役割の人形
自分の存在に、意味などないと思っていた。
ただ、そこにあるだけの人形―――それが自分なのだと。
だから周囲からなんと言われようと、どうでもよかった。
あの魔女に利用されようと、どうでもよかった。
どれくらいそう考えて生きてきたのかは、もうわからない。
僕たち魔族の寿命は、人間よりもずっと長いのだから。
それが変わったのは、おそらくあの日。
『彼』に数回目に出会ったそのときだった。
僕の父は、魔界の中でも最も力を持つ国の王だったらしい。
らしい、というのは、僕には父の記憶はほとんどないからだ。
父の記憶は、ほとんど伝え聞いたもの。
母の記憶もほとんどない。
気がついたときには、あの魔女が母親顔で僕の傍にいた。
父は、魔王と呼ばれていた。
魔界の中で最も強い力を持つ国―――それはすなわち、魔界を統べる国。
その国の王であったから、父は『魔王』だったのだ。
母はその正妻だった。
魔族は、その力の強い者が上に立つ。
女性は力の強い男性に惹かれる。
逆もまた然り。
母は魔族の中でも、最も気高く、強く、美しいと言われる騎士だったらしい。
そんな母と王とまでなった父が互いに惹かれるのは、必然だったのだろう。
当然、他にももっと父に惹かれる女性はいたけれど、父は母一筋だったのだという。
そんな2人の息子であった僕は、つまりは魔界の王子であった。
そんな両親の息子だったから、周囲も僕には期待をしていたらしい。
力の強い魔族の子は、やはり強い魔力を持っていることが多いから。
だから周囲の人々は、僕が父の座を継いで魔王になると疑わなかった。
その全てが、ある日唐突に崩れた。
あの魔女―――イセリヤ=ローベルトが現れた、その日から。
イセリヤはかなりの力を持つ魔族だ。
力の強さを重視する魔族の中で、あの女が父の側近になるまでにそう時間はかからなかったらしい。
いつしかイセリヤは、母と共に父を支える双璧のような扱いをされていた。
けれど、イセリヤには母にある何かがかけていたらしく、父がその女を女性として愛することはなかったらしい。
それでもイセリヤは父に取り入ろうと誘惑を繰り返し、それが元で母とは良くぶつかり合っていた。
そんなある日、事件は起こった。
魔王である父が、突然倒れたのだ。
母と二人きりでいたときに。
記録によると、父は毒殺であったらしい。
その日父と共にいたのは母のみで、イセリヤは城を空けていた。
だから、必然的に、母が父を殺害した、という図式ができあがった。
母はそれを否定したけれど、周囲は聞かなかったらしい。
母は処刑され、その息子である僕は、城の地下に、大量の本と共に幽閉された。
それは幼い頃の話。
記憶にも残らないほど昔の出来事。
全ては幽閉時代に世話をしてくれていた、母を敬愛していたという侍女に聞いた話だ。
その侍女も、いつしかしなくなっていた。
そして、ある程度成長した僕を迎えに来たのは、父の座を継いだイセリヤだった。
「ヨシュアスレイド様」
そう呼ばれたとき、僕は最初、それが僕の名前だとは気づかなかった。
侍女は、ここに来るものたちは皆、僕のことを『ご子息様』か『あの女の息子』と呼んでいたから。
「これからは私が母親代わりですわ、ヨシュア様」
そう、僕に勝手な愛称をつけた女は、僕を地下から連れ出した。
『卑怯な騎士の息子』。
既にそんなレッテルを貼られた僕は、プライドのない女の息子として周囲には冷たい目で見られるのが最初から当たり前だった。
父の座を継いだイセリヤが手を出すなと言ったから、王子として生かされている―――そんな感じだった。
そんな城の中で居心地の悪いそうにしていると、あの女はにっこりと微笑んで言ったのだ。
「そんな奴らには、力を見せ付けてやればよろしいのですわ」
女の言うとおり、僕は本で学んだ知識だけで魔力を行使した。
僕の力は、先代魔王の血を継ぐだけあって、かなりのものらしい。
