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クロス・ロード

作者: あやあき

 私は扉の前に立っている。ここに着いてから、かれこれ三十分が過ぎていた。己の気弱さに苦笑するしかない。ただ彼の家を訪問するだけだというのに。

 意を決し、インターホンを鳴らした。とうとう押してしまった、と後悔が私を襲う。留守だったらしいな、なんて元も子もない事を思ってしまった。

 しかし、扉は開いた。ボサボサの黒髪と蒼白い顔が間から覗く。

 ドキリとした。

「……あのぅ、どちら様でしょうか」

 声変わりした低い声が私に問い掛けた。しかし、相変わらず気怠そうだ。

「秋野さんですよね? 探偵の」

「ええ、そうですが……ご依頼ですか?」

「はい」

「……立ち話するのもなんですから、どうぞ上がってください」

 秋野は扉を開け、私を招き入れた。そこからリビングと思わしき部屋に通され、ソファーを勧められた。座ると彼はテーブルを挟んで私の正面に座った。

「……今日、お茶を切らしてるんで……何も出せなくてすみません……」

 頭を下げる秋野に、慌てて「いえ、大丈夫ですっ」

 言いながら、あまり探偵業は繁盛していないんだろうな、と推測する。

「……それで、どのような案件で?」

「あっ、はい」

 傍らに置いてあるトートバッグからA4サイズの紙を取り出し、探偵の前に置く。探偵は紙を一瞥し、一言。

「……暗号……ですか」

 彼に渡した暗号は、次のようなものだった。



  3 O D Y B C T U M

  * G Y T O A J E (

  X J Y ” M L = T J

  A > E H P G A A R

  A O E Y R T Y A B

  A N L K I T @ H G

  O M L + M A M K N

  A 2 C D W 7 Q O G



「これは何処に」

「昨日、リビングに置いてありました」

「……リビング、ですか。誰かが侵入した形跡は?」

「……私はいつも――家にいる時でさえも――鍵を掛けています。昨日も、例外ではありません。それに――、家から紛失したものもありませんでした」

「……後半は、家宅侵入されたと暗示しているような言い方ですね」

 えっ、嘘。

「いえ、そんなつもりでは……」

「……こういう事をする人に心当たりはありませんか?」

 急に話題が変わった。私が余計な事を言ったせいだ。

「いえ、全く」

「……どうしてそう言い切れるんです?」

 先程の反省を生かして、何も言わない事にする。迂闊に変な条件を加えれば、彼を混乱させてしまう。しかし、秋野の口許が歪んだ。困っているんだろうな。

「……暗号の答えにヒントがあるかもしれません。この問題は取り敢えず保留にしましょう」

 私は頷く。その方が、都合が良い。

「では、ちょっと待ってくださいね」

 そう言って、探偵は腰を浮かす。

「ど、何処に行くんですか?」

 慌てて言った私に、彼ははにかむ。否、苦笑かな?

「逃げはしませんよ」

 彼が席を外したので、私は最近読んだ本格ミステリを思い出す。

 小説だと、こういう所で『読者への挑戦状』が来るんだろうな。発祥は誰だっけ? 何とかクイーンといったかな? 江戸川乱歩だっけ? うん? これだと日本人になるよ?

 で、こういうのだったっけ?

「これまでの文章には、間違いがない事をここで約束させていただきます。さあ、証拠は出揃った! 皆様の華麗な謎解き、お待ちしております!」

 何所のミステリ作家だよ。私は読んだ覚えはないぞ、こんな横柄な挑戦状。

「……こっちの世界に戻ってきてください」

 秋野が戻ってきていた。ノートパソコンを手に持って。

「あっ、す、すみません!」

「いえいえ、僕が待たせたんですから。――こういったアルファベットや数字が並んだものの解き方は、パターンがされています。解く鍵が現代的ですから、結構最近に出来たものなんです」

 突然饒舌になった。得意分野だからかな?

「例を挙げるならば……携帯電話。某アイドルの曲のタイトルにも使われています。特徴は、数字が羅列している所。今はスマートフォンが普及して使わない人が多くなっているように思えますが、従来の携帯電話――最近ガラケーと呼ばれているものです――は、文面を書く時、キーを連続的に押しますよね? 例えば『私』なら『0433』というように」

