第25話
王城の内部に、すこし温度の上がった乾燥した風が吹き込み始める季節がやってきた。
開廊から見える空を見上げ、レオはそろそろ時節に合ったお茶と茶菓子を女官に相談するべきだろうなとぼんやりと考えを巡らせていた。
「侍官殿、侍官殿」
後ろから、誰かが侍官を呼んでいるような声が耳に聞こえてくる。
「・・・・・・レオニード・ゲゼル侍官殿っ!!」
ひときわ大きな声に、自分が呼ばれたのだと我に返り、声のする方に顔を向ける。
一人の侍従が困った顔と共にレオの側に立っている。
レオは、赤くなった耳をそのままにして目を伏せた。
「すみません・・まだ"侍官殿"って呼ばれても誰の事やらと慣れなくて」
「もう、レオ様ぁ・・そろそろ慣れてくださいよ?」
侍従から昇任して侍官となって一月。
まだ、呼ばれ慣れていない。
さらに言うなら、王城に入ってから彼を表すようになったレオニードと言う名もゲゼルという家名もまだあまりなじんでいるわけでもない。
大概の者は以前のままレオと呼ぶ。
侍従は、少し緩めた表情で、呼び止めた理由を告げた。
「お目通しをお願いしたい書類があるので、後で執務室に伺って良いですか?備品の補給なので少し急ぎなんです」
「はい、この書類を女官長に届けたら、すぐに」
「そういうのは侍従の仕事です」
そう言われて、レオが小脇に抱えてた書類は侍従に奪われる。
書類を確認して胸に抱えた後、侍従はふうと息をついた。
「ちぃとも僕らをお呼びにならないんで、如何しているのかと思ったら・・。やっぱり自分でさっさと動いてしまわれますね?」
「・・・気をつけます」
「他の侍従にレオ様に確認したいことが有ると言っていた者もいるし、侍医殿が先ほど僕たちの控室に顔を出されて、執務室に居ないけどあいつ何処行ったんだってぼやいていらっしゃいましたけど」
「帰りますっ」
その言葉に、レオは慌てて自分の仕事部屋へと戻っていった。
南方軍を除隊した後、サミュエル・ランド伯爵の紹介で王城に侍従見習いとして働き始めてやがて3年くらいにはなろうとしている。
多少は覚悟していたが、生粋の極東人である彼が東方王国の中枢である王城で働くことはそれなりに辛いことも多かった。
他の侍従や侍官、女官に侍女など・・職場の者には極東人という理由で最初はかなり距離を取られていた。西国式の修道院で基礎的な教養は学んでいたとはいえ、やはり異国人のレオには知らない事も多く、彼らにとっては常識のような事で困惑する度に、この程度でよく王城で働こうなどと思えたものだと嫌みを言われたり、中にはわざと間違いを教える者もおり、結果として赤っ恥をかくことも多かった。
そのたびに、ふつふつと怒りが湧いたが、こうなることも予想した上で自分で選んだ道なのだからと、レオは自分にそう言い聞かせた。そう言い聞かせつつ、宿舎の自室で枕に顔を埋めて思い切り悪態をつくことでなんとか己を抑えていた。
暫くすると、王城で働く草原の民達から声をかけられるようになった。北方草原部出身の彼らは極東人である彼を物珍しがることも無かったし、まだ西国の言葉がおぼつかない彼らにとって王都の者と遜色ない共通語をしゃべり草原の言葉も理解できるレオは心強かったのだろう。他の侍従の目を盗むかのように、時々相談されるようになった。また、侍従見習いや小姓の中でも地方領主の子弟達はレオの面倒見の良さに気がついて懐くようになり、徐々に王城でのレオの生活に辛いことばかりだけで埋め尽くされることも無くなった。
戦の間に共に過ごした者達があれから折々に連絡をくれるのも、レオには励みになった。
セオフィラスは、王都に戻ってすぐに伯爵家の家督を継いだ。その後、一年程度貴族の子弟が通う寄宿制学校にいたようだが、今は学校に通いながらこの国の外務部で働いている。
