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流浪の民  作者: 仲夏月
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第4話

 井戸の水は冷たくて、袖をまくってむき出しになった腕をぴりっと刺激する。

 

 「リオンーーー。」

「リオーンっ、何してるのーー?」

「何してるのーー?」

「わーーっ。井戸は危ないから来るんじゃないっていつも言ってるだろう!?」


 甲高い声を割るように、朗々とした響きが空気を震わせる。

 白い僧服にしがみつき、甲高い声を上げていた子供がきゃぁきゃぁと四方に走っていく。

 

 

 「リオンこわーーい。」

「リオンが怒ったーーー。」

「リオンー。早く本読んでーー。」

「魔法見せてーーー。」

「楽器教えてーーー」

「わかったからっ。わかったからおとなしく待ってろって!」


 水を大きな甕に移しながら、子供達に声をかける。

 

 そのまだ細い背中に、穏やかな声がかけられた。

 


 「リオン。今日もよい天気ですね。」

「あ・・・、院長先生。おはようございます!」


 

 院長の穏やかな声に、少年の綺麗な声が明るく響く。

 

 「・・・仕事は性にあっているようだね。」

「あ、はい・・・楽しいです。」

「施療院の医師もほめていましたよ。」

「あまりほめないでください。図に乗りますよ?」



 くすくすと屈託無い笑顔に、しわがれた指が細い封筒を差し出した。



 「侯爵からお手紙ですよ。」

「ルドから!? ありがとうございます。」


 ぱっと顔を輝かせて、手紙を受け取る。院長は軽く手をあげるときびすを返す。

 

 「それでは、午後の礼拝で。」

「はい。」


 ぺこんとお辞儀をするその姿を見て院長は微笑みながら背をむけた。

 

 

 「・・・リオンに施療院と孤児院の手伝いをさせたのは正解でしたね。めっきり落ち着いて。・・あれから、魔力の暴走もみられませんし。」

「精神的に不安定になると力が暴走しがちでしたからね。もう15歳ですか。随分と大人びたものです。年下の修道士達の面倒も良く見てますし。」


 司教たちの言葉に、院長は頷いた。

 

 「雑音が気にならなくなったためですよ。今、誰が彼に何を言っても、リオンはそれで己を見失うことは無い。」






 「リオンー。お手紙なぁに?」

「あ、わかったー。こうしゃくさまだーーー。」

「侯爵様、今度いつ来るの? 御菓子持ってきてくださる?」

「うーん。侯爵は忙しいんだって。今度、東方王国の珍しい絵本をいくつか贈ってくださるそうだよ。」


 階段で手紙を広げている背中に飛びついて子供達が手元を覗き込む。


 「本当?楽しみ。リオン、読んでくれる?」

「ちゃんといい子にしてたらね。」

「うん。」


 はしゃぐ子供の背中に、細長い影が差す。

 

 それを見上げて、リオンはああ、と笑みをこぼした。

 週に三回一緒に施療院を手伝っている少年である。

 素直で人懐こく、リオンの後をついてくるいつものはつらつとした笑顔が、今日は幾分青ざめている。

 リオンは、おやと目を見張った。 


 「どうしたんだ、ジヴァル。今日は施療院の手伝いじゃ・・・。」

「り、リオン・・院長室にくるようにって・・・・。」


 リオンは、訝しげに首をかしげ、子供達に声をかけて離れると、少年と共に背を向ける。

 

 「・・・・何かあったのか?」

「さっき、皆が話してたんだ。玄関に馬車が止まってて・・。」



 その表情は、ある程度の事情を知っているからこそのものだった。

 


 「馬車の紋章が、ゲーゼルヴァインド子爵家の物らしい・・・。」

「・・・・・・なんだって・・・・?」





________________________________





 「あら、まぁ。ご立派になられて・・。」

「・・・・奥様、ご無沙汰しております。」


 院長の応接間に入ると。深い赤茶のドレスに身を包んで華やかに微笑む女性はリオンの姿を認めるとソファから立ち上がった。その女性を認めると、リオンは久しぶりにすうっと表情を抑え、一礼した。

