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流浪の民  作者: 仲夏月
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第1話

 修道院の庭には、きらきらと日の光を受けた野菜たちが先ほどたっぷりと湿らせた地面から勢い良く水を吸い上げている。

 

 小鳥のがさえずり、木々がさわさわとおしゃべりを始める。

 穏やかで、静かな午前中のはずである。

 

 

 「やめろって!」

 


 ざわざわと喧騒があたりの静けさを壊す。悲鳴にも似た声木陰の間から空へ突き刺さる。

 

 そろいのローブに身を包んだ少年たちがわいのわいのと騒いでいる。

 喧騒の中央で、ひとつに束ねられた金髪がゆらりと揺れて、ついでがつんと音が響いた。

 うっとその下で首を押さえられた少年が鼻から血を出してうめき声を上げる。

 

 金髪の方の少年が無表情でもう一度こぶしを振り上げる。その腕を数人の少年たちが抑える。


 「いい加減にしろって!」

「院長先生だ!院長先生が来たぞ!」



 少年たちは、その声で蜘蛛の子を散らしたようにその場を離れていく。

 

 

 「何をしているんです!」



 黒い僧衣の男の声に、金髪の少年はようやく顔を上げた。




 ________________________________




 「・・・・ゲーゼルヴァインド君、一体何があったのですか?」

「リオンと呼んでください。院長先生。」


 つんとした声に、やや老いを感じさせる口元からふうと息が吐き出された。


 「いいでしょう。リオン。・・喧嘩の原因は一体なんですか? 院内で喧嘩は禁止だということはご存知のはずでしょう。聞けば、貴方がいきなり殴りかったという話ではないですか。」

「・・・・・・言いたくありません。」



 細い線で描かれた首から飛び出た声は、声変わりでやや裏返って聞こえる。やや薄い頭をそっとなでて、院長はふうとため息をついた。




 「お母上のことで何か気に障ることでも言われましたか?」

「・・・・。」


 殴り合いの結果、腫れた口の端を手の甲でそっと押さえるも、少年はそっぽを向いたままだんまりを決め込んだ。

 

 

 「・・・・こんなことでは、お父上のゲーゼルヴァインド卿に一度こちらにきていただかなければなりませんよ?」

「呼んだところで・・。」


 そこで、少年がようやく口を開いた、自嘲気味に口の端を吊り上げる。

 

 「俺がここで何をしても、あの人がくるはずありませんよ。俺の顔なんか見たくないんですから。」

「ご自分の父上のことを“あの人”などというものではありません。それになんですか。“俺”などと粗野な口の利き方は。良家の御令息の言うせりふではありませんよ?」


 院長の隣で、まだ若い神父がたしなめると、少年は、くっと笑みを漏らす。


 「俺はあの人の子ではありませんから。“良家の令息”云々など俺には不相応です。」

「・・・」


 司教が黙ると、院長はもういいでしょうと少年を促した。

 


 「部屋に戻ってよろしい。一晩反省なさい。」


 


____________________________




 “私の子ではない”



 自分が生まれたとき、父はそう言い放ったそうだ。

 母は、生まれた自分を見て、半狂乱になったらしい。

 

 それはそうだろう。

 

 黒髪黒瞳の男と、鳶色の髪に青い瞳の女から金髪で緑碧の瞳の子が生まれることはまず無い。

 祖父母をはじめ、親類縁者にもそういった特徴を持つ者が居なかったから、母の不義が白日の下にさらされたわけだ。

 

 それ以来、父親は母を遠ざけ、家では使用人あがりの愛人が大きな顔でのさばっていた。

 

 歳の離れた兄は母をなじり、弟である自分を疎んじて、王都にある屋敷に移ってしまい、領地の屋敷にはめったなことでは顔を出すことは無かった。

 

 母は、悲嘆にくれるあまり床についてしまい、長年寝たり起きたりの生活を繰り返したあと、彼が5歳の冬に亡くなった。

 

 結局。自分が誰の子かは一言も口にしないままであった。


 口さがない使用人たちの噂話では、王都の屋敷に住んでいた頃に時折通っていた伯爵夫人のサロンがあったそうだから、大方そこで知り合ったどこぞの貴族だろう、ということらしい。長ずるにつれ、「父でも母でもない他の誰か」に似てくるその子供の涼やかに切れた眦や、やや淡い金色の髪は、使用人の間でも無遠慮な視線の的であった。



 そんな彼を、父は母がなくなってすぐにこの修道院に預けた。

 以来数年、父はこちらに顔を見せるどころか手紙の一つもよこさない。リオンが修道院を追い出されていないあたりから察するに、おそらく必要最低限の事務処理はきちんと行われているのであろうということが分かる程度だ。


 そこで放られるように入れられた修道院も、彼にとっては状況を好転させる場所ではなかった。

 事情が事情だけに彼の素性は巧妙に隠されているはずだったが、どこで話が漏れたのか、この修道院で生活する少年たちには数日のうちに知れ渡っていた。

 遠巻きでひそひそと交わされ、視線だけがやけに痛いほどに感じられるその状況は、屋敷と寸分もたがわず、むしろあからさまな分が余計に彼に突き刺さって感じられた。

 表では平生を装っているが、中には悪意に満ちた言葉を投げかけるものもいる。

 




 “お前の母は何処の娼婦だ?”




