第19話
前線の陣地まで、実戦経験を積ませる目的で伯爵家令息を伝令として送り込んだ。
そこまで遠くない上、元衛生兵の極東人を供に付けたから、大丈夫だろうと思っていたら帰ってこなかった。
「と、言うことにしたいんでしょうね。帰ってきても"よくやった"ですむし、帰ってこなくても"残念だが、これが戦場だから"ですむ」
「・・サム様、自分への嫌がらせで俺達が動員されたことに気がついていたのでしょうね」
セオフィラスの言葉に背中越しに返しつつ、ずっと冴えない表情だったサミュエルの顔を思い出し、レオは身を潜ませた木の間から周囲を見渡しつつ深緑のマントのフードを目深に被る。
お前さんの髪は特に目立つから気をつけな、と親切な兵士の忠告を守り、金色の髪をしっかりと覆い隠して、レオは腰を落として素早く目的地へと進むべく木との陰から陰へと身を滑り込ませる。
少し大きな木の洞に二人の体を押し込むと、少しだけ息をつく。
「あのさ」
セオフィラスは、緊張で少し震える口元を無理に押し広げているように見えた。
「君のことレオって呼んで良い? 僕のこともセオで良いし、敬語も敬称も要らないからさ」
「え?」
こんな所でなにを言い出すんだと目をむくと、セオフィラスは肩をすくめる。
「どっちがどういう立場とか、今の状況で気を使いたくないんだ。こんな所で身分とか言っていたら、僕もレオも死んじゃうよ」
「・・・尽力しま・・・・する」
「うん。・・・で、早速だけど、得意な事は何?」
と言いいつつ、すうと目を細めた少年の意識の先を感じ取り、レオはぞわりと背筋が凍る。
暫く、硬直したまま、いくつかの気配をやり過ごして、二人は一層声を潜めた。
「炎系と心理操作や催眠系の魔法。あとは軽業・・・草原の戦士仕込みの多少の荒事かな」
「うん、わかった。僕は、サミュエル様から剣術を。・・・レオは僕のこと子供だと思っているだろうけど、あの人、こと剣に関しては子供だろうが容赦がないよ。南方軍に配属するのに問題無いとは言われている」
だけど、この通りまだ腕力には自信が無くて、とセオは続けた。
「だから、力に物を言わせる事については僕もレオも避けた方が良いって事だよね」
「なるべく、見つからない方向行きましょう」
そう言って、レオは少し顔を引き締めて言い直す。
「見つからない方向でいこう」
「うん。了解・・・・と言いたい所だけど」
剣の柄を持つ手に少し力を入れて、セオフィラスは木の洞に隠れた自分の背中のその向こう側に視線を送る。
次いで、レオに目を向けると、指先で人数を示した。
二人、此方に近づいている。
軽く頷いて、レオは指先で自分が飛び出す方向を示した。
先に反対側に飛び出て、相手の意識を引きつけると小さく口元を動かす。
お互い、小さく頷く。
すうと息をつき、一瞬視線を合わせた瞬間。
レオは木の陰から身を躍らせ目の前の大きな木の幹を利用して跳躍する。
その直後にセオフィラスも反対側の木の陰から飛び出し、レオに気を取られた一人の敵の背後から剣を振り下ろした。
「!」
味方の体が崩れ落ちた事に気を取られた一人の背後にレオが降り立つ。
背後から短い剣の刃を首の根に沿わせ、一気に引き抜いた。
「レオ」
「大丈夫」
返り血を浴びぬように身を引く。
セオフィラスも剣の血糊を払い、鞘に収めた。
足元に転がった骸に目をくべて、セオフィラスが息をつく。
「お互い様だって言うしかないけど」
顔をあげた蒼白の顔で少年はぎこちなく笑う。
剣を掴む手がわずかに震えていた。
「僕も、レオも、もう神様の近くになんか行けないね」
「俺なんかとうの昔に地獄行き決定だけど」
事もなげに返して、レオはセオフィラスの背中を軽く叩いた。
「セオと道中一緒なら、悪くないかな」
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誰だよ、数刻もあれば往復出来るって言った奴。
