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 九頭零士は、傷だらけの悪立を、塀付近に運んだ。そして肩を回しながらワイラーの元へ歩み寄る。


「さてと、あの日のリベンジでも、受けてあげようかな」


 レイニーとの戦いで負った腹部の銃創が痛むが、弱音を吐いている場合でもない。


「ふん。これはありがたい。俺も負けっぱなしでは、示しがつかないからな」


 不適な笑みを浮かべたワイラー。


「きみ、案外、歳いってんのね。仮面、かぶらなくていいのかな?」


 頑なに外そうとしなかった黒い仮面を脱ぎ捨て、素顔を晒しているワイラーを、零士が挑発する。


「死人に顔を見られたとて問題はあるまい」


「ほっほぉ! ずいぶんな余裕ですなあ。お望みなら、前みたいに、時、止めるよ? 止めちゃうよ?」


 とは言いつつも、零士は迷っていた。

 このままフリーズを引き起こし、一撃で仕留めるのも一つの手だが、やはり今後のことが危惧される。最も危険な、京鹿がまだ控えているのが懸念点。

 彼の未来視に対抗できるとすれば、やはり強制フリーズ。或いは、陽暈の触式にベットするしかない。

 これまで、同日にフリーズを二度、引き起こせたことはない。ましてやレイニーとの戦闘で消耗していることを鑑みると、一度でもフリーズを引き起こせるかどうか定かではないのだ。


