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流浪の民  作者: 仲夏月
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第6話

 新緑が、リオンの背中に影を落としている。

 ゆらゆらと小さく揺れる木漏れ日がしゃんと伸びた背に降り注いでいる。

 少年の線の細い首根にちらちらと光が当たる。


 腰まで伸び、ゆるくひとつに束ねられた金髪が、背中で一房、揺れては背をすべるように移動している。



 その小さな動きは、その背の持ち主にはあまり問題になるものではないらしい。背筋をのばし、大地に胡坐をかいて、もう一刻ほどはそのままの姿勢がじりとも動かずにいる。


 耳が久方ぶりに、ほんのかすかに動く。


 その刹那。



 ぶんという音を立てて、鋭い光が彼めがけて振り下ろされた。


 ざくりと大地を削り。大剣が地面に埋まる。

 

 「ち。」



 筋肉ではちきれそうなくらいに太い腕が忌々しそうに剣を抜き、振り上げたところでその背中にうんざりした声が届いた。



 「いい加減にしろよ。」

「生意気なこった。最近はかすりもしねぇ。」


 男が振り向くと。

 ゆらんと金色の束がゆれている。



 「それかすったら、俺死んでる。」



 今度は大空に胡坐をかいて、眉根を寄せて少年は、逆さまのまま相手に不満をぶつけた。




 「最近、ほんっきで俺のこと殺そうとかかってるだろ?」

「ぁ? 殺す気でかからねぇとおめぇのためにならねぇからなぁ。 瞑想中だって言ったら、ハイソウデスカとまってくれる敵はいねぇぞ?」



 傷だらけの顔ににやりと意地の悪い笑みがはり付いた。男は、すぐに表情を引き締める。

 

 「まだ支度もしてねぇのか。今夜の舞台は、俺達で幕開けだって言われただろう?」

「え? もうそんな時間? もう戻る。」


 リオンは、くるりとひっくり返るとすとんと地面に降り立つ。


 

 「早くしろ。座長にどやされるぞ。“リオン・ル・フェイ”。」

「あんたにまで、その名で呼ばれたくないよ。その減らず口、魔法でふさいでやろうか?」


 軽くにらむと、大仰に肩をすくめられた。


 「おおっと、くわばらくわばら。」

 

 おどけた男は、ひょろりとした少年の背中をどん、と叩く。



 「いっ・・・・てえっ!! まったく! 加減しろよっ。」

「これっくらいでよろよろしてるんじゃねぇ。このひよっこ。」


 よろめいたリオンの抗議にも、まったく動じていない男は、がっはっはと笑うと手をあげた。

 



 「じゃぁ、今日の舞台もよろしくな!」





___________________






 自分の天幕へと急ぐ背中で、腰まで伸びた金髪が揺れる。

 半ば駆け足のリオンに、一座の座長が声をかけた。


 「リオン、まだ着替えてもいないじゃないか。お前とザムエルが幕開けなんだぞ。」

「わかってるよ。いま支度するトコ。」

「あー、それから。カテジナが癇癪起こしてな。」

「えー? またぁ?」

 

 リオンの非難の声に、座長は軽くため息をつく。


 「そういうな。」

「・・・最近、舞台前のイライラが増してない?」

「あぁ、おかげ様でな。」


 舞台前のカテジナといったら、それはもう大変なものである。さしずめ、遠目に見てもおっかない稲光をチラつかせた暗雲といったところか。

 支度中に少しでも気に食わないことがあれば、キセルを投げつけたり、道具をひっくり返したり、という具合だ。

 


 「・・・・で、俺に何しろって?」

「髪結いを手伝ってやってくれ。」

「・・だいたい、そういうのって。踊り娘達の仕事だろう? どうして楽師で軽業師の俺がやるんだよ。

「そう言うなよ。お前さんが担当してくれれば、カテジナが大人しくしているんだから。」

「ご機嫌取ろうとするから逆効果なんだよ。」


 一座に世話になり始めのころのリオンもカテジナには手を焼いたのだが、こちらがおどおどしたり、負けじと大声を上げるとさらにヒステリーがひどくなるだけなので淡々と相手をしていれば割りに対処できるものである、と気が付いてからカテジナは割合大人しくなった。

 