それはトラブルが無い場合で、という条件付きだったことを反芻して、レオは少し遠目に見える粗末な建物を凝視してひそりと毒づく。
何度か、敵の気配をやり過ごし、何度かは見咎められて声を上げられる前に二人で始末をした。
そうやって時間を食いながらようやく、目的の陣地の近くまでたどり着いた。
もうその頃には日が傾きかけて遠くに虫の声を認める程度の頃合いである。
目的地にたどり着いたものの、やはりあの兵士が言ったとおり、陣地の周辺には敵の姿がどこかしこに見えた。
陣地の外に積まれた骸は、皆自分達と同じく、東方王国軍の隊服を身につけている。
「ここは堕とされたと見て良いな」
「捕虜がいるみたいだ・・・白っぽい衣類だけど、医官だろうか?」
「え?」
セオフィラスの示す方向に視線を集中させると、レオの知った顔が疲れた表情で座り込んでいる。
息をのんだレオの様子を、セオフィラスがそっと案ずる。
「・・・知っている人?」
「医官の中で一番良くしてくれた人だ」
そう、呟いて、レオは視線をその影に集中させる。
思い返せば、一年以上ぶりに目にする姿に、記憶がよみがえるまま知らず口を開く。
「毎日俺に経典を音読して医官達に聞かせろって指示して、だけど本当は俺の極東訛りを直すためだった」
「だから、極東の人にしては訛りが無いと思ったんだ。王都にいる人みたいな綺麗な言葉を喋るなぁって」
「いろんな言葉が好きらしくてさ。砂漠の言葉も草原の言葉も巧みで、俺に極東の言葉を教えろって付き合わされた。毎日すごく疲れていたから正直面倒くさかったんだけど、でも一番気にかけてくれた。兵士に嫌な目に合わされそうになって俺が魔法で相手を殺しかけたときも俺のことを責めずに、お前は悪くない、大丈夫あの兵士はちゃんと俺が治すから、だからお前は気に病むなって言ってくれて。・・・今思えばすごくいい人なのに、俺はいつも仏頂面で周囲は全部敵だって思ってた」
今思い返せば、である。
あの頃は、何処の国の軍とも知らされず放り込まれた"前払いの傭兵"の境遇や、行き別れてしまった仲間達の事で頭がいっぱいで周囲を見る余裕は無かった。
サミュエルの部隊に移動する日の朝に医官が見せたほっとした表情を、当時は厄介払いをして清々したのだろうと勝手に解釈してたが、今思えば、"前払いの傭兵"が自由になった事への安堵なのだと理解している。
「・・・助けたい?」
暫く、黙り込んだレオに、セオフィラスは尋ねる。
はっと顔色を変えて彼は相手を見返す。
レオの内心を見透かした言葉がもういちど重ねられた。
「助けたいの?あの医官殿」
「助けられるならそうしたい、けど・・・」
無謀だと思う。
セオフィラスを巻き込むわけには行かない。
子供二人で、なにが出来るとも思えない。
一度、補給基地まで戻って報告する方が賢明だと思った。
セオフィラスは、医官の姿から目を話さずに、小さく呟く。
「あの様子じゃあまり時間はないんじゃないかな」
「・・うん」
何れ、あの医官は敵の本部まで連行されるだろう。
おそらくは、相応の処遇が待っているはずだ。
補給基地の位置や他の前線の事など医官が知っていることは多い。
それを敵が聞き逃すはずが無い。
自分が、捕虜相手にやってきたように。
がくんと、自分の身のうちが震えた。
しばらくの間、己が腕を自分で抱きしめて落ち着かせた後、レオはフードを目深に被り、口元を布で覆う。
「どうするの?」
「周辺の状況を確認する。少なくとも俺の方がこの陣地の事は知っているから、セオは見つからないように隠れて待っていて」
レオが移動する様子にセオフィラスも同様に腰を浮かせたところで、目の前に腕が伸びて制された。
「この陣地周辺に、魔法を準備してくる」
「・・・わかった。僕はここで警備状況を観察する」
頷いたセオフィラスの顔をレオは横目で見やり、口の端に人差し指をあてる。
次いでささやかれたセリフと共に、その表情はぞわりと従騎士の少年の肌を粟立たせた。
「これから見ることは、地獄の底まで黙っていてくれよ」