 昼間、ぼそりと耳打ちされた言葉に、かっと頭に血が上ってしまい、思わず手が出たのである。


 

 

 「畜生。」



 机をがん、とたたいて、リオンはつぶやいた。

 


 「畜生っ。」



 そのとき。がんがんと窓が音を立てる。

 

 

 何事かと顔を窓に向けた直後、リオンはひっと声を上げた。



 「な、な、なんだ?」

「おーい。おーい。ここ開けてくれよ~。」



 がんがんと扉をたたいている顔が逆さまに見える。

 

 リオンは慌てて窓を開けた。その窓からリオンより年上らしい少年が部屋にするりと入りこんできた。



 「助かった~。部屋抜け出してどこかにいけるかとおもったら、真っ暗で街の明かりなんて全然見えねぇんだもん。聞こえるのは虫の声だけで、おまけにみんなさっさと寝やがったのか部屋の明かりも見えないしさ。真っ暗の中、壁伝いに移動してたら、そのうち足踏み外して落ちるんじゃねぇかとおもった。よかった、まだおきてる奴いて。」

「抜け出すって・・・今、一体何時だと思ってるんだ。消灯時間はとっくに過ぎてるぞ?」



 窓からの闖入者に、リオンは目を丸くする。


 銀髪に紫の瞳の少年は白い僧衣を軽くたたいて埃を払うとからからを笑いながら頭をたたいた。

 



 「あんまり暇だしさ。抜け出して街で女引っ掛けにでもいこうかなとおもって。だけど、ここってどれだけ田舎なんだよ。ほんと、何にもねぇのな。」


 あっけらかんとしたせりふに、リオンは顔を真っ赤にした。

 

 「神職にあるものにあるまじき行為だぞ!」

「・・・・・・・はぁ?」


 一瞬、きょとんと目を見開いた少年は。

 続いて腹を抱えて笑い転げた。

 


 「うわーーー。何そのお題目。・・・・まぁ、お前みたいな子供だったら女を知らないのも道理かな。」

「な・・・・・・!!!」


 耳を真っ赤にして、次の言を告げないリオンに少年は銀髪を掻きながら笑う。

 


 「うわー。修道院以外知らない坊主の典型的反応。」

「だ、大体、お前何者なんだよ?」


 なんとか平生を保とうと努力するが、いかんせん変声期の声は不安定だ。

 声が裏返り、軽く咳き込んだリオンに、相手はへへっと屈託無い笑顔を見せる。

 

 「俺? ルド。ルドルフ・フォン・・・・って、あれ。何だっけ。」

「家の名前もいえないのか?」

「しかたねぇだろ? 最近、その家の奴になったんだからさぁ。」


 予想外の言葉に、リオンは目を丸くした。

 

 「最近?」

「あぁ。俺、愛人の子。まぁ、所謂“庶子”ってやつ。 嫡子がはやり病で死んじまってさぁ。他に跡継ぎも居ないっていうことで俺にお鉢が回ってきたってとこだな。」


 聞けば、この修道院から随分遠くに位置する国の侯爵家の子息らしい。


 「なぜ、修道院に?」

「生まれ育ちが街中でさ。行儀がなってないっていうことで行儀見習いで放り込まれた。まぁ、しばらくここにおとなしくさせておいて、ころあいを見て“実は幼い頃に修道院へ入れていた男子が居て”とかなんとか言って王都に戻して辻褄を合わせるって魂胆だろうな。俺の事はルドでいいぞ。歳は17だ。お前、名前は?歳は幾つだ?」


 リオンはやや歯切れ悪く告げた。


 「13歳になったばかりだよ。皆にはリオンって呼ばれている。」

「呼ばれている?・・ってどういうことだ?」

「俺・・・・魔力あるから。本名はめったなことでは口にするなって言われてる。生まれた時に街の魔術師に真名とは別にリオンって呼び名をつけられた。」

「なんだ。魔法使いか。それでも、家の名前くらいはあるんだろう?」

「・・・・・・。」



 そこで、リオンは口を噤んだ。その様子に、ルドルフは額をたたく。

 

 「・・・・まずいこと聞いたか?」

「・・・ううん。ゲーゼルヴァインドって家だよ。・・・もっとも。父上の本当の子ではないから、その名前が家の名前だと言えるかは俺にもわからない。」

「なんだ、俺と大してかわんねぇな。それで家の名前口にしたくないんだ。」


 ぽんぽんと容赦ない言葉ではあるが、悪気は感じられない。

 「・・立ったままもなんだから、そこに座りなよ。ここは俺一人だから誰か来ることもないし。」

「お? そうか? 悪いなぁ。」

 リオンは、相手に向いのベッドを進めると、自らも腰掛けた。

 「適当なところで自分の部屋に戻ったら?ここは山の奥で君が行き慣れているような街はないし、消灯時刻過ぎてあちこちうろうろしているのを神父に見とがめられたらお目玉だよ。」

