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 茜と琴葉の葬儀を終え、魂が抜けたような面持ちでいた悪立の前に、一人の男が現れた。


「ども。きみ、あだっちゃんだよね」


 陽気で、妙に馴れ馴れしい調子の男だった。


「誰だあんた」


「俺はね、九頭零士ってんだけど、ちょっと話いいかな」


「警察か? もう全部話しただろうが」


「んーまぁ警察っちゃ警察だけど、今回の事件のことはもう聞かないよ。これからのきみの人生について、一つ提案があってね」


 これまで接したどの刑事とも違う雰囲気を纏う男だった。その軽妙な語り口の奥に、何か得体の知れない力があるように感じられて、悪立は自然と耳を傾けていた。


 九頭零士と名乗ったその男は、脳の構造と潜在能力について語り、やがて特執と呼ばれる部隊への参加を持ちかけてきた。

 零士はさらに語った。ニュークという存在によって、悪立のように人生を壊された者が他にも大勢いると。


 胸が高鳴った。

 これは──復讐の舞台なのだ。茜と琴葉に誓った想いを、果たすための道。

 そして理解した。自分の使命を。否、宿命を。

 脳の制限を解除し、得た力を私利私欲に使う者ども。そんな外道は、一人残らずこの手で葬る。

 そんな悪立の目を見て、零士は忠告した。


「ただし、この仕事は常に死と隣り合わせにある。だから強要はしないかな」


 悪立は嘲笑った。


「俺の命なんざ惜しくない。そのニュークってやつを殺せるなら、なんでもやってやるよ」


 それこそが、悪立という男が、生きていく理由となったのである──。


「パパ。諦めちゃダメだよ」


 琴葉の声が聞こえた。


「そうだよ。簡単に諦めるような人じゃなかったじゃん」


 今度は茜の声が聞こえた。

 水に沈み行く体は重く、鈍い。


 そうだ。

 ワイラーとやらに敵わず、一方的に痛ぶられた結果、池に沈められたのだ。


 このまま溺死するのか。ようやく、二人に会えるのか。そんな安堵にも似た感情に包まれた瞬間、また幻聴が聞こえた。


「生きて。パパ」


 そして、ふわりと背中を押された。


 悪立は全て思い出した。

 なぜ、特執捜査官となる道を選んだのか。そして自分の宿命がなんなのかを。


 直後、強烈な電流が全身を駆け抜けた。

 茜と琴葉を殺されたあの日の感覚と似ていた。いや、電圧は今回の方が遥かに強い。神経が焼き切れそうなほど、全身に痛みが走った。

 むろん、それがなんなのかは瞬時に悟った。全身から放たれる赤いオーラが全てを語っている。


「うぉぉおオオオアアアアアアアっ!」


 池底を蹴り、雄叫びを上げながら飛び出した。水の抵抗など感じないほどの勢いで跳躍すると、満月が鮮明に見えた。

 まるで地獄から這い出たような感覚。そして、見える世界は、ずいぶんとゆったりとしていた。


「はっ! これが視式かあ! 九頭の野郎、ずりぃ能力持ちやがって!」


 リリース後、悪立の脳の制限解除率は、66%でピタリと止まっていた。それは二つ目の壁である67%、すなわちバーストになかなか成功しなかったからだ。

 彼の並外れた戦闘スキルがゆえ、たとえバーストしていなくても死に直面するような状況に陥ることがなかった。しかし今回、ワイラーという強敵のおかげで、壁をぶち破ったのだ。