 

 「リオン様、いままで窮屈な場所でさぞやご苦労なさったことでしょうけど。このたびは良いお話ですわよ。これで、亡き奥様から貴方様をお預かりしたあたくしの面目も立つというものですわ。」

「それは、痛み入ります。」



 にっこりと微笑んで、綺麗な声で返事をする。


 女性は、満足したかのようにやや頬を上気させ、ドレスのすそを少し引っ張るとソファに座る。

 

 しばらく、そわそわする女性と、悠然と向かいに座るリオンの間に妙な沈黙が流れた。

 

 がちゃり。

 

 その沈黙が破られて、院長室から黒い髪がゆらりと揺れるのが見えた。

 

 こめかみにかっと血が上るのがわかる。

 リオンは、こぶしをきっと握り締めてそれを押さえ、なんとか一礼する。

 

 「久しいな。」

「父上に於かれましては。ご機嫌麗しく。」


 通り一遍等の挨拶を施すと、父はうむと頷き、院長に一礼した。

 

 「では、明日にまた伺います。」

「・・・わかりました。」


 そのまま、院長の声が扉の向こうに途切れる。頭をたれたままのリオンに淡々とした声が意外な言葉を告げた。

 

 

 「王都の屋敷に行きなさい。」

「・・・え?」

「大聖堂の司祭見習いか魔術師見習いの職を見つけてやる。こんな田舎でくすぶっているよりはいいだろう。明日、迎えに来るから今晩中に支度を整えなさい。」

「待ってください。・・・今更、如何いうことですか。」


 立ち上がり、なんとか冷静を保ってそうたずねると、ちらりと一瞥して、父はそれ以上彼を見ることは無かった。

 

 「如何いうこともこういうことも無い。もう決めたことだ。拒否は許さぬ。・・・今まで世話になった恩返しでもしてもらおうということだ。」

 

 世話になってなんか・・。

 

 そういいかけて、リオンは口をつぐむ。

 

 自分がこの修道院いる為に、それなりの補助金が動いている事を知っている以上、彼は言葉を飲み込んだ。

 

 「明日だ。いいな?」

「・・・わかりました。」

「では、もういいぞ。」


 それ以上の会話は望まないと言外に言われたと悟り、リオンは一礼をして部屋をでる。

 

 扉を閉める寸前、声がもれ聞こえてきた。

 

 

 「とはいえ。貴方・・・そう簡単に事が運ぶものですかしら。」

「なに。先方も認めざるを得ないだろう。・・・顔ばかりか、声も良く似ているからな。久方ぶりにリオンに会ったが、あの男と瓜二つだ。間違いなかろうよ。」


 その言葉に、閉じかけた扉が止まる。

 がくがくと指が震えるのをリオンは必死で押さえた。




 「・・・無名のあの頃はともかく。宮廷魔術師の今となっては結構な醜聞だ。こちらの言い分に従わざるを得ないだろう。」



 それ以上聞きたくない。

 

 そっと扉を閉じたリオンの耳に、さほどの少年の声が心配そうに届く。振り向いたリオンの表情に、友人は顔を強張らせて近寄った。


 「リオン・・・・? 大丈夫?」

「大丈夫。」

「顔色、悪いよ?」


 大丈夫。そう言いおいて、リオンはその場をふらふらと離れた。





-------------------------------------------------------




 丸い月を窓越しに眺めて、一人きりの部屋の中央で、リオンは瞳を閉じていた。

 

 

 宮廷魔術師の今となっては・・・

 

 

 きっと、自分を切り札にして魔術師に取り入り、というより付け込んで、中央勢力に食い込むつもりだ、と思う。

 

 宮廷魔術師の後ろ盾は大きいだろう。

 

 地方領主の父にとってはまたとない機会だろう。

 

 俺が現れると、その人にも迷惑がかかるんだ・・・・。

 

 

 同じ顔

 同じ声

 

