第24話
その日、侯爵は駐屯地に泊まると言うことになった。
自然と部隊内に緊張感が漂う。
食事ももちろん別で用意されていて、食堂でいつものように他の兵士達と食事を取りながらリオンは改めて彼がこの国の貴族であることを認識する。
国に戻ってから、ずっとこうやって扱いを分けられていたんだろうな。
修道院では皆一緒だった。
静かに食べるように指導されていたけれど、コソコソと近い席の者とおしゃべりするのは日常茶飯事だった。
時々カトラリーの使い方が不安になるらしく、そんな時彼は"リオンこれで良いの?"と臆面も無く聞いてきた。
西国の生まれなんだから極東生まれの俺に聞くなよ、と返しはしても、レオもいつも適当にはせずに確認した。
俺がちゃんと嫡子様をやってのけたら、母さんに楽させてやれる。
その一心で、彼は努力をしていた。
それは、自分が一番わかっていたという自負はある。
"ちゃんと嫡子様をやる"という思いが空回りしたのだろうかとも思った。
夜も更けて、月明かりの綺麗な日である。
月の光に押されて星もまばらな空の下で侯爵が一人ぽつんと宿舎の外に立っているのを見たのは、もう他の兵士も寝静まっている頃合いだった。
見張りの兵士の目を盗むかのような行動に、リオンは眉根を寄せる。
何してるんだ、あいつは。
護衛が卒倒する前には部屋にもどす必要があるだろうと、彼は侯爵の後を追う。
人気も無く月が綺麗に見える広場で、岩場に座って空を見上げる背中に声をかけた。
「サミュエル様に告げ口しようっと」
「あいつ過保護だから絶対言うな。あとで面倒くさい」
振り返った表情がこの上なく苦くなっている為、思わず同意の声を上げた。
「わかる。先回りしてあれこれ言うんだよね。ちょっと年寄り臭い」
破顔した表情に、ルドルフは口の端を緩めた。
「内緒にしてくれるか?」
「ここまで来たら、俺も御同様だって説教確実。露見するまで黙っていよう」
そう言って、リオンはルドルフの背中に自分の背中を預ける。
昔、鉄格子越しに感じた温もりを感じて、お互い息をつく。
「・・・背、伸びたな」
数年ぶりの言葉に、リオンはくしゃりと顔を崩した。
「そりゃぁ、何年経ったと思っているんだよ」
「前は人形みたいに綺麗で可愛かったのに、なんか生意気な面になったよなぁ」
「お互い様だろ。修道院に来て初日に抜けだそうとするような奴が、いつの間にか御貴族様然として、高貴な"ブルッフ侯爵"の雰囲気醸しだしてるから、ちょっと驚いた」
「・・・侯爵って言われたら、そういう顔をせざるを得ないさ」
「御母堂はお元気?」
そのセリフへの答えは、力が無かった。
「修道院に居る間に死んでたよ。・・・自分の命が長くないことがわかって、俺を父上に預ける決心したらしいんだ」
「そうか・・・・」
「俺は、随分とサミュエルに・・・・皆に自分の考えを押し付けていたんだな」
その言葉に、ちりりと胸の奥が痛みつつ、リオンは務めて静かに仲介役に徹した。
「ルドが、正しい侯爵として正しい南方軍を作りたかったんだって事はわかっていたって。だけど・・・サム様には現実が厳しすぎたんだって」
少々言い過ぎた後悔を混ぜると自然優しい声になっていく。
少しだけ、気持ちが軽くなったのか、侯爵の声色は以前のように少しだけ調子が上向いたように思えた。
「あーあ、こんなんでやっていけるのかな・・・」
「何を?」
「近いうちに立太子しろってさ。下町育ちの庶子にはハードル高すぎだろ?」
衝撃的とも言える情報に、思わずリオンは辺りを覗った。
「それ、俺に言って良いの?」
「お前以外に言えるか。他の奴なら蜂の巣をつついた騒ぎじゃ済まんぞ」
