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流浪の民  作者: 仲夏月
28/36

第28話



「ゲゼル侍官が淹れた乳茶ツァイをいただいてみたいですわ」


 休憩中にご令嬢がそんなことを言い出したので、レオが思わず自分の後方を見やると、何人かの侍従や侍女が謝罪の仕草を一斉に見せていた。

 漏洩元は後で締め上げるとして、つとめて冷静を維持しつつ、畏まりましたと承服すると、王太子が不思議そうに小首をかしげる。


「ツァイとはなんだ?」

「草原の民の間で日常的に飲用されているお茶ですわ。領地にも近づいておりますし、草原の可汗ハーンとご歓談なさる際にはおそらく乳茶が振る舞われるでしょうから、今のうちに少しお召し上がりになって慣れておかれた方が良いかと思いましたの。誰か乳茶を知っている者がいるかと訊ねたところ、ゲゼル侍官が最も上手に淹れるという事でしたので」

「・・・・ふうん」


 王太子の反応が、些か意味深且ついぶかしげなのは、西国式で淹れたレオのお茶を飲んだことがある証左である。

 レオの私室に愚痴りに来た王太子に数度茶を振る舞った事があるが最終的には「今度から俺は薬草茶がいいや、部屋に戻った時によく寝れるし」とはっきり言われてしまったのでそれ以来出したことはない。


 乳茶なら、まぁなんとかなるかな。


 と腹をくくり、レオは準備の為に一度その場を下がる。背後の侍従達の視線が"レオ様が殿下にお茶を振る舞う日が来るなんて!"だの"乳茶なら大丈夫!頑張って!"だのの副音声をふんだんに含んでいることを感じながら、あいつら絶対後でシメルと内心拳を握りしめ、休憩で使用している建物の厨房に向かった。


「これが、ツァイ?」

「あら、良い色ね」


 王太子とハルフェンバック子爵、そしてハーリヴェル公爵令嬢の前に、白っぽい茶色に染まった温かみのあるお茶の香りが立ち上る。


 少し不思議そうにカップを覗き込んで香りに目を細めている王太子の隣で、ハルフェンバック子爵は少しだけ苦手そうな表情を見せる。


「これってなかなか、慣れないんだよね。甘くないし」

「兄様ったら。一口くらいはお召し上がりになって・・・・あら?」


 そう言いながら、自らのカップを傾けた令嬢は目を見開くと、綺麗な所作でソーサーにもどし、テーブルに傍らに立つレオの顔を見上げた。


「貴方、何処でお茶の入れ方を知ったの?」

「・・・草原にいた頃、旅芸人の一座にいたので、そこで毎日作らされていました」

「そういえば、元はそうだって言ってたね」

「あら、そうなの? お茶は貴方が担当だったの?」

「特にそう言うわけでは無かったんですが。一座でも人気の筆頭踊り子がまあ癇癪持ちの我が儘な方で・・・・」


 やれ客が気に入らないだの。

 支度を手伝う見習いの手際が悪いだの。

 髪が上手くまとまらないだの。


 舞台前にキリキリ、苛々するカテジナの緊迫した表情を思い出し、知らずレオの口の端が笑みを作る。


「其処ら中の道具箱ひっくり返しそうに機嫌が悪いときでも、私の作ったお茶は、ちゃんと飲んでくれたんです」


 生きていれば、何処かで会える。

 そう思ってもう何年だろうか。

 今の自分には、彼女たちの消息を調べる術はない。

 一応、レオの"前払いの傭兵"の経緯も知っているアマデオには簡単に相談しており、砂漠や南方にそれらしい情報があれば教えて欲しいと言っているが、まだ何も解らない状態である。


 脳裏に浮かんだ、玉の汗を灯りに輝かせて足をリズム良く踏みならす踊り子の姿に、ついレオは言葉を続ける。


「すこしゆっくり時間をかけてお茶を飲んで、そして舞台に立つんですが、いつもとても綺麗で、そしてとても格好良かった。だから、まぁこれで舞台が上手くいくなら良いかと思って、それで毎日」