 

 ぞっと背筋が凍った。

 

 

 「・・・・・。」

 

 どうしたら良いのかと思う。

 

 だけど、ぐずぐず迷う時間は無い。

 

 

 「・・・・・このままじゃ、俺は飼い殺しだ。」


 きっと、父の意のままに動かされ、扱われるのだろう。

 


 ・・・いっそ、ここを出て、逃げ出すか。



 だが、リオンはこの修道院以外を知らない。

 

 「一人で、生きていけるのか。ルドの話を聞く限り、いろいろ危ない事だってあるし。」


 

 下手すれば死ぬ事だってありうる。

 だまされて、無一文になることだってありうる。

 

 ・・・・・地に堕ちた生き方になる事だってある。

 

 

 「だけど、このまま言い成りになるよりは・・。」

 


 

 リオンはくっと唇をかんだ。




__________________________________




 「・・・・・ようやく。決心がつきましたか。」

「院長・・。」


 

 しらじらと、夜明けが訪れようとしていた。

 そっと、寄宿舎の扉から外に出たところで院長の小さな姿が目の前に現れ、リオンはどきりと肩を震わせて、立ち止まる。


 

 「・・・あの・・。」


 一気に背中がひやりとした。

 表情を凍らせて、何か口にしようとしたリオンの目の前に節くれだった手がかざされ、さえぎられる。


 「私は、何も知らなかった。何も聞いてない。・・・気がついたら、君の姿はこの修道院から消えていた。・・・それで良いでしょう?」


 軽く手をかざした院長の言葉に、リオンは言葉を飲み込み、続いて目じりにこみ上げる何かをこらえながら頭を下げた。

 

 

 「・・・・・すみません。」

「この外には、きっと辛いことばかりが広がっているよ。・・・それでもいいのかい?」


 しばらく、言葉を捜した後、リオンは頷く。

 

 「・・・何より、俺が、俺の意思で決めたことですから。今まで唯々諾々と流されて来たことではなく。俺自身で決心したことですから。」

「そうか、ならばいうことは無い・・・。」


 しわがれた手が、リオンの手にひやりとしたものを握らせた。それはジャラリと音を立てて、彼の手の中に収まる。

 

 

 「これは・・・。」

「神職の証ですよ。きっと貴方の力になる。」


 しわがれた手が暖かく。

 

 ゆっくりと包む手の中で冷たく真新しい金属がとがって彼の手のひらを刺激した。

 

 「リオン。信じる人にも、そうでない人にも。神は平等に試練も加護もおあたえになります。それを忘れないように。」

「先生・・。」

「貴方が信じていても、いなくても。神は貴方の近くで、ずっと貴方を見ています。」


 懐から、白い封筒を取り出して握らせる。

 

 

 「程近い町に知り合いが居ます。彼はとても気のいい友人でね。そこをたずねてみるといい。力になってくれます。」

「・・・・・・ありがとうございます。」

「もう、行きなさい。貴方に、神のご加護があらんことを。」


 その言葉と共に、暖かい手が離れる。

 

 「・・・・・俺、行ってきます。」

「・・・。」


 はじめてみたときはもっと大きな体だったと思う。

 

 いつの間に、こんなに小さな背になったのだろう。


 はじめてみたときも、この人の瞳はやさしかったと思う。


 自分は、ここに追いやられて捨てられるのだと。

 絶望したあの日も。


 この人の瞳は同じだった。 


 それが、じっとこちらを見ている。

 

 リオンは、それを時折振り返り、振り返り。

 細い道を歩いていく。

 


 初めて、踏みしめる街道。

 初めて、広がる視界。


 こんなにも。

 世界は広かったのか。

 

 こんなにも。

 己の姿は世界に対して小さいのか。

 

 

 

 「・・・・生きてやる。」

 

 

 リオンは、くっと頬をぬぐうと振り返ることなく、前を向いて歩き出した。




 黎明が、リオンの髪を朱に染め、その姿ごと呑みこんでいった。




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