 軽やかに地面に着地した悪立は、悠然と立ち去ろうとするワイラーの背を見据えた。

 そして、全力で地を蹴る。そのひと蹴りは、深く地面を抉るような衝撃であった。解除率が飛躍的に向上し、扱える筋力が桁違いだったのだ。

 悪立はそんな自分の力に驚きながらも、ワイラーの背後に迫る。


 気取られたらしく、ワイラーは振り返った。しかし悪立は焦ることなく、衣服の一部を掴むべく胸ぐらに手を伸ばした。

 すると、あまりの速さに動揺したせいか、ワイラーは回避できなかった。


 胸ぐらを掴み、逆の手に握るサバイバルナイフを首にめがけて押し出す。


 だがさすがにその刃は届かなかった。手を払われ、軌道を逸らされたのだ。

 さりとて、仮面を掠めた。乾いた音を響かせてワイラーの犬面が弾け飛び、宙を舞う。


 間髪入れずにワイラーのカウンターの左フックが振るわれたが、視式をもって軽々と回避。悪立は二歩、三歩と後退した。

 その時、ようやくワイラーの素顔と対面。


「お前ぇ……」


 忌まわしき過去の記憶が甦る。


「この状況でバーストするとは。それも視式……運のいい男だ」


 素顔を表したワイラーは、目を丸くしていた。

 そんな彼の顔を、悪立は知っていた。そう、あの日、ショッピングモールで現れた男だった。前に会ったときとは、口調も雰囲気も違うようだが、間違いない。


「そうか……どうりで胸騒ぎがするわけだ」


「どうやら、覚えているようだな」


「忘れられるわけがねぇだろうが……お前の部下は、俺の…………俺の大事な…………」


「やはりお前は、俺を殺すために特執捜査官になったのか」


「それ以外になにがあんだよクズ野郎が」


「くだらん人生だったな」


 その言葉は、悪立の心を切り付けられるようだった。

 復讐に身を焦がした人生。それは確かに、くだらないと心のどこかで肯定しているのかもしれない。

 しかしそれは否定しなければ、これまで殺したニュークに顔向けできない。過剰に痛みを与え、殺してきた人々に。


 まわりの捜査官は、みな口を揃えて殺しがそんなに楽しいかと問うてくるが、そんなことはなかった。

 人を殺す感覚は、最悪の気分だった。殴る。蹴る。刺す。切る。一つとして気分がいいものはなかった。しかしニュークに奪われた嫁と娘のためにできる、最大限の手向けの花だと思っていただけなのだ。


「くだらなくねぇよ」


「嫁子供が、お前にそれを望んだのか?」


「うっせぇ!」


「お前が傷つき、命を危険に晒してでも、復讐を望んだというのか?」


「あぁそうだよ。あいつらは言った! 生きてってなあ!」


 ワイラーは嘲笑した。


「そうか。いずれにしても、お前が選んだ道だ。辿り着く先がちっぽけな未来だったとしても、文句は言うなよ」


「上等だ」


 たとえどんな結果であれ、悪立は誓ったのだ。復讐を果たし、茜と琴葉に花を手向けると。


「来い」


 なにか覚悟を決めたような様相のワイラーは、半壊した仮面を脱ぎ捨てて、拳を前に添え構えた。

 むろん、悪立も戦闘態勢に入る。


 視式を扱えるようになって間もないが、難しく考える必要はない。ただ、相手の動きが止まって見えるという強力な力が付与されただけだ。これを使わぬ手はあるまい。


 全力で跳躍し、ワイラーとの間合いを一気に詰める。

 当然、初手は打撃や斬撃はしない。まずは掴む。そうしなければ触式の餌食になる。

 脳内麻薬のせいか、気づけば受けたダメージすら感じず、興奮状態にあった悪立だが、冷静に駒を進めた。

 しかしやはり、掴もうと試みたワイラーの四肢は、まるで白身に護られた卵殻の欠片のごとく、逃げ惑う。とはいえ、悪立はワイラーの動きを鮮明に捉え続け、反撃を回避することは容易かった。


 無数に飛び交う拳や脚をかいくぐりながら、衣服の一部を掴むことに専念した。

 だが、一向に戦況は動かない。


「どうした。せっかくの視式がもったいないぞ」


 ワイラーの挑発に、悪立は歯を食いしばる。


「クズが……! 逃げてばっかかお前ぇは!」


 悪立は焦っていた。

 ワイラーの言う通り、視式という強力な武器を得てもなお、有効打が繰り出せない。

 接近戦は自分の領域だ。狭い空間での動きには慣れている。視式によって相手の動きがスローモーションのように見える今なら、先に叩けて当然。


 だが──。


 視界の端で、ワイラーの肩が動いた。その次の瞬間、悪立の脇腹に鈍い衝撃。


「がっ……!」


 苦悶に身をよじる暇もなく、背中へ肘打ちが叩き込まれる。空気が肺から抜け、視界が一瞬で霞む。

 前のめりに倒れ込み、口から血が漏れ出す。


「ぶっはぁ……」


 同時に、これまで蓄積されていたダメージによる全身の痛みが息を吹き返す。


「クソ、いてぇ…………」


 バースト後、一時的に続く興奮状態が途絶え、どっと体の重みが増していく。震える足に鞭を打ち、立ち上がろうと試みるが、眩暈により跪いてしまう。


「お前、視式の弱点も知らないのか」


 ワイラーはトドメを刺そうともせず、堂々と佇んでいた。


「弱点……」


 そこでようやく、ワイラーの言葉の意味を理解した。


「バカか俺は…………」


 視式の弱点。それは単純明快。死角からの攻撃だ。

 いくら動体視力がよくても、見えない攻撃には対応しきれない。

 悪立の強みである近接格闘の高いスキル。それは敵との間合いを詰めてこそ発揮される。となれば自ずと、相手の全身を視野に捉え続けることはままならなくなる。

 肘や膝、足元などは特にそうだ。

 そんな死角から、予備動作なく攻撃を繰り出すことで、視式はやぶれる。


 それは悪立が最も意識してきたことでもあった。いや、意識するよう視式持ちである零士との訓練で叩きこまれたと言うべきだろう。

 悪立が自身を責め立てた理由はそれだった。


「残念だがお前ごときに敗するほど俺は弱くない。立ち去れ。去らないなら、俺が家族のもとへ送ってやろう」


「バカなこと言ってんじゃねぇ。お前ぇを殺すどころか、お前ぇに殺されちまったら、それこそあいつらに合わせる顔がねぇっつうんだよ」


「そうか。なら立ち去れ。あの日の詫びだ。見逃してやる」


「ふざけんじゃねぇ……! そもそもどうしてお前ぇの部下とやらは暴れ出したんだ! お前ぇ、目を離したからだっつってたよな。ガキじゃねぇんだぞ!」


 ワイラーは大きくため息を吐いて、呆れたように横に首を振った。


「あいつは薬に手を出してたんだ。俺たちは薬を売ることはあっても手を出すことは絶対にない。いろんな結末を見てきたからな。だがあいつは打ったんだ。前のボスの意向で、見捨てるわけにもいかなかったから、俺が面倒を見ていた」


