第7話 紅
「都へ行く」
そうノアが宣言したのは、都にある共和国司法局を訪ねるためだった。アンジュが沈黙を貫いた、自身の“罪”とは何だったのか。それを直接確かめに行く必要があった。そこに“何か”が隠されている気がしてならなかったのだ。そんな漠然とした衝動だけを糧に、ノアは降りしきる雪の中を歩いていた。
ノアが住んでいた北東部の街は、隣国との交易の中継地点として、地方の中ではそこそこ名の知れた場所だった。対して、都は共和国の南西部にある。一方を山に囲まれ、一方は海を臨む街だ。
ノアは風に煽られながら、部屋から持ってきた地図を広げ、逆さに回してみたり、首を傾げたりした。何度計算しても、馬車を使って二週間は下らない距離だった。ふと外套を翻し、足跡を目で遡る。遠くの跡は既に消えかけ、街には橙色の灯りがともり始めていた。ノアは目線の先で光が広がっていくのを見つめながら、一つ大きく息をつく。そして、再び街に背を向けて歩き出した。
短日に、早くも辺りは黒を帯び始める。雪は風を具してノアの体にぶつかり、着実に熱を奪っていった。外套が白に覆われ、指や足の感覚が消えかかった頃、ノアは初めて自身の無策を悔いた。
いつの間にか方向感覚を失い、寒さに意識をうずめかけた———その時だった。
一点の温かな光がこちらに寄ってくるのが見え、同時にノアは力なく雪の中に倒れ込んだ。
白く鋭い光が瞼を貫き、ノアは目を覚ました。
視界いっぱいに木の天井が映り、ここが室内であることを理解する。
やがて、ぼんやりした意識を徐々に取り戻していくと、知らぬ間にベッドに横になっていることに気付いた。
「おはよう、旅人くん」
声のする方を向くと、一人の少女がマグカップを両手に持って歩いてくるのが見えた。その髪は燃えるように紅あかく、この辺りでは見慣れない装いをしている。
「これ、よかったら飲んでくれッス」
そう言って彼女が差し出したのは、淹れたての茶だった。透き通る黄緑色をしたものは珍しく、立ち上る湯気がノアの頬を優しく撫でる。口にすると、ほろ苦さの中にほのかな甘みが重なり、複雑な味を組み立てた。
少女はベッドの横に椅子を引きずってきて腰掛ける。低い鼻に、彫りの浅い顔。ノアが今まで出会ったことのないような、不思議な気配を纏っていた。
「さてはキミ、旅初心者ッスね?」
彼女は、若干クセのある発音で悪戯っぽく笑った。
「危なかったッスよ。アタシが偶然通りかかってなければ、もうとっくに凍ってたッス」
ノアは、ようやく意識を失う前のことを思い出し、置かれた状況を理解した。窓の外では小鳥がさえずり、青空に太陽が昇っていた。
「君が助けてくれたのか……ありがとう」
ノアは少し微笑む。久々の感覚に、口角が少し軋んだ。
「礼には及ばないッス」
少女はそう言って、にかっと笑ってみせる。その屈託のない笑顔が、ノアには羨ましくもあった。
「自己紹介がまだだったッスね。アタシ、椿暁っていうッス!」
椿暁は、両手を合わせて浅く頭を垂れる。聞き慣れぬ響きに、ノアは小さく彼女の名を呟いた。
「で、キミは?」
ノアは胸に手を添えながら名乗る。それを聞いた椿暁は、目を丸くして、不意に音を立てて立ち上がった。
「プ、プレヴェール家?!“あの”プレヴェール家ッスか!」
あまりに意外な反応に、ノアは一瞬目が泳ぐ。
「知っているのか?」
ノアが問うと、椿暁は目を輝かせる。
「代々続く執行人の一族ッスよね。お会いできて光栄ッス!」
それはまるで、羨望の眼差しだった。椿暁は片手をノアの前に差し出す。ノアは怪訝な面持ちながらそれに応じ、振り回されるように握手を交わした。
椿暁は握手を解くと、一歩下がって自身の胸にどんと手を当て、ノアの目をまっすぐに見つめる。そして、宣言するように語った。
「アタシ、この国の死刑制度を学ぶために、遠い東洋の国からやって来たんス!」
澄んだ声は、部屋の中を、ノアの中を反響する。そしてその余韻のまま、世界はしばし静まり返った。




