勇者の証
基本的に、冒険者たちは行く先々にある仕事の斡旋所で冒険者用の仕事を受け、それを収入にしている。
中には手に職を持ち、滞在している間にその仕事を受ける者もいるけれど、大抵は前者が多かった。
当然それは彼らも変わらない。
リーダーの希望であまり人里に立ち入らない彼らは、だからこそ滞在するときは武器の買い換えや食料などの補充のために仕事を引き受けることが多かった。
今日も久しぶりに街に寄って、仕事を引き受けた。
近くの森に凶暴な魔物が住み着いてしまい、退治して欲しいという仕事。
これが結構強い魔物らしく、引き受けた冒険者たちは皆命からがら逃げ出してきたらしい。
「おたくら、かなり実績あるみたいだしな。どっかの化け物屋敷を何とかしたって4人組っておたくらだろ?なら大丈夫だって」
斡旋所の受付にいた男はあっさりとそう言うと、こちらの希望など聞かずにこの仕事を回してきた。
その顔には、まるでこの仕事を受けないなら他は回さないと言わんばかりの笑顔が浮かんでいて、仕事を探しに行ったテスタは渋々この仕事を引き受けてきたのだと言う。
そして、その仕事の大変さを、彼らは実感していた。
ざざっと茂みが動く音がして、その中からテスタが飛び出す。
追うようにその影から飛び出してきた狼のような姿をした魔物を、振り向きざまに剣で薙ぎ払った。
魔物の体が、その傷口から溢れたものを巻き散らしながら地に落ちる。
その体が地に落ち、ぴくりとも動かないことを確認すると、テスタは漸く詰めていた息を吐き出した。
「・・・・・・は・・・っ!」
膝をつきそうになるのを何とか耐えて、意識を研ぎ澄ませる。
周囲に魔物の気配はない。
4、5体に追いかけられていたけれど、今の1匹以外は何とか撒けたらしい。
「おたくらなら大丈夫、じゃねぇよあのオヤジ・・・っ!」
予想以上に1体が強い。
これなら他の冒険者が投げても無理もないと思う。
「ちくしょう・・・。はぐれた」
必死になっていたら仲間たちを見失ってしまった。
自分以外はそれなりに名を馳せている彼らだ。
無事だとは思うけれど、この魔物の数では不安になるのくらいは許してほしい。
「おーい!ミルザーっ!ユーシスーっ!アスレイドーっ!!」
森の中を、仲間たちの名を呼びながら走る。
声を聞きつけた魔物に見つかる可能性など、考えてはいなかった。
ざかざかと茂みをかき分けて、おそらくは元来た方向へと走る。
どれくらい走っただろうか。
逃げているときには気にしなかった距離を走ったところで、突然足が何かをひっかけた。
「うわっ!?」
躓いて転びそうになったけれど、何とか体勢を立て直す。
振り返って、何に躓いたのか確認しようとして、思わず息を呑んだ。
それは自分が戦っていたのと同じ魔物の死骸だった。
「び、びっくりした・・・。けど・・・」
自分はさっさの1体以外は倒していない。
ということは、この近くが最初に魔物と遭遇した場所のはずた。
周囲を見回しながら、耳を澄ます。
ふと、爆発音のようなものが聞こえた気がして、そちらへ向かって走り出した。
「地獄に燃える熱き火よ。今ここに我が身に集い、愚者を焼き尽くす力とならん!」
アスレイドの杖から放たれた炎が、周囲を取り囲む魔物を焼き払う。
「大気に溶け込みし無限の水よ!」
その反対側にいた魔物たちを、ユーシスが作り出した水柱が飲み込んでいく。
2人が取り零した魔物を、ミルザが右手に持った剣で切り裂く。
それをもう、どれくらい繰り返しているだろう。
「ちょっとお!!一体こいつらどれだけいるのよお!!」
「テスタに聞いてください。この仕事を持ってきたのは彼です」
「そのテスタはどこに行ったのおおお!!」
ユーシスが叫びながら呪文を放つ。
巻き起こった風が、その方向にいた魔物たちを切り裂いた。
だいぶ数は減ったけれど、この森が住処になっているだけあってさすがに数が多い。
