魔力なし
「俺に魔術を教えてくれ」
「無理」
とある街の屋外席のある食堂。
その一席のテーブルの上に立ったまま両手をついて頭を下げたテスタを、ミルザはあっさりと切り捨てた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
沈黙がテーブルを包む。
テスタは頭を下げたまま顔を上げようとはせず、そのままぷるぷると体を震わせ始めた。
「だああああああああ!!!」
瞬間、テーブルの下に手を入れ、そのままひっくり返そうとする。
けれどミルザは、片手と両足でテーブルを押さえ、器用にそれを阻止した。
「テーブルひっくり返そうとしないでくれ。もったいない」
「もったいないじゃねえええ!!なんでこんなところでパフェなんて食ってんだよお前っ!!つか即答すんじゃねえええっ!!!」
「いいじゃないか。甘いものが欲しくなったんだから」
テーブルの上にあるのは、ずいぶんと長細いグラスに入ったチョコレートパフェ。
生クリームがふんだんに押し込まれているそれを、ミルザは同じく長細いスプーンで器用に口に運んでいる。
この国では男性が甘いものを頼むのは珍しいのか、周囲から好奇の視線が向けられていた。
もちろん、ミルザがパフェを食べていること以外にも理由はあったけれど。
「というか即答するしかないじゃないか。教えられないし」
ミルザが、右手に持ったスプーンを器用に指で弄ぶ。
矯正済みとはいえ、本来左利きの彼がそこまで軽々とそれを操っているのだから大したもの、なのかもしれない。
「あんだけすごい呪文使っといて教えられないはないだろ!そりゃ、あんたが使うすごいタイプのは俺なんかじゃ使えないだろうけど、せめて―――」
「いや、そういう問題じゃなくて」
生クリームを口に運んでから、ミルザはスプーンの先をテスタに向けた。
「テスタ。君、魔力ないじゃないか」
その言葉に、テスタの動きがぴたりと止まる。
「・・・・・・・・・へ?」
ずいぶんと時間が経ってから、彼は間の抜けた声を返した。
「へ?じゃなくて」
「俺に?」
「うん」
「魔力が?」
「うん」
「ない?」
「うん」
パフェを口に運びながら、ミルザははっきりと答える。
テスタは暫くの間、同じポーズで固まったように動きを止めていた。
「・・・・・・マジで?」
「マジで」
もう一度聞き返すけれど、ミルザは同じ言葉しか返さない。
「・・・・・・うそ」
呆然と呟いたテスタに、ミルザはぴたりと手を止めた。
そのままじとっとした目をテスタに向ける。
「今まで魔道士の真似事とかしたことなかったのかい?」
「いや、ちびんときからずっと剣に憧れてたから」
真顔で言われても困る。
そう思いながらミルザはため息をついた。
「とにかく、魔力が全くない人間は魔法は一切使えない。だから教えても意味ない。以上」
「で、でで、でも!訓練してたら使えるようになるかもしんねーし!」
「テスタ」
思い切り動揺しながら問い下がろうとするテスタを、ミルザはそれまでとは違う声音で呼んだ。
面倒くさいと言わんばかりだった気配の消えたその声に、テスタは思わずびくりと肩を震わせる。
そんな彼に仕草だけで向かいの席に座るように指示を出す。
テスタがおとなしく腰を下ろすのを見て、ミルザはもう一度ため息をついた。
「こういうの性に合わないんだけど」
いつも長ったらしい説明をするのはアスレイドとユーシスで、ミルザは横から補足説明をする程度だった。
だが、今は2人とも魔道士が指定された仕事を請負い、それに出かけてしまっていて留守にしていた。
仕方ないとばかりにもう一度ため息をついて、どういう風に説明しようか考える。
スプーンを持ったままの右手で少し米神をぐりぐりと押してから、ミルザは漸く口を開いた。
「いいかい?魔力って言うのは、そもそもは自然に存在するものだよ。空気と同じで世界のどこにでもあるし、空気と違って水の中だからだって消えることはない自然のエネルギー。それを自然界で循環させているのが、万物に宿る精霊たち。ここまではいいね?」
「あ、ああ」
テスタが神妙な顔で頷く。
その辺りのことは以前、ユーシスとアスレイドに講義をされて、ある程度は覚えていた。
「魔力は空気みたいなものなんだから、本来はどこにでもある。土の中にも火の中にも、人間や動物みたいな生物の中にも。だから本来の意味で言うなら、『魔力を持たない人間』なんてのは存在しない」
「へ?じゃあ、やっぱ俺も訓練すれば・・・」