周囲はあっという間に陰口を叩かなくなった。
『卑怯な騎士の息子』という周囲の目は、変わらなかったけれど。
それから何年経っても、周囲のその目は変わらなかった。
最初は僕を敬っていたイセリヤも、そのうち母親顔で僕を呼び捨てるようになった。
それはきっと、彼女がその地位を確固たる物にし、先代魔王の息子である僕に頭を下げる必要が無くなったからだろう。
けれど、僕の強い魔力は、彼女にとっては必要だった。
だから彼女は僕を部下とし、魔界の全てを手中に収めたあと、人間界へと進出した。
後に悪の帝国として歴史に名を刻むことになる国を支配するために。
その頃には、僕は全てに興味を失っていたのだと思う。
どこに言っても僕を見る目は変わらない。
どんなに変えようとしても、変わらない。
最初は相談に乗ってくれていたイセリヤも、そのうち話すら聞いてくれなくなった。
そうして、誰も自分の存在を認めてくれないのだと気づいたら、そのうち全てがどうでもよくなった。
けれど、僕も魔族の端くれ。
そんなことで自ら生を終わらせるという選択を選ぶことは、プライドが許さなかった。
だから、いつしか与えられた任務をこなすことだけが、僕のプライドに、生きる理由になっていた。
「まるで人形だな」
その言葉を聞いたのは、確か、あの女が死んだ、あの帝国での戦いだったはずだ。
目の前にいたのは、もう何度も刃を交えた人間の青年。
世界を支配しようとした帝国と魔女を倒すために、世界中の国から集まった軍勢を率いてきた、精霊に選ばれた『勇者』と呼ばれる存在。
琥珀色の瞳に冷たい光を浮かべた彼は、右手に剣を握ったままこちらを見つめていた。
「何の話です?」
「君の目が、まるで人形だ」
嘲るように笑って尋ねれば、彼はきっぱりそう答えた。
その言葉に、口の端が持ち上げる。
「そうかもしれませんね」
わかっていた。これは、自嘲だ。
零れた笑みは、酷く乾いていた。
「所詮、僕はその役割をこなすだけの人形ですから」
そのためだけにここにいて、生かされている。
そんなことは、自分が良く知っていた。
だから否定をすることも、する気もなかった。
きっと、普通の『勇者』と呼ばれる存在なら、この発言に反発するのだろうなんて、昔読んだ物語だけが、何故か頭をよぎった。
「役割をこなすだけの人形、か・・・」
ぽつりと、目の前の青年が呟いた。
構えていたはずの剣の切っ先が、何故か地面に落ちた。
予想もしなかったその反応に、僕は驚いた。
「そうだな・・・。この世に生きる者は、全てそうなのかもしれない」
彼が口にしたのは、人々に希望を与える存在とは思えない言葉だった。
「役割を与えられて、そのために生きる。それ以外のためには、生きる必要はない」
伏せた目は、前髪に隠れてしまって見えない。
顔を空に向けているはずなのに、その琥珀は僕の視界には入らない。
「所詮、全ての命は・・・そうなんだ」
その言葉に、困惑した。
悟りきったような、いや、違う。
どちらかというと、全て諦めてしまっているかのような声だった。
「だから、君がそう望むのならそう生きればいい」
その顔が再び自分に向いたとき、びくりと体が震えた。
目は、まだ前髪に隠れていて、見えない。
「誰もその理からは逃げられない。だから好きにすればいい。それは、この世界の真理なのだから」
静かに告げるその声には、感情が宿っていないように思えた。
だから、かもしれない。
僕は、今が彼との戦いの最中だと知っていたのに、何かを尋ねようとした。
「あなたは・・・」
「だから」
けれどその言葉は、彼自身によって遮られた。
かちゃっと金属同士がぶつかり合うような音が耳に届いて、我に返る。
見れば、目の前の青年が剣を持ち替えていた。
今までずっと右手に握られていたその剣は、左手にあった。
ずっと前髪に隠れていた瞳が露になる。