外務部を選ぶ辺りが彼らしいとレオは思った。案の定、如才ない働きで若いながらも頭角を現しているらしく、さらには領地の方も安定したのか、王国内で"リッテンベルグ伯爵"として知名度を上げつつある。
仕事でたまにレオの職場近くにも来るのだが、その度にあの無邪気で純粋な(と一見おぼしき)笑顔で他の侍従や侍女の目の前でわざとレオにじゃれつきに来るのである。
どうやら、伯爵と親しい様子を見せつけることで他の者に牽制をしているつもりらしい。
最初に王城にセオフィラスが現れた時は、レオを見つけるやいな、輝く様な満面の笑みで"レオ、久しぶり!"と駆け寄られた挙げ句に抱きつかれ、レオは思わず"セオ、廊下は走るな! いきなりじゃれるな!"とついやってしまったのである。
他の侍従が困惑の表情を浮かべる中、セオフィラスは"レオはね、南方軍にいた頃の僕の一番の仲間なんだ"と外務部の同僚にも紹介し、それまで一年の間レオにあれやこれやと嫌がらせをし続けていた侍従達は一様に顔から色を無くした。
相変わらず、セオフィラスは可愛らしい表情の下で相当強かである。
王城で働く際に紹介状を認めてくれたサミュエル・ランドとは、あれから一度も会っていない。
戦はほぼ終わったとは言え、砂漠との間の緊張感は続いているし、南方草原部との境にもそれなりに気を配らなくてはならない。
南方軍の中で上層部と言える地位まで昇進した彼に王都に来る機会は年に数度もない。
随分忙しいだろうと思い、手紙もほとんど送っていなかった。
ただ、いまでも南方軍所属の兵士である筈のアマデオがたまにレオの顔を見に来る。
貴族のようなパリッとした身なりの時もあれば、王城の下男とも思えるような姿の時もあり、レオは大抵声をかけられるまで気がつくことができない。何をしに来たんですかと聞くと、"野暮用ついでにお前さんの顔を見に来た"としか言わない。
どうやら、"そういう者"なのだと、レオは気がついた。大方サミュエルの命を受けて王城内で情報を収集しているのだろう。
何か困りごとは無いかと毎回アマデオが聞いてくるので、この人も大概過保護だなと思うが、レオは嫌がらせを受けていることは言わなかった。
如何しても困る事ができたら相談しますからと言うと、眉ひとつ動かさない顔で"そうかい、なら良いけどよ。ぶち切れる前に俺に言えよ? お前の堪忍袋の緒が切れるとかなり被害甚大なんだよ"と言われてしまったのである程度どんな目にあっているかは把握されているようである。
見習いから侍従に昇進した頃には、ようやく居心地が良くなってきた。
理解もありお互い認め合える同僚も増え、それなりに周囲から信頼されるようにもなった。
草原の民の間では、王城で働いていて困ったことがあれば極東人の侍従に相談しろという事になっているらしく、新しく働き始めた者が居れば必ずレオに顔を見せるようになったので、自然と城の中の情報がやけに詳しく入ってくるようになる。
南方軍に放り込まれた時に最初に配属された部隊の上司でもあった医官が、王立病院に医師として勤める傍ら侍医として王城に顔を出すようになったのもこの頃である。城に参内する度にレオを助手として指名してくるので、仕事が増えたのが些か納得いかない。主担当としてはうってつけだろうと言う侍医の指名で、レオが日常的に王族の健康管理を担当する者という事になった。
「おう、リオン。何処ほっつき歩いていたんだ」
「すみません」
執務室の前で少し待ちくたびれていたらしい侍医に、この人暇なのか、というぼやきは内心にとどめて、レオは不在を詫びた後部屋の中に通した。
「医局にいてくださったら此方から出向いたんですが」
