第一章 コウサツ 上
あれから、多分だが……3日くらいが経ったと思われる。
朝起きてから、寒い外へ覚悟を決めて、ポストの元へと新聞やチラシを取りに向かう。
「……おお、さみぃ…………」
天候は晴れだが、いい気分などではない。先日から変わらず、我が身は疲労により、段差があるものなら、倒れて、気を失ってしまいそうだ。まさに、ダラダラした男だ。なら『ダラオ』とでも自分に名付けてあげようか。そういえば最近見たアニメでこれと似た感じの名前を聞いたことがあるなぁ……。
ここ何日か大したことが考えられない。
思考は妄想を繰り広げてるようで、オレは意思が入れ替わって、相手の方は記憶を失ってしまっていた…………なんて……。無論これは事実だ。ついでに、オレの身体はというと、まぁ、当然なのだが同棲しているのだ。それと、自分の意思の存在するからだは、今はシラハさんという人の身体と入れ替わってしまっている。
オレの妄想の中、夢の中だけにしてもらいたい……。嘘であってもらいたい……。
だが、これはやはり現実らしい…………。
倒れると、痛みを感じたのだから。
…………てか……この身体重た…………。
↑↓
作倉実代杜は、ただ、普通に就職をしたかった。受かればどこでもいい。バイト探しからまず、頑張っていた。
現在は、ちゃんとした職につくまで、別の家に暮らしている親から、生活費を賄ってもらっていた。
「シラハさん? 本当に何か思い出せませんか? なにか、何か、頭に浮かんだものだけでいいから、ぱっと浮かんだやつ、一つでい
いから何かないかな…………?」
平屋の小さな一軒家で、およそ八畳くらいの広さのある和室で、頬に絆創膏を貼ったきれいで整った顔をした、体型もきれいなラインの高校生くらいの女の子と卓袱台を挟んで、目の前には硬い表情をした、形容できるなら、勉強一筋とでも言いそうな顔をした男と、二人が畳の上で足を曲げて座っていた。
「すみません、代杜さん、本当に、私は『シラハ』という名前なのでしょうか? 聞き慣れていません」
「…………『記憶喪失』っていうのになっちゃったんだから、君が記憶を戻さない限り、確かじゃないんだよ。でも、君の荷物から出た名前だったから、多分合ってると思うんだよねぇ…………。それに、この手紙にも書いてあったし」
自分が悪かったということは口に挟まず、流れるように、話をそのまま別の方へと切り替える。
代杜は、座っているとなりに置いていた封筒を手にとってから、ひらひらとシラハに見せる。
「? 手紙、ですか?」
「今日の朝、ポストに入ってたんだけどさぁ…………、ああえっとね、昨日の医師からなんだけどね、どうやら君の家のほうに行って、君のことを聞いてきてくれたみたらしいんだよ」
「そうだったのですか。それにはいったい何が書いてあるんですか?」
座敷に正座しているシラハは、いっさい前のめりにならず、他人事の用に問いかけた。
無表情。
全く顔に表情の変化が無く、いっさい感情を表そうとせず、時に使われる表現をしてしまえば、シラハは、ロボットのようである。
ただ動くのは口だけ、本来は代杜の姿だというのに、たいして彼女の台詞は、代杜の体であっても一言一言には違和感がなかった。口調がただ代杜の外見にも合っているだけなのだ。
時折使う言葉には、少しおかしな発言があるのだが、それは、男の外見をしているとぴったり当てはまるのだが、無表情なままでは、何か足りなく不安定な発言であった。言葉遣いは敬語で、代杜はバイトの面接などで自分が敬語になったりするものの相手からされると、どこか気恥ずかしくなる自分がいる。相手が女性と思うとなおさらだ。しかし今は、女性といっても、外見が自分である。それでも無表情な自分の姿が、正面にいるとまた、別の羞恥が訪れていた。
それだけなら良い。まだそれだけだったのなら堪えられた。自分の体が別の人の体になっても、自分がまだ存在しているなら、生きるのには民家の方々との面識が薄く、バイト先が無い代杜なら、酷く害はないだろう。
当然自分にも体がなければ存在は出来ない。その体の元の持ち主が自分の人生に影響を及ぼさないのなら……良かった。
代杜の体は、シラハなのだ。
シラハの性別というのは、代杜にとっては異性なのだ。
