第14話 独白
「殺すんだろ?殺せばいい。……君にはその権利がある」
長剣を握ったまま立ち尽くすノアを前に、ジルベールは投げやりに吐き捨てた。一方で、椿暁は机上に残った原稿や資料を手に取り、興味深そうに目を通す。
「これ、見つかったらヤバいやつじゃないッスか」
色褪せた背表紙の本が、机の端に乱雑に重ねられている。肩身狭そうにひっそりと佇むそれらは、ほとんどが“革命”以前に発行された禁書だった。
「そうでなきゃ、こんな陰気臭い地下室でコソコソ書いちゃいないさ」
椿暁を上目で仰ぎながら、ジルベールは大きくため息をついて皮肉げに言い放つ。
これは尋問じゃない。そう前置きしながら、ノアは慎重に口を開いた。執行人としての使命感というよりも、単純な興味からだった。
「ジルベール、なぜあなたはこんな本を?」
ジルベールは、口をもごもごさせてひと言ふた言飲み込むと、観念したように渋々その過去を語った。王党派の学者の家に生まれたこと、“革命”の動乱に巻き込まれ、兄を失ったこと。そして、独裁に抗うため仲間とともに結成した組織が、声をあげる前に政府によって壊滅させられ、仲間の多くが処刑されたこと———。
不貞腐れたように視線をあちこちへ飛ばしながら、彼は続けた。
「僕は革命家でもなければ、政治家でもない。結局のところ僕は、“書く”ことしか取り柄のないただの作家だった。でも、この本を書いて“自分はここにいる”って、誰かに気付いてほしかった。もし誰かに読んでもらえたら、何かが変わるかもしれない。———兄が、仲間が報われるかもしれないって。……そう思ったんだよ」
思いを少しずつ零すうちに、彼の言葉は罪を告白するかのように滲んでいく。椿暁は、ジルベールの語りを噛み締めるように耳を傾けながら、わずかに瞼を伏せた。
「どうするッスか、ノアさん。“密告”、するんスか?」
椿暁は、一呼吸置いて針のように鋭い視線をノアへと向ける。彼を試すかのような、揺れることのない確固とした目だった。
危険思想。共和国は彼の考えをそう呼ぶ。この国にとっては紛れもない“癌”であり、違法と知りながら本を書いて流布したとなれば、十中八九は断頭台行きだ。
「密告なんかしなくても、君は直接僕を黙らせることができるはずさ。一思いにやりなよ。君の得意分野だろう?」
ジルベールはノアを斜に見据え、軽く口角を上げた。
「どういうことッスか?」
椿暁は、きょとんと首を傾げる。
「そういう法律があるんだよ。……簡単に言えば、執行人が“危険人物”を見つけた場合、証拠さえあれば裁判なしでその場で殺せる」
国民保護法 第11条
執行人資格保有者は、共和国刑法に規定する重大犯罪者または被指名手配犯罪者を発見し、かつ有効な証拠を確認した場合、司法局の許可を要することなく、国家の名のもとに当該人物を即時に粛清することができる。
「へぇ、そりゃまたイカれた制度ッスね」
椿暁は鼻で笑い、再びノアを注意深く見つめる。確かに今、彼にはその権限があった。それを行使することこそが“正義”だとノアは頭では理解していたが、不思議と体は金縛りにあったかのように動けなかった。
「なぁんか嫌ッスね、この息苦しい感じ」
椿暁は腰に手を当てて吐き出す。籠の中の鳥が外を見上げるように、彼女もまた、今にも崩れてきそうな石の天井を眺めていた。
「うちの国でも“言っちゃいけないこと”ぐらいはあるッス。でも、この人のしてることは“悪いこと”だと思うッスか?……少なくとも、アタシは思わないッスよ」
“異常”———かつて椿暁がこの国に向けて刺した言葉が、ぼんやりとノアの中に蘇った。椿暁は一歩前に出ると、胸に片手を当てて切り出す。
「アタシ、この人のこと……助けたいッス」
向かい合っていた二人の視線が、一斉に椿暁へと注がれた。ジルベールは静かに目を瞠る。
「助けるって、一体どうするんだ」
反射的にノアが問う。
「それはこれから考えるッス!」
自信満々に答える椿暁に、ノアは眉をひそめる。ただ、彼女の周りに小さな火が灯ったかのように沈黙がわずかに熱を帯びた。
「でも、どうせこのまま死を待つだけだったら……。一発、かましてやりたくないッスか?ジルベールさん」
蝋燭の灯りを受けて鮮やかに色づいた椿暁の紅い髪が、ジルベールの瞳の翠碧色にそっと光を落とす。その瞬間、彼の瞳は水面の如く揺れ、ついに視線を逸らすことができなかった。
「で、アンタはどうするんスか、ノアさん」
ここでジルベールを斬れば、執行人としての役目は果たせる。それだけでいいはずだった。なのに、“あの時”にも似た強烈な違和感が鉛となって剣を握る右手にぶら下がっていた。
「今さら、逃げも隠れもしないさ。どうしようと君の勝手だ。———でも、一つだけ教えてくれ。君たち処刑人にとって“正義”とは何なんだ?」
ジルベールは、真っ直ぐにノアの心の臓を指さした。ノアは答えられない。沈黙とともに少し背中を丸めて俯くと、首にかかっていたペンダントが垂れ下がり、環を描きながら揺らめいた。赤、緑、赤、緑———宝石は、脈打つように瞬く。やがてノアは揺れるペンダントをすくい上げると、胸の前でぎゅっと握りしめた。
「ジルベール……俺たち処刑人にとっての“正義”は、あなたのような大罪人を、共和国の安寧のために然るべき方法で罰することだ」
ジルベールを見下ろし、ノアは乾いた喉から声を絞る。
「ノアさん……アンタ……!」
椿暁は思わず下背に携えた短剣に手をかけ、低く構えた。
「———だけど!」
その後に続く椿暁の言葉を、ノアは声を張り上げて遮った。柄巻の軋む音が小さく唸る。
「自分に、嘘はつけない」
ノアは剣を顔の正面で構えると、鋒は真っ直ぐに天を指す。刀身に歪みなく映った自分を見ながら、言い聞かせるように続けた。
「今までの俺はずっと、この執行人という立場に甘んじて、自分で考えることから逃げてきた。でも、大切なものを———親友を斬ったときに、自分の中で何かが揺らいだんだ。自分の思ってた“正義”は、本当の自分の“正義”じゃないのかもしれないって」
「どれが正解かなんて、俺には分からない。でも今はただ、追い求めたいんだ———自分の“正義”を」
———それはきっと、アンジュが血とともに隠した“正義”でもあると信じて。
椿暁は眉を上げ、ぽかんと口を開けたままゆっくりと構えを解く。そして一呼吸置くと、腕を組み、満足気に口角を上げた。
「———驚いたよ。この国に、まだ君みたいな人間がいたとはね」
そう呟いたジルベールの表情は、どこか安らいでいた。
「そうと決まれば!」
椿暁は、空気を張り直すように勢いよく掌を合わせ、二人の視線を集める。
「アタシに、考えがあるッス。———この国が、一番嫌がるやり方で」




