第26話
セオフィラスが同僚だという外交官を連れて執務室にやってきたのはそれからしばらくしてであった。
「紹介するよ。こちらはハルフェンバック子爵。・・・といっても、ハーリヴェル家の次期当主と言ったほうがわかりやすいかな?子爵、こちらが前に話をしたレオニード・ゲゼル」
「ハルフェンバックの名は公爵家を正式に継ぐまでの爵位だからねぇ。みんなあまり覚えてくれないんだよ。まぁよろしく、ゲゼル殿」
「はい、よろしくお願いします」
さすがに貴族の訪問者に自分で茶を淹れる度胸はないので、侍従に頼んだ後、今日はいったいどのようなご用件で?とレオは首をかしげた。
セオフィラスからまじめな話があるから時間を頂戴と言われたのだが、外交官が侍官に何の用なのだろうか。
ハルフェンバック子爵はニコニコと穏やかな表情でなかなかのことを聞いてくる。
「君、極東を出てしばらくの間は南方草原部に居たんだって?」
「拾ってもらった旅芸人の一座が南方を中心に活動していたので、それで」
レオは、少々慎重に言葉を選ぶ。
南方の草原部とは、北方と比べてそこまで東方王国と友好的とは言えないからだ。
間諜の疑いでもかけられてはたまらない。
その緊張が伝わったのか、子爵はいやいやと顔の前で手を振る。
「別に君の素性に探りを入れてるわけじゃないんだよ。旅芸人なら、いろんな町に行ったんだろ? どんなところだったか覚えていることを教えてほしくてさ。それに、草原の可汗に嫁いだ私の叔母の周辺で君の話が伝わっているみたいでね。"王城に行った者から、極東人の侍従にずいぶん助けてもらえていると聞いているから機会があれば礼を述べよ"と言われててさ、一度会ってみたかったんだ。聞けば、リッテンベルグ卿とは仲がいいそうじゃないか。いきなり私が君に声をかけて警戒されても叶わないから、彼に紹介を頼んだんだよ」
なるほど、王城の下働きの者はともかく、見習いの侍従や侍女はハーリヴェル家が保証人であるようだ。彼らから情報が流れているのだろう。
隣で、セオフィラスも相変わらず屈託を感じさせない笑顔を見せる。
「レオは草原の言葉も解るし、これからことを考えたらレオの協力はいるんじゃないかなって思ってさ」
「これから?」
「あまり隠し事してもしょうがないから言うけど。王太子を草原の可汗に面会させようと思っててね」
草原の可汗とのつながりを国内外に示そうという考えらしい。
そのため、草原部の中心まで王太子が旅に出るという計画を立てている所なのだという。
基本的には草原部出身の侍従がいれば事足りるだろうが、違う出自で草原に関する知識がある者も加えたいとのことである。
「君、今は大公家付なんだって?」
「イェルヴァ様がずいぶんとレオに懐いているとは聞いているから、ちょっと申し訳ない気もするんだけどさ。外務部からレオを臨時でもいいから王太子付きにしほしいって要請しようとは思っている」
レオはしばらく目を瞬かせて、やがて意を決したようにうなづく。
「俺・・・私にできることなら、尽力いたします」
異動の命令が出たのは、一月ほど経ってからである。
丁度王太子付の侍官に欠員がでたそうであっという間に手続きされていた。
大公家付でなくなることを報告をした際の幼い公子はご不満そうではあった。
「レオニードは、ルドルフ様付きの侍官になるの?」
「はい、そのように命令が出ました。イェルヴァ様」
「もう、私の側付きにはなってくれないの?」
少し目じりが潤んでいる。
だが、公子はそれ以上のわがままを言うことはなかった。
「ルドルフ様なら、仕方がない。わたしよりずっとずっと大人で、真に良き王になられるはずだから。ゲゼルがルドルフ様のお側近くでお仕事をお支えできるなら、私も鼻が高いというものだ」
「イェルヴァ様・・・」
この公子は他人を褒めることを厭わない。
良い意味でプライドが無いのか。