 「最近の客の中に、あまりたちの良くない輩がいるみたいでな、野次が飛んでくるのが気に食わないらしい。」

「あぁ、ここのとこ、毎日だよね。俺の軽業のときもやいのやいの言ってた。兵士ぽいけど、最近、軍が駐屯でもしているの?」


 ここ数日やってくる兵士風の客の素行がイライラの原因のようだ。

 酒を飲んで他の客に絡んだり、舞台上の踊り娘に卑猥な野次を飛ばしたりと迷惑極まりない。


 「あぁ、戦が近いらしくてなぁ。前線の小競り合いがあまり良い方向に進んでいないらしい。徐々に規模が大きくなっているんだと。」

「・・・その、戦の相手ってさ。・・・・ひょっとして。」


 やや、肩をすくめて声を落としたリオンに、座長は後頭部を軽く叩いた。


 「ああ、東方王国だよ。・・・・・あっちに入るにはもうすこしかかるだろうな。」


 その言葉に、リオンは表情を暗くした。その肩に、ぽんぽんと手が乗せられる。

 

 「気を落とすな。」

「うん・・・。」


 おざなりな返事を残し、リオンは座長と別れる。


 この一座に拾われてから、半年が過ぎた。

 本来なら、近いうちには東方王国へ入るはずであったが、ここのところ、国境付近の情勢が悪くなっているようで。座長もうかつに近づけないということである。


 ・・・ルドの奴、元気かな。


 こうなるなら、情勢が良いうちに手紙のひとつでも出しておけば良かったと後悔するが、今となっては仕方が無い。

 戦が落ち着いて入国が可能になることを願うだけだ。



 「・・・・まぁ、それまでは、ここに居させてもらおう。」



 そうつぶやいて、我ながら随分な心境の変化だと内心笑う。


 何時の間に、居心地が良くなったんだろう。


 教会暮らしの静かな生活とは一変し、毎日がお祭り騒ぎのようなにぎやかな生活である。

 人々の生命力は、どろっとしたものに感じて、すこし暑苦しい。

 すべての人々が、「生」に対して貪欲であり、しがみつき、あがいて生きている。




 清貧、とは無縁の世界。





 最初は、それが本当に嫌だった。

 ゾッと寒気すら感じて、気持ちが悪い。

 すれ違っただけの女の匂いに気分が悪くなり、胃の中を空にするほど吐いたこともある。


 それ以上に、リオンの気持ちを揺さぶったのは、今まで学んできた生き方が、ここではほとんど通用しないことだった。


 修道院で学んだことのほとんどが否定され、大半は“戯言”だと突きつけられた。

 その最たるものが「女」という生き物である。


 修道院時代、「女性とは。清楚で、しなやかであるが、近づいてはならぬ。女性は、神の僕である神父をを惑わすものだ。」などとお題目を唱えさせられていたのだが、そんなものは戯言にほかならない。現実は、おしとやかだの清楚とは大いにかけ離れたもので。天幕内を下着姿でうろうろするわ。酒を飲んでは大騒ぎをするわ。男をからかってはその反応を見て大笑いするわ。面白がられていると気づいて相手にしないようにつとめていれば、それはそれで彼女達のご不興を蒙ってしまうらしい。


 女ってわかんない・・・

 

 今まで対処したことの無い「女性」という生き物に、リオンはほとほと振り回されているのであった。


 

 そんな急激な環境の変化に、今までの価値観がぐらぐらと音を立てて崩れていった。

 毎日は、リオンのそれまでの行き方を根本から疑うものであり、逃げ出したいとさえ思えるものであった。

 思っても、今のリオンに生きるすべは此処にしかない。

 生きるためには、此処で耐えて、東方王国に行くしかないのだ。

 東方王国に着いてルドに連絡ついたら、さっさと出て行ってやる!


