聖女様は異世界転移勇者(自業自得)に夢中
『ニホン』という異世界から、勇者様がやってきてから、一年が経った。
勇者様は、元の世界では『シャカイジン』で『シャチク』だったらしい。魔物を倒し続ける、今の肉体労働よりもずっと大変だったって。元の世界は最低だったと何度も言っていた。
でも、家族とか、友達とか、そういう人たちには恵まれていたんだって。
「懐かしいですか?」
「そりゃ、まあ……。親父はもういないけど、だからこそお袋一人ってのは心配だし……。友達だって、結婚式挙げるって言ってたのに、俺、こっちの世界に来たせいですっぽかしちまったんだよな」
勇者様は頭を掻いた。
いつも懐かしそうに、向こうの世界の大切な人たちのことを、たくさん喋ってくれた。当然、この世界にはいない人たちだ。
でも大丈夫!
だって、勇者様には私がいるから。
「……勇者様。私がいつでも傍にいますから」
「ありがとう。あなた以上に素敵な人はいないよ」
勇者様の世界は、この世界よりずっと便利なものがたくさんあるらしい。技術があって、娯楽があって……。
「――で、ここまでしか俺はその漫画の続きを知らないんだ。あ、この漫画は前説明した雑誌ってやつに載ってて、毎週一回、続きが発売されるんだよね。俺、こんなにも続きが気になるところでこの世界に来ちゃってさー。さすがについてないよな」
「続きが楽しみだったんですね」
「うん。どれだけ進んでるんだろうなー」
この国は、他の国と違って『本』もないから、勇者様はいつも退屈そうだった。
もちろん、貴族の嗜みはいっぱいある。湖で遊んだり、お茶会をしたり、賭け事をしたり、乗馬をしたり、劇場へ行ったり、音楽を聴いたり……。
けれど、勇者様はどれもぴんときていないみたいだった。
ネットとか、ゲームとか、漫画とか、テレビとか、映画とか、スポーツ観戦とか、飲み会とか、そういう、私にはよくわからないものの方が、勇者様には楽しいみたい。全部、この世界にはないものだ。
でも大丈夫!
だって、勇者様には私がいるから。
「ええと、今度、観劇にいきませんか? 続きもので、はらはらする展開なんですって。きっと勇者様も気に入ります! 素敵な女優さんも、その、いるとか……」
「いつもありがとう。でもきっと、あなたが誰より綺麗だよ」
勇者様はいつも私にこういうことを言ってくれる。私なんか、勇者様を励ますくらいのことしかできないのに。
「こんな美人はじめて見た」
「本当に誰よりも綺麗だ」
「世界一美しいんじゃないかな……」
などなど。
私は普段、神様の御言葉を賜るだけだから、こんなこと男性に言われたのはじめてで、いつも何も言えなかった。
でも、彼の気持ちは、しっかりと理解して、受けとめているつもりだ。
勇者様は、勇者様としてたくさん頑張ってくれた。この世界に来てからちょうど一年間。期限付きなのに、誰よりも頑張ってくれた。誰よりも輝いていた。
神殿の地下には、勇者様と元の世界を繋ぐ魔法陣がある。
一年間、みんなでいっぱい魔力を籠めて、今日、ようやく動き出したものだ。
勇者様は感極まったように涙ぐんで、私の手を握った。
「本当にありがとう。あなたは誰よりも俺に親切してくれた。親身になってくれた。本当に――」
「それって、私が一番ってことですよね?」
「え? ああうん。そうだね。確かにそうだ」
ありがとう。勇者様は笑う。
その足元には、勇者様が、元の世界に帰るための魔法陣。世界でただ一つ、数千年の魔力を湛えた、繊細なレース細工のような輝きがそこにある。
きらきら眩しいくらいに光って、まるで、勇者様のこれからを祝福してくれているみたい。
「今までありがとう」
勇者様は私の手を握って、微笑んだ。私も思わず笑ってしまう。
だって。
今までありがとうって、つまり、やっぱり、
「これからもよろしく」
ってことだよね?
「こちらこそ!」
私は魔法で魔法陣を床ごとぶっ壊した。床は砕けて、潰れて、それでも私が魔法を撃ち続けるから、やがてさらさらと綺麗な白い砂の山になった。
勇者様は砂に踏み込んで、足をもつれさせて、それから、唖然とした顔をして私を振りかえる。
「な、なんで?」
私に尋ねる声は震えて、目には涙が滲んでいる。
なんで?
おかしなことを聞く。当然のことなのに。何も不思議なことはないというのに。もしかして、私を試そうとしているのだろうか。いや、勇者様はそんな人じゃない。
じゃあどうして?
「なんで、こんな、こと……」
やっぱり勇者様の声は震えている。顔がどんどん青ざめていく。
理由は考えてもわからないけど、わからないからこそ、私は彼が好きなのかも!
「答えてくれよ……」
勇者様は愕然と、力が抜け落ちたように膝をついた。
私はその顔を覗き込む。
「だって」
「だって言ったじゃないですか」
「私が一番って」
「私が誰より美しいって」
「私以上に素敵な人はいないって」
「言ったじゃないですか」
忘れているのなら、何度だって思い出させてあげる。
そういう、ちょっとうっかりしたところも可愛いから。それに、こういうところを支えてあげるのも悪くない。
勇者様は状況も何も分かってないような、生まれたての獣みたいに震えて、生唾を飲み込んだ。
「い、言った、けど」
「つまり、私が一番ってことですよね? この世界の誰より。あなたの世界の誰より!」
私は笑った。だって幸せな思い出って、何度思い出しても幸せになれるから!
「幸せになりましょうね! 幸せにしますね! 幸せですね! 幸せ過ぎて死んじゃいそう! あなたもですよね? 私もです!」
勇者様は声もなく唇を震わせている。
今にも死んじゃいそうな顔! きっと私も同じ顔してる! だって幸せ過ぎて死んじゃいそうだもの!
でも大丈夫!
だって、勇者様には私がいるし、私には勇者様がいる。
私はすでに私の神様から祝福の御言葉も賜っている!
最低な元の世界なんて必要ない。私以下のものなんて必要ない。
私達は、幸せだ!
勇者様:元社畜社会人。帰ったら転職したり、地元に帰ったりしようと思っていた。
聖女様には好意を抱いていたし口説いていたが、元の世界への想いは伝えていたし、聖女様はそれを受け入れてくれているように見えたので、見送ってくれると思っていた。責任感がない陽キャ。
聖女様:人の心が分からない。神の御言葉だけが分かる。
勇者様の母親:今も息子の帰りを待っている。