崩壊と出会いと
ただ、普通に暮らしていたいだけだった。
確かに子供じみた夢は持っていたけれど、それてもきっと、根本にある願いはただそれだけで。
こんな田舎じゃ、世間で流れる噂は噂に過ぎなくて、ずっと遠い世界のことだと思っていた。
だから、ああなったとき、どうしたらいいのかわからなかった。
「な・・・っ」
王都への買い出しから帰った俺の目の前にあったのは、焼け爛れた黒い土地。
故郷の村があったはずのその場所は、ぼろぼろに壊され、人間の気配なんて感じなかった。
「なんだよ・・・これ・・・?」
壊れ、焼け崩れた家屋。
真っ黒に燃やされた田畑。
2週間前にあったはずの光景は全て消え去り、面影など残っていなかった。
「・・・・・・っ!」
荷物を放り出して、村が見渡せる丘を駆け降りる。
慣れたはずの道を、何度も何度も転びそうになりながら、必死に走る。
村へ、家へ、友や家族のいるはずの場所へ。
けれど、目の前に広がったのは、僅かな希望すら打ち砕くような無惨な光景だった。
「――――――っ!?」
遠くから見て、想像した光景なんて、比べものにならなかった。
言葉を、いや、呼吸すら、一瞬忘れたような気がした。
「嘘、だろ・・・?」
ようやく絞り出したのは、震えた声。
がちがちと歯がぶつかって、握り締めた拳が震えて、気がついたときには駆け出していた。
「親父・・・っ、母さん・・・っ、ジニーっ!!」
2週間前、笑顔で送り出してくれた両親と1つ下の妹。
妹は、もうすぐ隣町の婚約者と結婚するのだと笑っていた。
あの子の嫁入り準備の為にも、俺が王都に買い出しに行った。
「ヴァルもラークも、みんなっ、返事しろよっ!!」
幼い頃から一緒に育った友人。
みんな村から出て行き始めた今も、残っていた大切な友達。
彼らだって、土産話を楽しみにしていると言っていた。
「返事してくれ・・・頼むから・・・誰か・・・っ」
誰でもいいから、どうか。
誰か、誰か1人でも、できればみんな無事で。
家だけが無くなったのだと信じさせてほしい。
1人でも生きていれば―――。
必死に走っていたそのとき、見覚えのある服を見つけて足を止める。
焼け焦げた木の陰に、もたれ掛かっている少女の姿。
後ろ姿だったけれど間違えるはずがない。
それは必死に探していた、妹の姿で。
本気で安堵して、駆け寄った。
「ジニー・・・・・・・・っ!!?」
ぽんっと肩に手を乗せる。
その途端、彼女の体がぐらりと傾く。
ごとりと、まるでそんな音が聞こえるようにゆっくりと倒れた彼女の、見開いた目がこちらを向いた。
その腹は、ぱっくりと割れていて。
「う、うああぁあああぁぁぁぁああぁあ――――――っ!!!」
気がついたとき、俺は腹の底から絞り出すような叫び声を上げていた。
仇の存在を知ったのは、そのすぐ直後。
旅人から知らせを聞いて駆けつけたという、妹の婚約者からだ。
『法王』を名乗る魔族が、気まぐれに村を襲っていったと。
だから、その魔族の城に乗り込んで、復讐しようと思った。
けれど、呪文も使えない俺が、王と呼ばれる魔族に勝てるはずもなかった。
だからあっさりと負けて、捕まって、気まぐれで牢屋に閉じ込められて。
もう希望なんて、光なんてないと思っていた。
けれど、あいつは、そんなときに現れたんだ。
「・・・・ぇ!・・・・・るよ!」
遠くから女の声が聞こえた。
その声に薄く目を開ける。
顔を上げようとすると、がちゃりと鎖が鳴った。
天井から吊されたそれは、2つに分かれて俺の手を絡め取っている。
食事もろくに取っていなかったから、そうやって外を見ようとするだけで精一杯だった。
「ユーシス?」
「こんなところに人間がいるはずが・・・・・・えっ!?」
牢の外に人影が現れる。
少し目がぼやけてしまっているけれど、たぶん3人。
うち2人は髪が長く、1人は髪が短かった。
「ほら!いるじゃない!!」
髪の長い奴のうち、1人は先ほどの女らしい。
こんな暗い場所でもわかるほどの明るい金の髪が、きらきらと揺れている。
もう片方の髪の長い、こちらは暗い色の髪らしい奴が、驚いたように呟いた。