「さっき、かなりの数の魔物に追いかけられていた気がしますが」
「テスタのことだから大丈夫だと思うけど」
ミルザの剣が飛びかかってきた魔物を凪ぐ。
呪文がかかっているらしいその剣は、魔物の体に当たると同時に風を纏い、無数の刃で魔物の体を切り裂き、弾き飛ばす。
無理な姿勢で剣を降り、崩れ落ちかけた体を足をふんばって支えて持ちこたえると、ミルザは大きな息を吐き出した。
「これはさすがに、そろそろ辛いかな」
まだ目の前には、先ほど呪文で飲み込んだ数以上の魔物がいる。
彼がいくら歴戦の戦士とはいえ、既に息はとうに上がりきっていて、体力も限界に近かった。
「ですね」
「正直、そろそろ限界かも」
アスレイドとユーシスも、ミルザの言葉に同意する。
彼らの魔力を紡ぐための集中力も、もう途切れ始めていた。
「仕方ない。あんまりやりたくなかったんだけど」
ため息をつくように息を吐き出すと、ミルザは右手に持っていた剣を左手に持ち替えた。
それに気づいたユーシスが、驚いたように目を見張る。
「ミルザ!?」
「2人とも、いざとなったらすぐに結界を張ってくれ」
一言だけそう言うと、彼はほんの少しだけ2人から距離を取る。
左手に持った剣で襲いかかる魔物を凪ぐと、血を振り払ったそれを顔の前に縦に翳す。
「炎と力を司りし精霊よ。我が名において命ず。その力、我が剣に宿り、我に力を与えよ」
言の葉を口にし、一度目を閉じる。
間を空けることなくそれを開いたとき、そこには変化が生まれていた。
ミルザの瞳は、樹脂を固めたような琥珀色だ。
その瞳が左だけ色を変えていた。
それは、本来人間が持たざるはずの色。
金ではない、ひまわりの花びらのような鮮やかな黄色。
「出でよ、サラマンダー」
言葉とともにミルザが剣を振り上げる。
その途端、その切っ先から炎が吹き出した。
炎は彼の周囲を取り囲み、人の姿を形作る。
その光景を見て、アスレイドは息を飲んだ。
「久しぶり、ですね」
「テスタと一緒に旅するようになってから、使わないようにしてたみたいだから」
その呟きを聞き取ったユーシスが、小声で返事を返す。
周囲の魔物は突然出現したその炎に気を取られていて襲いかかってこない。
だから彼女たちも、その炎に見入る余裕が生まれていた。
ミルザの左の肩の傍で人の形を作った炎が、ゆっくりと目を開ける。
それを待っていたかのようにミルザは口を開いた。
「この場にいる命あるもの、全てを焼き払え」
『御意』
答えたかと思うと、人の姿をしたそれは再び炎に包まれる。
かと思った途端、その場所から勢いよく炎が飛び出し、魔物に襲いかかった。
驚き、逃げる間もなかった魔物を次々と飲み込んでいくそれは、炎を纏った真っ赤な大蛇にも見えた。
その炎が取りこぼした魔物を、ミルザが同じ炎を宿した剣で切り裂いていく。
周囲の木々を焼くことはなく、ただ魔物のみを飲み込んでいくその炎に、アスレイドとユーシスは魅入られる。
2人がこの光景を見るのは初めてではない。
けれど、何度見ても慣れることはないのだろうとミルザは思う。
これがミルザが、勇者である証。
人間でありながら、上位世界の種族である精霊を、それもその長たちを使役する能力。
剣を振り、魔物を焼き払いながら考えていると、ふと傍の茂みががさっと動いた。
粗方の魔物を飲み込んだ赤い大蛇の目が、そちらへと向く。
ぎょろりとした目が茂みを睨み、その茂みに向かって炎を纏った体が飛んでいく。
「うわあっ!?」
その途端耳に飛び込んだ声に、ミルザははっと顔を上げた。
「サラマンダー!待て!」
そう命じたのは、ほとんど反射だった。
その途端、ぴたりと大蛇の動きが止まる。
燃え上がる炎のその先で尻餅をつく少年の姿が、そのとき漸くミルザの視界に入った。
その姿を見て、彼は安堵の息を吐き出した。
「それは、我が敵ではない」
はっきりとそう告げれば、大蛇はちらりと少年を見て、もう一度ミルザを見た。
