第36話
東方王国の王都の郊外にある小さな家に滞在中の弟の動向は、逐一従者のアマデオから報告される。
誰か、仲間が居るのではないか。
人目を盗んで行動するような、不審な行動はとっていないか。
どれにも当てはまらない日常の報告に加えて、従者やジヴァルの身の回りの世話をする者達からの好意的な印象もレオの耳に届くようになり、彼は顔は平生を装いつつ内心頭を抱えた。
品の良い所作。
丁寧な言動。
外出や欲しいもの等、自分の要求は控えめながらもきちんとした態度で使用人達に申し伝える様子は、おそらく誰かに傅かれて生活することには慣れていて、それでいて決して相手を蔑ろにしないことは根底から染みついている、貴族階級のそれである。
「悪い人には見えねぇよ。俺や、使用人達にも気遣いが出来てて」
「・・それは・・そうだろうけどさ。子供の頃だって人一倍素直だったし。・・・・こう言ってはなんだけど、サム様の間諜の割りに君は彼を容易に信じるんだな」
「"元"って言ってくれよ、人聞き悪いな」
「第一、俺を国に連れ戻したがっているという点だけで、俺には十分に警戒すべき相手なんだけど?」
ジヴァル個人の性質と彼が持つ背景や境遇は別だと答えるとアマデオは少しばかり気の毒そうな表情を見せる。
「使用人達の手を煩わせることもないし、我が儘坊ちゃん、って感じもないらしい。数日に一度王都の総合図書館や博物館に通って調べ物するか、途中市場を覗く程度で、大概は家に籠もっているみたいだ。自分が異国人で悪目立ちすることをちゃんと理解しているようだな」
「俺に会いたいって言わないのか?」
「お前さんが元気かどうか、俺にたまに聞くくらいだよ」
この数ヶ月で、異国から来た青年にアマデオは少々同情心を覚えるようになった様なのが見て取れた。
「一応、俺も聞いてみたんだよ。"レオは何も言わないから詳しくは聞かないけど、何か目的があってレオと一緒に国に帰りたいんだろ?このままでいいのか"って」
何て答えたと思う?と従者は主人の緑碧の瞳を真っ直ぐ見つめる。
この国では"極東人の目は怖い、何をされるか解らない"、とあまり目を合わせてくれない者が多い中、レオを真正面から臆することなく見つめることができるあまり多くない者の内の一人は、ゆっくりと続く言葉を口にした。
「・・・・"こんなに自由で気楽に過ごせるのは生まれて初めてだから、すごく嬉しい。兄上に会いたいのはそうだが、今は彼にとって時間が必要だろうから、その間は自分に自由な時間を貰ったと思って甘えることにした"ってさ。・・・今までどんな生活していたんだろうな」
・・・・・こんなに、自由で、気楽に過ごせるのは生まれて初めて・・・・
レオは、その言葉の意味を読み取ると知らず拳を握りしめた。
修道院は、確かに自由では無かったが、同年代の少年達と無邪気に過ごしていた。
15歳から東方王国に来るまでは王城の中で過ごして居たはずだ。
"皇太子"が不在なら、おそらくそれに次ぐ地位で。
周囲は強固に守られて、安全であったろう。
実に流暢な西国の言葉を操る上、自分宛の書簡から見ても極東での教養の高さも解る。
今まで、皇族として申し分のない教育を受けていたことが解る。
・・・・・自由なんかこれっぽちも無かったはずだ。
それに対して、自分は15で修道院を飛び出した。
草原の旅芸人と過ごし。
南方軍に放り込まれ、一時は酷い生活を送った。
しかし、自由で。
地位に縛られることもなく。
ただ、己の信じる道だけを進むことが許されていた。
・・・・・あのとき自分が修道院を飛び出さなかったら、ジヴァルの境遇は違ったのだろうか。
境遇の違いが、ザクリと自分の内側をえぐるよう鋭利な刃物と変貌することに、知らず眉根が引きつる。
「・・・もう数ヶ月顔見てないだろ? 結局お前は肝心な部分を口にしてくれないから、俺には一体お前がジヴァルさんの何を警戒しているのかわかんねぇけど。一度極東に戻ったところでこの国に二度と帰れないって事は無いだろ? 逃げ回ってないで、ちゃんと彼の話を聞いてやるくらいはしてやったらどうだ?」
そんな簡単な話じゃない。
そう言いかけて、レオは強襲した罪悪感に押しつぶされそうな気がして黙り込んだ。
