第27話
アニーシャ・ハーリヴェル公爵令嬢は18歳と聞いた。
ハルフェンバック子爵が自ら妹を王太子に紹介する際に、その姿を見たのがレオの初見である。
レオが一目でわかる程度には草原の民の血筋らしい特徴を持ち、そして公爵家の血筋とはっきりわかる高貴な美しさも併せ持つ女性、と誰もが評するであろう容貌を持っている。
緩やかに波打つ黒い髪を結い上げ、白い肌に綺麗な鼻梁を間にして左右に配置された黒い瞳が、草原の何処までも遠い地平線を映すかのように奥深い輝きを持っている。
口を開けば鐘を打ったかのような利発そうな受け答えをし、良く有る深窓の令嬢のようなただおとなしいだけの暗さはない。
ルドルフの好みかどうかはともかく、社交の場ではさぞやもてはやされる美しいご令嬢であろう、とは思えた。
ハルフェンバック領への旅路はのんびりと進んで行った。
道中、食事や休憩等人馬を休めている折々には領地の話や草原部の事等をご令嬢から王太子へ説明することも多く、なんとなく、それとなく、二人で話し込めるような雰囲気作りにレオは尽力してみた。
彼なりに頑張ったと思う。
ご令嬢も王太子も、お茶とおしゃべりを楽しんでいるように見える。
雰囲気は良い。
内容はわからないが、話は弾んでいるようである。
ルドルフも、ご令嬢も楽しげだ。
然し、
しかしである。
「色気がない」
宿の部屋でその日の反省会を兼ねて打ち合わせをしているさなか、遠い目を天井に向けた同僚のつぶやきに、レオは一日の余計な疲れと共に机に突っ伏した。
レオが淹れた疲れのとれる薬草茶を一口含んで、同僚は頬杖をつく。
「なんというか、遠目に見ている分には、タダの親戚の寄合みたいだな」
「これから、良い雰囲気になるかも・・・しれない」
なんとか体を起こしたレオは、薬草茶の入ったカップを傾けつつ、少しだけため息をついた。
如何しても、自分達がやっていることにモヤモヤとした感情を抱かざるを得なかった。
「・・・妃殿下にはお辛い事では?」
「そうなんだけど、・・・お子が中々・・という状況では、陛下の周囲が気を揉むのも解らないではないだろ?」
同僚は、自分の仕事がよくわかっている。
将来の国王にまだ一人の子もいない状況が、どれほど周囲の緊張を生んでいるのかを現実問題として肌身で感じている。
レオは、今まで大公家付だったこともあり、子供のいない宮殿の主達へ注がれる視線にはまだ実感がない。
ましてや、すでに第一妃がいる男性に嫁ぐ事を期待されている女性の心中など、推し量りようも無かった。
そして、自分が片棒を担いでいる事について旧友に口を閉ざし続けている状況にも、レオはちりりと罪悪感で胸を焦がした。
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『貴方が、リ=ウォン?』
一人で馬車に積んだ荷を確認しているレオの背中に、草原の言葉が届き、思わず肩が震えた。
振り向くと、侍女の一人すら連れていない彼のご令嬢が好奇心に満ちた黒い瞳を大きく見開いている。
「おはようございます。お嬢様」
侍官として、そつの無い朝の挨拶を施したレオに対して、ご令嬢は一瞬鼻に皺を寄せた後、草原の言葉を続ける。
『草原の言葉は理解出来ると聞いているわ』
「お嬢様と私でどのような会話をしているか、他の者が解らない状況は問題になると思います」
『時々兄様と二人でコソコソお話されているようですけど?』
「ハルフェンバック子爵様からは業務上必要な指示を頂いております」
『兄様とは二人きりで話が出来て、あたしとじゃお話し出来ないって言うことかしら?』
「そも、公爵家のご令嬢と直に話が出来る立場にございません」
困ったなとレオは内心冷や汗をかく。好奇心旺盛なご令嬢は、どうやら草原の言葉がわかる極東人が珍しいらしい。
ニコニコしながら、ご令嬢は王太子から得た誤情報と誤解を織り交ぜていく。
『殿下から、"リオンは俺を追っかけて東方王国に来たんだ"って聞いたけど。・・・・・・ひょっとして、そういうこと?』
『は!?』
思わず、顔をあげて令嬢の表情を確認すると、好奇心でうずうずとした表情を両手で挟んで令嬢は目をきらきらとさせていた。
『極東から、殿下を追いかけてこの国まで来たの!? なんだか、物語に出てくる恋人みたいね!』
『そんな理由じゃねえよ! ルドの奴何言ってるんだ!』
しまった、草原生まれのご令嬢だ。
この手の話は全く抵抗がないどころか当たり前で寧ろ大いに応援する。
事実ならともかく、そうではない。
レオは、思わず草原の言葉で全面的に反論を始める。
然し、無敵のご令嬢は全く意に介すること無く、自分の夢想に酔いしれているようだった。
『ルド、って愛称で呼んじゃうのね! 素敵!!』
『修道院で同室で、あれこれと面倒見てたからだけだって!』
『あら、まぁ、同じお部屋だったの!?』
『いやいやいや、そこに引っかからない、変な妄想しない!』
『だって、極東から西に来る人ってそれなりに理由があるから、気になっていたのよ。彼にはどんな理由があってこの国に来たのですか?って殿下に聞いたら、皇太子は"あいつ、俺を追っかけてきたんだ"って言ったのよ? 殿下に恋い焦がれて極東を飛び出してきたのかしらって思っちゃうじゃない?』
『家が嫌で出てきたんだよ! あてもないから、ルドを頼って東方王国に行こうって思っていたら、旅芸人に拾われて、気がついたら軍に紛れていたの!』
そこで、自分の物言いに気がつき、手で顔を覆い天を仰いだ。
「勘弁してください。西国の言葉ほど草原の言葉に自信が無いんですよ」
完全に礼を失した言葉遣いであることを悔いていると、ご令嬢はにまにまとした笑みでこちらを見上げている。
「うふふ、あたしも貴方のことをリオンって呼んでいいいかしら?」
「他の者の前では、ゲゼル侍官とお呼び下さいませ。ハールヴェル公爵令嬢」
それから、とレオは少々真面目な顔で釘を刺す。
「男同士だろうが女同士だろうが、男と女だろうが。・・・・・草原の方なら他人の恋愛事にぶしつけな好奇心で首を突っ込むものじゃないって、言われませんか?」
「それは解っているわよ。・・・・でも自分にそんな夢みたいな話があるわけないって事も重々解っているから、せめて他人のお話で胸を躍らせたいって気持ちは否定しないで欲しいわ」
ご令嬢の返答は至極冷静であった。
あれ・・・?
・・・・自分がどうしてこの旅の一行に加えられたかが解っている?
解っていて、全てを諦めている?
レオは、相手の直前までの表情とは打って変わった冷めた表情に目を瞬かせた。
「お仕事の邪魔をしたわね。・・・ゲゼル侍官殿」
ご令嬢は完璧な振る舞いでレオに背を向けた
その綺麗な後ろ姿に、レオは暫く視線を動かすことが出来なかった。
その後、レオは「しょーもないガセネタで俺を巻き込むな」と王太子を小一時間程説教したことは言うまでもない。