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短編その5 異世界という世界

作者: Calyx
掲載日:2026/01/29

 先日テレビを見ていたら、異世界に行ったことがあるという人がインタビューを受けていた。今現在でも、私にはその異世界というものが何なのかよくわからない。そもそも、私が子供のころや、まだ若かりし頃には、そんなボキャブラリーはこの日本には存在していなかったと思う。そもそも、その異世界という世界はどこにあり、どのような世界なのか非常に興味があった。そのテレビ番組では、その異世界のことをドラマ仕立てで再現していた。夕食をとりながら、妻とテレビを見ていたが、妻も私と同じくらい、いや私以上にそういうことには疎いはずである。


 妻「このさー、異世界ってなんなの。パパは行ったことある。」


 うちの夫婦は、すでに子供は成人して巣立っているため、いなくなっているのだが、お互いを子供が小さいころの時に呼んでいたように、今でもパパとママと呼びあっている。


 私「行ったことないよ。異世界って、このうちらがいる世界とは違う世界のことなのかな。」


 妻「それって、どういうこと。世界がふたつもみっつもあるってこと。」


 私「多分、そういうことじゃないかな。俺も詳しいことはわからないけど。」


 妻「気味悪いね。」


 テレビの内容は、おおまかにはこんな感じである。ある東京で一人暮らしをしている若い男性が、お盆に車で帰省をしたらしい。東京から、彼の実家までは、高速道路を使っても、おおよそ10時間程度かかるらしい。ただ彼は車の運転が好きなことと、できれば実家に戻る前に、いろいろと寄り道をして帰りたいと思い、ずっと下道を走っていたらしい。しかも、かなり回り道をしながらの移動にしたため、途中で1泊して帰省することにしたとのことである。


 宿泊は長野県松本市にすることにあらかじめ決めておき、市の郊外にある旅館にあらかじめ予約を入れておいた。一日目は、東京から下道をひたすら走って、松本に到着した。旅館はかなり古い感じではあったが、木造の建屋の外も中もきれいに清掃が行き届いており、旅館の人たちもかなり感じの良い人ばかりであった。夕食も、無理に海の幸とかを盛り付けるのではなく、松本周辺で取れる食材を使った料理でもてなしてくれた。外に露天風呂の大浴場があり、深夜まで風呂に入れるということで、食事のあとはのんびりと温泉につかることもできた。この宿は、大当たりだなと、その男性は大満足だったらしい。


 彼は、夜の風呂上りに旅館の外を少し散歩することにした。すでに、セミの声はかなり止んでいたが、その代わりカエルの鳴き声があちこちから聞こえてきていた。そして、旅館からしばらく歩いた湿地帯には、蛍がたくさん飛んでいたらしい。今時、蛍がこんなに飛んでいるところなんか、日本中でもかなり珍しいと感じたらしい。彼は少し散歩したら、すぐに宿に戻るつもりだったため、財布と携帯だけを持ち、身にまとっているのは、旅館から借りた浴衣であった。そして、履物も旅館で借りた雪駄だった。それほど、歩いて遠くまで行けるようないで立ちではなかったとのことだった。


 テレビでは、その再現VTRが流れていた。若い男性が、8月の星が美しい夜に、蛍がたくさん飛んでいる田舎の細い道を一人で散歩している様子が再現されていた。しばらく外で涼んだあとで、彼は宿に戻ることにしたらしい。旅館からは、歩いて10分程度の距離である。ゆっくりと、今来た道を戻ることにしたが、彼は何か言いようのない違和感に包まれたらしい。彼は、番組内では、Aさんという仮名をつけられており、顔もモザイクがかかった状態で、その時の様子をインタビューされていた。


 A「かなり外のきれいな空気も堪能できたので、部屋に戻ろうとしました。たかだか、10分程度ゆっくりと歩いてきたので、それほど距離は離れていなかったはずです。でも、振り返ると、旅館があった場所には、何やら別の建物が建っていました。」


 番組AD「それでは、その旅館があった場所建っていた別の建物とは、どのような感じでしたか。」


 A「そうですね、かなり古びたボロボロの平屋の長屋みたいなものが建っていました。」


 番組AD「それは、旅館とは異なる建物ですか。」


 A「全く違う建物です。しかも、あきらかに中に人がいるような気配がするのです。そして、足元を見ると、先ほどまでアスファルトの敷かれた小道だったのですが、土がむき出しのあぜ道のような道になっていました。」


