呪いのオルゴール4
情報収集を終えた彼らは、再び森の中の屋敷にやってきていた。
あのオルゴールのある書斎の扉を開ける。
アスレイドが執務机にかけた簡易封印を解くと、彼は中からオルゴールを取り出した。
その真っ赤なオルゴールを見て、テスタはごくりと息を呑む。
「な、なあ。本当にやるのか?」
恐る恐る尋ねると、アスレイドにぎろりと睨まれた。
「当然です。第一、この仕事を引き受けたのはあなたでしょう」
「そりゃ、そうなんだけど・・・」
確かにこの仕事を持ってきたのは自分だけれど、そのときはこんなやっかいな仕事だとは思わなかった。
もうやめてもいいのではないかと、頭の隅で考えていると、ぽんっと肩を叩かれた。
はっと顔を向ければ、そこにはミルザが立っていた。
「大丈夫だよ。何かあったら僕たちがフォローするから」
にこりと微笑まれて、ほんの少しだけほっとする。
けれど、体の緊張は取れないままだった。
「剣を構えてください。開けますよ」
「お、おう」
アスレイドに声をかけられ、テスタは腰の剣を抜き、構える。
それを確認したアスレイドが、ゆっくりとオルゴールの蓋に手をかけた。
それを見たテスタは、ごくりと息を飲み込む。
額には冷や汗が浮かんでいて、手には嫌な汗を握っていた。
そのふたつを思考から弾き飛ばすように首を振ると、テスタは真っ直ぐにオルゴールを見つめたまま、叫ぶように側にいる青年の名を呼んだ。
「ミ、ミルザっ!」
「何だい?」
「名前、何だっけ?吸血鬼の!」
ミルザとユーシスが調べてきた、この作戦の要になる情報。
頭から消えてしまいそうなそれをもう一度確認しようと、テスタは尋ねる。
「ライだよ。本名は確か、ラインハルト=エイヴァラル」
「りょ、了解」
口の中でその名前を繰り返しながら、テスタは両手でぎゅっと剣を握った。
それを見たアスレイドは、確認するように首を縦に動かす。
テスタがそれに頷き返せば、彼は手にしていた箱の蓋をゆっくりと開いた。
その瞬間、オルゴールから煙のような靄が溢れ、床に落ちる。
だんだんと人型になっていくそれを見て、テスタは息を呑んだ。
ここからが、勝負。
全ては自分の演技力にかかっている。
それをもう一度頭の中で自分に言い聞かせるように繰り返すと、テスタは恐る恐る煙の中から姿を見せた人影に向かい、声をかけた。
「ラ、ライ・・・」
ぴくりと、人影が反応する。
瞬間、煙が吹き飛んだ。
「・・・・・・ジーク・・・」
代わりにその場所に現れた銀髪の吸血鬼が、呟くようにかつての友人の名を呼ぶ。
ゆっくりと開かれた片方だけの紅い瞳が、ぎろりとテスタを睨んだ。
その眼光に一瞬足が竦みそうになったけれど、なんとか耐える。
ゆらりと、吸血鬼が揺れるように体をこちらに向けた。
「貴様・・・よくも・・・・・・」
「ま、待ってくれライっ!!」
吸血鬼の指先が光ったのを見て、テスタは慌てて彼に呼びかけた。
けれど、吸血鬼はその呼びかけなど、まるで聞いてはくれなかった。
「よくもおおおっ!!」
吸血鬼が一瞬で爪が伸びた腕を振り上げる。
そのまま突進してくる吸血鬼を見て、テスタは反射的に剣を持った腕を上げた。
頭の上で横向きに掲げたそれが、刃のような爪を受け止める。
予想以上に強い力に、テスタは思わず叫んだ。
「やっぱり同じ展開じゃねぇかっ!!」
「文句言わないで、やるっ!」
ユーシスに怒鳴られて、テスタは一瞬不満そうな表情を浮かべる。
けれど、引き受けてしまった以上はこのままやめるわけにもいかない。
「え、えと・・・。ラ、ライっ!俺の話を聞いてくれっ!!」
混乱しかけている思考を必死に立て直して、テスタは事前にユーシスが作った台本どおりのセリフを口にした。
「お前は何で俺を・・・俺とあいつを恨んでるんだっ!?俺たち、友達だったんじゃないのかっ!?」
「ほざけっ!!」
吸血鬼がその隻眼をかっと見開く。
勢いよく腕が振り上げられ、弾かれた剣を取り落としそうになる。
それを何とか握り締め、再び、今度は脇から襲ってきた爪を受け止めた。
「先に裏切ったのは貴様だろうっ!」
「裏切ったってなんのことだよっ!!」
