第2話
次の日から、ルドルフという名の少年はリオンと同室になった。
結果。新人の世話係というか、なにかと面倒を見るはめになるのはリオンである。
ルドルフは、表向き品行方正そのものである。
言葉遣いも実にそつがない。
ただ、生来の育ちのためか、ちょっとした作法や行儀に戸惑うことがあるらしい。そんなときは少々フォローをしてやると、もともと飲み込みのいい少年は対面を取り繕うには問題が無かった。
まぁ、部屋に戻ればやんちゃな少年そのものではあったが。
外面の良さにかけては天下一品だよとリオンはため息をついている。
リオンを選んだのはルドルフの人を見る目が良かったのか悪かったのか。お人よしのリオンはついついルドルフのフォローやらなだめ役やら勉強の相談役やらで、鬱屈したことを考える間もない。
そうやって、一月ほどもすれば、リオンとルドルフの妙な組み合わせはそれなりに定着し、修道院の師父達もルドルフのことについてはリオンに聞くことが常となっていた。
少年たちの中には修道士や神官として神職に就くものもいるが、ルドルフのように実家に戻ることが前提の者もいる。
修道院と寄宿学校の中間のような施設であるここでは少年たちは一般的な教養や神学もさることながら、魔法や武術等も学ぶことになる。
「俺、勉強ってあんまり好きじゃないんだよなぁ。町に居たときも少しは読み書きやったけど。 それに、なんか修道院って辛気臭せぇ・・・。息が詰まる。」
「つべこべ文句言うんだったら、侯爵家の嫡子なんか辞めて、さっさと町に戻ればいいだろ。」
昼食後の休憩中、庭の芝生の上で神学書のページをめくりながらため息をついたルドルフにリオンは皮肉めいたセリフを吐いた。いつもならばへぇへぇと流すだけのルドルフだが、この時ばかりは立てた膝にひじをついて目配せをする。
「ところが、そうはいかねぇんだな。俺がちゃんと嫡子様をやってのけたら、母さんに楽させてやれるし。」
「母上?」
顔を上げたリオンに、ややばつの悪そうな顔でルドルフは笑みをこぼした。
「俺を生んじまったから。まともに結婚もできないでさ。女手一人で俺を育ててくれたんだ。だから、嫡子の話が来たときは、真っ先に“母さんに楽をさせてやれる”って思って飛びついちまった。まぁ・・その分の苦労はかなり覚悟だけどな。何せ、義母上・・・正妻がいい顔してなくて。まぁ、当たり前だけど。」
「そっか・・・・。ごめん。」
急に、しゅんと顔色を暗くしたリオンに、逆にルドルフが慌てる。
「なんでリオンが謝るんだよ。」
「あんまり事情知らないのに、さっさと町に帰れって。」
「あほか。お前どれだけお人よしなんだよ。ツンケンした澄まし顔のくせに、中身はとんだ甘ちゃんなんだよな。俺が愚痴れば毎回毎回、くそ真面目になだめるしさ。・・わざと愚痴りたくなるじゃねぇか。」
そのまま、しばらく黙り込んで神学書をめくっていたルドルフは、そっとリオンの肩を押した。
「何?」
「お前さ、母親が他所の男と不倫して出来た子だって?」
「な・・・・。」
絶句のあまり、口を開けっ放しのリオンの顔にルドルフは本当かぁと納得顔で頬杖をついた。
「俺、てっきり母親が再婚でその連れ子とか、そういうのかと思ってたけど。・・・・すっげーヤヤコシイんだな。俺の比じゃねぇや。で、本当の父親って知ってるの?」
「君には関係無いだろ。・・・第一、一体誰から・・。」
「だって、お前自分のこと何にもいわねぇんだもん。それに・・。」
視線で示した先には4、5人程の少年たちの集団がいる。ひときわ身のこなしもすっきりとしているそれなりに身分のありそうな集団である。
「こっちが知ろうと思わなくても、勝手にあれこれしゃべってくる奴ってのは何処にでもいるもんだ。」
「あぁ・・・。彼らか。」
時折、じっとこちらを見つめる視線が嘲りであったり、侮蔑であったり、さまざまである。
リオンは気にしてないよと手元の魔術書に目を落とした。