ミルザがもう一度答えるように頷くと、それは漸く納得したらしい。
炎を吹き上げると、大蛇の姿は消え、その場には炎のような赤い髪を持った青年が姿を見せた。
『失礼いたしました』
炎の中から現れた青年は、尻餅をついた少年に対して頭を下げる。
「テスタ!?」
頭を下げられた少年の姿が、大蛇が消えて漸く目に入ったらしい。
ずっとその場に立ち尽くしていたユーシスが、弾かれたように少年の名を呼び、こちらに向かって走ってくる。
呆然と大蛇だった青年を見上げていた少年―――テスタは、その声に我に返ったようだった。
「大丈夫ですか?怪我はありません?」
「あ、ああ。一応」
ユーシスとともに傍にやってきたアスレイドに手を差し出され、テスタはそれを素直に取って立ち上がる。
普段なら自分で立つと言って突き放す彼が素直にそれを取ったのは、きっと頭の中が混乱しているからに違いない。
「つか、何?それ」
それを証明するかのように、テスタは呆然と宙に浮く赤髪の青年を指差して尋ねる。
「『それ』って・・・」
「人間にとって、精霊は崇めるべき上位種族ではありませんでしたか?」
ユーシスが苦笑し、アスレイドが呆れたように尋ねる。
それでもテスタは、一瞬何を言われたのか理解できなかったらしい。
「・・・・・・はっ!?精霊!?」
ずいぶんと間を空けてから、彼は盛大に声を上げた。
「すみません、サラマンダー様」
『いや、かまわん』
それを見ていたユーシスが、赤髪の青年に頭を下げる。
サラマンダーと呼ばれた彼は一言そう告げると、淡泊な表情のまま、その髪と同じ真っ赤な瞳を閉じた。
その様子を見ていたミルザは思わず笑みを零す。
サラマンダーは元素を司る七大精霊の中では割と乾いた性格をしているが、少しくらいは傷ついているだろう。
もう短くもない付き合いから、ミルザは何となくそう感じていた。
「人間がイメージしている精霊の姿って言うのは、精霊神殿の聖典なんかに描かれた挿し絵が元だからね。僕も最初はイメージと違っててびっくりしたくらいだし」
「まあ確かに。人間の姿で描かれているのは精霊神くらいですものね」
ミルザの言葉に、アスレイドが納得したと言わんばかりに同意する。
彼の言うとおり、精霊の姿は様々な書物に描かれてはいるが、それを人の形で描いたものは少ない。
たとえば、今ここにいる赤髪の青年は、先ほどのような蛇やトカゲのような姿で描かれているのがほとんどだ。
そんな絵ばかり見ている人間が、彼が人間の姿をしている事実を知って驚くのは、無理のないことだと思う。
「えっと、つまり・・・」
テスタが呆然とした表情まま、宙に浮く赤髪の青年を指す。
そんな彼を見て、ユーシスは仕方ないなと苦笑を浮かべた。
「こちらは七大精霊のおひとり、火の精霊サラマンダー様よ」
そのまま、はっきりとその青年を紹介した途端、テスタはあんぐりと口を開いた。
暫くの間、彼はそのままサラマンダーと呼ばれた青年を見つめ、それから呆然とした表情のまま尋ねた。
「ミルザが召喚した、精霊様・・・?」
「そういうことですね」
それに答えたのは、ミルザではなくアスレイドだった。
ぽかんと自分を見つめるテスタから、ミルザは視線を逸らす。
その視線に耐えられなかった。
見ていたくなかった。
その表情を向けた『人間』が次に自分をどんな目で見るか、彼は嫌と言うほど知っていた。
「・・・・・・ミルザ」
呆然とした表情のまま、テスタが口を開く。
ついに来たかと思い、身構えた。
「お前って本当にあのミルザで、精霊の勇者だったんだなぁ」
彼の口から出たその言葉を、一瞬理解することができなかった。
それは、ミルザが想像していたどの言葉とも、違うものだったから。
「・・・え」
だから、ミルザはそれしか言葉を返すことができなかった。
予想外すぎる言葉に、すぐに返事が思いつかなかったのだ。
その様子を見ていたアスレイドが、わざとらしいため息を吐き出した。
その群青の瞳が呆れたようにテスタを見る。
