雨宿り
しとしとと雨が降る。
今いるこの祠の外は草原で、雨が降り出す前にはかなり先まで見えていたというのに、今ではあまりの暗さに少し先までしか見えない。
祠の入り口からその草原を見て、少女はため息をついた。
布製のマントを羽織り直すと、ポニーテールに束ねた長い金の髪を翻して中へと戻る。
翡翠と同じ緑の瞳はぎりぎりまで外を見ていたけれど、最後には完全に逸らされた。
「ただいまー」
気持ち造ったと言わんばかりの短い廊下を抜け、奥の広間へと戻る。
声をかければ、入口のすぐ側に置かれていたテーブルについていた青年が顔を上げた。
肩胛骨を多い隠す程度に長い宵闇色の髪が揺れ、群青の瞳がこちらを見る。
「ユーシス」
少女の姿を認識したらしい青年が微笑む。
口にされたのは少女の名前だ。
自分を呼ぶその声に、少女はにっこりと笑みを返した。
「ご苦労様です。どうでした?」
「うーん。明日の朝まで雨みたい。雨の精霊様がたくさんいるみたいだから」
「そうですか。では今晩はここで明かすしかなさそうですね・・・」
ユーシスと呼ばれた少女の言葉に、青年はため息をついた。
その反応に、ユーシスは僅かに眉を寄せる。
「アスレイドはここで大丈夫なの?」
「ええ。こう見えても、そのあたりは頑丈な方なので」
にこりと笑って答えた青年を、ユーシスは「ふーん」と呟きを返しながらじっと見つめた。
ここは普通の場所よりも彼の『苦手とする力』が強い場所だけれど、少しも無理をしている様子がないように見える。
彼が『苦手とするもの』に対する耐性が強いことは知っていたから、嘘ではないのだろうと判断して、それ以上は聞かないことにした。
「ところでミルザは?テスタもいないみたいだけど・・・」
「ああ、彼らなら奥の探索に―――」
アスレイドと呼ばれた青年が、そう言って奥を示そうとしたその瞬間。
「こんの馬鹿ミルザああああっ!!」
突然祠の奥から聞こえてきた大声に、ユーシスはびくりと肩を震わせた。
慌ててアスレイドを見れば、彼も何が起こったのかわからないようで、ぽかんと奥を見つめている。
何が起こったと思うか。
そう尋ねようと口を開こうとしたその瞬間、再び奥から怒声が響いてきた。
「拾い食いはすんなって、あれほど言ったばかりだろうがあああっ!!」
「うぐぐ・・・」
共に何やら大きい呻き声まで聞こえてきたら、理解できないはずがない。
何が起こったのか察して、ユーシスは思い切り大きなため息をついた。
「何、またやったの・・・?」
「・・・・・・らしいですね」
アスレイドも事態を察したらしく、重苦しいため息をついた。
どうやら、この旅のリーダーである青年が、その容姿からは全く想像できない悪癖を発揮して、共に奥へと進んだ少年に怒られているらしい。
「だってもったいないじゃないか・・・」
「あのなぁ!!だからってこんな無人の祠の、何日放置してあるかわかんねぇお供え物食うんじゃねぇっ!!」
「でも食べられるかもしれないし・・・」
「食べられない可能性を考えろっ!!」
2人の答えは正しかったらしく、聞こえてきた会話に揃ってため息をつく。
そう、実は、このパーティのリーダーには拾い食いをする癖があった。
祠の奥でお供え物を見つけた途端、その癖が発揮されてしまった、といったところなのだろう。
まあ、こんなことは実はいつものことだ。
いつものことなのだけれど。
「・・・・・・あんなの見たら、きっと世界の人は幻滅するわね」
「・・・・・・僕もまさか噂の勇者殿があんなのだとは思いませんでした」
ユーシスの呟きに、アスレイドが深いため息をついて同意する。
「初めてあったときはまともな人間だと思ったんですが」
「まあ、シリアスのときはかっこいいから、ミルザって」
「普段はああですけどね」
きっと世界の多くの人は知らない。
1年前、世界を救ったとされる勇者が、こんなにも貧乏性な人だなんて。
今から数十年前、突然世界を暗黒の時代が襲った。
この世界で最も歴史の長い大国が、突然世界征服に乗り出したのだ。
元々世界の中心だったこの国は瞬く間に各国を植民地としていった。
信頼を集めていたはずのその国が突然そんな暴挙に出たのは、とある女のせいだった。
突然現れたその女は、その大国の王に取り入り、絶対の信頼を得、国を好きに操ることができる立場になっていったのだ。
実は魔族だったその女は、最終的に王を自由に操り、世界を次々と我が物にしていった。
最後には魔王とすら呼ばれていたその女を打ち倒した勇者こそ、今ユーシスとアスレイドの目の前で拾い食いをし、腹を壊してのたうち回っている青年だと言ったら、一体どれくらいの人が信じるだろうか。
「はい。収まった?」
「ああ・・・。ありがとう、ユーシス」
目の前でまだ腹を抱えている青年を見て、ユーシスはため息をつく。
額にまだ脂汗を浮かべている彼は、その琥珀色の瞳に涙を浮かべていた。
外見はいいから、それが妙に色っぽさを増しているところが憎らしい。
汗に塗れた茶色の髪が顔に張り付いて、きっと何も知らない女性が見ればときめく、のではないかと思う。
ユーシスの感性は普通の人間のそれと違うから、あくまで憶測だけれど。
「まったく!本当にいい加減にしろよな!」
「まあまあ。今に始まったことじゃないですし、町では出ないんだからいいじゃありませんか」
「よくねぇよっ!!」
アスレイドが宥めようとした途端、黒髪の少年が叫んだ。
この世界では珍しい黒髪を持つ少年は、その真紅の瞳でぎろっと茶色い髪の青年を睨みつける。
「だいたいミルザ!あんた一応勇者何だろうっ!?なら勇者だっていう自覚ちゃんと持てよ!」
「自覚はあるさ・・・」
「嘘付けこらぁっ!!」
「・・・・・・いや、あるとは思うよ?一応ね」
ぼそりと呟かれた茶色の髪の青年の答えに激怒する黒髪の少年を見て、ユーシスはぼそりと呟く。
自覚があって、だからこそ人前では拾い食いなどしない。
本当に困ったものだと思う。
「仕方ないだろう。選定を受ける前は、そうでもしないと食べていけなかったんだから」
「いや、だからってな・・・」
「テスタ。もう諦めなよ。何言っても無駄だって」
無駄でなければとっくに治っている。
もう3年は共に旅をしている自分が言うのだ。間違いない。
「・・・・・・わかってるんだけどさ。なんて言うか、こう・・・っ」
「納得いかないのは僕も同じですが、諦めも肝心ですよ、テスタ」
アスレイドにまでそう言われ、肩をぽんっと叩かれてしまっては、もう何も言えない。
納得いかないという表情を隠しもせずに、黒髪の少年―――テスタは渋々と黙り込んだ。
それを見て苦笑していたはずのアスレイドが、ふと何かを思いついたような顔でミルザと呼ばれた茶色の髪の青年を見る。
「でもそうですね。こうなったら荒治療もひとつの手かもしれません」
「へ?」
「え?」
「荒治療って?」
ぽかんと彼を見つめる男2人に代わって、ユーシスが尋ねる。
その質問を待っていましたとばかりに、アスレイドはにっこりと笑った。
「次の街でひと月ほど暮らしてみるのはどうでしょう?」
即ち、自分たち以外の『人前』に長くいれば、いくらミルザだってやめざるを得ないのではないか。
そう考えた上で、アスレイドはその提案を持ち出した。