「フリーズか。使うなら使えばいい。ところでレイニーはどうした」


「あ、レイニーちゃん? 彼女なら俺が倒したよ」


「殺したのか」


「いや? ぐっすり眠ってるよ」


「そうか。来い」


 ワイラーは、どこか安堵の表情を浮かべた後、拳を握り込んで構えた。


「まぁまぁそう急かなくてもいいじゃん。ちょっと話をしようよ」


「お前と話すことなどな──」


「えー? 前に会ったとき言ってたよねー? 九頭零士。お前と話がしたい。いつかゆっくり。キリッ。ってさ」


 冷たい態度のワイラーに、言葉をかぶせる。煽り気味で。


「そんなことも、言ったかもしれないな」


「ひょっとしてきみも、御門のことを案じているのかな?」


「…………当然だ。ボスに任されたからな」


「ボス? あぁ、菫の?」


「やはり知っているのか」


「そりゃあね。御門を取り合った仲なわけだし?」


「どういうことだ」


 あえて、含みを持たせた言い方をすると、案の定ワイラーは興味を示した。レイニーと言い、ワイラーと言い、京鹿に関する話には目がないらしい。


「御門が特執に捕まった時、菫を辞めてうちに来いって誘ったんだよ。ま、彼は俺を選んでくれなかったけどね。んで、知らないうちにずいぶん冷たくなっちゃった」


「ヴェルマがああなったのは、仕方ないことだ」


「菫の頭が殺されたって話かな? その復讐に、きみは賛同しているのかい?」


「わた……俺は託された。ヴェルマのことを。だからどんな結果であれ、彼を守る。それが俺の使命だ」


 どこか口ごもったワイラー。どこか動揺しているように見受けられた。

 零士はさらに揺さぶるべく、煽る。


「立派な忠義なこって。でも全然守れてなくね?」


「なにが言いたい」


「分かってるくせにー。御門の心は守れたのかって聞いてんだよ」


「……………………」


「ほーらだんまり。ま、俺が言えた義理じゃないんだけどね」


「彼は、復讐を果たせば必ず戻る。俺はそう信じている」


「アホかテメェは」


 珍しく、零士は憤りを露わにした。ワイラーも、その豹変ぶりに目を細めた。

 しかしすぐに、零士は柔和な笑みをこぼした。


「それだと手遅れだって、なんで分かんないかなー」


「ならば、俺を敗り、ヴェルマの元へ行け。そして彼を救ってくれ。俺よりも弱いやつに託せるようなことではない」


「お? だいぶ素直になってきたねワイラーちゃん。でもさ、俺らが戦わなくても、二人で説得しにいくってのはどうかな?」


「それはもう遅い。これ以上は時間の無駄だ。来い」


 ワイラーは、解いていた構えを再びなおした。

 レイニーと同様で、彼にも迷いの目が垣間見える。戦わずに事をおさめられるかもしれないと思ったが、どうやらそれなりの覚悟を決めているらしい。

 それを察した零士も、十手を抜き、前に添えた。


 数秒の静けさの後、乾いた衝突音が夜の空気を震わせた。

 十手と拳がぶつかり合う一瞬ごとのせめぎ合い。零士は見逃さなかった。ほんのわずかな間合いの違い、指先の軌道、呼吸のリズム。

 視式──その力が、彼に常人では到底捉えられない情報を流し込んでいた。

 激しい攻防を経て、一旦退いた零士が呟く。


「ふぅやっぱり打撃は効かないか。でも変だね……」


 零士は以前、ワイラーと拳を交えたことがある。くわえて、同じバーストアビリティを持つ陽暈と訓練を行ったこともある。

 それらの戦いのなかで見てきた触式の反応と、いまのワイラーの動きが、どうも一致しない。

 本来、触式を持つ相手は、皮膚や衣服に触れた直後、逃げるように回避する。しかし、先刻振るった十手は、ワイラーの皮膚に触れる前に、回避された。

 もし自分が視式でなければ、間違いなくその違和感に気づくことはなかっただろう。


「きみ、ホントに触式?」


 ワイラーが身に纏う青いオーラを凝視しながら、零士が問う。


「自分の目も信じられなくなったか」


 わずかに口角を上げ、ワイラーが皮肉った。


「だよねー」


 仮に視式も扱えるとしても、赤いオーラがないのはおかしい。オーラを隠すなんて話、聞いたこともない。

 だとすれば、触式の範疇。なにかカラクリがあるはず。なければ詰む。

 そうして零士は思考を巡らせ続けた。

 出した結論は──。


「風か温度。ってところかな?」


 指をパチンと鳴らして、推察を述べた。するとワイラーは軽く拍手をした。


「さすがだな。俺は気流を感知することができる。お前に敗北したあの日からずっと、触式の可能性を模索し続けた結果、辿り着いた触式の境地だ」


「あらあらまぁまぁ、ずいぶん頑張ってくれちゃって。それならもうフリーズさせるしかないかなー」


「見栄を張るな。俺も何度かフリーズを経験しているが、あれは一度起こすだけでも脳への負荷は計り知れない。ましてやレイニーとの戦いで、お前は傷を負っている。とどのつまり、余力がないのだろう?」


「あいたたた……これは痛いとこ突かれちゃったな」


「限界だろう。もう諦めたらどうだ」


「限界? 心外だなあ。限界なんてくだらない言葉で俺が諦めるわけないっしょ」


「ならばお前も、先の男と同じ一途を辿るだけだ」


 その静かな宣告とともに、ワイラーは構えを取った。風の止む気配が、庭園の空気に緊張を走らせる。

 零士もそれに呼応するように重心を低く落とした。気流感知に対する打開策はいまだ見えてこない。だが、それでも黙って屈するわけにはいかない。


 ワイラーの一撃が放たれた。

 右拳が描く軌道は、唸りをあげる風のごとき衝撃波を伴い、零士の眼前を鋭く通過する。

 即座に零士は踏み込み、十手を閃かせるように振るった。並行して、逆の手で狙うは四肢、あるいは衣服の端。わずかでも掴むことができれば、形勢は傾くはずだった。

 だが──空を掴むかのような虚しさだけが、指先に残る。


 ワイラーは、視式を警戒しているのか、安易に間合いを詰めるような愚は犯さない。それもそのはず。触式は後出しでこそ真価を発揮する。攻めに転じるメリットが、彼にとってはないのだ。