「あれが裏切り以外の何だって言うんだっ!!」
再び吸血鬼が強い力でテスタの剣を弾く。
今度はテスタも弾かれただけでは終わらなかった。
とっさに体勢を変え、自分から切り込む。
脳天めがけて振り降ろしたそれは、一瞬で伸ばされたもう片腕の爪に弾かれた。
反動を利用して、後ろに飛ぶ。
その瞬間、今までテスタがいた場所を、自由になっていた片腕の爪が切り裂いた。
「・・・っ!だから、俺たちがお前に何してったんだっ!!」
「それすら忘れたというのかっ!」
吸血鬼がその形相を怒りに染め、力任せに右腕を振る。
その側にあった家具や瓦礫が、爪に凪ぎ払われてばらばらに砕け散った。
「信じていたのに・・・僕は・・・君たちを信じていたのに・・・」
その紅い瞳がの端にうっすらと涙が浮かんだことに気づき、テスタは思わず息を呑んだ。
「デタッチの僕でも、信じられると思ったのに・・・っ!!」
爪が伸ばされたまま、ぎゅっと拳を握った吸血鬼の言葉を聞いた瞬間、アスレイドははっと目を見開いた。
「デタッチ・・・っ!?」
「え?何それ・・・?」
「アスレイドっ!!」
わからないと言わんばかりに目を瞬かせるユーシスの隣で、ミルザが叫んだ。
おそらく、彼もアスレイド同様、デタッチという言葉が知っているのだろう。
必死な様子の彼を見て一瞬驚いたような顔をしたアスレイドは、けれどすぐに表情を引き締めると頷いた。
「わかっています。ユーシス、これ代わってください」
「え?う、うん・・・」
戸惑うユーシスに、状況が悪化したらすぐに蓋を閉じられるようにと手に持ったままだった呪いのオルゴールを預ける。
そのままユーシスに背を向けると、ミルザと2人で本棚を調べ始めた。
「な、なんだよそれっ!」
「うるさい黙れっ!!」
ユーシスと同様に言葉の意味を知らないテスタが、無我夢中になって叫ぶ。
けれど、それすら吸血鬼の怒りに油を注ぐだけなのか、彼は目を見開いたまま叫んだ。
その声にテスタはびくりと体を竦ませる。
「ミルザっ!」
「あったか?」
「ええ、おそらくこれです」
本棚を探っていた2人の声に、ユーシスは振り返る。
彼らは何かを見つけたようだった。
それが何か尋ねようとする前に、再び耳に入った声にはっと視線を戻した。
「許さない許さない許さない」
吸血鬼がだらんと両手を下げている。
その目が、嫌な光を宿してテスタを見つめる。
「私を裏切ったお前を・・・、お前たちを・・・」
まるで、魔物のような濁った瞳に、テスタは思わず息を呑んだ。
「だから、ジークっ!」
だから、一瞬反応が遅れた。
一気に吸血鬼が間合いを詰め、腕を振り上げる。
突然のそれに反応できず、剣が腕から弾き飛ばされた。
「やべ・・・っ!?」
「ここで―――っ!!」
爪の切っ先が、テスタに向けられた。
それが真っ直ぐに自分に向かって伸びてくる。
もう駄目だと、テスタが思わず目を瞑った瞬間だった。
ばりん、と何かが割れるような音が聞こえた、気がした。
「・・・・・・え?」
一瞬遅れて、吸血鬼の不思議そうな声が聞こえて、テスタは恐る恐る目を開けた。
「・・・・・・へ?」
目の前にいる吸血鬼は、襲いかかろうとする体勢のまま動きを止めていた。
その紅い瞳は、先ほどまでとは違う色を浮かべて見開かれていた。
「・・・そ、んな・・・どうし・・・」
吸血鬼の体が、だんだんと光を放ち始める。
突然のそれに、テスタは思わず身構えた。
けれど、吸血鬼はそのまま微動にしない。
伸ばされたままだった爪が、光に溶けるように元に戻っていく。
その手を、テスタに向かって伸ばそうとした。
「僕は――――――」
その手が届く前に、腕が光に溶けて消えていく。
腕だけではない。
吸血鬼の体も、頭も、全てが光に包まれ、空気へ溶けるように消え去っていく。
光が消えたとき、そこにあの吸血鬼の姿はなく、彼がいたという痕跡すら、残っていなかった。
「き、消えた・・・?」
その場に尻餅をついて、テスタが呆然と呟く。
「ユーシス。そのオルゴール、壊して」
「へ?わ、わかった」
ミルザの言葉に、ユーシスは一瞬何を言われたのかと戸惑いながらも、すぐにそれを理解して腕を振り上げる。