 そう思い、我慢しているうちに、人とは妙なもので、案外慣れてしまうものである。


 吹っ切れて、慣れれば、ここは居心地が良かった。

 リオンの出生や家のことであれこれと言うものなどいない。

 旅をする仲間は、それだけで、同じなのだ。

 同じものを食べ、同じように働き、同じ様に笑い、そして泣いた。

 旅を続けていくうちに、その強い生命力に彼自身感化されつつあった。

 それまでの堅苦しいだけの性格や口調も随分と変化した。



 最初は、小間使いとしてうろうろと働いていたリオンであったが、楽器と歌をゲオルグという楽団取りまとめ役の男に認められ、そしてその身軽さから軽業師としても見込まれた。もっとも、その指南役としてのザムエルは、リオンを戦士として鍛えるほうに喜びを見出してしまったらしいが。

 最初は後ろから拳骨を見舞う程度であったのが、最近は、大剣や錫杖等、かなり穏やかでない武器を持ち出してくる始末である。


 彼を此処に引き入れたカテジナは、一座きっての踊り子で稼ぎ頭である。

 人々を魅了する踊りは、力強い。

 媚びることなく、卑屈になることもなく。ただまっすぐに生きている彼女そのもののような動きは、一度見たものをとりこにする。

 この一座の看板とも言える存在である。

 

 ・・・まぁ、当の本人の相手をする周囲はそれなりの苦労をともなうのだが。


 「遅いよ。一体何して遊んでたんだい。」

「ザムエルに言ってよ。いきなりブロードソード振り回してくるんだよ? 最近エスカレートしてるって。相棒が死んだらどうするんだよ。」


 天幕にあらわれたリオンへの第一声は一応歓迎のようであった。

 キセルを咥えていらいらとテントの中をうろついているカテジナに、リオンはむっと顔をしかめる。

 天幕の入り口で、最近一座に入ったばかりの少女が真っ青な顔で立ち尽くしている。その姿を一瞥して、リオンは手をひらひらと振り、此処から出るように促す。



 「あとは、俺がやっとくから。他の手伝いしててよ。」


 

 半ば逃げるように天幕から出て行く音の後に、リオンははぁとため息をついた。

 「今日は、何言ったんだよ。」

「あたしの声にいちいち驚いて、びくついたあげくに、道具箱をひっくり返したんだよ。あんたが支度手伝ってたら終わる前に舞台がハネちまうって言ってやっただけさ。」

「昨日今日来た子にそんなこと言うなよ。はい、座って。俺だって自分の支度あるんだからさ。」


 キセルを片手に、鏡台の前に座った女の髪を手早く漉き、香油を塗り始める。

 「大体、いつもいらいら癇癪起こすから相手がおびえるんだよ。もう少し、穏やかにしなよ。」

「あたしの小言程度で泣いてたら、この世界やっていけないわよ。あんただって、何度もあたしに煙管投げつけられてたじゃないか。まぁ、あんたの場合は、次の日はしれっとした顔で現れて、あたしが咥えた煙管から炎上げさせて仕返ししてくれたけど。」

「まぁ・・・そうだけど。」

 良い香りのする油を丁寧に刷り込んで結いやすく、しっとりとさせた髪をいくつかの房にわけ、豊かに波打つ髪をせっせと結い始めた。

 その間、カテジナはキセルを吹かせ、瞳を閉じ、だまっている。

 激しい動きで、舞い、踊っても簡単には崩れないように。

 だが、決して苦痛を覚えるような結い方はしない。

 無心で、彼は黒い髪相手に奮闘していた。


 「今日は、この飾りで良い?」

「あぁ、いいよ。」


 最後に、道具箱の中から適当に目に付いた小さな花を幾つもあしらった髪飾りをさすと、リオンは声をかけた。

 特別な感慨も無いような声で女が了解するとリオンは道具を片付け、その場を背にする。


 「じゃぁ、俺は自分の支度しに戻るから。」

「あとでお茶。」



 化粧の道具をがさがさと漁るような音に混じってぼそりとつぶやかれた言葉に、リオンは肩の力を落としながら返事をした。

 

 「わかったよ。」

「リオン。」


 背中に声がかかる。何?と振り向いたリオンに、鏡台に向かったままのカテジナの声が届いた。

 


 「最近、背が伸びたんじゃないかい?」

「そうかな。」


 見えない頭を確認するかのように手を頭に載せ、視線を上げるリオンに、幾分落ち着いたらしい声が聞こえる。


 「・・・はやく、自分の支度しな。」

「あ、うん。」



 何が言いたかったのだろうか。


 リオンは首を傾げたが、あまりもたもたしていると座長やザムエルにどやされると、彼は、カテジナに背中を向けた。


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