黒の魔道士
彼の精霊の勇者ミルザに、共に旅をする仲間がいることはあまり知られていない。
遠い未来ではそんな記述などどこにも残らなかった程度に知られていない。
彼が生きている時代であっても、知っているのはほんの一握り。
その一握りのほとんどが精霊だったり妖精だったりで、人間たちはあまり知らない。
それはミルザが人里では偽名を名乗っていたことも理由だろうが、彼がミルザとして公の場に姿を現すとき、仲間たちを連れて行かないようにしていたことも理由だった。
ユーシスだけは、妖精本来の姿でついて行くこともあったようだけれど。
「そんな扱いをされているあなた方は、ミルザのことをどう思っていますか?正直に答えてくださいねー」
にっこりと笑って尋ねたのは、その勇者の仲間ではなかった。
黒い髪と黒いマント、黒い魔道士用の旅装束に身を包んだ魔道士の男。
若い青年に見えるその彼は、野宿の後片付けをしていたユーシス、アスレイド、テスタの前に現れて笑顔でそう尋ねたのだ。
「人間嫌い」
「捻くれ者」
「スレてる」
自分を警戒することもなく、あっさりと返ってきたその答えに、青年は思わず目を丸くした。
「おや。酷い言われよう」
酷いも何も、正直に答えろと言ったのはお前だ。
そう言い返したいのは3人一緒だった。
けれど、目の前の青年は、そんな嫌味は嫌味とも受け取らずに軽く流してしまうことも知っていた。
だから、アスレイドは言葉の代わりにため息をつく。
「というかまた唐突にやってきて、何なんですか?あなたは」
「私?前に名乗ったじゃないですか。ウルスです」
「敬語でその一人称はやめてください。キャラが被ります」
かわいらしくウィンクをしたウルスと名乗った青年を、アスレイドは睨んだまま突き放す。
一瞬きょとんとしたウルスは、軽くため息をつくと首を左右に振った。
「やれやれ。仕方ありませんねぇ。では、うーんと、俺?」
「虫唾が走ります」
「ではあたしとか」
「ぶん殴りたくなるぞ」
ユーシスとテスタにまでそんなことを言われ、ウルスはもう一度ため息を吐き出す。
まるで子供のわがままに付き合わされていると言わんばかりの態度に、さすがのアスレイドとユーシスも顔を引きつらせた。
「仕方ありませんねぇ。じゃあ、僕で」
「何がじゃあだ何が」
予想に反して、ウルスの背後から声がかかる。
彼がくるりと振り返ると、そこにはいつのまに戻ってきていたのか、このパーティのリーダーである青年がいた。
「おやミルザ。お早いお帰りで」
「気配が4人分あるかと思えば・・・」
目が合った瞬間、ミルザは額を押さえて深いため息をつく。
その手を下ろさないまま、琥珀の瞳がぎろりとウルスを睨んだ。
「何しに来たんですか傍観者」
「その言い方は酷いですねぇ」
「その言い方で十分です道化」
「それも酷いです」
「遊び人」
ウルスが反論するたびに、ミルザの彼に対する呼び名が酷くなっていく。
このままでは話が進まない。
そう思ったらしいユーシスが、わざとらしいため息を吐き出しながら口を開いた。
「あんまり拘らない方がいいと思いますよー?」
「そうですね」
「・・・・・・ちっ」
あっさりと諦めたウルスの態度に、舌打ちをしたのはもちろんミルザだ。
酷い呼び名をつけてウルスを追い返そう作戦が失敗したミルザは、本気で嫌そうな表情を浮かべて彼を睨みつける。
「で、あんたどっから沸いたんですか」
「酷いですねぇ。人を蛆虫のように」
「蛆虫の方がまだましです」
「あれま」
ずいぶんと酷いことを言われているはずなのに、ウルスはけろりとしている。
それが妙に癪に障って、ミルザはさらに鋭い目で彼を睨みつけた。
けれど、目が合った瞬間、彼は怯みもせずににっこりと笑ってみせた。
「睨まないでください。僕はあなたをいじめに来たわけじゃないですから」
「ああそうですか。さっさと帰れ」
「そんな邪険にしないでくださいよぅ」