異性。つまりは、女性なのだ。そのため体のつくりがちがうのだ。
さっきからもちょこちょこ、腕組みをしようとする度に、そのつど接触するわずかな胸元を気にして、腕を崩して、両肘を卓袱台につけて、つまらなそうに、あきれたとも言わんばかりに少し前のめりに体重を向けたりして、出来るだけ我が身(シラハの体)にたいして最低限のセクハラを回避したり考えたりした。
その思考など知らず唐突に、床に置いていた携帯が鳴り出す。
「あっ、ご、ごめん。ちょっと良いかな」
とっさに携帯を手に取り、焦りながら立ち上がる。
シラハに問いかけられたことにちゃんとこたえないまま部屋からでる。シラハの本心は実際知ろうと思っている感じはなく、別に話の途中でも気にしもしていなかった。
「はい、もしもし」
《手紙は届いたかな?》
「あの、すみません。どなたですか?」
見当は付いている。だがとりあえず、これからもかけてくるであろう可能性を考えた上で、あえて知らないフリをして見せた。
《届いたのならいいのだけれど、本題に突然入るが、今日来てもらえるかな?》
効果はなかった。寧ろ話を進められてしまった。
「人の話を聞くのが医者の役目ではないんじゃないんですか? まあいいですが。それで何でまたそちらに行かなければならないんですか? 僕の診察は来週ですよ? それともまたシラハさんにセクハラ発言でも飛ばしたいからって理由で、シラハさん連れてこいとかじゃありませんよね」
少なくともこの言葉には半信半疑が重ねられていた。変なことを言うに違いないとしか代杜個人にとっては思えなかった。
《昨日は君がシラハ君を連れてきたのだろう。ワタシがそんなことのために女性を呼ぶなどということもあるまい。少しワタシに対する主観がおかしいのではな》
「え? 先生、オレがそちら、病院に行ったのって…………三日前……です、よ…………?」
電話越しの鷸鑼の言葉を遮り、ひとつ言ったことの訂正を求める。
それから、鷸鑼の言葉まで数分の間が現れた。
《…………ぁ、ああ。そうだったな、すまなかったすまなかった。……まあ、とりあえず、今日は君だけに来てもらいたいんだ。今日ワタシは休みをもらってね、個人的に君に会いたい》
「聞き方によると、まるで僕の今のからだにでも何かを求めてるかのように聞こえるんですが…………。わかりました。一応そちら…………あ、そういえば。今日休みなんですよね? じゃあ病院にいないんですよね?」
《それなのだが、きみ、どこか落ち着ける良いカフェは知ってるかね? どこでもいいのだが、家には家族がいるから今の君の姿じゃ、家内の説得が厄介だ。だから、どこでもいいのだが、君の知ってるカフェで話をしたいと思っている》
「……そうですか。カフェチェーンならひとつ、月に一回は行ってる所がありますよ? 先生に合うかどうかは分かりませんが」
《そうかい。じゃあそこにしようか。場所は何処だい?》
「あ、それより先に、オレ行きたいところがあるので遅れます。ていうか、何時に会いますか?」
《……君は何時くらいなら大丈夫なんだい?》
現在、午前五時。
誰もが思うとおり、早朝五時。こんな時間に代杜、シラハが起きているなんていうのはあまりにも早起き主義すぎるのだが、そうではなく、昨日から二人はずっと起きていたのだ。何故なのかというと、シラハが昨夜遅くになっても、寝ようとしなかったのだ。代杜は自分だけ先に寝て、日付がちょうど変わったくらいの時間帯にトイレへと行こうとした際、和室のあかりがついていたから中を見たら、シラハが一人で卓袱台に足をしまい、その上で何かぶつぶつと呟きながら、起きていたのだ。
『まだ寝てなかったんですか?』と、そのときに訊いてみたら、シラハは代杜の方に顔を傾け、『眠くならないんです。おはようございます』と返してきたのだ。続けて、『暇です』と言ったものだから、代杜は、自分の顔が正面にあるというのに気分が悪いと思いながらも、話し相手になってあげようと思って、先ほどまでの会話の状況に至ったのだ。
実を言うと、二人が会ってから代杜もシラハも寝ていなかった。代杜は小一時間は寝たが、簡単に言えば寝不足なのだった。それにひきかえ、シラハは一切睡魔を感じているようなことはなかった。
