土曜日(後編)
昼の陽気が嘘のように夕方から曇が空を覆い小雨が降ってきた。風も強くなり慌ててベランダにある洗濯物を取り込んだ。
春の雨はなんだ恐い。
今日の夕ご飯はフキご飯とカブと油揚げのお味噌汁だった。
灰汁抜きしたフキの小口切りに炒り卵と胡麻、そして少し塩を炊きたてのご飯混ぜて食べるだけで料亭の和食の味になる。フキの若草色と卵の黄色、そして白いご飯の対比もまた楽しめる、と母が春になるといつも作ってくれていた定番まぜご飯だ。
しばらく実家には戻ってないが私は「必要のない存在」だから別に帰らない。自分の仕事をしてしっかり自立していれば干渉されない。んーラクチンだ。
猫たちにはご飯と炒り卵と胡麻、そしてお味噌汁を混ぜたねこまんまをあげた。かまぼこはミルクより私が作ったご飯が食べたいらしく、社長と共にいつも珍しそうにご飯を見たあとパクパクと食べている。灰汁や苦みがあるからあげないでいたフキにも興味があるらしく一つだけあげたら小首を傾げて「にゃん」攻撃がきた。片岡真由子、撃沈.....
そんなこんな幸せな土曜の夕食、そしてのんびりお風呂に入った。
かまぼこはいつも私がお風呂に入っているときそうするように、ガラス戸の前でお座りしていた。どうやら社長も近くにいて何やらにゃーにゃー言い合っていた。毛色などからして親子じゃないとは思うけど2匹はやっぱり知り合いなんじゃないかな、と思う。
「んにゅぅー」
風呂上がりにゆっくりとテレビを観ながら、寝言を言っているかまぼこを膝に抱え撫でていると社長は不機嫌な目で私やかまぼこを見ている。
社長はいつもかまぼこや時には私をも睨みつけている。猫の性格も色々あると思うから特に気にしないけど、私を見るときたまに何かを見透かされている気になる。春の雨みたいな存在だ。
午後10時をまわった頃、突然チャイムが鳴った。その音に驚いたかまぼこと社長はピッ!としっぽを伸ばした。
誰だろ?こんな夜更けにアポなしなんてきっと大学からの友人2人のうちどちらかだろう。彼らは本当にたまにだがいきなり私のご飯が食べたいだの彼氏と喧嘩しただの上司の愚痴などを言いにくる。
お菓子やワインや生ハムなどを持ち合ったりとこれがなかなか楽しい女子会なのだ。
「はい」
何の気なしに返事をしインターフォン画面を見て息をのんだ。
「真由子ごめん、突然来て」
一瞬ビックリして声が出なかった。前へ進めないでいる原因の男が突然現れたのだから....
「英臣、どうしたの?こんな夜更けに」
慌てて動揺を隠し普段通りに笑顔に戻った。だって今は友達だもの。私ってホントかわいくない性格だなぁとツッコミさえ入れる。
「ちょっと相談したい事があるんだけど今いい?」
「今?ちょっとあんた彼女いるのにこんな時間に女のとこにきて信用なくすよ?相談事なら駅前のスタバで少し待ってて。すぐ行く」
英臣は腑に落ちない、何か言いたげな顔をしたが「わかった。スタバでな」と言い画面から消えた。
「なぅ、うにゃあ?」
トトトッと居間のドア近くにいた私のとこに駆け寄ってきて下から覗き見てくるかまぼこは、まるで「アイツ誰?大丈夫?」と心配してくれているようだった。社長はラグの上に座ってこっちをジッと見ている。
とりあえず薄く化粧をしパジャマからジーンズとベージュのセーターに着替え財布と携帯を持った。
「ちょっと出かけてくるからお留守番お願いね。すぐ戻ってくるから」
そう言って群青色のカーディガンを羽織って扉を閉めた。
ー*ー*ー*ー
「ごめんなこんな遅くに。前にアパート変わってないって言ってたからさ」
昨年、大学時代の仲のいい友達と飲みに行って以来なので約8ヶ月ぶりだ。ヘッドハンティングにより東京に戻ってきてから1ヶ月経ったはずだ。
「いいよ、なんかあったんでしょ?彼女と仲直りできた?会社首にでもなった?まぁチーズケーキと熱いアメリカーノをトールでおごってくれたら許してあげる」
英臣は「あいかわらず太らないからってよく食べるな」と苦笑いしつつもソファから腰を上げ買って来てくれた。その後、英臣の新しい職場の話や結婚する友人の話などを楽しんだ。
「まさか中村君がねーでも菅原さんと何だかんだ言いつつラブラブだったもんね。やっと結婚かぁ」
共通の友人である中村君は、大学時代に他大学のマドンナの菅原さんを映画や食事に何度も誘いアプローチを初めて1年半後にようやくお付き合いを始めた。
私たちと中村君は映画サークルに入っていて、その集まりの関係で菅原さんに一目惚れしたそうだ。あの頃の私はロマンチックだなんだと騒いでいた。まぁ今でもそう思うけどね。
手に持つカプチーノを揺らし一口すする、そんな姿も絵になるなぁと観察していた。英臣は177cmで中肉中背で、少し茶色がかった黒髪にしっかりと人を見据える強い目の持ち主で大学でも結構モテていた部類だ。
「で?お前の仕事の調子はどう?」
「んーまぁまぁかな。以前メールで教えたプロジェクトあるでしょ。それに関われるようになったしね」