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従者が、会ってやったら、と言ったからではない。
弟が今まで自由と言えない生活をおくらざるを得なかったのは、自分が修道院を出奔した為かもしれないという罪悪感に負けたわけではない。
数ヶ月様子を見て、妙な動きがないようだし。
自分や家族はもちろん本家の公爵家に害を成すようにも見えなかったから。
何か事情が有るようなら、聞くだけは聞いた方が良いかもしれない。
皇族という地位を一旦放ってでも、わざわざ極東から草原を旅してここまで来たのだ。
理由を聞かないで追い返すのは人道にもとる。
そう、結論づけたから。
それだからだ。
という、混迷極まりない内情をひた隠しに隠して、さも「今まで忙しかったから会わなかっただけで、ようやく時間がとれたから顔を見に来た」という事もなげな様子でジヴァルの滞在先をレオが訪れたのは、最後に弟に会ってから数ヶ月は経っていた。
「兄上、お元気そうで良かったよ」
弟は、何も屈託のなさそうな笑顔を見せて歓迎してくれた。
この数ヶ月でこちらの生活にも慣れたらしい。
派手では無いが、質素かつ上品で落ちついた生活を送っていることは報告で聞いている。
「何か不足なことはないか?」
というレオの言葉に彼は首を振る。
「いいや。申し分なく過ごさせて貰っているよ」
「よく図書館に行って調べ物をしているって聞いているけど、極東に比べたらこっちの図書館は貧相じゃない?」
「とんでもない。いままで名前だけで存在は知っていたけど手にしたことがない西の古典をたくさん見ることが出来て眼福だよ。ちょくちょく通っているけど、まだまだ目を通していない本がたくさんでさ。行く度に発見があって楽しいよ」
・・・・・・おい。てことは、西国の古典も読めるってこと?
そりゃぁ、ちょっとは修道院で習ったけどさ。
ちょっと囓った程度で太刀打ち出来るような蔵書ではない図書館の規模に素直に目を輝かせている目の前の青年の華奢な肩に、どうやら学者肌のようだ、と判断する。
魔術師ではあるようだが、自分とは違うようで荒事とは無縁と見える。
「西国とは言え東方王国は極東由来の図書も多いね。草原経由で物流が盛んだって聞いていたけど、人間はめったに出て行かないのに、物は自由に行き来しているのが面白いね。おかげで、作業がはかどったよ」
「作業?」
「あ?うん。折角兄上から貰ったしと思ってね」
そう言って、ジヴァルは一冊の本をテーブルに載せた。
自分の手元にある物と同じ時間を過ごしているとは思えないほど本のページが膨らみ、表紙の角が浮き上がっていた。
「・・・これ、俺があげた辞書?」
「うん。すごいなぁ、極東語の辞書を西国で見るなんて思わなかったよ」
手に取ってパラパラとめくると、隙間に細かい文字が書き込まれているほか、あちらこちらにびっしりと付箋がはり付けられている。
「・・・校正したの!?」
メモの詳細さに思わず頓狂な声をあげると、ジヴァルはニコニコと満足そうに頷く。
「うん。古典の引用とかちょっと気になる所があったから、調べてメモ作っておいた。時間もあったし、図書館の使い方も知れたし、なによりすごく楽しかったよ。改訂版を作るときの参考にって編集の方に渡してくれると嬉しいな」
「あ・・・・あぁ、・・・・折を見て渡しておく」
これ、侍医殿に見せたら面倒くさくなること必至じゃないか。
何処の誰だ、お前との関係は?、如何して王都にいるんだ等など根掘り葉掘りやられるに決まっている。
さらりと受け取りつつ、内心お蔵入りを確定させる。
受け取った辞書を従者に渡して荷物に入れるように告げつつ目配せをすると、心得たようでアマデオは使用人達と一緒にそっと応接間から外に出た。
人払いをしたことで急に緊張感が高まる部屋の中で、何かに取り残されたような表情を見せたジヴァルの顔を見つめ、自分を落ち着かせる為に少し深い息をつく。
「・・・・・で」
少し、語尾が震えそうになったのを言葉を句切ることでごまかす。
レオは、ここ数ヶ月で聞くに聞けなかった事と正面から対峙することにした。
「何故、皇族の地位を放ってまで俺を探しに来たの? 俺を国に連れ戻して何をさせるつもりなんだ?」