「せーのっ!」
勢いをつけてオルゴールを床に叩きつける。
それは何の抵抗もなく、床にぶつかって砕け散った。
「オルゴールが・・・。あんなに魔力を感じてたのに・・・」
「封じていたものがなくなりましたから、存在理由がなくなったのでしょう」
「存在理由・・・?」
それはどういう意味かと、ユーシスが問いかけようときしたそのときだった。
足下から光が溢れた。
それに驚き、全員が自身の足下に視線を落とす。
「これ・・・っ!?」
「どうやら、この屋敷にも同じ呪いがかかっていたようです」
「え?あ・・・」
ゆっくりと光が辺りを包んでいく。
それが足下の床を覆ったと思うと、まるでゴンドラに乗って下に降りていくような感覚に包まれた。
その感覚が消えると同時に、足下から光がなくなる。
光が消え去った足下には、先ほどまでの木の床ではなく、柔らかな土があった。
辺りを見回すけれども、石造りの壁も本棚も窓も、何も見あたらない。
砕け散ったオルゴールの残骸と、朽ちた柱や瓦礫だけを残して、屋敷は跡形もなく消え去っていた。
「屋敷がなくなった・・・」
「呪いの中心がなくなったからね」
呆然としたユーシスの呟きに、そう答えたのはミルザだった。
「呪い・・・って・・・」
「吸血鬼にもかかっていた呪いだよ。たぶん、あの屋敷も犠牲になった人たちも、その呪いに飲み込まれていたんだろうね」
「そういえば、あれだけあった白骨とかもねぇな・・・」
漸く立ち上がり、彼らの側にやってきたテスタが、辺りを見回しながら呟く。
あの屋敷の中には、オルゴールのことを調べに来て帰ることのできなかった冒険者がたくさんいたはずなのに、彼らの痕跡も何も残っていなかった。
「呪いの中心は、この石とそのオルゴールだったんだ」
ミルザの言葉に、ユーシスとテスタは彼へと視線を向ける。
彼の手には、片手で持つには大きな石が乗っていた。
中央にぽっかりと空洞ができているそれは砕け、いくつかの欠片に分かれてしまっていた。
「その石って何なの?」
「あの吸血鬼の心臓です」
「しん・・・っ!?」
アスレイドの言葉に、ユーシスとテスタは息を呑む。
その反応に、ミルザは複雑そうに目を細めた。
「さっき、彼は自分がデタッチだって言ってたよね?それは、魔族に伝わる一種の呪いを受けた者のことなんだ」
「呪い・・・?」
ミルザの語り出した言葉に、ユーシスは不思議そうに彼を見つめる。
テスタも困惑した表情で彼とアスレイドを見つめた。
アスレイドがミルザを見る。
視線に気づいたミルザも彼を見た。
視線が一瞬だけ交わる。
それだけで、十分だった。
アスレイドは小さく頷くと、ゆっくりと語り始める。
「この呪いを受けた者は、心臓と肉体が分離した状態で生を受けます。たいていの場合、心臓はこのように石に包んで守られます」
「じゃあ、この中に・・・?」
「ええ、ありました。灰になってしまいましたけど」
石の中心の空洞の中に、あの吸血鬼の心臓があったのだ。
今は、それがない。
ミルザとアスレイドがそれを砕いたから、あの吸血鬼の体も消滅してしまったということ、なのだろうか。
複雑な表情をするユーシスとテスタを見て、アスレイドも目を伏せる。
そんな彼らを見つめながら、ミルザはふと口を開いた。
「この心臓を包む石にはね、守護の呪いをかけるんだよ。その呪いによっては、肉体の方は全く傷つかなくなるんだ。『傷つかない吸血鬼』っていのは、そういうことだったんだろうね」
ミルザの言葉に、一瞬アスレイドが驚きの表情を浮かべて彼を見る。
そんな彼の変化に気づかなかったのか、ユーシスは彼の反応を気にすることなく、不思議そうに首を傾げた。
「でも、この人隻眼だったわよ?」
そう、あの吸血鬼は隻眼だった。
あの片瞼に走っていた傷は、明らかに誰かにつけられたものだ。
その問いに、ミルザは吸血鬼が消えた場所へ視線を向ける。
「たぶん、前にユーシスが言ったとおり、傷つれられる条件みたいなものがあったんじゃないかな。それで、ジークって人はその条件に当てはまった」
条件―――その言葉を聞いて、テスタは思い出す。
吸血鬼が何度も口にしていた言葉。
