第20話
暫くと言っても、どの程度の時間なのか。
セオフィラスが周囲を気にしながら焦れったい思いを抑えながら待っていると、ようやくレオが戻って来た。
日も暮れて、すっかり周辺は闇である。
陣地の所々に灯りがともされ、そこだけ輝くように明るい。
「セオ、医官の様子は?」
「うん、あの小屋に入れられたのは確認済み。兵士が一人見張りに立っている。交代は一時間交代」
指で示した方向の小屋には兵士の姿が見受けられる。
その状況を見て、レオは今後の計画をセオフィラスに告げた。
「まずは医官殿を小屋から連れ出しての辺りまで出てきたら、あとは俺が魔法で陣地全体を攪乱させる。捕虜がいなくなったことに気がつく前になるべく距離を取って離脱、って計画で如何だろう?」
「うん、まずはあの小屋の兵士をなんとかするんだね」
「眠って貰うのが一番なんだけど。その後に使う魔法に魔力を取っておきたいんだよね」
「あ・・それなら。もうちょっと待って。あと少しで警備が交代するから」
そう言うと、暫く視線を小屋周辺に注ぐ。
「交代だ」
「うん、少し待って」
警備の兵士が交代した所で、セオフィラスはするすると陣地に近づき、あっという間に兵士の後頭部を剣で殴り縛り上げて小屋の裏に押し込んだ。
セオフィラスの合図で小屋に近づいたレオは、意識を失った兵士の姿を見おろしながら少々気の毒な気持ちを覚える。
「セオ、割と荒っぽいことするよね」
「サム様は、これが一番早いって言うよ?」
こういう子だとは思わなかった。
頭は切れる方だけど、ちょっと脳筋気味なのかな。
内心、そう毒づいて、レオはそっと扉を開けて小屋の中に身を滑り込ませる。
「・・・・誰だ?」
「医官殿。お静かに」
暗闇の奥から誰何する声に、しっと静寂を願う。
目の前に現れた友軍の少年兵二人の姿に、医官は目を丸くした。
「リオン・・・リ=ウォンじゃないか・・。ランド隊がここまで来たのか?」
「いえ、違うんですけど。細かいことは後で。急いでここを出ましょう。捕虜は他には?」
そう言って手を差しだしたレオに対し、医官は力なく首を振る。
「捕虜は俺一人。・・・右足をやられちまってな。どうにも動かん」
その声に、周辺を見まわしたレオは手頃な木切れを拾う。
手早く医官の足を触り、添え木をあてると荷物の中から包帯を取り出し、巻き始めた。
「・・ふん、随分手際が良いじゃねぇか」
「何度貴方にどやされたと思っているんですか」
軽口を叩きながら応急的な処置を施し、医官の肩を支え立ち上がる。
「レオ、あまり時間が無い」
「医官殿、暫し我慢してください」
セオフィラスが扉を開き、周辺の兵士がまだ此方に気がついていないことを確認して、手で合図をする。
するりと抜け出す。
陣地の外にその体が抜け出す、という頃合いで、背後で何やら怒号が聞こえた。
捕虜がいないことに気がつかれた。
予定より早い。
急な動きで傷が痛むのか、医官の抑えた声に苦悶が混じる。
「セオ、医官殿を頼む」
医官の体を支える役目をセオフィラスに委ね、数歩前に踏みだす。
向こうから、敵の姿が此方にいくつか迫ってくる。
最後の仕上げだ。
短刀で左の掌をそっと傷つけると、砂の上に数滴の血がしみこむ。
その刹那、陣地を蒼い炎がぐるりと覆うように走った。
「!!」
触れば瞬時にして骨まで焼き付くさんとする炎に、敵の足がすくむ。
小さく文言を唱えると、陣地全体の灯りも全て蒼い炎へと変貌する。
『吾の声が聞こえるか・・・・・・』
掌につけた傷をちろりと舐めて。
レオは、自分の身のうちから湧き上がる高揚感に、にぃと口の端を広げた。
『ならば、暫し吾に名を寄越せ。吾の意のままに動け、その炎を、その熱を』
文言を最後まで唱えた瞬間。陣地全体を覆う炎が天球に迫る勢いで立ち上った。
「!!!!」
敵の言葉はわからない。
わからないが、何やら一斉に叫び声を上げ、その場から背を向けて走り出す。