「やだよー。折角侍官殿の執務室ってのがあるのに。ここでリオンにお茶を入れて貰うのが良いんだよ」
どうやら、駄弁りに来ただけのようである。
他の侍医もいる医局では話しにくい事もあるだろうと、レオは侍医にソファをすすめ、自分の練習用にと買った茶葉を棚から取り出す。
「お前、薬湯や乳茶は美味く淹れるのに、ふっつーの茶は相変わらずへったくそだな?」
「こればっかりは、練習してもなんだかイマイチなんですよねぇ」
出された茶を一口含んで、侍医はありがたくも率直すぎる感想をもらす。
なぜか、西国のお茶はいつまで経っても美味く淹れられないレオは困ったように頭をかいた。
王城内で働く草原部出身の者達からは"乳茶は可汗に出しても良いくらいの逸品なんですけどねぇ・・・"と変な太鼓判を貰っており、専ら休憩時のお楽しみ担当という役割に甘んじている。
「薬湯は上手く淹れるのになぁ。大公家のお坊ちゃん・・・イェルヴァ様が薬はお前が淹れたものでないと飲まないと言ってぐずるって女官がぼやいていたけど。いっぺん普通の茶を飲ませたら、衝撃で我が儘言わなくなるんじゃねぇか?」
「ごねて飲まない薬湯をようやく飲んでくださるように勝ち得た信頼を態々ぶち壊すつもりですか。困るのは侍医殿では?」
あんたそれでも医者かよ、とは言わないレオである。
なんだかんだ言っても、いつのようにレオの淹れたお茶をゆっくりと飲み干した後、侍医は一層声を潜めた。
「陛下のご容態について、お前はどう思う?」
「はぁ・・・・、医者でも治療師でもない俺に聞きますか?それ」
「よし、お前次の治療師認定試験受けろ。絶対合格できるから。試験資格に必要な実務経験なら俺がちゃんと証明書出してやれるし」
「いやですよ。ほかに勉強すること山ほどあるのに」
そう、軽口で返した後。
レオは、侍医の向かいでそろえた膝に軽く組んだ手を置いた。
「あまり、宜しいとは思えません。お体はともかくとして、俺には"内側"の力が大分弱くなっておいでのように見えます」
「なるほどな。魔法使いのお前にはそう見えるか」
「ほかの侍医はどのように?」
「あまり希望があるような事は言わないね」
空になったカップにもう一杯茶を所望して、侍医はソファの袖についた肘で自らの顎を支える。
「大公がご存命か、もしくはイェルヴァ様がもう少し長じておられたら、あまりごたつく要素はないんだろうけど」
国王には子がいない。
現王の弟である大公は数年前に亡くなっており、王位継承として優先順位の高い公子のイェルヴァはまだ幼い子供である。
本来なら、イェルヴァの次に位置するルドルフが立太子した理由は、こういった事情があっての話であった。
「王太子の周辺がもう少し盤石なものになるまで、陛下が持ちこたえてくれればと思っているが・・」
「殿下の南方軍でのご活躍はそれなりに皆に聞こえていると思うんですが?」
「まぁな、町の民から聞こえる声も悪くない。とはいえ、そもそもルドルフ様が気に食わないやつにとっては何をやっても意味はないさ」
ルドルフとは、王城内でもめったに会わない。
レオの本来の配属先は、大公家だからだ。
王太子付きに異動希望を出せば良いとセオフィラスは言うが、ただでさえ極東人であるということからあまり目立ったことはしないほうが良いと思い、自ら配属先の希望を出したことはない。
今までは時折人目につかないように宿舎に来たルドルフの話し相手になることしかできず、侍官となって執務室と私室をもらえたので、これからはもう少し気軽に話を聞いてやれると思っているところであった。
ハーリヴェル公爵家が一番の後ろ盾だっていうのが救いらしいけど。
レオは、暗い気持ちを抱えながら膝の上に組んだ手を見つめた。