外見は明らかにウルスの方が年上なのに、ミルザに向かって縋るその姿は異様だ。
「なあ」
ユーシスがそんなことを考えていると、不意に傍から声が聞こえた。
視線をそちらへ向ければ、先ほどまで呆けたようにミルザとウルスのやり取りを見ていたテスタが、隣にいるアスレイドに声をかけていたところだった。
「なんですか?」
「ときどき来るあいつって誰?ミルザとずいぶん親しそうだけど」
「あれぇ?もしかして嫉妬ですかぁ?」
「ほざけ道化」
くるりと、それはそれは楽しそうな笑顔で振り返ったウルスの後頭部に、すかさずミルザの罵声が飛ぶ。
それに反応したウルスが再びミルザをかまい始めたのを確認すると、アスレイドは不思議そうに首を傾げた。
「なんでしょう?」
「おいおい」
「私も直接話したことはあまりないので」
ウルスは来るたびにミルザとばかり話をしていて、自分たちには挨拶をするだけだ。
だから、アスレイドとテスタが彼のことを不思議に思っても仕方がない。
だからと言って、テスタが2人の関係を2人に直接聞くのもそれはそれで問題だと思ったユーシスは、少しの間思考を巡らせてから口を開いた。
「ミルザの遠い親戚、みたいな感じかな」
「ミルザの?」
「ああやってときどきちょっかい出しに来るのよ。風の流れから気配を探して、とかなんとかいう方法で」
厳密には違うけれども、間違ってはいないだろうと、唯一2人の本当の関係を知っているユーシスは思う。
実際に彼がどうやって自分たちの居場所を突き止めているかは知らないが、彼ならきっとなんだってできてしまうのだろう。
「用がないならさっさと帰ってくれ」
「酷いですねぇ。僕が用もなく来るわけないじゃないですか」
ミルザがはっきりと拒絶の意思を示したとたん、ウルスの態度が変わる。
「ちょっと2人で話をしませんか?いい仕事があるんですよ」
それまでのふざけた様子が消え、表情に笑みを湛えたまま、瞳の温度が急激に低下したのをユーシスは見た。
ミルザもその変化に気がついたのだろう。
一瞬、ほんの少しだけ目を瞠ると、すぐに目を伏せ、ゆっくりとため息を吐き出す。
全部吐き出しきると、彼は顔をあげ、それまでの罵倒の数々などなかったかのように口を開いた。
「・・・・・・わかった」
その声音に、ユーシスは思わず目を細める。
もう一度ため息を吐き出すと、ミルザは申し訳なさそうにこちらを見た。
「すまないけど、みんなはここで」
「うん、わかったわ」
アスレイドとテスタが口を開く前にユーシスは答えた。
一瞬驚いたような表情を浮かべたミルザは、けれどすぐにふわりと笑った。
「ありがとう、ユーシス」
礼を告げると、ミルザはウルスと連れ立ってその場を離れていく。
木々の中に入っていくその背を見つけていると、不意に傍で名を呼ばれた。
視線を向ければ、いつの間に傍に寄ってきたのか、テスタが立っていた。
「いいのかよ?あいつとふたりっきりにして」
「大丈夫よ。あの人敵じゃないし」
心配するテスタに向かって笑って答える。
そう、彼は敵ではない。
それはユーシスも、もちろんミルザもわかっている。
けれど、2人とも彼が苦手だった。
彼が現れるということの意味を、2人だけが知っていた。
「それよりも!」
自然と暗くなる自身の心を振り払うように、ユーシスはわざと大きく声を出してテスタとアスレイドを振り返った。
「出発準備しましょ。たぶんミルザ、戻ってきたらすぐに離れたいって言い出すだろうから」
「そうなのか?」
「大抵ね」
「わかりました」
自分たちの中で一番長くミルザと一緒にいるユーシスがそう言うのだからそうなのだろう。
そう考えた2人は、疑問を感じつつもてきぱきと途中だった野宿の片づけを済ませてしまう。
すぐに移動できる体制になったことを確認して、満足そうに頷くと、ユーシスはもう一度、ミルザたちの消えた方向を見つめた。