目の前に立ち上がった禍々しい炎に、セオフィラスの声が少しだけ恐怖に染まったように思えた。
「れ・・・・レオ、これ何?」
「見なくて良い」
蒼い炎で覆い尽くされて内部の様子はわからない。
だが、おそらく幻覚と幻影に惑わされて混乱の中にあるはずだ。
医官の肩を支え直して、できうる限りの速度でその場を背にする。
「お前・・・アレ、拙くないか?」
チラリと背後の状況に目をやった医官の声に、レオは言い切る。
「加減はしました」
そう、加減はした。影響に個人差はあるけど。
以前、サミュエルに頼まれて診察した兵士のような後遺症は残らない・・・と思う。
・・・・数日は悪夢にうなされると思うけど、加減はした、一応。
そう言い訳しながら先を急ぐ隣で医官はため息をついた。
「そうか・・助けられたしな。忘れておいてやるよ」
「あちらだって似たような術使っているんですから。おあいこです」
そう言いながら、先を急ぐその耳に、異境の言葉に詳しい医官の言葉が突き刺さる。
「東の果てから魔女来たるとき、災厄の炎が大地を埋め尽くす・・・・なるほどな」
「何ですか?それ」
肩を貸すレオの耳にボソボソと届いた医官のつぶやきは、彼の表情を苦々しいものにするに十分な内容であった。
「彼等の地に伝わる故事だ。・・・あいつら、"極東の魔女が来た"って騒いで逃げていったぞ」
「もう良いですよ、なんだって」
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傷ついた医官の状態を見ながら、なんとか夜通し歩いて補給基地までたどり着いた時には、空が白々とした頃合いだった。
案の定、あの子爵は荷物を置いてとっとと出立したらしい。
「良かった・・・・無事で。本当に良かった」
あの気の良い兵士が、ほっとしたように表情を緩めて二人を出迎える。
「あの陣地はダメです。医官殿を助け出すので精一杯でした」
至極簡単な報告で、戦線が変更となったことを告げると、兵士達が一斉に色めき立つ。
部隊長らしい兵士が医官を医務室に運ぶように指示をすると、二人の肩を軽く叩いた。
「わかった、あとは我々が引き継ぐ。お前達は暫し休んだら駐屯地にもどれ。馬や物資を出すから」
「では馬を一頭お貸しください。物資は携行食品を数日分ください。本当であれば、補給に来ておいて物資を頂くなんて申し訳ないのですが、なにせ手元にもう無くて」
「当たり前だろ」
昨日兵士に貰った食料も途中で三人で食べてしまってもう無い。
これから駐屯地に戻るにしても移動手段も無ければ食料品もない状況では、どうしようもなく、セオフィラスもレオも素直に甘えるしかなかった。
「・・・・この件、ランド卿や南方軍の中枢には、そのうち我々からも報告する。・・・申し訳なかった」
「いえ、それには及びません」
セオフィラスは言い切る。
「僕たちは、至極まっとうな理由で伝令に行っただけです。偶々、目的地が敵の手に落ちていただけで」
「騒いだら、俺達の方がみっともないと見えるだけですし」
少年兵の言葉に、部隊長は口の端を少しだけ引きつらせ、物資だけはちゃんと持って行けと告げた。
ほんの数刻だけ休憩し出立する前に、医務室に顔をだすと、医官が幾分良くなった顔色を見せて二人を手招きした。
「もう行くんだな」
「はい、医官殿もどうぞお大事に」
「ランド卿に、土産話を持って行け」
そう言うと、医官は二人にしか聞こえない小さな声でそっと漏らす。
「敵の中でも偉いさんがぼやいていたんだ。・・・敵の王は病で長くないらしくてな。跡継ぎを誰にするかで中央が揉めているらしい」
一応、裏はとれよ?
そう言って、医官は軽く目配せをした。
「じゃあな、無茶して死ぬなよ、"魔女"」
「やめてくださいよ、それ」
最後のセリフに、レオは苦虫をかみつぶしたような顔を見せた。