「信じてなかったんですか・・・?」
「だって、俺たちの見るこいつって、世間で噂されてるイメージと違うじゃん!」
アスレイドに睨まれたとでも思ったのか、テスタは身振り手振りで必死に言い訳をする。
その様子を見て、ユーシスまでもがため息をついた。
「確かに違うけど」
「それで、ミルザを見る目が変わったとでも言うんですか?」
「ああ!」
アスレイドの問いに、テスタは力強くはっきりと答える。
その言葉で2人の表情が強ばったことに、彼は気づいただろうか。
2人の表情の変化すら見ていたくなくて、ミルザは3人から目を背けた。
もう、終わりだと思った。
テスタに知られてしまった以上、4人での旅はこれまでだと。
ここでテスタと別れるべきだと、そう思った。
だから、それを伝えようと、口を開こうとした。
「僕は―――」
「俺、もっとがんばって剣の腕磨く!」
けれどその言葉は、先ほど以上に予想外な宣言にかき消された。
「・・・・・・はい?」
今度こそ本当に何を言われたのかわからなくて、ミルザはほとんど反射的にそう聞き返していた。
その途端、テスタはその真紅の瞳をきらきらと輝かせてこちらを見る。
「ミルザがあんまり精霊様を呼ばないのって、1回呼ぶのも結構きついからなんだろう?じゃあ、俺も強くなって、ミルザがきついことをあんまりさせないようにしないと」
「え・・・?あ、いや・・・」
「だからもっと辛いとかちゃんと顔に出せよ。あんた、そういうのに限って外に出さないんだもんな。出してくれればちゃんと見てサポートするから。まあ、できる限り、にはなっちまうけど」
「あ、ああ。ありがとう」
勢いで捲くし立てられて、ミルザは思わず礼を言ってしまう。
彼が普段は精霊を召喚しようとしないのは、決してテスタが言っているような理由ではないのだが、テスタは完璧にそう思い込んでいるようだった。
ミルザが予想外の展開に琥珀と黄色の瞳を白黒させていると、ほんの少しの間何かを考えるように黙り込んだテスタが、再び顔を上げて宣言する。
「よし、そうと決まったら!まずはこの仕事の報酬で武器買い換えるぞ。んで、トレーニングメニューを見直さないとな!」
そう言うと、テスタは早速自分の荷物から使い込まれた羊皮紙を取り出し、あれはこうしようこれはそうしようと唸り出す。
とても爽やかないい笑顔でそんな宣言をされれば、止める者などいるはずもない。
未だ元の色に戻らぬ目をぱちぱちと瞬かせていたミルザは、唐突に大きなため息を吐き出した。
「・・・・・・そういう理由じゃ、なかったんだけど」
「いいんじゃない。そう思い込んじゃってても」
「そうですね」
驚いていたはずのユーシスとアスレイドが、そんな自分を見てくすくすと笑う。
言い返そうかと思ったけれど、本当の理由を知る2人が自分を案じていていることを知っているから、結局は何も言い返すことはできなかった。
そのミルザに、アスレイドが柔らかい笑顔を向ける。
「よかったですね、ミルザ。完全に杞憂で」
その言葉に、ミルザは顔を上げて彼を見た。
彼の隣に立つユーシスも、彼と同じ笑顔を浮かべている。
その2人の笑顔に、自分の顔にも笑みが浮かんだのがわかった。
「・・・・・・そうだね」
息とともに吐き出されたその言葉は、きっと安堵。
自分は、恐怖に捕らわれていたのだと、ミルザはそのとき初めて自覚する。
今まで人間はいつも同じだった。
ミルザが勇者だと知ると、尊敬するか畏怖するか、そのどちらかに分かれて離れていく。
誰も彼をミルザという個人だと認めない。
だからテスタもそうなってしまうという恐怖があった。
でも、もう大丈夫。
テスタは、僕を『勇者』ではなく『ミルザという個人』として見てくれる。
たぶんそれが、最後のきっかけ。
その事件を境に、テスタという人間の青年は、漸くこの勇者と妖精と魔族という不可思議なパーティの正式な一員になったのかもしれない。