物語の外の
「これで僕の話せる勇者の記録はおしまい」
ぱたんと本を閉じる音がする。
その途端、向かいの席からブーイングが発せられた。
「これで終わりかよー。つまんねぇよー」
ブーイングの主は、長い銀髪を後頭部でひとつに纏めた、一見男か女なのか判断しづらい外見の人物だった。
その胸元をよく見ると、胸当てがほんの少し膨らんでいて、女性物だということがわかる。
声の低いその20歳近い年齢だと思われる少女は、青い瞳で不満そうに向かいの席に座る人物を見ていた。
「君は何を期待したんだ」
その視線を向けられた本の持ち主―――木の幹のような茶色の髪と、深い森のような瞳を持った、こちらも10代後半と思われる外見の青年が、呆れたようにため息をつく。
「だってさー。精霊の勇者の物語って言ったら、やっぱ魔王イセリヤから帝国を奪還する話とか、法王を国ごと封印する話とかさー」
「そういう話は腐るほど残ってるだろう」
「全部お伽噺調じゃんかー」
はっきりとそう言って切り捨てれば、銀髪の少女はぶーぶーと文句を言う。
「俺が知りたいのはそういうお伽噺や伝説じゃなくって、生の話なんだよー」
「リディ、失礼だよ」
あまりにも聞き分けのない銀髪の少女の言葉に呆れたのか、隣に座っていた金の髪と紫の瞳を持った少年が口を開いた。
少年とは言ったが、顔つきが幼いだけで、茶色い髪の青年とあまり変わらない年齢に見えた。
「リフィスさんが終わりって言ったならそれでいいじゃないか」
「でもさー。テッドだって知りたいだろー?」
「語りたくない話だってあるだろう?少し前の僕や君みたいに」
「う・・・。それはそうなんだけどさ」
テッドと呼ばれた金髪の少年の言葉に、リディと呼ばれた銀髪の少女は押し黙る。
どうやら彼の私的に思うところがあるらしい。
「そういうわけだから、ここでおしまい。いいね?リディ」
「へーへー。わかりましたよ」
リフィスと呼ばれた茶色い髪の青年が、とどめとばかりにそう告げると、リディは渋々と言った様子でそう答える。
「ちぇー。なんか参考になるかと思ったのになぁ」
「まあ、勇者も1人の人間だったってことだよね」
不満そうな彼女に、テッドがそう言って笑いかける。
「終わったなら、私は行ってくる」
そう言ったのは、ずっと部屋の入り口の側で話を聞いていた、肩口で切り揃えた宵闇色の髪と、翡翠色の瞳を持つ少女だ。
彼女も他の3人同様、10代後半のような外見をしていた。
「って、どこに行くの?シール」
「狩り。そろそろ夕食の準備に取りかかる時間だろう?」
「もうそんな時間なのか」
シールと呼ばれた宵闇色の髪の少女の言葉に、室内にいた者たちは初めて時間を認識したらしい。
彼らがいるのは石造りの神殿だ。
外周に位置する部屋ならともかく、ここは中心の広間に近い部屋だ。
日の光が差し込まないから、全く時間の感覚がなかった。
「うっし。じゃあ俺も行くぜ。テッドも行くだろう?」
「うん。いいよね?シール」
「・・・・・・拒否したってついてくるくせに」
ぼそっとシールが文句を口にする。
けれど、リディはそんなものは全く聞いていないようだ。
無理矢理シールと肩を組むと、そのまま部屋を出て行く。
苦笑して後に続こうとしたデッドは、部屋を出ようとしたところで立ち止まり、リフィスの方へ振り返った。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。他の食材の下ごしらえはしておくよ」
「お願いします」
ぺこりと頭を下げたテッドが、2人の少女を追いかけて飛び出していく。
その後ろ姿を見送って、リフィスはため息をついた。
「ずいぶんいろいろ話してたじゃない」
ふと、自分以外誰もいなくなったはずの室内に声が響いて、リフィスは座ったまま振り返った。
彼の右斜め後ろの壁際に、それまでなかったはずの人影があった。
腰までの夕日色の髪と深紅の瞳を持った、先ほどまでここにいた少女たちよりも少し年上に見える女性が、そこにいた。
その姿を目にし、リフィスは苦笑を浮かべる。
「話せる話だけだけどね」
「それでもずいぶん長い間話してたわよ」
顔にかかった髪をかき上げながら、女性は呆れたように言葉を返す。
「そんなつもりはないんだけどな」
それを聞いたリフィスは、ますます困ったような顔を浮かべた。
「2000年前の勇者の物語が、彼女たちのこれからの選択のヒントになればいいと思っただけなんだけど、どうかな?」
「さあ?」
リフィスの問いを、女性はばっさりと切り捨てる。
「あの話がどんなヒントになるのか、私にはさっぱりだわ」
「・・・だよなぁ」
はっきりと返ってきたその言葉に、リフィスは再び苦笑を浮かべた。
その答えに、女性は驚いたように彼を見る。
「あんた、ヒントになると思って話してたんじゃないの?」
「うん・・・。どうだろうね」
困惑したように答えれば、聞こえてきたのはため息。
視線を向けると、彼女は心底呆れたと言わんばかりの表情でこちらを見ていた。
「そういうのはもうちょっと考えてからやりなさいよね」
「あははは。ごめん」
少し厳しさの増したその声に、リフィスは軽く笑う。
それを見て、女性はもう一度ため息をついた。
「今度は1000年前の賢者の話でも話してあげれば?」
「それをするなら君だろう?」
「冗談。私はやらないわよ」
はっさりと切り捨てて、女性は部屋の入り口に向かって歩き出す。
その背に、リフィスは不思議そうに声をかけた。
「夕食は?」
「今日はこれから出るから」
「そう。気をつけて」
その言い方をするとき、彼女がどこに行くのか知っている。
だからそれ以上何も言わずに、彼は彼女を見送った。
神殿中に響いている足音が、だんだん遠くなっていく。
それが聞こえなくなってから、リフィスは漸く深いため息を吐き出した。
「何のヒントになるかわからない、か。・・・確かにね」
自分で話をしておきながら、あの勇者の『歴史書には語られていない物語』が何の役に立つのか、よくわからない。
『勇者の物語』は、決してハッピーエンドでは終わらなかったのだから。
「でも願わくは、彼女たちがミルザのような結末を迎えないことようにと祈っているよ」
何のヒントにもならないかもしれないけど、せめて。
前に進むことを決めた2人の少女と1人の少年が、あの勇者の旅のような結末を迎えてほしくはないと心の底から思っている。
「できることならスローネ。君がかつて望んだような結末が、シールたちに訪れるように」
廊下の向こうに消えた夕日色の後ろ姿を瞼の裏に描いて、呟く。
彼女がかつて夢見て、けれど叶えることのできなかった結末を、どうかあの3人に迎えてほしい。
その願いは、決して間違いようのない、心からのものだった。