 零士は覚悟を決めた。触式で躱されることを前提に、すべての力を一点に集める。レイニーを打ち倒した瞬間のように、全身全霊の高速連撃を放つ。

 いま再び、己をその極致にまで駆り立てる。たとえ避けられたとしても、構わない。避けられるなら、さらに速く。弾かれるなら、さらに重く。

 これはある種の挑戦。純然たるバーストアビリティの衝突。小手先の技術などいらない。視式と触式、どちらが強力なのか。それを確かめるのだ。


 速度を上げろ。それでも届かぬなら、なお上げろ。

 届くまで、強く。掠るまで、鋭く。

 当たるまで、何度でも──。


 だが残念ながら、いや、やはりというべきか、十手は届かない。わずか数ミリ先を、ワイラーは余裕すら感じさせながら回避していく。風が、動きが、すべて読まれている。

 そのとき、不意に腹部が軋んだ。

 銃創が暴れたように疼く。かすかな、しかし致命的な痛み。


「くっ……!」


 その零士のわずかな硬直を、ワイラーが見逃すはずがなかった。

 気づけば、冷たい鉄塊のような膝が、零士の胸元に食い込んでいた。

 肺の奥から、空気が一気に吐き出される。

 苦悶の声を上げながら、後方へ吹き飛ぶ。弾けそうな意識をなんとか繋ぎ止め、空中で身体を捻って着地に持ち込んだ。


「カハッ…………」


 喉奥を焼くような血の塊を吐き出す。

 霞む視界に抗うように、自らの頬を平手で打つ。鈍い音と共に意識が少しだけ戻った。

 そしてすぐさま、零士は再び前を向く。

 だが──その目に映ったのは、拳を振りかぶるワイラーの姿。

 もはや目と鼻の先、回避の余地すら残されていない至近距離だった。


「やべっ!」


 その呟きが空気に溶けるよりも早く、次なる衝撃が迫ると思いきや──咆哮。


「うぉぉおおおおらぁあああああああアアアア!」


 空を裂くような破裂音が、夜の庭園を揺らした。さながら隕石のように、真上から黒い影が落ちてきたのだ。

 それ以外の表現が思いつかないほど、唐突で苛烈な侵入だった。

 風圧が零士の髪を荒々しく押し上げる。

 そんな異物に焦りを見せたワイラーは、振り上げた拳を静かに下ろし、滑るように後方へ跳ぶ。


 そして、巻き上がった土煙のなか、巨躯のシルエットが浮かび上がる。


「ベストタイミングっちゅうやっちゃな」


 クレーターの中央で膝をついていたのは、凱亜だった。頼もしいその背中に、零士は歓喜する。


「出たー! スーパーヒーロー着地!」


「おいおい珍しく怪我してるやんけ!」


 凱亜は嬉しそうに負傷した零士を見やる。普段、余裕をぶっこいでるからこそ、零士がピンチであることが嬉しいのだろう。


「そう言う凱亜もね。でもマジで助かった。マジで」


 痛む胸を押さえながら、足を踏ん張って立ち上がる。


「零士先輩! 無事っすか!」


 いつの間にかすぐ後ろに合流していた綱海が、元気な声で問うてくる。


「お、ツナも無事でなにより」


「当たり前やろがい! ワシの弟子がそう簡単にくたるかいな!」


「うぃっす! ま、さっきは寝てただけっすけど!」


「アハハッ。いいじゃんいいじゃん生きてりゃそれで。そんなことより二人とも、注意した方がいい。ワイラーの触式は、相当手強いよ」


「そらそうやろうな。よっしゃ、どう攻めるんや隊長」


「とにかく全力で殴りまくってみよう」


「ほう。悪くない脳筋ぶりやな。チビ助! 気抜くなよ! これまで戦ってきた相手とは訳がちゃう!」


「うぃっす!」


「ルージもやられたか。ふん。まぁいい。バーストもしていない弱者が二人増えたところで驚異ではない。三人まとめて来い」


 凄まじい気迫のワイラーは、青いオーラの厚みを増し、まるでサッカーのゴールキーパーのごとく両手を開いて構えた。


 彼の望み通り、三人の影が地を蹴った。夜の庭園に、風が重なる。

 零士は低く身を沈め、十手を逆手に構えたまま駆ける。凱亜は重心を下げ、両腕のナックルを鋼の盾のように前へ出す。綱海は最も速く、すでに側面から急接近していた。