「まぁ、そうだね」
「俺なりに、東方王国に住んでいる皆が幸せに暮らせるようにしたいんだよ。だけど、それってどうやれば良いのか・・。貴族にもいろんな奴がいるし。皆どこか嘘っぱち言ってるみたいにも思えて、誰を如何信じて良いのか、全然わかんねぇし。・・・・・俺、このままじゃ裸の王様だ」
肩を落として、ルドルフは拳を握りしめた。
「家でも、街でも、領地でも、城でも、軍でも・・・皆、俺に侯爵としての姿を求めるんだ。侯爵としての正しい姿を求めて、侯爵への正しい言葉を投げかける。それ以上でも以下でもない。・・それ以外で俺の存在価値を求めない。俺は、皆にとって侯爵以外の存在ではありえない。・・・・俺は・・・・、俺は侯爵だけになりたかったわけじゃないんだ」
そうだった、とリオンは後悔した。
彼は、生まれたときから侯爵だったわけではない。
作られて、求められて・・・無理やり、自分を侯爵にした。
「・・・・それが、今度は"国王"としての姿を求められる」
顔を上げたルドルフの表情を、リオンは半分泣きそうな顔で見つめた。
「だから、リオン。俺の知らない事や知り得ないことを教えてくれないか。他に何人の介在を必要としない言葉で。お前から侯爵への報告なんて聞きたくない。俺に話すだけで良い。何を見たのか、何を聞いたのか、リオンは何を思ったのか。俺が神学書の内容を聞くように、俺が、作文の綴りを直してもらうように。同じ、服を着て、同じ食事を取って、同じ経典を読んで。あの頃と同じ様に。リオンが見たもの、・・・・そしてこれから見るものを」
お互いが、お互いを見る。
張り詰めたような空気。
決して縮まらない距離に身をおいて、重い沈黙がその場の空気を満杯にする。
リオンは、すこし、口の端を緩めた。
「俺の言葉でよければ」
やれやれ、とあきれたような笑顔。
この神学書のこの頁の意味がわからないんだよ。といえば
えー?またぁ?勘弁してよ。と返ってくる
嫌そうな、楽しそうな。
そのときの反応と同じ。
「当たり前だ。他所から借りてきたモンで説明しやがったら、唯じゃおかねぇぞ」
自身たっぷりの笑顔。
おいおい、大丈夫か?と言っても
おうよ、大丈夫。としかかえってこない。
あまりに自身ありげで。
いまいち、安心できない時の顔。
ぷっと、吹き出したのはどちらが先か。
声を押し殺したような、潜めた笑いは、やがて声になり。
以前と同じ様に、腹を抱えて笑う。
笑いながら、顔を見て、また、笑う。
「ルド、昼間は言い過ぎた。御免」
「・・・・・もう良いって事よ」
互いの距離は遠くなったけど。
その分、声を大きくすれば、良い話なんだな。
この、男に、俺の声は届く。
必ず、届く。
だって、唯一垣根の無い声を持ってる俺だもの。
この、男の声は、かならず、俺に届く。
必ず、届く。
だって、唯一俺を止める声を持ってる奴だもの。
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総司令官が駐屯地を出立したその日に、レオは部隊長に相談をすることにした。
「王城で働きたい?」
「はい。あの、可能なら侍中・・・ええっと、こっちでは侍従か。・・・そういう仕事に口を効いて欲しいんです」
出来ない事は無いけれど。
サミュエル・ランドは首をかしげる。
「お前ほどの魔法使いなら、侍従よりは宮廷魔術師や治療師の方が立身出世を望めるぞ?」
「いえ、そういうのは良いんです」
朗らかに笑って、リオンは揺るぎない決意を声に混ぜる。
「俺は、東方王国で俺だからやれることをやりたいんです」