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天使のギロチン  作者: 舞月るし
第3章 堕天
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第17話 周

 全ての音が、凍りついたかのようだった。鳥さえも息を潜める静寂の中で、少女はジルベールを見下ろす。その透き通る桃色の長髪だけが風に揺れている。


「残り二名」

 端正に着色された人形のような、大きな目。天の青も地の赤も吸収するその瞳に、ノアは捕らわれたように動けなかった。直視すれば飲み込まれてしまいそうな息の詰まる重圧がノアを襲い、風音は耳鳴りに変わっていく。


 馬車の方へと走っていた椿暁シュンギョウは、遅れて伝染した異様な空気に思わず足を止める。背中に突き刺さる鋭い視線に手がこわばり、ローブを翻さずにはいられなかった。倒れたジルベールと、その下に広がる紅の絨毯が遠目に飛び込み、その鮮烈な色に胸がぎゅっと締め付けられる。絶叫が自然と腹の底からこみあがった。


「ジルベールさんッ!!」

 彼女の叫びがノアの鼓膜を叩く。ノアは、弾かれるようにして無言のまま腰の剣を抜き、鋒を少女へと向けた。冷えきった柄が、彼の意識を引き戻していく。

 一方で少女は気にも留めず、懐から純白の布を取り出す。刃の赤を、頬を撫でるような手つきで優しく拭き取った。


「何なんだ……お前は……!」

 問わずとも、ノアは分かっていた。黒い外套が意味するものも、彼女の剣筋も、なぜジルベールが斬られたのかも———全て理解していた。


 それでもノアは、確かめずにはいられなかったのだ。“同じ”であるはずの自分と彼女が刃を向け合う、この歪な状況の中で、自身の置かれた———否、自身が選び取ってしまったものを。


「私は、ヴィオレット・ギェルマン」

 彼女は一歩後退し、胸に手を添えて堂々と名乗る。

「———この街の執行人よ」

 そして片足を下げ、スカートの端を小さく持ち上げながら丁寧に膝を曲げた。その優雅さとは裏腹に、手元の刃は獣の目のようにぎらぎらと光る。


 ノアと椿暁を交互に見据えながら、ヴィオレットは祈りのように言葉を落とす。

「危険思想の流布。国民保護法に基づき———粛清します」

 ノアが次に呼吸をしようとした刹那、二振りの剣はすでに重く、深くぶつかり合っていた。火花が散り、石畳の上に霜のように溶けていく。刃はノアの首筋の寸前で交差し、薄氷の均衡が張り詰めた。


 まるで背中に羽が生えているかのような軽やかな身のこなし。鷹が鼠を捕らえるように、ヴィオレットは確実に急所へと突く。ノアは間一髪で避けながら間合いを取るべく飛び退いた。しかし、彼女はそれを許さない。ヴィオレットは、ノアに合わせて影のように間を詰める。

 やがて、風を切る音とともに、刃はノアの頬や腕を次々に掠めた。目の回るような猛攻に、踏み込むたび息が漏れる。


 身をかわす。

 受け流す。

 ———それだけで精一杯だった。

 傷を数える暇はない。悲鳴のように高鳴る心音が、ノアの聴覚を蝕んでいく。


 舞踏。

 彼女の刻む拍に身体が押し流され、足は石畳に絡みつくように縺れる。光と影が、足元で静かに入れ替わった。


 風向き、太陽の位置。違和感が胸の奥にぶら下がる。ノアは、門を背にしてヴィオレットと対峙していた———はずだった。


 ———いつの間にか、門が視界の向こうに現れている。

 馬車へと向かった椿暁の背中が、ノアの脳裏をよぎった。ノアの視線はヴィオレットから滑り、椿暁を捜す。彼の剣筋の結びが、わずかにほどけた。


 その寸分の狂いは、刃にとって十分だった。ほんの半拍、踏み替えが遅れる———ずるり、と靴が滑った。


 左脇腹に、焼いた鉄をねじ込まれるような鋭い衝撃が走る。肺が呼吸を拒絶し、声が絞り出された。

 ———熱い。

 脈拍とともに、どくどくと重い熱が広がる。地面が歪んだかのように身体が崩れ、膝が打ち付けられた。石畳の上で、赤と赤が繋がっていく。そこはすでに、ジルベールの周囲を侵食していた深紅の領域の内側だった。


 ヴィオレットは一つだけ息をつく。そしてノアのうなじの真上で剣を止めた。

「———神の御加護を」

 彼女は冷たくノアを見下ろしながら、睫毛をわずかに伏せた。


 その時、無数の乾いた破裂音が響く。閃光が視界を裂き、瞬く間に周囲が火花と白煙に包まれる。火薬のような刺激臭が鼻を突き、ヴィオレットは反射的に外套の袖を口にあてがった。


 炸裂音の中、旋風のような異質な甲高い音が一度だけ背後で鳴ったのを、ヴィオレットは聞き逃さなかった。背後から伸びたもう一つの刃が、彼女の長剣に噛みつく。風圧に押し退けられるように、二人の周りだけ煙が途切れた。


 ぴくりとヴィオレットの眉間に皺が寄る。彼女の長剣を振りほどくと、影は軽やかに距離を取った。霞む世界の中で、紅の髪だけがやけに鮮やかだった。


「やっぱ気に入らないッスねぇ、この街のやり方」

 椿暁は短剣を下背の鞘に収めると、胸の前で右拳を左の掌に打ち付け、小さく腰を曲げた。


「今度は、アタシが相手するッス」


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