ーーかっ、睡魔も感じない体質か。羨ましいもんだ。
などと代杜は妄想じみたことをして一人勝手に羨ましがっていた。
「多分、お昼までには用事が済むと思います。十二時過ぎなら会えます」
《そうかい。なら、十二時半に喫茶店で会おう。じゃあ、最後に君の言うカフェの場所を教えてくれ》
「わかりました。そこはーーーー」
「代杜さん。私はいったいこれから何をすればいいのでしょうか? 私は高校生なんですよね? 今日も学校はありますよね? 私の友達とか、学校の先生とかに何か迷惑になったりしないんでしょうか…………」
代杜が電話を終わらせて部屋に入ったとほぼ同時に、シラハが初めて何かを心配するような表情を浮かべていた。
「学校かぁ……。学校には一応、シラハさんが風邪をひいて休みますって、鷸鑼先生が直接電話してくれたみたいですよ? だから、だいたいのことはあの先生がやっておいてくれてますから、そんなに気にしなくても大丈夫ですよ。それより、まずシラハさんの記憶が戻るまで他のことはあまり気にしないでいいと思います」
「はい……わかりました…………」
どうやら今のことに関しては少し気にしていたらしく、何処か落ち込んだ様子が肩の動きからとらえられた。
学校の方には、確かに鷸鑼が話をしたのだが、事実の方はまだ知らせていないらしい。もし事実を伝えたところで、疑われることしかないだろう。それに学校に知らせたことがいつまで持つか、この二人の状況が無論いつ戻るのかもわからない。記憶も戻らない限りはどうにもならない話だった。
「シラハさん、僕は今日ちょっと鷸鑼先生に呼ばれたから、家にいないけど、大丈夫かな? できれば外には出ないでもらいたいんだけど……」
シラハの家の近くでなければ見知らぬ所だここは、外に出ようものならする事もないだろうし、冷蔵庫にはそれなりの食料もある。やることがあるかはわからないが、少なくとも家にはいてもらいたいと、念に念を重ねて心の中だけで願った。
「わかりました」
「あぁ、もしおなかが減ったら、台所にある冷蔵庫にならそれなりに食べ物はあるから食べていいよ。暇だったら、そこの襖を開ければマンガとかあるから勝手に読んでもいいからね」
「ありがとうございます」
「僕は鷸鑼先生に会う前に、先に行きたいところがあるから、早くに家を出るんだけど、まあ、くれぐれも家の外には出ないでね」
子供にでも言い聞かせるように言って、さっきまでと同じように卓袱台の下に足を入れて座る。
「まだ家は出ないから、何か訊きたいことがあったら聞くよ?」
「ありがとうございます。でも、ありませんので大丈夫です。それより、ところでその手紙の裏に何か地図のようなものが書いてありますよ?」
さっき代杜が部屋を出るときに一旦卓袱台の上に置いていった手紙を指さす。卓袱台の上で、四つ折りにあとのついた手紙が半分開きながら、手紙の裏側はシラハの方に向いて、隙間風に揺られていた。
「地図?」
少し代杜は疑問を浮かべながら手紙を取って、裏返してみる。
「知らなかったのですか? 封筒を開けたときに見えてなかったんですか」
「……うん、今初めて知った。なんだろうこの地図?」
裏に書いてあった地図は、いろいろと商店街のようなものが詳しく書いてあり、読めそうにない字で『~店』『~番地』など読めるのはあってもどういうところなのかだけがわかるくらい。それだけではなく、地図とは少し離したところにあと二つ気になるのが書いてあった。
『夜も更けて、我心も共に更けていく。嗚呼、我身体は世と共にあり共に逸話を傍らに持って存在している』
という文章が地図上にある文字とは比べられないくらいの達筆で書いてあった。だがその二つは、字の癖が似ていて同人物が書いたものだと察せた。さらに紙の隅に、骸骨と思わしき絵が忠実に描かれてあり、影までつけて本物のような絵であった。まるでモノクロ写真のようなといってもいいくらいだった。
「こわっ……」
代杜は素朴に、顔をひきつらせながら言った。
「それに意味の分からない詩みたいなのが書いてあるし…………。人に出す手紙を懐紙扱いってどういうことだよ…………」
シラハが目の前で少し足を崩して、卓袱台に突っ伏した。
「代杜さん…………。私、少しお腹が空きました」