あれだけ嘆き悲しんでいた、そもそもの理由を。
「信じていたのに・・・か・・・」
それを呟いたのは、きっと無意識だった。
ほんの小さな呟きだったはずのそれは、側にいた3人の耳にははっきりと届いていた。
「たぶん、それが条件だったんでしょうね・・・」
「うん」
アスレイドの呟きに、ミルザも同意する。
だからこそ、あの吸血鬼はあそこまで傷ついたのだろう。
そして大切だったはずの友人を、殺したいと思うほどに憎んだのだろう。
その気持ちを思うと、胸が締め付けられるような気がした。
「それにしても驚きました」
その雰囲気を何とかしようとでも思ったのか、アスレイドが唐突に口を開く。
その声に、ユーシスとテスタも地面に落としていた視線を上げた。
「ミルザ、ずいぶんデタッチについて詳しいですね」
「え?」
敢えて明るい口調でアスレイドがそう言うと、ミルザは不思議そうに顔を上げる。
「私もデタッチのことについては知っていましたが、心臓を護る石にそんな術がかけられているなんてことは知りませんでした」
その言葉に、彼は漸く何を言われたのか気づいたようだった。
その顔が、何故か少し悲しそうに歪む。
「・・・・・・君と会う前に、ちょっとね」
ふいっと視線を逸らした彼を不思議に思いながら、テスタはふと気がついた。
アスレイドは魔族だから、魔族の性質について詳しいのは理解できる。
ミルザも、関わった事件か何かで知ったのだというのなら、それも理解できる。
けれど、ミルザとずっと旅をしてきたユーシスは、そのデタッチという呪いを知らないようだった。
「でもユーシスは知らないんだな」
それを不思議に思い、テスタは素直に疑問として口にした。
「うん。僕だけが関わった事件だったから」
ユーシスに向けた質問だったはずだけれど、答えはミルザから帰ってきた。
その反応を不思議に思い、ユーシスに視線を向ける。
視線に気づいたユーシスは、テスタの言いたいことに気づいたのか、首を縦に振る。
複雑そうなその表情が気になったけれど、テスタはそれ以上突っ込んだ質問をしようとはしなかった。
ミルザが、ユーシスと出会う前の話をあまりしたがらないのは、彼はもちろんアスレイドも知っていた。
「とにかく、これで仕事は終了だね」
テスタがそれ以上何も尋ねてこないことを確信したユーシスが、にっこり笑ってそう告げる。
その言葉に、テスタはやっと自分の役目が終わったことを実感して深いため息をついた。
「そうだな・・・。まさかこんな大変なんて・・・」
「いいじゃない。無事に解決なんだから」
「そうなんだけどさー」
ユーシスが呆れた表情でそう言われ、テスタは思わず頭を抱える。
その様子を見ていたアスレイドは、やはり呆れたようにため息をついた。
そのままテスタを無視すると、ユーシスとミルザに向かってにっこりと笑顔を浮かべた。
「では、街に戻りましょうか。賃金をもらったらもう休みましょう。さすがに疲れました」
「賛成っ!」
ユーシスが子供っぽく両手を上げて賛成する。
テスタも、終わった以上反対する理由もなく、2人の意見に賛成した。
すぐにでも戻ってしまおうと、彼らはそのまま歩き出す。
ふと、ミルザだけがその場を離れようとしないことに気づいて、ユーシスは彼を振り返った。
「ミルザ?どうかしたか?」
声をかければ、ミルザははっとしたように顔を上げる。
「ううん。今行くよ」
にこりと笑うと、彼は手に乗せたままだった呪いの石を静かに地面へと降ろした。
その石を見つめたまま、ほんの少しの間だけ、祈るように目を閉じる。
それを終えると、ミルザは漸く歩き出した。
待っていてくれたユーシスと、先を歩くアスレイドとテスタを早足で追いかける。
足音が遠ざかり、その場所から生き物の気配が消える。
それを待っていたかのように、地面に置かれた石がゆっくりと土の中に沈み始めた。
まるで水の中にゆっくりと沈んでいくように、そこだけが泥のようになった大地に沈んでいく。
その姿が完全に土の中に消えていってしまうと、土もすうっと元の姿を取り戻す。
後には何も残らず、長い間何人もの冒険者を飲み込んでいた屋敷の、朽ちた残骸が残っているだけだった。