現れた琥珀には、先ほどまでにはない光が宿っていた。
左手で握られた剣を、先ほどとは違う構えでこちらに向ける。
それに驚いている暇なんて、なかった。
「僕が僕に与えられた役割をこなすために、そこを退いてもらう」
その言葉を継げた途端、彼の動きは、それまでとはがらりと変わったのだ。
別人のような動きに、放心していた僕が反応できるはずもなかった。
まるで役割を演じると決めた瞬間、その青年がそれまでの彼とは別の人物と入れ替わってしまった、そんな感じだった。
勝負は、あっという間についてしまった。
媒介としていた杖を折られ、召喚された精霊によって魔力を封じられた僕に勝ち目などあるはずない。
魔女の―――人間たちが『魔王』と呼ぶ女の側近である僕は、このまま殺されるのだろうと、そう思っていた。
けれど、僕が抵抗の意思を見せないと知った瞬間、その青年はいともあっさりと剣を収めたのだ。
とどめを刺さないのかと尋ねれば、彼はあっさりと言い切った。
抵抗の意思のない者を殺すなんて行為は、『勇者の役割ではない』と。
そこで僕は悟る。
彼は、自分の意思でこの戦場に立っているのではないのだと。
あくまでも『与えられた役割を演じる』ためだけにここにいるのだと。
だからそこ、余計に気になった。
「・・・何故です?」
気がついたら、僕は去ろうとする彼に声をかけていた。
「与えられた役割と知っていて、あなたは何故それを成し遂げようとする?」
「それが役目だから」
「本当にそう思っているんですか?」
自分らしくもなく力んでしまったと、思う。
彼が一瞬目を瞠って、不思議そうにこちらを見たから。
「・・・・・・どうして?」
「本当にそう思っているなら、何故そんな強い目をしていられるんです!?」
少し強い口調になってしまったのは、無意識だったのだと思う。
けれど、そのときはそんなことを気になどしていなかった。
ただ、問いかけに対する僕の言葉に驚いたのか、彼はほんの少しだけ目を丸くすると、すぐに微笑んだ。
「強がっているだけだよ」
微かなそれは、きっと自嘲の笑みだった。
純粋な笑顔でないことは、わかる者にならばすぐにわかっただろう。
「こんな世界でも、役割を完璧にこなせば、こんな僕にでも居場所があるかもって、そう思って強がっているだけだ」
そこまで言って、彼はほんの少しだけ目を伏せた。
「本当の居場所なんて、あるはずなのに」
まただ、と思った。
全て諦めてしまったかのような、そんな声と口調。
僕もきっと、そんな声と口調をしていたのだと、思う。
彼と僕は同類だ。
だから、言っても無駄だと思った。
「作ろうとは、思わないんですか?」
わかっていたのに、何故かその言葉が口を突いて出た。
青年が、ほんの僅かに目を瞠り、驚いたように僕を見る。
「居場所を、作ろうとは思わないんですか?」
聞き違いだと訂正することもできたのだと思う。
けれど、そのときの僕はそんなことを考えもせずに、その言葉を復唱した。
その問いに、目の前の青年は、琥珀色の瞳を眩しそうに細めた。
「作ろうと思ったら、作れると思う?」
「それは―――」
彼の問いかけに、僕は答えを返すことができなかった。
だって、僕自身は作れるとは思っていなかった。
作ろうとしても、作れたためしがなかった。
それでも、そんな問いかけをしてしまった以上、それに僕自身が否定の言葉を返すことなんてできなかった。
「――――――ふっ」
言葉を探していると、不意に笑うような声が聞こえた。
驚いて顔を上げると、青年がくすくすと笑っていた。
人が真剣に悩んでいるというのに何がおかしいのかと、思わず文句を言ってやろうかと思ったとき。
「よかったら、一緒に作らないか?」
唐突に彼が言った言葉が、一瞬頭に入ってこなかった。
「――――――は?」
その言葉を飲み込んで、頭で反復して、漸く理解しても、口から出たのはそんな間抜けな声だった。