 番組AD「その建屋には行ったのですか。」


 A「人の気配がしたので、行こうと思いました。だって、旅館が見当たらないので、いつの間にか道に迷ったのかもと思い、道を聞こうと思ったのです。」


 番組AD「それで、人はいましたか。」


 A「それが、その家に行こうとしたら、後ろから肩を軽く叩かれまして。」


 番組AD「誰にですか。」


 A「知らない老人でしたが、なぜか彼の姿が、少し透けて見えました。」


 番組AD「それは、透明ってことですか。」


 A「いや、透明ってわけじゃないんですけど、なんていうか、薄いんですよ、色とか質感とかが。なんか、上手く言えませんけど。」


 番組AD「その方とは話をされたんですか。」


 A「ええ、彼の方から話しかけてきました。」


 番組AD「それで、彼は何と。」


 A「どこの世界から来たんだって。ここは、お前のいるべき世界じゃないって、言われました。私には何のことかさっぱりわかりませんでした。」


 その後、番組はその時の様子を再現したVTRに切り替わった。そこでは、A氏とその姿の薄い老人との会話のやりとりが再現されていた。


 A「すいません。あの、おっしゃっていることがよくわからないのですが。どこの世界からって言われましても。」


 老人「ここは、お前の世界とは異なる世界なのだ。ここに君がいるということは、非常にまずいことなのだ。」


 A「一体、何がまずいのですか。私は何も悪いことはしてませんよ。」


 老人「わかっておる。だが、君がここにいるということは、すべての法則と秩序を乱していることになる。すでに、いろんなことが軌道を外れて収集がつかなくなってきている。」


 A「いや、そんなこと言われても。それじゃあ、私はどうすれば良いのでしょうか。私も宿泊している旅館に戻りたいのですが。」


 老人「お金は持っているか。」


 A「お金、ですか。ええ、財布は持ってますので。」


 再現VTRの中で、Aは携帯電話の待ち受け画面を見ていた。携帯電話のアンテナがたっておらず、圏外という表示が出ていた。Aは浴衣の中にしまっていた財布を取り出し、老人に問いかけた。


 A「お金なら、少しは持ち合わせがありますが、いくらくらい必要ですか。」


 老人は、黙ってAから財布を取り上げた。Aが驚いているのも構わずに、老人は財布の中を確認し始めた。


 A「ちょっと、何するんですか。財布を返してください。」


 Aが手を伸ばして、財布を取り返そうとしたが、老人はすっと後ろに後ずさった。


 老人「この紙はなんだ。」


 老人は、財布のなかにあった紙幣を取り出して、Aに問いかけた。それは、千円札だった。


 A「なんだって、それは千円札じゃないですか。」


 老人「千円とはなんじゃ。お金のことか。」


 Aは老人がふざけているかと思えてきた。そもそも、千円札を知らない日本人がこの日本に存在しているのだろうか。


 A「おじいさん、ふざけないでくださいよ。千円札ですよ、千円。お金に決まってるじゃないですか。」


 老人「いや、こんなお金は初めてみたぞ。そもそも、円なんてお金は聞いたことがない。」


 A「じゃあ、お金をどうやって数えるんですか。普通、円で数えるでしょう。千円、二千円って感じで。」


 老人「これじゃあ、君には何もしてやれないな。」


 老人はAに財布を返してくれた。


 A「何もしれやれないって、どういうことですか。」


 老人「お金が払えないなら、君を元の世界に戻してあげられない。違う世界に君を戻すのにも、お金がかかるのだよ。わかるか。」


 A「もう、結構です。自分でなんとかしますので。」


 Aは少し腹がたったと、その時のことを語っていた。その後、彼は旅館が建っていた場所にある、長屋のほうへと歩き出した。老人のことが少し気になったので、ふと後ろを振り返ると、案の定彼はすでに消えていなくなっていた。Aは、なんとなくそのような結末になることが事前にわかっていた。あの老人は、すっと消えていなくなるだろうと。


 その長屋は、8つほどの区画に区切られているようで、それぞれの区画には玄関となる引き戸があった。おそらく、世帯ごとに、あの狭い空間に住んでいるのであろう。夏は蒸し暑く、冬はすきま風で、おそろしく寒いに違いない。なんか時代劇に出てきそうな、長屋であった。引き戸のすき間からは、ほのかに灯りにようなものが漏れていた。一番、手前にある家の引き戸をおそるおそる開けてみた。明らかに、奥の方には誰かがいる気配がしたので、中に向かって声をかけてみた。


 A「こんばんわ。」


 先ほどまで聞こえてきていた、話し声がぴたりと止んだ。話し声が聞こえていたということは、おそらく2人以上の人はいるはずである。なぜか、奥の方で、息を殺して、じっとしている気配がした。Aは仕方ないので、再度声をかけてみた。先ほどよりも、少し大きな声で呼びかけてみた。


 A「すいません。どなたかいらっしゃいませんか。」


 長屋の奥のほうから、誰かがこちらに向かってきているのがわかった。入り口の土間と奥の部屋の間にある障子の引き戸が少しだけ開いた。そして、そのすき間から、誰かがじっとこちらを覗いていた。その姿を見て、Aは驚いた。それは、明らかに人ではなかった。細長い目、前に突き出た口、その突き出た口の上に乗っかった黒い鼻、そして顔中が茶色い毛で覆われていた。それは、どう見ても狐だった。


