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流浪の民  作者: 仲夏月
5/36

第5話

 その一歩一歩がひどく重く。

 じっとりと世界が自分の肩にのしかかるような感覚で。

 腰を伸ばせば、ぐらりと視界がゆがむ。



 しまったなぁ。



 ぎりぎりと胃に穴が開きそうな感覚はとうの昔に消えうせて。


 今は、空気すら、じっとりと自らに襲い掛かるようだ。



 かすむ目の向こうにちらちらと綺麗なきらめきが動いている。


 いいにおいだなー


 暖かい香りが鼻腔をくすぐってぎゅうっと身を刺激した。



 がくりと膝が崩れる。


 ひっくり返った視界には綺麗な星空が見えた。



 ・・・・・

 







-------------------------------------------------------




 ・・・・・・なんだろう。

 

 

 ざわざわと耳元でなにかが騒がしくしている。

 顎にさわる柔らかい暖かさが、それ以上の意識の覚醒を拒む。



 ・・・・誰?



 何かが軽く引っ張られるような感覚。


 じわじわと、耳元の会話が朦朧とした意識との狭間で聞こえてくる。




 「肌の色が少し薄いわ。きっと東の生まれよ。」

「綺麗、金髪よ。すっごいさらさらー。」

「目は?何色だった?」

「倒れてたんだもの。わかんないわよ。」

「空の色だといいなぁ。」

「幾つかしら? まだ子供っぽいし、15、6くらい? 指、ほっそーーい。」

「ほらぁ、あんまりあちこち触らないのよ。起きるわ。」



 耳がひくりと動いて、やや眉根がよる。


 うっすらと瞳が開かれる。やや釣り目の緑碧色の石がようやく周囲にお目見えした。



 「・・・・・。」

「あ、気がついた。」

「・・・・・・。」


 ぼんやりとしているらしく、状況がまったく飲み込めていない緑碧の瞳は、自分の顔を覗き込んでいるいくつかの好奇心に満ちた表情をしばらくぼんやりと見つめたあと、大きく見開かれる。

 


 「う・・・・うわぁあああああっ。」



 そのまま、がばりと跳ね起きると、その場から距離をとりながら声をあげた。その声は、天幕を突き破るかのようにあたりに響く。


 「な!・・・なんなんですかっ!?」

「なんですかって・・・。ねぇ?」

「それは、こっちの台詞よね。」


 くすくすと、黒い巻き毛を揺らして一人の女が笑う。

 黒い髪を結い上げた女が、赤い唇を突き出すように、顔を寄せ、笑みをこぼした。



 「貴方。何処の子?」

「え?」

「東の生まれじゃない? 名前は? いままで如何してたの?」

「え?・・・え?」



 女が近づくにつれ、少年は、真っ青な顔で口をぱくぱく開けている。



 「やめな。」



 奥から静かな声が響いた。

 

 「えー。だってぇー。」

「おやめったら。おびえてるじゃないのさ」

「はぁい。」


 少し不満そうに口を尖らせて、女はやっと男から離れる。

 少し、ほっと息をついて、彼は奥にすわり、肘掛にひじを置いてキセルをふかせている女を見つめた。

 

 黒い髪が蛇のようにくねって肩から豊かな胸の上を流れている。

 たっぷりとした赤い唇が、少し開くと間から白い歯がのぞいた。


 「キミ。夕べ行き倒れてたけど。どうしたの?」

「え・・・。あ・・・・。」


 きょろきょろと周囲を見回して、彼は瞳を瞬く。女は、ふうっとゆっくりと煙を吐いて


 「あたしの予想だと。どっかでスラれて一文無しってトコじゃないかと思うけど。」

「は・・・・はい。」

「自分の財産も守れないなんて、とんだバカね。あたしが拾ったからいいようなものの。明日になったら、身包みはがされてても仕方ないわよねぇ。」

「はい・・・。ありがとうございます。」


 ぺこん、と頭を下げた少年の綺麗な金髪を見つめて、女は口元をにいと吊り上げた。



 「あら。礼を言うのは早いんじゃないかしら。あたしは、キミを“拾った”だけで“助けた”とは言ってないわよ。」


 そろそろと近づいて、少年の頭先からじろじろと無遠慮に見る。煙草の煙とふうーーっとその鼻先に吹きかけると、少年はごほごほと咳き込んで肩をすくめた。



 「特上、というわけではないけれど。悪くないわね。ソコソコ良い値がつくかしら。」

「・・・?」

「えぇー。もったいなぁい。」

「それとも、あたしが食べてもいいけれど?」

「・・・????」

「きゃはっ。あたしも食べたぁい。」


 きゃぁ、きゃぁと周囲の女達が笑い声を上げる。

 その嬌声の中央で、少年は青ざめるどころか、きょとんと目を見開いたままだ。

 女達を恐る恐る見つめて、ぽそりとたずねる。

 