「そうだった、そういえば昨日何も食べてなかったんだっけ? じゃあ、今何か作れるものなら作るけど、何か食べたいものとかありますか?」
「何でもいいです」
さっきから代杜の言葉と比べて、返答があまりにも短く、言うこと殆どが素っ気なく聞こえる。
代杜はシラハの返答に応じて、とりあえず自分の頭に浮かんだやつで、一番簡単なのを作ることにして台所へ行く。
冷蔵庫を開けて、使うための材料なのか様々な野菜を取り出して、次にまな板、包丁など準備をした。
↑↓
部屋に残されたシラハは、自分の違和感を感じていた。何かが違う。
はっきりとわかっていない。そう感じるだけなのかもしれない。まだこの環境に慣れていないから。それとも、やはり自分の記憶に変な感覚を感じているだけなのかもしれない。
シラハは自分の状況の最低限の仕儀は把握していた。
この家の家主、作倉実代杜と身体が入れ替わってしまったということ。
それと自分は、代杜との接触したそのときの何かの衝撃により、記憶を失ってしまったということ。
医者ーー鷸鑼曰く、顎を強打してしまったため、記憶をーー自分の人生の殆どのことをーー忘れてしまったらしい。
自分は学生であるのに、今日は学校があるというのに、記憶を失った所為、身体が入れ替わってしまった所為で、高校へは行けない。行きたいというわけではなくて、それは記憶を失う前の自分に迷惑をかけているということを感じてしまっていたから。
責任感を感じていた。
自分の記憶には間違ったことがあり、本来あったはずの記憶をなくしてしまい、さらに本来の自分を忘れてしまった。
前の自分の性格はどんなものだったのか。前まで自分はどんなところにいたのか。どんな人と関わり、どんな人と面識があったのか。周りからはどのような風に見られていたのか。
まるで過去を回想しようとして、記憶を探ることに無理だと思いながらも思考を働かせた。
「ッ!?」
突然。
シラハは卓袱台に向かって頭を押さえながら上半身を曲げた。
頭を押さえている腕と肘は支えるように卓袱台に突き立てられていた。
襖が開く。
「何ですか!? 今のお…と……?」
音が台所まで聞こえていたらしく、代杜が焦った顔をしていた。
代杜はシラハのことを見てすぐに顔色を変えた。
「シラハさん、どうしたんですか!?」
すぐさまシラハの隣に行き、顔色をうかがい背中をさする。
「大丈夫です。少し頭が痛くなっただけです。なにも」
「少し痛くなったくらいでそんなに顔が辛そうになりますか! 救急車呼びますから待ってて下さい! おとなしくしてて下さいね!!」
携帯を取りに向かおうと代杜は部屋を出ようとした。
「ーーーー」
静かに代杜の足が止まる。
自分から止めたのではなく、何かに引っかかり動きを制された。足元を見るとシラハがズボンの裾を掴んでいた。
静寂を思わせる下に向けられたシラハの顔。代杜からは頭しか見えず、どうしたことかすぐどうしたのか分からなかった。
それに、ふと思うと何故自分が部屋を出ようしたときに言った言葉に対して、シラハは何も言葉を返さなかったのか。そんなことを何故か不思議に感じた。
「……どう……したん、です……か…………?」
⊇
そうシラハさんに問いかけたけど、問うまでもなくソレを自分は感じていた。
シラハさんを正面から見れば『無表情』が壁になって何も見えてなかった。でも、ソレは別の場所から見れば、顔の他から見れば、雰囲気という言葉であらわせる。身体のオーラから感じられる。
シラハさんは肩を弱々しくおろしている。力をなくしたように、でも俺のズボンの裾を引っ張るくらいの力は残して……。
⊇
代杜は、何故か少しだけ時間が長く、さらに重くも感じた。
シラハから、何か不思議に感じさせるような感じがした。
重たくて、苦しくて、きつくて、弱くて、悲しくて…………。
何故なのか分からないが不思議なものを見たような感覚になり……少しすると、代杜は、自信がシラハの中が見えたのだという感覚に気が付いた。
確かなものではないが、そんな気がした。
言葉から得るような明瞭なものではなく、空気から伝わる不思議なモノをシラハの僅かな後ろ姿から読みとった。
さらに、次にシラハが何を言おうとしているのかということも悟っていた。だがそれより先にシラハが言葉を発した。聞くまでもなく感じている言葉を。