そんな僕に向かい、彼はにっこりと笑う。
「居場所、一緒に作らないか?」
「何故僕が・・・」
「君もないんだろう?居場所」
そう言われ、僕は思わず息を呑む。
その反応すら、彼は予測していたのだろうか。
薄っすらと微笑むと、ほんの少しだけ声を抑えて、告げる。
「わかるさ。君は僕と同じ目をしてる。彼女とも」
彼女とは、僕たちの戦いを少し離れてたところで見ていた、あの金髪の少女のことだろうか。
気がつけばいつも彼と共にいるあの少女も、僕や彼と同じだというのだろうか。
感じたその疑問を尋ねたい気持ちを、ぐっと押さえ込む。
そして顔を無向けて、そっけなく、答えになっていない答えを返した。
「僕はイセリヤの部下です」
「なら、僕がイセリヤを倒したら一緒に行かないか?」
諦めるかと思ったのに、彼はあっさりとそう尋ね返してくる。
できるはずがないと思った。
自分の役割を演じているだけのこの男に、目的を持って行動しているらしいあの魔女を倒せるはずがないと。
そう思っていたから、僕は答えた。
「倒せたら、ですね。考えておきます」
その言葉に、目の前の青年は満足したように笑ったのだ。
今思えば、もしかしたらこのとき、僕は望んでいたのかもしれない。
彼と共に行くことを。
彼があの魔女を倒し、僕自身を変えるきっかけを作ってくれることを。
そして彼は、その言葉どおりあの魔女を倒し、僕の目の前に戻ってきた。
人間たちが歓声を上げる中、彼は金髪の少女と連れ立って、身を隠していた僕のところへ迷わず戻ってきた。
そして、先ほどまでの、役割を演じる人形だと言っていたときの表情が嘘のような笑顔で、僕に手を差し出したのだ。
「よろしく。えっと・・・ヨシュア?」
彼が口にしたのは、他の魔族が僕を呼ぶときに使っていた名だった。
そういえば彼の前で名乗ったことがないことを思い出して、僕は名乗る。
「ヨシュアスレイドです。ヨシュアスレイド=サールソーイ」
「じゃあ、ヨシュアでいいのかな?」
「その呼び方は、嫌いです」
それは、あの魔女が僕を呼ぶためにつけた名前だから。
いつしか嫌悪しか抱かなくなったあの女のつけた名で呼ばれるのは、何だか嫌だった。
「そうか・・・なら」
彼は、ほんの少しだけ悩んだようだった。
けれど、その顔はすぐに先ほどの笑顔に戻る。
「アスレイドって言うのはどうかな?」
「あんま短くなってないよミルザ」
僕が思ったことを口にする前に、それまで黙っていた少女が口を挟む。
確かに彼女の言うとおり、愛称にしては長い気がした。
「でも響きがかっこいいと思ったんだけど」
「まあ、確かにかっこいいかな」
「だろう?どうかな?」
あっさりと折れた少女に満足したのか、彼はにっこり笑ってこちらを見る。
その、無邪気以外のなんと表現したらよいかわからない笑顔を見たら、なんだか反論する気が起きなかった。
それに、と思った。
あの女がつけた名前と違うなら、愛称なんてなんでもよいかも知れないと。
「好きに呼んでください」
だからそう答えれば、彼はにっこりとそれまで以上の笑顔を浮かべた。
そして迷うことなく左手を僕に向かって差し出す。
一瞬戸惑ったけれど、すぐにその理由に気づいた。
先ほどの戦いの最中に、彼は剣を右手から左手へ持ち替えた。
つまり、彼は本来左利きなのだ。
そして、普段は隠しているのだろうそれを隠さずにいる。
「じゃあ、よろしく。アスレイド」
「よろしくお願いします、ミルザ」
その意味に気づいたから、僕も左手でその手を取った。
きっと、そのときからなのだと思う。
真の意味で僕の―――いや、私の人生が始まったのは。
その出会いがなければ、私は今でも人形だったのだろうか。
その答えを知ることはもうできないけれど、知らなくて良かったと、今では心から思うのだ。
昔など、きっとどうでもいい。
今ここに、彼らといる私が、本当の私なのだと信じることができるから。