「なんだよそれ……じゃあなにか? 俺の嫁と子供は、薬中の憂さ晴らしに付き合わされて死んだってのか!?」


「…………そう、なるな」


「やっぱり許せねぇ。ぶっ殺さねぇと。お前ぇらみたいなクズは、一人残らず殺してやらねぇと。俺の気がおさまらねぇな」


「そうか。ならばもう、耐えろとは言わん。全力で来い。俺も全力で、お前を殺そう」


「いい度胸じゃねぇか。やってやるよ……俺がやんなきゃいけねぇんだ……」


 ボロボロの体に鞭を打ち、立ち上がる。

 もはや体のどの部分の骨が折れているのか、分からない。数えきれない。

 しかしいま、立てるのなら。動けるのなら。ナイフを握れるのなら。後は言うまでもない。


「ぶっ殺してやぁぁぁああアアアアアアア゛!」


 怒号のような咆哮が空間を裂く。

 悪立は血に濡れた拳を再び握りしめ、足元を叩くようにして踏み出そうとした──が。


「……ッぐ……!」


 肺が痙攣したかのように収縮し、呼吸が止まる──眩暈。喉の奥がひっくり返るような嘔気。視界が波打つ。

 バーストしたことによる反動と、受けたダメージの蓄積により、細胞一つ一つが悲鳴を上げていた。

 一瞬の硬直。

 ワイラーは見逃してくれるはずがなかった。その瞳には、何の躊躇も、同情もなかった。


「死ね」


 低く呟いたその直後、ワイラーの膝が悪立の鳩尾を打ち抜いた。

 痛々しい衝撃音と共に、悪立の身体が宙を舞い、背中から地面に叩きつけられる。そのまま脱力したように転がり、仰向けで動かなくなった。


「……ぅ、が……」


 肺が空っぽだ。声にならない呻き。視界の端が黒く染まっていく。血の味が口に広がる。

 ふと、茜と琴葉の影が見えた。名前を呼ぼうとするが、声にならない。


 ワイラーの足音が、刺すように歩み寄ってくる。靴底が砂利を踏みしめるその音が、時限の鐘のように響く。

 やはりワイラーの言う通り、いまの自分では力不足だった。


 悔しいが、もう体も動きそうにない。ゲームオーバーだ。

 せっかくバーストに成功し、運よく視式を手に入れたにもかかわらず、戦況を翻すに至らなかった。

 ここで死ぬのか。

 いや、そういう運命だったのかもしれない。

 これまで殺した名も知らぬニュークに、地獄に引きずり込まれるような感覚だ。

 しかし因果応報と言うべきか。復讐と銘打って、鬱憤を晴らしていると言われても仕方のない行いをしてきた自分には、相応しい死にざまなのだろう。


 そうして、依然として近付いてくる足音を聞きながら、悪立は目を閉じた。

 しかしその靴音は数メートル先でピタリと止まった。

 同時に、悪立のすぐ傍で、何者かが降り立つ音が響いた。


「おっほほぉ! バーストしてんじゃん! よかったよかった。きみも自分の命を惜しめるようになったんだね」


 その正体は、声を聞いただけですぐに分かった。この状況で、そんなふざけた声を出す男は一人しかいない。

 重い瞼を押し開き、細目で見やる。


「九頭……おせぇよ…………」


 文句を言ったものの、悪立は涙するほど安堵していた。憎たらしい男ではあるものの、彼は強い。何度も訓練に付き合ってもらったが、全身全霊で立ち向かっても、一度として勝利したことはない。

 彼なら、あのワイラーにも負けない。託せる。全てを。


「俺の家族を殺したのは……ワイラーの部下だった……」


 零士は眉根を寄せた。


「へぇ。そうだったのかい」


「九頭……頼む。絶対に──」


「あだっちゃん。大丈夫」


 いつの間にか、すぐ傍に零士がしゃがみこんでいた。

気づけば、その手がこちらの手をそっと包み込んでいた。温かく、確かな体温がそこにあった。


 悪立は少し、照れ臭く、一瞬だけ躊躇った。けれど、すぐにその指に力を込める。

 わずか数滴。もう残っているとは言えぬほどの生命力を、最後のひとしずくまで搾り出し、零士の掌へと託した。

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