 そこで、自分語りが過ぎた事に気がつき、慌てて無礼を詫びる。


「申し訳ございません。ご放念下さい」

「そうか・・。南方でそんな風に旅をしていたのか」


 ルドルフは、ぽつりと小さく呟いた。

 ゆっくりと乳茶の入ったカップを傾けるその姿を、今までのリオンの記憶を少しだけルドルフに分けるような気持でレオは覗う。


 王太子は、一口飲み込んでカップを再度覗き込んだ。


「塩味のせいか、結構さっぱりしているんだな・・これなら、良いな」

「おや、飲みやすいな」


 苦手だと言っていた子爵もいつの間にか抵抗なくお茶を飲んでくれている。

 ご令嬢は、白く細い、綺麗な指をカップの持ち手に搦め、持ち上げる。


「貴方にとって大事な方がご愛飲なさった味なのね」



-------------------------------------------------------



「お前、揶揄われてない?」

「お前もそう思う?」


 明日の予定を打ち合わせている最中の同僚からの指摘に、薄々感じていた事を口に出した直後に一日分の疲れをどっと感じてレオは机に突っ伏した。


 何が、というと。例のご令嬢である。

 何かとレオに構いに来ているような気がしていた。


 ご挨拶だけでも良いので草原の言葉を覚えましょう、ということで旅の合間に王太子に言葉の講義が行われることになった。

 講師は当然アニーシャ嬢である。

 助手の位置には当然として草原部の者が着くと、レオも同僚侍官も考えていたが、何故かご令嬢はレオを指名した。


「流暢な者同士で会話をしてもつまらないわ」


 と言うのが理由らしい。

 しかも、それはもうはっきりと「貴方の草原の言葉は少々粗野すぎます。いくら当時は子供だったからと言っても少し酷いわ」と直球過ぎるお言葉を頂戴して、うなだれるほか無かった。


「西域の言葉は王都の貴人と遜色なくおしゃべりになるのに、草原の言葉がそれでは些かもったいなくてよ?」

「なら、ゲゼル侍官も俺と一緒に習えば良いじゃ無いか」


 道連れが出来た、と何故か嬉しそうなルドルフが恨めしい。

 ハルフェンバック子爵は、というと「挨拶程度なら私は大丈夫だから、良いよね。通訳はちゃんといるんだし」といって早々に逃げられた。


 いや、貴方こそもっと草原部のお言葉に堪能である方が東方王国外務部にとって良いのでは?


 とは言えないレオは、何故かルドルフと同席で毎日ご令嬢の講義を受ける羽目になる。

 ご令嬢はしっかりとした講師ぶりを発揮し、それはそれでレオにとって役に立つ時間ではあるとは思った。

 一応、大変貴重で、大変ありがたい時間ではあるのだけれど。


 ぜーーーーったい、俺とルドを並べてなんか妄想しているだろ・・・


 日常会話には問題のないレオに対して、ようやく挨拶の表現が解る程度のルドルフがついて行けていないのは当然で、よくわからなくなると彼は隣のレオの袖をついと引っ張るのである。

 子供の頃に度々見せていた「リオン、これどうしたら良いの?」というあの困ったような不安そうな顔になるので、そのたびにレオは以前のように世話を焼いてしまうのである。

 そして、その様子を一見微笑ましそうに眺めている令嬢の表情が、どうにもこうにも好奇心でうずうずしているのが解ると、レオはじとっとした視線を令嬢だけに解るように向けてしまうのを、ちょっとくらいは許されても良いと思っている。


 と、いう実情は全く解らないまでも、同僚の目にはどうやら令嬢がレオを揶揄っては反応を観察している様には見えるらしい。


「言葉がわからないし、第一近くにいるわけじゃないから実のところはわかんないけど。見てる分には殿下も、一緒になって茶々入れてるみたいだけど」

「ああ、もうご明察だよ。茶々入れる余裕あるならもっと真面目にやって欲しいんだけど」


 いや、真面目に草原の言葉には取り組んでいる。

 内容が碌でもないだけである。


 「草原の旅芸人一座にいたって事は、結構女の子にモテたんじゃないの?」というご令嬢の軽口に、「女の子、だけ、ない(女の子だけじゃないと思う、と言いたいらしい)」と殿下が辿々しく口を挟み、「そんなに可愛かったの?」と目を輝かせたご令嬢と「そりゃぁもう。俺初めて見たとき、修道院って男だけだよな?って首をひねったぞ」と途中で西の言葉で言い始めた殿下の隣で、「ルド、草原の言葉で言えねぇなら黙ってろ」と苦言を呈したものの、「"皇太子ホンタイジ、草原の言葉で言えないのなら黙っていてください"、でしょ? "言えねぇ"は駄目よ」と即座にきっちり訂正されるという、揶揄っている途中でちゃんと指導してくるので文句が言いづらい。


 しかし、と同僚はこの状況を寧ろ良い方向に捉えているようである。

 おかげで、この旅の最大且つ最難関とも言える指令ミッションの成就に一定の光明が差したとも見えるようだった。


「レオをダシにしてはいるけど。・・まぁ、殿下とは良い感じのような気がする・・・」


 中半無理やりそう思い込もうとしているような同僚の言葉に、レオもなんとか気を持ち直している。


「まぁ・・・確かに、ここ数日はさらに打ち解けているようにも見えるね」

「王城に戻っても、定期的に草原の言葉や国勢について講義するということでご令嬢が参内してくださるんだって。レオはもちろん一緒に講義を受けるし、さらにその席には必ずハルフェンバック子爵もご同席されるから、妃殿下サイドには純粋に"草原部に詳しい家の者達が王太子殿下に講義をしている"としか見えないし、陛下の周辺には"殿下とご令嬢の仲は着実に進展している"と見える」

「俺は人身御供・・・」


 またぐったりと机に突っ伏しつつ、しかしレオは少しだけ口元を緩めた。


 まぁ、本音言うと、ちょっと楽しくはなってきたんだよね。


 以前のように隣同士でノートを広げて何かを学ぶ。

 そんな日を再た過ごしているのが少し信じがたくも、楽しくもあった。
















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