「そんな・・・どうして・・・」
「アスレイド」
どうにも男らしい長い髪の男を、短い髪の男が制した。
そのまま、彼は膝をつき、こちらを覗き込んでくる。
「あ、駄目だよ!これあたしたちが触ると・・・っ!」
「わかってる」
女の制止に頷くと、彼は改めてこちらを覗き込んできた。
「君、大丈夫か?僕らがわかるかい?」
彼が声をかけてくるが、無視する。
ここに来るのは魔族だけだ。
心配そうに見えたって、それは俺を馬鹿にするための演技に決まっていた。
だから無視する。
「君?」
それでも、彼は再び問いかけてきた。
答えるまで諦めなさそうなその様子に、仕方なく口を開く。
「・・・・・・何だ?あんたら」
声が掠れていたのは、きっと最後に叫んだきり出していなかったからだ。
1人でずっとここにいて、声を出す必要なんてなかったから。
その声を出した瞬間、女がぱあっと顔を輝かせて笑った。
「よかった!意識あるよ!」
「ユーシス、静かに」
大きな声を出した女は、しかし彼に怒られ、慌てて口を塞ぐ。
それを見届けてから、彼はもう一度こちらを見た。
琥珀色の瞳が、まっすぐにこちらを見る。
「大丈夫かい?自分のことはわかる?」
「・・・・・・・・・・」
「君?」
彼が心配そうにこちらに声をかける。
けれど、答える必要なんてないから、黙っていた。
「声、出せないのかな?」
「先ほど話していたじゃないですか。違うでしょう」
長い髪の2人組が、勝手にそんなことを言っている。
髪の短い奴は、静かに俺に話しかけ続けるけれど、無視した。
ずっとそんなことをしていると、ずいぶんと短期らしい長い髪の男が痺れを切らしたらしい。
俺に見せるようなわざとらしいため息をつくと、そいつは俺を睨んだまま髪の短い男に声をかけた。
「ミルザ。答えない人間を相手にする必要はありません。早く法王を―――」
「ミルザ?」
男が口にした名前に、俺は思わず顔を上げて聞き返していた。
俺の村は田舎だ。
そんな田舎にでも届いている、ある1人の男の名前があった。
世界を支配すると宣言していた帝国。
その帝国を実質支配していた『魔女』を倒したという、精霊が宿る国から現れた若い男。
確か、世界を司る精霊が選んだという、勇者。
「ミルザって、あのミルザか?あんたが?」
そう尋ねた途端、彼は一瞬驚いたように目を丸くした。
それが、すぐに悲しそうに細められる。
「・・・君のいう『あの』がどのミルザのことかはわからないけれど」
「ダークマジック!あの国の魔女を倒したのは、あんたなのか!?」
誤魔化そうとする彼の言葉を遮って、尋ねた。
その途端、彼はますます悲しそうな顔をした。
「・・・ああ。そうだ」
ほんの少しだけ間が空いてから、彼が口を開く。
「僕が、ミルザ=エクリナだ」
それが、俺とあいつの出会いの瞬間だった。
「そんときまでは、まさかミルザがこんな奴だとは思わなかったんだけどな」
「ああ、それわかる。あたしもそうだったもん」
となる町の食堂で、不意に呟く。
その言葉に返事をしたのは、あのときの長い髪の女―――ユーシスだった。
視線を向ければ、彼女は楽しそうにくすくすと笑う。
「マリエス様から選ばれた勇者が来るとか聞かされてて、どんな子がー、なんて思ってたんだけど」
「子・・・」
「あたしから見れば、人間の若者は全員『子』なんですぅ」
「右に同じく」
思わず呟いた言葉に、ユーシスとともに答えたのはあのときの長い髪の男―――アスレイドだ。
一見するとそんなに年が離れていると思えない2人のその言葉に一瞬唖然としてしまってから、彼らの素性を思い出し、俺はため息をついた。
「まあ、あんたたちから見ればなぁ。寿命だって、だいぶ違うわけだしな」
ユーシスとアスレイドは、実は人間ではない。
一見すると10代後半から20代前半の少女にしか見えないユーシスだが、実は妖精と呼ばれる種族の長だ。
妖精、と一言で言うと、人間が思い浮かべるのは背中に虫のような羽の生えた小人なのだけれど、長である彼女は特別で、人のような姿を取れるのだという。