ギクリとした。プロジェクトメンバーに選ばれ自ら辞退したなんて言いたくなかった。せめてものプライドだった。なんのためのプライドなのかわからなかったけど、弱い所なんて今更言いたくなかった。まだ話してないけど、きっと彼女とうまくいってないことについて相談してくると感じていた。私に相談してくる理由は「真由子は俺の性格を知ってて感覚も合うしズバッと言ってくれるからいい」だそう。
そりゃ性格は合うし恋愛感情があったから付き合ったんだからそうなのかもしれない。
「どんな仕事に関わってもなかなか難しいよー。でも名川部長もいるしね」
「出た、部長!飲み会でもその名川部長って人のこと尊敬してるだのお父さんみたいだの言ってただろー。....なぁ、お前今いい奴いないのか?」
「どうでもいいでしょー。まぁ悩んだら理解不能な男心についてとか相談するわ。今は仕事忙しいし。それにしても彼女との些細なケンカでもして相談しにくるなんて何があったの?」
空気がすこし変わったような気がした。なにか探るような感じだ。早く空気を変えたくてさっさと相談を聞いてこのお茶会を終わらせようとチーズケーキの残りを口に放り込んだ。
「あーまぁ。彼女とは別れた。名古屋と東京じゃあやっぱり距離がありすぎてダメだった。フラれたよ」
「え?」
ちょっと前に喧嘩したからとメールで相談して来て、解決策や女心やらをアドバイスした。今回はわざわざ会いに(しかにアポなし自宅に)くるぐらいだから、ケンカが悪化したから話を聞いてほしいのかケンカ解決の為にもっと聞きたい事があったのだと思っていた。まさか「別れた」って.....
「だからお前と飲みたくなって....ダメか?」
私は絶句してしまった。別れた女のとこにこんな時間にくるなんかろくな理由じゃない。
そうだよ。こいつは勉強も仕事もできてしっかりしてる。人前では寂しさや怒りなどさもないように振る舞う。でも、根本的な部分は寂しがり。
...... 私と似ている。だからウマが合った。だから付き合ったにすぎないのだろう。そして英臣の仕事の都合で遠距離になって別れた。なのにまた相手の都合で振り回されようとしている。私たちはウマがあうし友達として深く付き合ってきたから、3ヶ月間の恋人期間にも特にケンカというケンカもしたことがなかった。
「だから、だから私のとこに来たの?話を聞いてほしくて?......身体で慰めてほしくて?」
「ズバッと言うなー。でもそういうことなんだ.....よかったら付き合わないか、また。やっぱり真由子といる方がいいと思える時があって」
私は底辺に残るアメリカーノのマグを握りしめた。
きっと私だけが好きだったんだ。今日初めて分かった。それと同時に何年もしこりになって忘れられなかったのは、何年も大好きでこの瞬間を待ってたのだと気付いた。でもなんか違う。
「帰る.....コーヒーありがと」
席を立とうとしたところ左腕を掴まれた。
「待てよ、どうした?」
どうしたって言われても私はいつものように笑えないぐらいに動揺していた。またソファに座りながら俯きマグを両手で掴む。
「ごめん、やっぱりちょっと無理。今気になってる人いるから」
嘘を言ってでも逃げたかった。冷静になりたかった。
「.....気になってるって会社の奴か?」
「そう。会社関係の人。もー関係ないでしょ。また何かあれば教えるよ」
「まぁそうだけどな....」
がしがしと頭をかき何かをつぶやいてる。どうやら私を誘えば「うん」と言うと思ってたんだろうか。私の存在ってこの人にとって何なんだろ。気の合う友達なのかそういう関係にちょうどいい存在なのか。
私が男だったらよかった。
そうすればこんなにこの人相手に悩まずに住んだのに。そうすれば仕事でも認められたのに。そうすれば会社でもあんな惨めな思いしなくてすんだのに。......そうすれば家でも居場所があったのに......
気まずい沈黙の中何も言えず俯いているとカツカツと足音がした。フッと影がさし上を見ると、グレーのスーツを着た男が立って私を見下ろしていた。見つめているとさらにジッと見つめてくる。こんなに意志の強そうな濃い紫の瞳と耳までかかったさらりとした金髪の男の知り合いは私にはいない。美形だなーと思っていると記憶に残るような低い声で静かに名前を呼ばれた。
「真由子。迎えに来た。帰るぞ」
は????
「え?真由子、なに?付き合ってる人いたのか?帰るってまさか一緒に住んでるのか?」
ソファに座ったままの英臣は訳が分からないと混乱しているようだった。自分のマグを持ってゆっくりと私と金髪男を交互に見ていた。
「あぁそうだ。真由子は返してもらう」
男はチラリと英臣を見たが、何も言えずポカンとしている私の腰を掴みまるでエスコートするようにスタバを後にした。最後に見た英臣もあっけにとられているようだった。
次から次へと湧いてくる色んな出来事によくわからず混乱したままの私は.......気を失うという最高の逃げ道を選択してしまった。
女より男の方が恋愛を引きずるといいますが、真由子は引きずるみたいです。結構女性でもそういう人は多いんじゃないかな....と思います。
金髪男は誰なんでしょう。ってもちろんあの人です、あの人。