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「おぉ! なんだお前いい面してんじゃねえか! やっぱ高く売れそうだ!」


 振り子のように宙を泳ぐ、男のフードの紐。


「バーストリミット・オフ」


 月乃がそう呟いた瞬間、彼女の全身を包むように、陽光を凝縮したかのような、橙色の眩いオーラが立ち昇った。

 それが何を意味するのか、陽暈には分からない。ただ、その得体の知れない輝きが、月乃の幻想的な空気をより濃くしたようだった。


「あーでもちょっとはしつけが必要みたいだな」


 男は不気味な笑みを浮かべながら、ポケットに手を滑らせる。そして悪趣味な手品師のように、折りたたみナイフを取り出すと、それを軽く開いて見せた。


 しかし月乃は動じることなく、スカートのウエストを一折りし、裾を捲り上げ始めた。さらされた太ももは、雪を思わせるほど白く、引き締まった肌には張りがある。


「朝顔……ダメだ…………」


 いまだ脳震盪に襲われている陽暈が、絞り出すように制止を試みる。


「黙ってて!」


 その瞬間、彼女の眼差しが陽暈へと向けられる。さっきまで仮面の男に突き刺さっていた鋭い光──それが彼を射抜いた。陽暈は思わず背筋を震わせた。


「ひゃ……!?」


 子犬同然の高い鳴き声を発し、身を縮み上がらせた陽暈。どうやら、いまの彼女は見境がないらしい。というか、キャラ変わりすぎじゃね──と思ったが、それを言ったら噛みつかれそうだったため、陽暈は自重した。


「後悔してももう遅ぇぞクソガキがぁァアア゛!」


 怒号と共に、男が飛び出す。セリフこそモブそのものだが、俊敏な動きには鍛え上げられた筋肉の爆発力があった。銀色の刃が宙に弧を描き、月乃の胸部へ突き進む。


 目と鼻の先まで切っ先が迫ったその瞬間──甲高い金属音が倉庫に響いた。


 月乃は一歩も動いていなかった。


 カランカラン、と陽暈のすぐ傍に落ちた金属片。その正体を見やると、それは──ぽっきりと折れたナイフの刃だった。


「はぁ……!?」


 男が叫び、手元を見下ろす。握っているのはもはやナイフではない。ただの柄だった。


「遅すぎ」


 いつの間にか、月乃は男の懐に入り込み、死刑宣告さながらに囁いた。しなやかな身体を渦のように捻りあげ、膝を振り上げる。その動作は獣のように鋭く、だがどこか舞踏にも似た優美さを湛えていた。


 乾いた衝撃音──。

 肋骨に命中した膝蹴りが、男の身体を軽々と持ち上げる。

 次、クルリと体を一回転させ、遠心力を上乗せした回し蹴りを、宙に浮かんだ男の横腹へ叩き込んだ。一直線に男を吹き飛ばし、倉庫奥の鉄製階段に激突させる。


「おぉオッ……!?」


 一部始終を見ていた陽暈は、思わず少年のように声を上げる。その浮かれた様子が癪に障ったのか、月乃から凍てつく視線を向けられ──。


「さあせんしたああ!」


 即座に地面に額をこすりつけ、陽暈は今日二度目の土下座を披露。だが同時に、自身の身体が正常に動くほどに回復していると気づいた。


「クソが……!」


 打ちのめされた男は、悪態をつきながら立ち上がる。血を吐きつつも、階段を駆け上がる姿は、情けない。


「逃がさない」


 月乃は鬼神の如き声でそう呟き、しかし階段ではなく、出入口の方へと足を向ける。陽暈も迷わずその背を追った。


「アキラ!」


 倉庫を出るや否や、月乃は空へ向かって誰かの名を叫んだ。

 思わず陽暈は周囲を見渡す。仲間がいるのか、と──だがそのアキラとやらは、颯爽と空からやってきた。


「ヒャッハー!」


 夕陽を背に舞い降りたそれは、全身が赤く、翼に緑と青をあしらった怪鳥だった。なだらかに湾曲した鋭い嘴、異様に膨らんだ胸部──なによも異常だったのは、胴には黒いベストを着用し、律儀に黒ネクタイを結っていること。


「なんだ鳥か!? つか服着てる!? なぜ!?」


「アキラ、この人と来て!」


 月乃はそれだけ言い残すと、地を蹴って跳躍した。羽でもあるかのように、軽やかに上昇。むろん、翼など生えていない。ただその跳躍力は、もはや人間の範疇を逸していた。


「イエッサー!」


「オウムが喋った!?」


 その怪鳥は、軍人のように胸を張り、陽暈へと滑空してきたかと思うと、無遠慮に両足の鉤爪を鋭く肩に喰い込ませてくる。


「痛えっ……!」


「オウムチャウ! インコヤ! ベニコンゴウインコヤ!」


 甲高く、しかし流暢な発音。しかも関西弁。

 情報量が多すぎてパンク寸前の陽暈など意に介さず、アキラは翼を羽ばたかせた。翼を振るう度、周囲の空気が渦を巻き、重力が緩やかに剥がれていくような浮遊感が、陽暈の肌をなぞる。