 「あの・・・。あなた方は人の肉も食べるんですか?」

「・・・・・今まで生きてこれたほうが不思議なくらいね。」



 急に静かになったテントの中で、少年はえ?え?と周囲を見回した。



 「あの・・。俺、変なこと言いましたか?」

「まぁ、いいわ。冗談よ。・・・おなかすいたでしょ?」


 そういわれた瞬間。

 

 

 ぎゅるる

 

 

 盛大に腹の虫が騒ぐ。

 恥ずかしそうに耳まで赤くして、身をちぢ込ませた少年に、女はくすくすと目を細めて笑った。



 「誰か、暖かいもの食べさせておやりよ。」



_______☆_______________





 「へぇ、修道院に住んでたんだ。そりゃ、世間知らずなわけだわねぇ。」

「飛び出してひと月ほどは、紹介された教会で暮らしていたんです。」



 スープとパンの簡単な食事でも、この若者には命の糧であったらしい。

 ありがとうございます、となんどかつぶやいてあっという間に平らげた。

 

 ようやく人心地ついたらしい少年は聞かれるままにほつりほつりと身の上を話し出す。


 幼い頃からすごしてきた修道院を飛び出したのは数ヶ月ほど前になるらしい。

 それからしばらくは、紹介された教会で住み込みで働いていたのだが、司祭に迷惑はかけられないからと一人で旅に出たのだそうだ。



 「西のほうの国に、友人が住んでいるので、行ってみようかと思っているんですが、途中寄った大きな町で手回り以外を皆盗まれてしまって。」

「バッカじゃないの? 所持金くらい分散させて肌身離さず持ってるもんでしょう?」

「・・・。」

「キミが行きたい国って東方王国のことでしょう? かなり遠いわよ? 坊やが一人で行くなんて無謀だわ。」

「・・・・。」


 金髪の少年は、黙り込んで周囲の女性達の話に肩を落としている。

 紫煙をくゆらせて、女達のなかでも中心人物らしい女はひくりと耳を動かし、片方の眉を器用に吊り上げた。



 「・・・キミ、歌、謡える?」

 

 

 しばらくの沈黙のあとの質問に、少年は首をかしげながらも頷いた。

 

 「え?・・・・・い、一応。聖歌は一通り。」

「楽器は?」

「リュートとレヴェックと、ツィンヴァロムなら、なんとか。変声期の間は聖歌隊で歌えないので、もっぱらそっちを。」

「何か歌ってごらんよ。そうねぇ・・・“Dies irae(怒りの日)”がいいわ。」


 暫く、目を瞬かせて。



 彼は言われたとおり、聖歌をゆっくり歌い始める。


 

 ゆるゆるとした伸びやかな声があたりの空気を震わせる。

 声が、テントの中央から、天幕の一番高いところへ登り、そこからさわさわと雨のようにあたりに降り注いでいく。



 「・・・・・・。」



 歌い終わっても、誰もが口を開かず。

 天幕を見上げたままぼんやりとする女さえいる。



 「・・・・誰か。」



 その沈黙を破り。

 

 女は、少年を見据えたまま、ふうーっと顔を横に向け、煙を吐いた。



 「ゲオルグを呼んできな。・・・・使えるガキがいるって。」


 その言葉に、我に返った女の一人が腰をあげ、天幕を出る。


 「あたし、聖歌ってはじめて聞いた・・・。」

「声の良い子だとは思ってたけど。綺麗に歌うのねぇ・・・。」

「ね、他にも何か歌ってよ。言葉が古臭くって何言ってるんだかわかんないけど、綺麗な曲だわ。」



 また、急に近づいてきた女達に若干青くなりながら身を引いた少年に、名前は?とたずねる。



 「リオンです・・。俺は、魔法使いなので。本名はいえません。歳は15です。」

「そう、わかったわ。あたしの名前はエカチェリーナ。ここらあたりの皆はカテジナって呼んでる。歳は21よ。・・・あたし達は旅芸人。彼方此方移動するの。東方王国にも行くけど、まっすぐ行くわけじゃないから、時間はかかるわよ。・・・それでもいいなら、一緒に来る?」


 その言葉に、リオンと言う少年はきょろきょろと見回す。


 「え?」

「どうせ、一文無しなんでしょ? いらっしゃいよ。」

「一人で行っても楽しくないし! それに、キミ無事に着くかわかんないわよ!」

「ゲオルグが楽器も歌も教えてくれるわ!」

「他の男達が、身を守るすべを教えるわ!」

「いらっしゃいな、リオン。」



 女達がかわるがわる言葉をかける。

 その言葉にいちいち首をめぐらせているリオンに、カテジナはふっと笑みをこぼした。

 

 

 「どうする? このまま、野垂れ死にするのと。自分の技術に命かけて生きてみるのと。どっちかしら?」

 

 



 少年は、こくりと頷いた。



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