アスレイドは、俺が一度は滅ぼしたいくらいに憎んだ魔族だ。
魔族が何故、勇者と呼ばれるミルザと旅をしているのか。
それは、俺の口から話してはいけないことだと思うから、話せない。
俺も最初は仇と同じ種族であるこいつを嫌悪していたけれど、ミルザが仇を取ってくれた今、そんな気持ちは無くなった、と思っている。
「でもねぇ。ミルザにそんな話、しない方がいいと思うよ?」
物思いに耽っていると、ふとユーシスが口を開いた。
その言葉に、俺は彼女へと視線を戻す。
「なんで?」
「だってほら。彼嫌いだから。特別扱いされるの」
「だから人里では偽名を使っているわけですからね」
アスレイドが付け足した言葉に、そういえば、と思う。
ミルザは、自分が『勇者』と呼ばれる存在だと知られることを嫌って、人里で本名を名乗ったことはなかった。
少なくとも、俺が一緒に旅をするようになってからは、一度も。
「あ、いたいた!」
聞こえてきた声に、食堂の入り口を振り替える。
見れば、扉の側に洋皮紙らしきものを握ったミルザが立っていた。
「あっ」
「よぉー」
ぱっと明るい表情を浮かべたユーシスの前で、彼に向かってひらひらと手を振る。
それを見てなのかどうかはわからなかったけれど、ミルザは怒りを隠さない表情でずんずんとこちらに向かって歩いてきた。
「お帰りなさい、『リフィス』」
アスレイドがあくまでにこやかに声をかける。
普段のミルザならここで笑顔を返すのに、今日はそれはなかった。
ばんっと思い切りテーブルを叩いて、俺たちを睨みつける。
「まったく!いつも僕にばかり仕事探させて、みんなも少しは手伝えよ!」
「えへへ」
「そういうのは勝手がかわりませんから」
「俺が探すと、文句言うじゃん」
「だからって・・・!」
ユーシスが笑って誤魔化し、アスレイドがはっきりと拒否を口にし、俺が文句を言えば、ミルザは頭を抱えてしまった。
まあ、俺の取ってくる仕事と言えば退治屋みたいなものばかりで、文句が出たから行かなくなったわけなのだけれと、だからとはいえさすがにこんな彼の姿を見ていると心苦しくなる。
普段は悪癖のせいで悩まされているとはいえ、あれさえなければミルザはお人好しの『いい奴』で、恩人だから。
そんな奴を悩ませていることは、何だか悪いことのような気がした。
「うし!じゃあこの仕事は俺が行ってくる!」
席を立って、ミルザが握っていた依頼書をひょいっと抜き取る。
まさか、俺がそんなことをするとは思ってもいなかったのだろう。
抜き取った一瞬、彼は反応しなかった。
「へ?」
我に返ったミルザが慌ててこちらを見たときには、俺はもう食堂の入口に向かって走り出していた。
「早めに終わらせてくるからな!みんな、宿取って待っててくれよ!」
「は?って、おいテスタっ!!」
「行ってらっしゃーい。がんばってねぇ」
ミルザの声なんて無視して食堂を飛び出す。
外に出て、初めて仕事の内容を確認して、少し後悔したけれど、気を取り直して歩き出す。
依頼書に指示された場所を探しながら町を見回して、ふと目を細めた。
ミルザと出会わなかったら、俺はあの薄暗い牢の中で一生を終えていたと思う。
あのときの自分は、故郷も家族も失って、仇も取れなくて、生きる目的を失っていたから。
でもミルザと出会って、彼に世界に連れ戻してもらって、今ここにいる。
それは、きっと幸運なことなのだろう。
帰る場所や待っている家族はもうないけれど、それでも生きていたいと思うのは、彼のおかげだという気持ちはあった。
だから、自分にできることは精一杯手を貸したいと思う。
彼の旅が、何の目的もない平凡な旅だったとしても。
「とりあえず、だ」
この仕事を片付けよう。
食堂を出てくるとき、ユーシスとアスレイドが笑っていた気がするけれど、気のせいだということにする。
だって、ミルザに気づかれていなければいいのだから。
そう、彼に気づかれなければ。
「あいつにバレて堪るもんか」
町では人の目をいつも気にしているあいつを少し休ませてやりたかったという本音なんて、絶対に言ってやらない。