 前髪の奥から覗いた細い瞳は、爛々と輝いている。この眼、もっと見ていたいなぁ……。

「……聞いてます?」

「え? あっ、はい!」

 しかし秋野は不機嫌そうに口を尖らす。それは幼い子供の仕草に見えた。……こんな仕草もするんだ。

 心の中の独白にきりをつける。

「つまり、秋野さんは、携帯で打ったものだと……?」

「いいえ」

 そりゃそうだよね。じゃないと、パソコンを持ってきた意味がないからね。

 思わずホッと息が漏れた。

「携帯電話のキーでは、一つに付き、三、四種類しかアルファベットを打てません。なので、オ段が打てなくて、完全な文にはなりません」

「でも、オ段を使わなくても、文は作れます」

 反論すると、探偵は黙った。唾を飲み込んだのか、喉仏がこくりと動いた。

「……この暗号の作成者は、オ段を使わざるを得ない状況にあった」

 ポツリと呟いた言葉に、全部分かっているんだな、と察した。

「よって、携帯電話は使えない。という事で、これが使えるわけです」

『これ』の部分で、ノートパソコンを軽く叩く。そして、おもむろにノートパソコンを開いた。自分が反射する黒い画面と、正方形型のこれまた黒いバックに浮かぶ白い文字……。

「実際に打ってみましょうか」

 キュイーンという高い音とともに、パソコンは目を覚ました。Wordを起動させ、画面を自分に向けて、カタ、カタ……と一つずつ打っていく。

 しばらくして、画面に平仮名が並ぶ。こんな感じだ。



  あ ら し ん こ そ か な も

  け き ん か ら ち ま い ゅ

  さ ま ん ふ も り ほ か ま

  ち る い く せ き ち ち す

  ち ら い ん す か ん ち こ

  ち み り の に か ゛ く き

  ら も り れ も ち も の み

  ち ふ そ し て や た ら き



「……これに、意味なんてあるんですか?」

 どう見ても、ちゃんとした文には……というか単語にもなっていない。

 じっと目の前の探偵を見つめる。彼は口角を上げて言った。

「分かりません」

「え?」

 今、何て?

「……すみません、僕の力量不足です」

 そして、頭を垂れる。

 嘘でしょ? ……嘘だ。そんな、……そんな。

「こんな事を言うのもなんですが……、何かあったら、連絡してください」

 そう言い、懐から名刺入れを出し、名刺を取り出した。そして、名前と連絡先が書かれていない裏側に、ボールペンで何やらサラサラと書いた。

「……これは、ご自宅に着いてからお読みください。……処分はご自由に」

 ……まあ、ここから始めるのも良いかもしれない。時間は長くなるけど。

 私は名刺を受取る。目に入ってきたのは、印刷された無機質な文字。手書きだった良かったな……。

「……何かあったら、連絡させてもらいます」

「はい」

 席を立ち、玄関に向かう。秋野はそこまでついてきてくれて、また頭を下げた。その真摯な対応は、あの頃の不愛想な彼とは全く違っていた。……私はこの方が好きだけど。

 そうして、彼の家を出た。

 しばらく歩いて、彼の家から一番の最寄り駅に着いた。私の家までは五駅ほど離れている。

 電光掲示板に目を移すと、あと十分ほど待たなければならないらしい。長いな。溜息を吐いて、長椅子の端っこに座る。辺りを見回してみるが、ホームには私しかいない。

 ふと手帳を取り出す。否、本当に取り出したかったのは、その中に入っている写真。高校の卒業式に、クラス全員で撮った写真。私から見て、左が男子、右に女子が並んでいる。冷やかしの対象となった、何組かのクラス内の公認カップルが真ん中に半ば強制的に並ばされている。私は一番前の列の割と真ん中に近い所で、今でも連絡を交わしている親友と笑顔でピースサインをしている。そして、秋野は一番後ろの列の端っこで興味なさそうな、何処か冷めた顔をして突っ立っている。

 そう、私と秋野は高校の同級生だった。そして、その頃から……私は彼に惹かれていた。しかし告白をする勇気のないまま卒業してしまい、三年も経ってしまった。結局、秋野は私の事なんて、とうに忘れてるんだろう。


 今日彼に会おうとしたきっかけは、先週あった同窓会。そこに彼は来ていなかった。高校生だった時も、打ち上げとかがあっても全く参加していなかった。だから、特に違和感を覚えなかった。

 そして、どうやら会の欠席者は秋野だけだったみたいで、彼の事が話題に出た。ただ、あまり目立たなかったからか、そんなに話は続いていなかったけど。そこで、友人(前述の女の子だ)に訊かれた。