本来なら、上位の継承権を奪われたと恨みがましいセリフを言ってもおかしくないのに。
よほど周囲の教育がよかったのか、幼いながらも彼はルドルフの人柄や王としての器を素直に見ている。
・・・・長じたら、よき王佐となられるやもしれぬ。
「王城にはいますから、いつでもイェルヴァ様に会えますよ? 御薬湯の処方は女官殿に伝えていますから、私がいなくても頑張って飲む事をお約束いただけますか?」
「うん。わかった。ちゃんと飲んで、丈夫になります。・・・・ルドルフ様のお許しが出たら、また会いに来てって言っても良い?」
「勿論でございますよ」
父に似て少し病弱な公子は、腰をかがめたレオの笑顔に、にこりと微笑を返した。
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今年25歳となる王太子は、普段の外面の良さにかけては相変わらずの一言であった。
然し、レオが側付になったと言うことで少々気が緩むらしく、以前のやんちゃな様相を少しだけのぞかせるようになる。
そのたびに「殿下?」と幾分低い声でレオが声をかけると、少しだけふてくされた後、「ちゃんとする」ので、まぁ概ね良い主人ではある。
王太子付の侍官は合わせて二人いて、もう一人は侍従のころからの同僚である。
二名いる女官が王妃の身の回りを取り仕切っている。
その他侍従と侍女が10名程度はおり、普段王太子とその妃の生活に関する業務に当たっている。
今回、草原部を出自とする侍従や侍女が一名ずつ見習いから昇進した。草原出身から侍従や侍女に昇進した初めての事例と言うことで、二人とも些か不安げな様子ではある。
草原の可汗と王太子ルドルフの面会は、東方王国東北部のハルフェンバック領の領主の館で行われることになったそうである。
草原部との境に位置するハルフェンバック領は、草原を出入りする物流・人流の要所であり、普段その東側の領域で草原の民らしい生活を営んでいる可汗は、今回王太子との会談の為に領都の屋敷まで部下数名と共に出向いてくるとのことである。
そこの領主であるハルフェンバック子爵は外務部からの責任者も兼ねているので当然一行に加わる事になる。
そして、もう一人。
「アニーシャ・ハーリヴェル公爵令嬢も同行される」
「ご令嬢もハルフェンバック領まで行くのですか?」
侍官長から王太子付の侍官が呼び出され、今回の草原部行きの概要を説明されると、レオは同僚の侍官と顔を見合わせた。
確かに、ハルフェンバック家はハーリヴェル公爵家の分家扱いらしいが、本家の令嬢が出てくる事に違和感を覚えたのは無理もない。
侍官達の言外の困惑を感じ取ったかのように、侍官長は彼の御令嬢について追加の情報を教えてくれた。
「公爵令嬢は、現公爵の実の姪御殿で御養女だ。実父母は、草原の可汗とハーリヴェル家から嫁いだ西の御正室。ハルフェンバック領の実務はこのご令嬢が主に担っておられると聞いている。つまりは、ハルフェンバック子爵よりも領地や草原部にお詳しい」
「なるほど」
子爵が言う名前だけの爵位、というのはこういう意味らしい。
それと、と侍官長はなんとも言えない表情を見せた。
「これは・・・その、陛下の周囲の方からのご指示なのだが・・」
奥歯に何かが挟まったような言い方に、レオは少しだけ眉根を寄せた。
「・・・ご令嬢と殿下の仲を上手く取り持つようにせよ、と」
「・・・・?」
きょとんと目を見開いたレオに対し、同僚はなるほどと合点がいったような表情を見せる。
「ご側室候補ですか」
「うむ」
言葉少ない侍官長に、レオは小首をかしげる。
「王太子妃がすでにおいでですが?」
「だから、側室だろうが。・・・ともかく、この道中でなるべく殿下のご関心がご令嬢に向くように、其方達が尽力せよ」
ええーーーーーー
めんどくせーーーーーーー!
とは言えないレオは、努めて冷静な表情を維持しながら承服した。
「承知いたしました」