第8話 裏
「———東洋から、死刑制度を学びに?」
ノアは絞り出すように沈黙を破る。そんな理由でこの国に来た外国人を、ノアは見たことがなかった。
「そうッス!都を目指して旅をしてるッス」
椿暁は胸を張って答える。思わぬことに、目的は違えど、二人の行き先は一致していた。聞けば、ここはノアが暮らしていた町から、いくつかの村を越えた先にある町らしい。椿暁はノアを雪の中で見つけた後、この小さな宿まで送り届けていたのだ。
ノアも自分の目的地が都であることを告げると、彼女の表情にパッと華が咲く。
「本当ッスか、ノアさん!」
そして、改まった表情で彼女はその頭を深々と下げた。
「その旅、ぜひお供させてほしいッス!」
ノアが旅の一日目にして倒れたことは、彼の中に一抹の不安を募らせていた。助けられた恩も返さねばなるまいと、ノアはその提案に首を縦に振る。すると椿暁は、文字通り飛び跳ねて喜んだ。
「よっしゃあ!じゃあ改めてよろしくお願いするッス、ノアさん!」
二人は再び握手を交わす。椿暁の手は、夜の雪を忘れさせるほどに温かかった。
「それにしても、東洋人なのに入国できたんだな。今は外国人の入国審査、厳しいらしいから」
ノアはそう言ってまた茶を啜る。“革命”以降、共和国政府は外来危険思想の持ち込みを防ぐため、外国人———特に東洋人を徹底的に排斥しているのだ。ノアが彼女を見て珍しいと思うのは、ごく自然のことだった。
「あー、まあそうッスね……それは、ちょいと事情があるッス」
椿暁の目が途端に泳ぎ始める。
「事情?」
ノアは眉をひそめる。椿暁は落ち着きなく顔を触ったり、手を後ろに回したりしている。
「いや、そのぉ……まあ、商人の荷物の中にぃ……紛れちゃった? って感じッスね」
もはや開き直っているのか、椿暁はノアを限りなく確信まで招き入れた。
「それって———不法入国ってことか?」
「……そういうことになるッス」
椿暁は、観念したように舌を出し、気まずそうに笑う。
共和国刑法「共和国の安寧破壊に関する罪」
第4条 不法入国および不法滞在
外国人は、共和国入国管理局の許可なく本国に入国および滞在することを禁ずる。また、入国審査において虚偽の申告をした場合も同罪とする。
これに違反すれば、強制退国は免れない。裁判で実刑が下れば、死刑に処されることも珍しくない大罪である。
「最初はちゃあんと入国管理局に申請したッスよ?だけど案の定拒否されちまいましてぇ」
椿暁は、今や快活に大口を開けて笑っている。まるでつまみ食いを見つかった子どものようだった。
「あのなぁ……」
大きくため息をつき、ノアが言いかけた———その時だった。椿暁は不意に人差し指を口の前に立てた。椿暁は何かを警戒するように、目だけをきょろきょろさせている。耳を澄ましてみると、宿の下階で、二人の男のくぐもった声が聞こえる。異様な緊張感が漂い、ノアは思わず立ち上がり、息を呑む。やがて、二対の足音が階段を軋ませながら近づいてくる。
ドアの奥で、一瞬音が止まった。次に呼吸するときには、ノックもなしに勢いよくドアが開かれた。そこに立っていたのは、共和国の紺色の外套を着た男と、この宿の主だった。
「ええ、この人でしょう?」
宿の主は、部屋に入るなり人差し指を部屋の奥へ突きつける。その先にいたのは——椿暁だった。
「ご協力、感謝いたします」
外套の男は、手元の紙と椿暁を交互に見やり、片側の口角を釣り上げる。そして男は、椿暁の方へと一歩距離を詰めた。
「———逃げるッスよ、ノアさん!」
椿暁は叫んだ。立ち尽くしていたノアの手首を掴むと、踵を返して駆け出す。次の瞬間、椿暁は窓ガラスを突き破って飛び降りた。砕け散るガラスの破片が、太陽の下の雪のように煌めく。引きずられるようにして落ちていくノアの悲鳴が、朝の町にこだました。