「行かないで下さい」
声音はあまりにも貧弱で、弱音という言葉がぴったりだった。
どこかから感じる。
何か、シラハがまだ他に言いたいことを感じる。
その言葉を振り絞るようにシラハは言葉を紡いだ。
「………代杜さん……ここに、いて下さい…………お願いします」
それだけではない。こんな言葉だけじゃない。他に別の言葉がある。
代杜はとりあえず、その場にしゃがみ込み、シラハの手を自分のズボンから離して、手に取ったシラハの手を両手で包んであげた。
その手は冷たく、ひどくさめていた。まるでシラハの感情にでも触れているような気持ちに陥った。
「シラハさん。何か、我慢してますよね?」
他に聞きたい。
何かまだ、シラハが言いたいことがあるはずなのだ。そうではなかったら、いったい自分が感じているのは何なのか。口に籠もってる言葉の他何がある。唱えるかのように言葉を脳に浮かべていく。
ーーまだ言い足りない言葉なら、オレはここにいるから言ってくれ。お互い似たような立場にあるだろ? 頼むから、言いたいことがあるならここにいるオレに言ってくれ。
脳をまわしてまわして、シラハに直接言うわけでもないのに頼んだ。
確かに、シラハが何かを我慢してるのは事実かもしれない。
顔など一切見えないが、そのまま上げることがないということから、何かあるのは間違いではないだろう。
優しく、代杜は顔を近づけた。
そこでやっと、あることに代杜は気が付いた。
そこまで近づいてなかったら気づかなかったかもしれない。シラハの影に紛れて、勝手に馴染んだその存在に気づかなかった。
代杜が顔を近づけた際、手を畳みにつけると、ちょうどそこが湿っていた。
汗かと思ったが、続けて手の甲にも水滴が流れた。シラハの顔の正面においた手にソノ滴がこぼれた。
ーーシラハは泣いている。
気づいたのは少し遅かったかもしれない。
言っている時には口調など全く同じで、変わらない声だった。
だが確かに泣いている。
「シラハさん……」
代杜は、もう片方の手を持ち上げて、シラハの頭に、暖かみを含ませたその手を乗せて、撫でた。
「大丈夫です。……大丈夫ですから、ここにいますから、ボクはここにいますから、何か言って下さい。もし、しゃべることが辛いんでしたら…………」
「何でもありません。ちょっとだけ目眩をしただけです。代杜さん、早くご飯作ってくだ」
まだシラハが言い終える前にーーシラハが、強がりを済ます前にーー代杜が力強さを無意識に込めて言葉を割り込ませた。
「嘘は言わないでくださいよ。……まだ辛そうだ」
シラハの眉間に寄せられる皺がそれをあらわしている。代杜は小さな変化、違和感を見逃さぬようにひたすら心配した。
「もう一度言います。ボクはここにいます。昨日から全く栄養をとれてなかったから、本当に目眩だったのかもしれませんが、 まだ辛かったのなら、ボクに言ってください。ちゃんとボクがいるんですから、頼ってください。ボクも頼られても出来ることが限られますけど、ボクの身体なんかで倒れないでくださいね? それと、まだ若いんですから、人生をこんなボクの所為で壊(終わった)なんて話は残さないでくださいね」
シラハに聞こえるだけの声で言ったあとに代杜は立ち上がり、
「立てますか?」
と、手を差し伸べながら訪ねた。
「大変でしたら、抱えて、台所から見える場所に連れて行きますよ?」
すると、シラハはスーッと、酷く苦しそうだった顔を引かせ、安心か安堵のような表情でに変えて、小さく首を振った。
「もう大丈夫です。ありがとうございます。代杜さん」
その顔を見て、肩をなで下ろした。
嘘はついてないらしい。どうやら代杜はそれをはっきり分かったのだ。
どこか、表情一つ一つに共感をしていたのだ。自分の顔を客観的に観たことはなかったが、表情の作り方には少なくとも自分の顔のことだから理解していた。それに特別、嘘や、無理をしているときはこめかみあたりをひくつかせたりする癖があったのだ。中身がシラハであってはどうなるのかは分からないが、代杜は簡単に言うと、無理をしていないと感じたのだ。
「それじゃ、ボクの手に掴んでついてきてください。朝食は少し量を増やす必要がありそうですね、この様子じゃ」