第12話 違
商人とは街に入ったところで別れ、時間を持て余したノアと椿暁は、大学の図書館を訪れていた。この街の中では最も歴史ある大学で、国中の本を揃えたともいわれる。
月明かりが大窓から差し込み、通路を青白く染め上げている。まるで、本たちが祈りを捧げる教会のようだった。
ノアの手元のランタンだけが、二人の周りを淡い暖色を滲ませる。靴音とランタンの揺れる音が、遥か高い天井に澄み響いた。
「案の定、“革命”を礼賛する本ばっかりッスね」
椿暁は並べられた本に指先をなぞらせながら、軽い足取りで、入り組んだ奥へと進んでいく。ノアは身長の何倍もある本棚を仰ぎ見て、彼女の後にゆっくりと続く。
臙脂や緑、茶色など、彩り豊かなはずの本棚は、ノアには全て同じ色に見えた。整然と並べられた背表紙を、詩をたどるように追っていたとき———ふと、一冊の本がノアの目に留まった。
ノアはつま先を押し立てて頭上に手を伸ばし、猫が花瓶をつつき落とすように、その一冊を引き抜いた。
「これ、東の帝国について書いてあるみたいだぞ。お前の故郷か?」
上質な革表紙は、ワインで染め上げたような赤紫色。“故郷”という言葉に振り向いた椿暁へ、ノアは何気なく本を手渡した。
「おお、本当ッスか!さぁて、アタシらの国はどんな風に見られてるんスかね」
受け取った椿暁は、嬉々として真ん中から開け広げる。
“東の帝国には、下劣な思想を持つ蛮族が棲みついている”
“平面的で醜悪な容姿をもち、人語とは思えぬ濁った発音で鳴く”
“非文明人を啓蒙することは、我々が神から与えられし使命である”
———たった数行を読んでいくうちに、椿暁の眉間にみるみる皺が寄っていく。
「何スかこれ。アタシらを馬鹿にしてることしか書いてないッスね」
ふん、と口を尖らせ、顔を逸らして勢いよく本を閉じる。その顔を目の当たりにしたノアの心臓には、罪悪感が染みのようにじわじわと広がっていく。しかし、紡ごうとした言葉は、喉から出そうとするほどに解けていき、結局ノアは何も声をかけることができなかった。
一方で、椿暁は本から外した目線の向こうのある一点を、吸い寄せられるように凝視していた。
「ノアさん、あそこ———なんか変じゃないッスか?」
ノアは椿暁の真横に寄り、膝をわずかに曲げて彼女と目線の高さを合わせた。椿暁が小さく人差し指を向けていたのは、壁に沿った本棚だった。しかし、何度指先と棚に意識を往復させても、ノアの目にはこの図書館で幾度となく目にした、ただのありふれた本棚にしか映らなかった。
「ほら、あそこッス。あの本棚だけ、床に埃が溜まってないんスよ」
椿暁は声を潜めるが、その食指は抑えきれない好奇と、もどかしさに震えている。ノアはようやく椿暁の訴えを捉えたが、彼にとってはただそれだけのこと———別段特異な状況とは思わなかった。
「それがどうした?」
ノアが問う頃には、既に椿暁は本棚の前に駆け寄っていた。棚の下や側面に興奮した様子で手を這わす彼女に、ノアは小さく一つため息をついた。
その時だった。椿暁は鼻息を荒くしながら、手を小刻みに何度も前後に揺らしてノアを呼ぶ。渋々彼女の方へ足を運んだノアに、椿暁は目を輝かせながら棚の裏を指す。
「ここから風が漏れてるッス。……隠し通路ッスよ!」
本棚と壁の隙間に手をあてがうと、わずかに流れる冷気が二人の掌に絡みつく。
「どうにか行ける方法があるはずッス」
そう言って、椿暁は周辺をくまなく探り始めた。しかし、本を引き抜いてみたり、棚を押してみたりしても、仕掛けは見つからなかった。
「椿暁、もういいだろ。そろそろ———」
ノアはうんざりしたように、本棚に片手をついて寄りかかった。
———カチャン。
ノアが手をついた瞬間、本が棚の奥に沈み込み、壁の奥で、金属製の何かが外れる音が響いた。二人は思わず、息を呑んで顔を見合わせた。
すかさず椿暁が棚の端を引くと、軋む音とともに、重厚な本棚がまるで扉のように滑り開く。棚の裏から、ぽっかりとあいた暗闇が覗き、冷たく湿った空気が二人の髪を揺らした。
ノアが制止するのも聞かず、椿暁はノアからランタンをひったくるように奪い、闇へと飛び込んだ。立ち尽くしたノアは大きくため息をつき、わしわしと前髪を掻き乱す。そして重い足取りで彼女を追った。
丸石が詰められた簡素な階段が、地下へ向けてゆるやかに続いていた。通路は奥に進むにつれてわずかに幅を広げ、ノアが手を伸ばせば触れられそうな低い天井からは、時折水が滴る。
———突き当たり。
目の前に、腐食の進んだ木の扉が現れた。
その背後で、開け放たれていた本棚が、二人を隠すようにそっと閉まった。