 包囲──完了。

 だが、ワイラーは微動だにしなかった。

 その瞬間、地が鳴る。

 零士が左へ滑り込み、十手を突き上げる。狙いは顎下。だが、ワイラーは頭を傾けただけでかわし、逆に零士の肘に手刀を打ち込む。

 零士の腕が跳ね返るように弾かれ、体勢が崩れる。

 そこに凱亜の突進。鉄槌のような一撃がワイラーの胴を打ち据えようとする。瞬間──ワイラーは地を滑るように半歩後退し、凱亜の拳が空を裂く。

 続けざまに綱海が横からのナックルを打ち込んだ。今度は当たる──そう確信できる距離だった。

 だが、ワイラーの背筋がゆるやかに捻じれた。その一動作で、拳はわずかに逸れ、肌に触れることすら叶わなかった。

 凱亜の踏み込み、零士の回避からの再突入、綱海の裏からの連撃。

 攻撃のタイミングは絶えず重なり、隙間なく押し寄せた。


 それでも、ワイラーには一度として触れられない。

 ただ避けているだけではない。

 敵の視線、肩の角度、指先の動き、すべてを見切られ、間合いを支配されている。

 三者三様の速度、重さ、意図。それらを一瞬ごとに把握し、最も効率的な位置に身を置き続ける。まるで、闘争そのものに内在する線を読んでいるかのようだった。


 零士が地を蹴るたび、ワイラーは寸前で動きを察知し、逆にその進路へと迎え入れるように立ち塞がった。

 凱亜の打撃が軌道に乗る寸前、重心の傾きを逆手に取って、身をずらし、空振りを誘う。

 綱海の突きが鋭くなればなるほど、ワイラーの身体は薄く、速くなっていく。


 そして数秒後、零士の肩がはね上がり、凱亜が膝をつき、綱海の息が乱れる。

 一度の被弾もなく、ワイラーはそこに立ち続けていた。

 呼吸すら、ほとんど乱れていない。

 周囲の地面には、三人の動きにより削られた蹴り跡、踏み痕、えぐれた土。

 だが、その中央に立つワイラーの足元には、一片の乱れもない。

 戦場のすべてが、彼の掌にあるかのようだった。


 さりとて、収穫がないわけでもない。

 零士とサシで戦っていた時は、皮膚に触れる前、すなわち気流を感知し、攻撃をさばいていた。しかし凱亜と綱海が加勢したことにより、気流感知だけではさばききれなくなっており、本来の触式の能力である脊髄反射によって回避することがしばしばあった。

 そうとなればやはり、こなまま手数で押し切れば、わずかな綻びが生まれるかもしれない。


「まだまだ行くよぉ!」


 声と共に、零士が地を蹴った。風を裂くように前へ。

 その手に握られた十手が軌跡を描く──だがそれは、まやかし。誘いの一閃。

 直後、凱亜が背後から踏み込み、綱海が側面から駆け上がる。両者のナックルが、示し合わせたかのように、時間差すら感じさせぬ同時性で煌めいた。

 その一瞬、ワイラーの瞳がかすかに揺れる。わずか一拍、呼吸を逸らしたかのような遅れ。

 右より凱亜、左より綱海──交差するその二撃は、退路なき一点を完璧に捉えていた。


 そして──。


 重く、低く、鈍い音が空気を震わせた。

 ワイラーの身体が、ごくわずかに、だが確かに、硬直した。音はかすか。だが確かな手応えがあった。筋肉の収縮、内部で弾ける血流の逆巻きが、なによりの証明だった。

 均衡を保っていたはずの黒きシャツに、ほのかに皺が寄る。


 その顔に、初めて人間的な色彩──焦燥の陰が浮かんだ。

 さりとて、反応は迅速だった。ワイラーは即座に宙を蹴る。空気ごと自身の気配を後方に押しやり、爆ぜるように飛翔。

 そのまま、地面に柔らかく着地したときには、すでに三人との間に数メートルの距離を置いていた。


「なにをした……」


 上下する胸。寄せられた眉間。

 風が吹き抜ける庭園に、静謐な緊張が満ちる。

 ワイラーが、初めて攻勢を捨て、退避に身を移した瞬間だった。

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