏敬の念を忘れるなよとでも言わんばかりだ。
「で、このお二人はどういうご友人で?」
と、リグズレーは探りを入れるようにマーキュットに問う。
「ルーナさんとは前々からのお友達で。
お買い物に付き合っていただいたり、おしゃべりをしたり。
アッシュさんは今日初めてお見えになられたのです。
なんでもぺぉいくjhygtfれdwsくぁを始めたらしく、そのお話をお伺いしてましたのよ」
その途端にリグズレーの表情が険しくなる。
「ああ、ぺぉいくjhygtfくぁね。
僕らと違って、平民の子供は呑気でいいですね。
あんなお遊びに夢中になっていられるなんて。
そうでなくても、この国は魔物も多く冒険者も足りて無くて大変な時代だというのに」
と吐き捨てるように言う。
ああ、これってフラグって奴だな。
これが『ぺ』じゃなくってサッカーをdisるような発言だったら俺は切れていたかもしれない。
『お前にサッカーの何がわかるってんだ!』
『あんなのたかが球遊びだろう?』
『やりもしないでたかがとはなんだ! たかがとは!!』
と、売り言葉に買い言葉で、自信に満ち溢れ自意識過剰なお坊ちゃんは、
『あれくらい、僕でもできるさ。それも君なんかよりもよっぽどうまくね』
とか言い出して、
『なら、俺とサッカーで勝負だ!』
という展開が待ち受けていたのだろう。
が、けなされたのはサッカーではなく『ぺ』であるので俺は黙っていることにした。
それくらいの我慢は簡単で、こけしになってやりすごせばよいのだという処世術。
フラグをへし折ってやった。
でもことは穏便に収まらない。
まずルーナだが、睨む……というほどではないが、非難の籠った目でリグズレーを見据えている。が、こちらは睨むモアイ像といったところでさすがに、他人の家で侯爵の息子相手に喧嘩は売らない。
「あら、リグズレー様は、ぺぉいうjhygtfれdwswくぁのご経験はございませんの?」
と、はた目には冷静を装いつつ水を差し向けたのはマーキュットさんだった。
「やろうと思ったら出来るだろうけどね。
剣も魔術も嗜んではいるから。
ただ、バカバカしくってやらないだけさ」
クラノさんが、あっちゃーという表情を一瞬だけ浮かべたような気がした。
「やりもしないでバカバカしいなどと決めれるものではないでしょう?」
「わかるさ。だって、あんなの球遊びでしょう?
真面目に戦闘の訓練をしているほうが、よほど国の役に立つし。
優れた騎士であれば、ぺぉいくjhygtfれdさqなんて余裕でやってのけるさ」
マーキュットさんからカッチーンという音が聞こえた気がした。
「そこまでおっしゃるのなら、さぞ華麗にゴールなんかも決めて見せてくださるのでしょうね?」
「気は進まないけどね。やれる自信はあるよ。
ただ、ルールとかを覚える気にもならないってだけでね」
「では、覚えていただけません?」
「僕が? どうして?」
「わたしは見たいのです。
リグズレー様とアッシュさんが、ぺぉいくjhygtfrwくぁで対決するところを」
どういう意図でそんなことを言ったのかはわかりかねる。
が、リグズレーの思考をトレースするに。
どうやら、俺にマーキュットさんとの恋敵認定が下ったようである。
「お望みとあらば、お受けしますよ。
どこにでもいる平民の子と由緒正しい貴族の子息である僕の力の違いを見せてさしあげましょう」
最後にこういう憎まれ口を叩くところはさすがである。
試合するの? それとも決闘か? いつやるの? また今度でしょ?