「俺がここに来た頃、あの中央にいる奴の誘い断ったんだ。なんでも、有力な富豪の息子とかで、将来は大聖堂の大司祭だって噂だよ。俺に、子爵家の令息なら、私たちと共にいるのが筋だとかなんとか言ってさ。どうも取り巻きの誘いだったみたいだけど。俺、面倒くさかったから・・。」
「誘いをあっさり蹴ったら、目をつけられたってことか。」
「そうなんじゃない? 何かにつけ突っかかってくるからさ、大体放っておいたけど。この間、いい加減頭にきて一人ぶん殴った。」
ぷっとルドルフが吹き出すのがわかった。
「お前、平静な顔していきなり何やるかわかんねぇな。」
「笑いごとにするなよ。」
「・・・これはこれは、侯爵家の子息様。ご機嫌麗しく恐悦至極に存じます。」
急に、声が振ってきた。二人が顔を上げると、先ほどまで遠くに居た少年たちが目の前に立っている。その場をはずそうと腰を浮かせたリオンの腕をがしっとつかんでルドルフは制した。
「何のようで?」
「いえ、侯爵家のご子息ともあろうお方にはもっとふさわしい場所というものがあると、お教えしようと思ったまでですよ。」
「へえ・・・。」
立ち上がろうともしない侯爵家の子息を見下ろしたものかと、取り巻きの数人が動揺するが、中央の少年は、うっすらを笑みを浮かべたまま、腰を下ろそうともしない。
「彼より、我等とともにあるのが、筋では? 失礼ながら、不貞の息子が世話係では、貴方に傷がつきましょう。」
「私は、ゲーゼルヴァインド君で不足はありませんが。失礼ながら・・・。」
にっこりと笑みをこぼして、人懐っこく、ルドルフは肩をすくめた。
「ここでは身分など関係ないと伺っています。己の才覚で得たわけでもない“お父上”の権威をかさにきて、口さがなく他人の噂話に花を咲かせる程に己の品位を下げるということをご存じない方々と共に行動しては、わたしは“侯爵”に申し訳が立ちませんのでね。」
「・・・お、おい・・。」
無理に腕をつかまれて、リオンは立たせられた。そのままその集団に背を向けさせられる。
「それでは、失礼。わたしは勉強があるので。リオン君、神学書でわからないことがあるので少し教えてくれないか。魔術書と神学書の中身についてはどの教授より君に聞くのが一番だからな。・・・・身分身分という暇があったら、勉強に励まなければ“侯爵”を失望させてしまうよ。」
舌打ちや、くっという声を背にして、リオンとルドルフはその場を立ち去ろうとする。
「所詮、同じ穴の狢か。」
ふっと、耳に届いた言葉に、リオンは足を止めた。
「“愛人の子”には“不倫の子”が丁度いいとは、言いえて妙。折角、箔をつけて差し上げようと親切心を出したがあだになったな。どうせ、侯爵の嫡子の座とて、財産に目がくらんだのだろうよ。・・・御国元でぼろが出ぬようにせいぜい励まれよ。」
気にするな、とでも言うかのようにリオンの腕が強く引っ張られる。リオンの至極無表情な顔色とは対照的にこぶしがきつく握り締められている。
「行こうか。行儀もままならぬ下劣な匹夫には、娼婦の子供がふさわしい。」
声が、遠ざかる。
その遠ざかる気配に、ルドルフが力を緩めた瞬間である。
「リオン!」
駆け寄って、おもむろにリオンは少年のわき腹を足蹴にした。
不意をつかれて、少年がその場に転がる。
「何をするんだ!」
助け起こそうと二三人が近寄った足元から、しゅいんと蒼い光が立ち上る。
「!!」
「魔法・・。」
横たわる少年を囲むように薄く蒼い炎が円陣で取り囲んだ。
「やめろ! リオン!」
「誰か院長先生呼んで来い!」
ざわざわと少年達が集まってくるその中央で、腰の抜けた少年は、がくがくとあごを鳴らす。
それを見下ろす、金髪の少年のやや釣った瞳は半眼に閉じられてもなお、怒気を含んでいる。
「・・・蒼炎・・・その灼熱の刃・・。」
「やめろ・・・・・やめてくれ!」
少年の懇願むなしく、蒼い炎がじりりと円陣を狭める。
「リオン!」
リオンの体が吹っ飛んだ。その瞬間、蒼い炎が綺麗に消え去る。
「この馬鹿。やりすぎだ!」
ルドルフの声が荒々しく耳に届いて。
リオンはくらくらとその場に崩れた。