 狐「はい、どちらさまでございましょう。」


 A「いや、あの。道に迷ってしまっておりまして。」


 狐「そうですか。もしかして、〇〇旅館にお泊りの方ですか。」


 A「ええ、そうです。その旅館をご存じですか。」


 狐は相変わらず、すき間からこちらを片目でじっと見ていた。Aはだんだんと怖くなってきた。長屋に住んでいる狐が、人間の言葉を話している。彼には、にわかには信じられなかった。日本の昔話では、狐が何度も登場するのだが、実際に本物の狐とこうやって面と向かって対話をするとは考えたこともなかった。


 狐「外で、老人に会いませんでしたか。」


 いきなり、狐は話題を変えてきた。それにしても、なぜこの狐はあの老人のことを知っているのだろうか。


 A「ええ、会いましたが、彼はいつの間にか消えていなくなりました。」


 狐「もしかして、お金を払いましたか。」


 A「いや、払っておりません。」


 狐「では、もしかして、彼にあなたのお財布を見せましたか。」


 A「ええ、すぐに取り返しましたけど。」


 狐「今すぐに財布の中を見てみてください。」


 Aは狐の言う通りに、財布を取り出し、中を見てみた。すると、紙幣入れのところには、紙幣は一枚も入っておらず、代わりに小さく揃えられた、広葉樹の葉が何枚か入っていた。おまけに、クレジットカードも薄くて、小さい、木の板に入れ替わっていた。狐につままれたとは、このことだろうか。


 A「お金が葉っぱに替わってます。どういうことですか。」


 狐「狸ですよ。あんたは、狸にまんまと騙されたのですよ。」


 まさか、狐から狸の悪事を知らされるとは、今までの人生で考えたこともなかったと、Aは語っていた。


 番組AD「それじゃあ、Aさんはそこでずっと狐と話をしていたということですか。」


 A「そういうことになります。しかし、狐と普通に言葉で意思疎通ができるなんて、本当に驚きましたよ。昔から狐と狸の話は民話とかに出てますが、あれって本当だったんですよ。」


 その後、再度再現VTRに切り替わった。


 A「じゃあ、あの老人は、狸が化けたものですか。」


 狐「そうです。その老人は、少し透けていませんでしたか。」


 Aはそこで、あの老人に感じていた違和感のことを思い出した。たしかに、この狐が言う通り、あの老人は少し透けていたように感じていた。


 A「ええ、そうでした。確かに、少し透けていました。」


 狐「やはり、そうでしたか。それは、まだ若い狸ですね。完全には化けることができないのですよ。」


 A「あの、助けてください。元の旅館に戻りたいのですが、どうすれば良いですか。」

 狐「まだ、わからないのですか。」


 A「え、何がですか。」


 狐「今、あなたがいる世界は本当の世界で、あの旅館のあった世界は偽の世界です。あなたは、元の世界に戻ってきたのです。」


 Aには狐の言っていることがさっぱりわからなかった。この世界が、本当の世界とはどういうことだろうか。


 A「それは、どういう意味ですか。この世界が、本当の世界な訳ないじゃないですか。」


 狐「いいえ、この世界が本当の世界です。それとも、あなたは偽の世界にまた戻りたいのですか。」


 A「たとえ、あの世界が偽の世界でも、私は元の世界に戻りたいです。助けてください。」


 狐「わかりました。でも、失うものもありますけど、大丈夫ですか。」


 A「何を失うのですか。」


 狐「それは、誰にもわかりません。偽の世界に行って初めてわかります。それでもいいですか。」


 結局、Aはその狐の能力で元の世界に戻してもらうことになった。狐は彼を元の世界に戻すために、彼から奪ったのである。それは、彼が元の世界に戻るための、コストである。


 番組AD「それで、ようやくこちらの世界に戻ることができたということですか。」


 A「ええ、ただ今私がいる世界が、本当に元の世界なのか、はっきりとした確信がありません。」


 番組AD「というと。」


 そう言うと、Aはかけていたサングラスを外した。Aの両目は無残にも、えぐり取られていた。


 A「もう私は自分の目でこの世界を視覚することができないのです。」


 そこで、その番組はコマーシャルに切り替わった。


 妻「なんか、おそろしい話だね。なんなの、この別の世界って。本当にあるの。」


 私「なんかの作り話だろうよ。そんな狐と人間が普通に会話できるわけがない。」


 すると、玄関のドアを叩く音が聞こえてきた。呼び鈴を押せばいいのに、一体だれなんだろうか。不思議に思った私は、玄関まで行き、そっとドアを少し開けた。そこには、なんと一匹の狐が立っていた。


 狐「あの、NHKの集金に参りました。」


 たしか、NHKの料金は銀行引き落としにしていたはずなのだが。



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