「残念だけど」
ほんの少しだけ目を輝かせたテスタの希望を、ミルザは首を横に振って静かに砕く。
今の話なら、確かに誰にだって訓練次第で魔力を操ることができるようになりそうに思える。
けれど、そうではない。
「人間で言う『魔力を持たない』の意味は、実際に体の中に魔力があるかどうかじゃなくって、それを蓄えたり操ったりする能力の素質があるかどうかなんだ」
ミルザがスプーンを手にしたままの手を、体の中から外に向かって線を描くように動かす。
「・・・それってつまり・・・」
「君にはそれがない」
ぴっとスプーンの先を向けられ、はっきりと言われた言葉に、テスタは思わず息を呑んだ。
魔力を操る能力がない。
だから、魔力を使うことができない。
それが彼が、呪文を使うことができない理由だという。
「それこそ訓練すればなんとかなるもんじゃねぇの?」
「いや、無理だ」
尚も食い下がろうとするテスタを、ミルザはやはりばっさりと切り捨てた。
「他の種族はどうか知らないけど、人間は生まれつきその能力があるかどうかで決まるらしいんだ」
「生まれつき・・・」
「そう」
テスタの呟きに、ミルザは頷く。
「遺伝とかそういうので決まる能力らしくて、生まれつきその能力がない人間には一生魔力は使えない。生まれ持ったものを修行とかである程度高めることはできるけど、ないものはどうしようもできない」
あるものに何かを足すことはできても、ないものには足すことはできない。
「ごくごく、本当にまれに何かの影響でその力が目覚めることもあるらしいけど、何千年かに1人、いるかいないかだって話だし」
「何かの影響って?」
「知らないよ。何千年かにいるかいないかだって言っただろう」
つまり、可能性は限りなくゼロであり、実際には途中でその力に目覚める人間なんて皆無なのだということなのだろう。
「というわけだから、魔力は諦めること。いいね?」
それだけ言って、ミルザは止めていたスプーンを動かし、残っているパフェを頬張る。
テスタは納得いかないと言わんばかりの顔をして、自らの膝の上に握った拳を見つめていた。
その様子を見て、ミルザは心の中でため息をつくと、加えていたスプーンを口から離した。
「・・・・・・魔力の件はどうしようもないけど」
その声に、テスタが顔を上げてこちらを見る。
視線が合うのを待ってから、ミルザは続けた。
「そういう人も珍しい話じゃないから、魔力を使わないの技を教えている剣術の流派もあるって聞いたけど」
「え?」
「つまり型とか、そういうもので攻撃を技にしてるんだろうね」
普通の剣士が使う、衝撃波やら炎やらを放つ技は、剣に魔力を集中させて放つ、魔力を必要とする技だ。
剣に魔力を乗せ、炎や風らを具現化して使用する魔法剣も、そんな技の一種に分類される。
けれど、そういったものを伴わない技だって、もちろん存在する。
切り上げの形とか突きのやり方とか、そういった型でただ斬るだけとは違う攻撃方法が技に昇華され、成り立っているものもある。
そして、それを主だって教えている流派もあると、旅の間に耳にしたこともあった。
「僕の剣は結構魔力に頼ってるし、完全に我流だから教えられないけど、街に寄るときにそういう道場がないか探してみればいいんじゃないかな?」
そう言ってにこりと笑ってみせれば、テスタはきょとんとした表情でぱちぱちと瞬きをした。
暫くして、漸くその言葉が頭に染みこんできたらしい。
「そっか・・・。そうだよな」
先ほどまで落ち込んでいた表情が、見る見るうちに明るくなる。
それが完全に笑顔になると、彼は勢いよく立ち上がった。
「そうする!サンキュ、ミ―――」
「テスタ。街の中」
名前を呼ばれる前に、ミルザは少しきつめの声音でそれを遮った。
一瞬テスタが驚いたような表情を浮かべる。
けれど、すぐにそれが、街中でミルザの名前を呼ぶなという意味だと気づいたらしい。
「そうだった。サンキューな、リフィス!」
にっこりと子供のような笑顔を浮かべ、彼の偽名を呼んで礼を言う。
そのまま席を立つと、さっそくと言わんばかりに、道場を探すと意気込んで店を後にした。
去って行くその姿を見送って、ミルザはもう何度目かわからないため息をつく。
そして、スプーンをパフェのグラスに差し込んで気づいた。
「・・・・・・溶けちゃった」
グラスの中では、大きめだったはずのバニラアイスがどろどろに溶け、生クリームやぱりぱりだったチョコレートと完全に同化してしまっていた。