「ねえ、鈴村は、まだ秋野の事好きなの?」

 彼女には、高校時代、何度か秋野との事について相談に乗ってもらっていた。

「うん、好きだよ」

「へえ、結構純情じゃん。連絡取ってるの?」

「取れてる訳ないじゃない。私、彼に話しかけた事なんて数えるほどだし」

「どうせ、係の仕事で『宿題出した?』とか、挨拶程度でしょ?」

「それくらいしかないじゃない。それに、挨拶しても、会釈で済まされるのよ。絶対、鬱陶しがられてた」

「否、意外と違うと思うよ」

 急に、友人は真剣な顔をした。

「だって、あたし、何度か見たもん。秋野が鈴村の事見てたとこ」

「えー、嘘だぁ」

「何でこんなとこで嘘吐かなきゃなんないのよ。ちゃんと心配してやってるんだからね」

「ごめん、ごめん」

「だからさあ、脈ありだと思うのよね」

「本当?」

「だーかーらー」

「はい、はい。私が悪ぅございました」

 両手を上げると、友人はくすくす笑った。

「じゃあ、近々行ってきなよ。秋野のとこ」

「でも住所知らないし……」

「うっ、それもそうか」

 友人は莫迦騒ぎをしてる元クラスメイト達に問い掛ける。

「ねえ! 誰か秋野の住所知ってる?」

「何で?」

 幹事を務めている元室長が訊いた。その横で酒で赤くなっている、高校時代にもふざけていた男がニヤニヤと笑って、「何だぁ? お前、秋野の事好きなのかぁ?」

「違うわよ!」

 そう否定する友人の後ろで、私は恥ずかしくて俯いてしまった。

「あ、事件の依頼か?」

 幹事の男が思い出したように言った。

「どういう事?」

 幹事のお嫁さんになった目立ちたがり屋だった女が、火照った顔で夫に問うた。

「確かあいつ、大学中退して探偵やってるんだよ」

「大学中退って……あいつ、確か国立大学に行ってなかったか? 勿体ねぇ」

 現役大学生の男女が『勿体ねぇ』の所で一斉に頷く。

 幹事は続ける。

「そういう事なら、教えてやるよ。この前、ちょっと困った事があったから、秋野に依頼したんだ。朝飯前とでも言うように、すぐに解決しちまったよ」

「……ねーえ? 『ちょっと困った事』って、何の事かなぁ?」

 女が夫に詰め寄る。幹事の目が泳ぎ、「ど、どういう事でしょうか?」

「とぼけないで!」

 突如始まった夫婦の修羅場(?)に皆の視線が集まる。はやし立てる者までいる。

 いけない、これじゃあ秋野の居場所が訊けないじゃない。

「あのー、秋野の住所、教えてくれない?」

「あ、じゃあ後からメールで送るよ」

「鈴村ちゃん、こいつが色仕掛けしてきたら教えてねー」

 黒い笑みを浮かべる妻に、幹事は力なく笑う。

 ホッとしていると、友人が私を小突き、「やったじゃん」

「うん」


 その翌日、私は社会人になってから、一度もお世話になっていない、市内の図書館に行った。

 そこで、出来るだけ簡単そうなミステリについての本を借りた。彼を訪ねる口実を作る為だ。

 そうしてできた口実が、彼に見せた暗号だ。

 しかし、出鱈目に作ってしまっては、変に解釈されてしまうかもしれない。そこで、私はそこにメッセージを盛り込んだ。

 一番左上の文字から、一番右下の文字まで読んでみると、『あきんくすがのき』と書かれている。これらの文字を入れ替えると……『あきのくんがすき』――『秋野君が好き』となる。

 結局、彼は解いてくれなかった。

 鞄に手帳をしまった時、手に名刺が触れた。そういえば、秋野は何を書いてたんだろう。

 家に帰ってから、と言われているが、好奇心が勝って、見てしまった。そこに書いてある文を見て、私は絶句した。

 そして、ホームを飛び出し、彼の家まで走る。

 ……あー、全然速く走れないじゃない! ヒールの高い靴なんて履いてくるんじゃなかった!

 しばらく走り続けて、ようやく秋野の家に着いた。荒れた呼吸を整えて、インターホンを押す。もう、躊躇いなんてなかった。

「……はぁい」

 彼が眠たそうに眼をこすりながら出てきた。

 私は、秋野に抱きついた。

「えっ!?」

 狼狽した声が上から聞こえてきた。

「あっ、あの、鈴村さん、……もしかして、もう、あれを読んだんですか……?」

「うん!」

「家に帰ってからって言ったじゃないですか」

「気になったんだもん。仕方ない!」

「変わらないですね、そういう所」

「でも、秋野君は、私のそういう所、嫌いじゃないでしょ?」

 上目遣いで彼を見ると、彼は顔を真っ赤にしていて私を見ていた。

 初めて見たよ、そんな顔。だから……私以外に、その顔を見せないで。

 ぎゅっともう一度抱きつく。今度は、背中に腕が回った。

 幸せの中、私は彼のメッセージを思い出す。名刺の裏に書かれたあれだ。

『僕も鈴村さんの事が好きです。』

 こういう大事な事は、ちゃんと口で言いなさいよ! ……まあ、貴方らしいと言ったら、貴方らしいけど。

部誌に掲載したものです。

タイトルは某バンドのヒット曲より。

恋愛ものは苦手ですが、こういったほのぼの系は読むのも書くのも好きです。

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