「おいおいマジで言ってんのか……!」


 突風と共に地面が遠ざかる。靴裏が空を掴むように宙を彷徨い、気づけば陽暈の足は地面から完全に離れていた。


「飛べるのか!? 立体機動装置はねぇけど、飛べちゃうのか!?」


 思わず歓喜とも錯乱ともつかない叫びが漏れる。


「つかインコ(・・・)のくせに()掴みすな! 痛ぇんだけど!」


「ウルセー! オマエハ、コドモ(・・・)ヤケド、オトナ(・・・)シクシロ!」


 会話が成立していることへの驚きよりも、いまは命の危機の方が大きかった。


「言葉遊びまでできるのかよ! つか俺、高所恐怖症なんだがあああぁぁ──」


 声は風に飲まれ、宙へと消えた。


 おそるおそる片目を開く。下界があまりにも遠く、視界の底に押し込まれたように見えた。足の間から覗いたその景色に、背筋が氷の針で貫かれる。


「こらアカン……」


 思わずエセ関西弁がこぼれたその瞬間、屋根の上を身軽に跳ね渡る月乃の姿が視界の端に現れる。テンポの良い跳躍は忍者のよう。アキラも彼女を認めたらしく、翼をたたんで一気に急降下を開始する。


「ぎぃぃいイヤアアア゛ア゛!」


 ジェットコースターさながらの、内臓が浮き上がるような加速が陽暈の腹を抉る。思わず喉奥から悲鳴が漏れた。


「ツキノ、アソコヤ!」


 アキラは、翼の一部を器用に指のように使い、遠ざかる路地を指し示した。その先では、なおも必死に逃げるフードの男の姿がある。月乃はその言葉を受け、目標を射抜く。


「外道が」


 憎悪のこもったその一言と共に、彼女は屋根を蹴った。加速に乗って飛翔するその様は、さながら流星。空気を裂き、一直線にフードの男へ。


 ドスッ──。


 月乃の両足が男の背を捉え、雷鳴のような衝突音が轟く。勢いのそのまま、スケートボードと化した男の背に乗り、地面を滑走。

 いまやフードがめくれている男は、顔面を地に擦りつけながら十数メートルスライディング。ようやく摩擦が制止をもたらした時には、もう動ける状態ではなかった。


「ツキノ、サスガヤナ!」


 その様子に賛辞を贈りながら、アキラは陽暈を投げ捨てるように手放した。


「うぉアッ……!」


 咄嗟に受け身を取り、転がり込んだ陽暈は、立ち上がれそうにない。ちなみに彼は、当然ジェットコースターの類いも苦手であることは言うまでもない。


「やばい。吐きそう……」


 地に手をついた陽暈の唇はうっすら紫がかっている。胃の奥底から込み上げてくるものを必死で抑えてえずく。


「ゲホッ、ゲホッ……」


 唇の端に溢れた唾液を袖で拭き、彼はふらつきながらやっとの思いで立ち上がった。


「陽暈くん。ごめんね巻き込んで」


「陽暈くんって……お前、本当に朝顔なのか?」


「うん。そうだよ。これが本当の私」


 声には、先ほどのような狂気の色はもうなかった。しかし、それでも教室で見せていた自信なさげな少女の姿とも違う。背筋は真っ直ぐに伸び、言葉には確かな意志と明瞭さが感じられる。


「バスの方が強いことに気づいた時のまさおくんぐらいキャラ違ぇんだな……おぇ……」


 冗談を言える程度まで回復してはいるものの、嘔吐感はまだ残っている陽暈。


「ツキノハ、ホンマニダイジナモンヲ、キズツケラレルト、ワレヲウシナウンヤ」


「アキラ黙って。違うの陽暈くん。私はただ──」


「いや、ちょっと情報量多すぎな。俺の脳のCPUはそんなに性能高くねえぞ。あれ、GPU? CPU? 分かんね」


 状況は混迷を極めていた。自分の身体に宿った異常な力の正体。月乃の変貌。そして、言葉を話すスーツ姿の巨大インコ──知りたいことが山積で、脳が処理しきれない。


「朝顔殿!」


 突如、場に割って入る声。振り返れば、グレーのスーツに身を包んだ壮年の男が小走りに近づいてくる。髪には白が混じり、年齢を感じさせるが、その足取りは軽やかだ。


「之槌さん! 早かったですね!」


「えぇ。丁度近くにいたもんで。おや、きみは……」


 陽暈に目を向けたその男は、何かを思い出したように目を見開いた。陽暈もどこかで彼を見たような気がしたが、思い出せない。


「彼は天若陽暈くん。私のクラスメイトです。リリースしてるみたいなので、局へ連れて帰ってもらえますか?」


「ほう。枷はつけますかな?」


「大丈夫です! 私も同行しますから」


「それは頼もしい限りですな。で、そこにのびてるのが?」


 之槌は顔に無数の擦り傷を刻み、気絶しているフードの男を見やった。


「はい。れいの誘拐犯です」


「一人で囮捜査とは……相変わらず危ない橋を渡りますな」


「でも、陽暈くんが手伝ってくれたおかげで、ずいぶん楽でしたよ。あと三人いたんですけど、彼が無力化してくれましたし」


「それはそれは。また頼もしいご友人ですな」


 陽暈は、次々と展開される情報の奔流に飲まれ、口を半開きにしたまま言葉を失っていた。彼の理解は現実に追いつかず、ただ目の前のやりとりを茫然と見つめることで精一杯。


 その後、月乃から「あとで説明する」とだけ言われ、陽暈は之槌と共に、局なる場所へと連れていかれることになった。


 陽暈が倒した三匹の仮面の誘拐犯たちは、程なくして到着した警察によって拘束された。

 ただし、あの異様な強さを見せたフードの男だけは例外だった。彼は、之槌の車に乗せられ──いや、正確にはトランクに押し込められた。どちらが誘拐犯か分からなくなる絵面だった。


 なお、アキラと呼ばれる巨大なインコは、大空へと舞い戻り、消えていった。

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