「しゃあねぇな。そうするかぁ・・。っと、なんか騒がしいな。」

「??」

 がたがたと廊下が騒がしい。

 耳を澄ましてみれば、修道院の師父たちのあせった声がはじめはひっそりと、だがやがてどうしようもなく大きな声が聞こえてきた。

 

 

 「何があったのかな?」

 


 リオンは、そっと扉を開け、廊下を覗くように顔を差し入れる。


 「あっ。」


 神父の一人と目があう。リオンに気がついた彼が慌てて此方に駆け寄ってきた。



 「ゲーゼルヴァインド君。まだおきていたのですか?」

「少し経典を読んでいましたので。・・・何か起きたのですか?」

「君には関係ないから。心配せずにもう休みなさい。明日も早い。」

「へぇ、何か騒ぎ?」


 リオンの背後から少年がひょっこりと顔を出した。

 

 「あ、おいっ。」

「え・・。あぁぁっ!!! どうして貴方がここに居るんです!」

 

 

 

 神父は悲鳴を上げた。



 「ご子息! どうしてこんなところに! 探しましたよ!」



 神父の、その表情で、リオンはがっくりと首をうなだれた。



 「騒ぎの原因は、君じゃないか。」



___________________________________________





 そのまま、院長室まで二人は連行された。

 

 今回は、完全にいい迷惑だ。

 

 リオンはなにやら力が抜けてしまって、げんなりとした表情で院長の説教を聞いている。

 

  

 「どうして、客間を抜け出して、ゲーゼルヴァインド君の部屋に居たりしたのですか?」

 

 院長の言葉に、リオンの隣で立つルドルフはえーっとと苦笑いを見せる。


 

 本音を言えばまずいに決まっている。

 入って早々独居房行きだ。



 リオンは、はぁっと息をついた。



 「院長先生。彼は、慣れない修道院で、手水に出られたまま少し迷ってしまわれたそうです。ちょうど、俺の部屋の近くを歩いていらっしゃったので、お茶でも如何ですかとお誘いしたところでした。」

「・・・リオン。そういう場合は、誰かに報告して、お部屋にご案内するのが筋ですよ。侯爵家のご子息に何かあってはと私たちは気をもんでいたのですから。」

「申し訳ありません。見かけないお顔でしたので。少しお話を伺いたかったのです。」



 きょとん、とリオンの顔を見つめる視線を無視して、リオンはすまし顔でそう告げ、頭を下げた。



 「ご子息。彼の言うことに間違いはありませんか?」

「え・・・あ・・・。いいえっ。本当です。ご心配かけてすみません、迷って困っていたところをゲーゼルヴァインド君に声をかけていただいたのでホッとしたところでした。」


 銀髪の少年もぺこんと頭を下げる。

 その様子に、院長はまぁ、今回は良いでしょうと息をついた。


 「それなら、よろしい。二人とも、部屋に戻りなさい。」



 やっと開放か。

 

 リオンが肩の力を抜いたところで、そっと隣の少年が手を上げた。

 

 「あの・・・俺、まだ部屋が決まってないんですよね?」

「え・・? ええ。そうですよ。しばらく客間で暮らしていただいて二三日のうちに正式なお部屋を用意させていただきますが。」


 院長の隣に立つ司教の言葉に、銀髪の少年は宝石のような瞳を人懐っこく細めた。


 「俺・・・私はゲーゼルヴァインド君と相部屋がいいです。先ほど見たところ、彼の部屋は本来二人部屋のようですが・・?」

「しかし、侯爵家のご子息の貴方を相部屋なんて・・。」

「駄目ですか? ここの生活に慣れるにはどなたかと相部屋のほうがいろいろと聞けて心強いと思いますし、それに、ここではそもそも身分など関係がないと伺っていますが?」

「それは・・・。」



 今度は、リオンが目を丸くする番である。

 

 「・・・お、おい・・。」

「そうですね。ここでの生活になじむには誰かと相部屋のほうが良い。ゲーゼルヴァインド君も子爵家の令息ですから、侯爵もとやかくは仰らないでしょう。」

「院長先生!」

「・・・リオン。なにか異議はあるかね?」


 

 

 異議だらけだとリオンは思う。

 


 思ったが、あまりこちらの意向など聞いてくれそうな雰囲気ではなかった

 

 「わかりました。」

「では、お部屋は明日にもで整えましょう。」

「ありがとうございます!」




 今まで、のんびり一人部屋だったのに。

 よりによって、トラブル・メーカー間違いなしのこいつと相部屋かよ!

 

 がっくりと肩をおとすリオンと対照的ににこやかなルドルフ。

 院長室を出たあと、がっしりと肩を引き寄せられた。

 


 「まっ。これからよろしくな? リオン。」

「どうして、相部屋なんていうんだよ!?」

「え? お前、お人よしぽいから。」


 むっかぁと顔を赤くしたリオンの鼻をぺしんと弾いて、ルドルフは二三歩先にすすむと片手を挙げた。

 


 「じゃぁ、明日からよろしく!」


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